第428話:契約成立
都市カマー東地区にあるスラム街。そこにある住居の多くはあばら家で、そんな場所でもスラム街の住人にとっては大事な住まいである。
レーム大陸でも有数の都市の一つであるカマーでも、スラム街の様子は他と変わらない――――はずだった。1~2年ほど前に裏社会を仕切っていた組織同士が合併し、一本化されてからは治安が急速に回復しており、普通ならば危険な臭いと陰気な雰囲気が漂っているはずの、スラム街特有の空気感は皆無と言っていいほどである。
「バジルさん、これ見てくださいよ」
そんなあばら家の中でも比較的まともな建物の中――――アルコム警備会社が複数所有する物件の一つなのだが、そこで休憩中の男が親指で自分の目を指差しながら、バジルへ話しかけていた。
「あん? なんだよ、人が気持ちよく一服してるってのによ」
タバコをふかしながら、バジルは視線を男へと向ける。
「だから、この眼っすよ。マジで違和感0なんですって! ビビりません? 他の連中にも聞いて見たんっすけど、み~んな、俺と一緒の意見なんすよ。俺の眼が抉られたんだぜって言っても誰も信じないんですから、魔法ってのはすげえもんっすよね」
「ば~かっ」
興奮しながら一気に捲し立てる部下の男に対して、バジルは「なんもわかっちゃいねんだな」と、バカにする。
「ひ、ひでえ」
「あのな? ちょっと斬られた傷を治すのとはわけが違うんだぞ。眼なんて複雑なもんを、それも丸ごと抉られた部分を再生するなんて『神聖魔法』を使わねえと治せねえんだ」
理解したのかしていないのか。バジルの部下は「ほえ~」と感心したような声を漏らす。
「『神聖魔法』ってのはそんな凄え魔法なんっすね」
「ば~かっ」
「なっ!? なんでっすか!」
「『神聖魔法』でも部位再生なんて簡単にはできねんだよ。それこそ高レベルの使い手でもな。熟達って呼ばれるほどに何十年も経験を積んだ使い手で、やっと治せるかどうかってところだ」
「でも、ボスは俺以外の連中もポンポン治してたじゃないっすか」
「そこがボスの凄えところなんだよ」
「おかしくないっすか?」
「あん? なにがおかしいんだよ」
「だって、ボスって14~15歳でしょ? どうやってその熟達ってくらい経験を積んだんっすか」
「そりゃ……」
バジルは部下のもっともな疑問に対して、納得できる言葉を持ち合わせてはいなかったのだろう。言葉が詰まり言い淀むと、それを誤魔化すように――――。
「そんなことより、礼は言ったのか?」
「礼? ボスにはちゃんと言いましたよ」
「ちげえよ、バカ野郎っ! 孤児院のシスター・ノウルチェに礼は言ったのかって聞いてんだよ。あの人は俺らみたいな連中でも診てくれる奇特な人なんだからな。ちゃんと礼の言葉と、できる範囲でいいから喜捨しとけよ!」
「あの……キシャってなんすか?」
「こ、このバカはマジで一回ぶん殴ら――――」
教養のない部下にバジルが怒りを感じていると。
「バジルの兄貴っ、大変だ!!」
部屋に飛び込んできたのは、巡回中の部下の一人であった。
「たくっ、落ち着けっての。また惨鎧斬でも出たのか?」
「ち、違う。衛兵だっ。それも何十人もいくつかのグループに分かれて、スラム街に押し寄せてきやがった!」
「はあん? なんでスラム街に衛兵がそんな来るんだよ」
「俺だってわかんねえよ! 少しでも口答えしたら問答無用で連行しやがるんだ! もうアルコムの連中も何人も連れてかれてる!」
部屋で同じように休憩をとっていた者たちも、内容が内容だけに焦った様子でバジルにどうするかを問いかける視線を向ける。
「こりゃ惨鎧斬の件だな」
伊達にバジルも裏社会で生きてきたわけではない。すぐに衛兵の目的が惨鎧斬に関連してのものだと見抜く。
「おいっ。うちの者に逆らうなって言っとけ」
「いいんですか?」
「お上に逆らったところで良いことなんて一つもねえからな」
国家権力に逆らうことの無謀さをバジルはよく理解していた。そもそもスラム街の治安や住人の生活水準が以前とは比べ物にならないほど向上したにもかかわらず、都市カマー側から役人が一人も送り込まれることもなく、これまで通り好き勝手やれてきたほうがおかしいのだ。その理由がユウの存在であることを、バジルでなくとも少し察しのいい者なら気づいているだろう。
「むしろ積極的に協力して恩を売っておけ」
「わ、わかりましたっ。じゃあ、今から皆に知らせてきます!」
「待てっ」
駆け込んできたときと同じように、飛び出していこうとした部下の背に向かって、バジルは待ったをかける。
「孤児院はどうした? まさか衛兵は孤児院にも行ってるんじゃねえだろうな」
「あっ……。多分、乗り込んでると思います」
「バカ野郎! 思いますじゃねえだろっ! おい、すぐ向かうぞっ!」
※
バジルが部下を引き連れて孤児院に向かうと、そこには人集りができていた。
「なっ!? なんだこの人混みはっ」
「バジルさん、こりゃ前に進めねえっすよ。回り込みますか?」
「よく見ろ。回り込んでも意味ねえだろうが。こら、退けっ」
「あ? いきなりなにを――――うっ。へ、へへ。どうぞ」
肩を掴まれて無理やり退かされた群衆の一人がバジルを睨むも、それ以上の威圧を放つバジルを前に愛想笑いを浮かべて道を譲る。その後も同じ調子で道を進んでいくのだが。
「そこ止まれ。お前らだ!」
衛兵の一人がバジルたちを見つけると、すぐさまに制止の声をかける。そして、群衆を制止していた他の衛兵たちが集まってくる。
「その制服。お前ら、アルコムの連中だな」
衛兵の中から武官が出てくる。
「不味いな」と、バジルは心中で呟く。いくら後ろ盾にユウがいるとはいえ、都市カマーはムッス侯爵の治める領地なのだ。その支配者の配下と揉めてもなに一つ良いことなどない。
チラリと、孤児院の門へバジルは視線を向けると、そこには衛兵を率いる武官と対峙するマリファの姿があった。
(しめたっ! マリファさんがいるじゃねえか)
孤児院へ押し入ろうとする自分たちに抗議する群衆の声を無視し、武官はマリファをどうにか説得しようとしていた。それはバジルたちに対する対応と打って変わって、とても気を遣ったものである。
「我々は領主であられるムッス様の命で動いています。そのように気を張られなくとも、惨鎧斬の被害にあった者たちから聞き取り調査をしているだけ、一般的なものです。マリファ殿、あなたが危惧するような真似はしないことを約束しましょう」
笑みすら浮かべながら交渉する武官を前に、マリファは塵か虫けらでも見るかのような冷めた視線を武官に向けていた。
「門を一歩でも越えれば、対処します」
「このっ」
衛兵の一人がマリファの態度を生意気、あるいは反抗的だと捉えたのだろう。顔を険しくして睨みつける。「余計な真似を」と、武官は心の中で舌打ちをした。
「下がっていろ!」
「で、ですがっ。この亜――――」
空気を震わすかのような音が、頭上より聞こえてくる。衛兵のみならず、群衆も一斉に視線を上に向けると、孤児院の屋根からこちらを見下ろす一匹の魔獣が――――ランの姿が見えた。雷を身に纏い雷鳴を轟かせるランの姿は、威嚇としては十分な効果を発揮したようで、鍛えられた衛兵はなんとかその場に留まるも、群衆は怯え逃げ惑った。
「試してみますか?」
挑発的な発言かと武官がマリファを見つめるも、そこには氷のような、冷気すら漂わせる少女の姿があるだけであった。
(無理に踏み込めば……全滅だな)
感情的になる衛兵とは違い。武官は冷静に現状を把握していた。
「退けよ」
武官にとって誤算だったのは、孤児院にマリファがいたことである。マリファと対峙し、その間に部下たちに塀を乗り越えて踏み込もうにも、マリファの使役する無数の虫がそれらを許さなかったのだ。
武官にとって最悪だったのは、無駄に時間をとられてしまったために、マリファの主が――――ユウまでもがこの場に現れたことである。
「わ、我々は――――」
「消えろ」
聞く耳を持たないどころではない。武官の発言すら許さずに、ユウはただ一言「消えろ」とだけ言ったのだ。
少年が放っているとは思えない凄まじい威圧である。
背にびっしょりと汗を滴らせた武官は、無言で撤退の合図を衛兵に送った。これに抗議する衛兵は一人もいない。誰もが、早くこの場から立ち去りたかったのだ。
「ざまあみろってんだ!」
目の前で騒動を見ていたバジルは、嬉しそうにその場で飛び跳ねる。
「バジル、こんなところでなにしてる?」
「え? そりゃ~へへっ。孤児院のことがちと心配になりやして」
「なんだよ、お前ってお人好しだったんだな」
「なに言ってんすか。それを言うならボスだ――――いでえっ!?」
鼻っ柱にユウの魔力弾を喰らったバジルは「ひ、ひでえ」と蹲る。
「なに適当なことを言ってるんだ。俺はたまたまマリファを迎えにきただけだ」
「そ……そうだったんっすね。俺はてっき――――いだだっ。ちょっ!? 勘弁してくださいよ! おめえらも見てねえで助け――――ぎゃあああっ」
尻に向けてマシンガンのように魔力弾を放たれ続けるバジルが逃げ回る。
「あ~っ! ユウ兄ちゃんだ。ニーナ姉ちゃんもいる」
「いらっしゃい」
「みんな、元気だよ~」
コロの背に跨る子供たちが、先ほどまでの騒動などなかったかのように姿を現す。さらに後ろには多くの子供たちが、こちらの様子を窺うように扉から顔を覗かしていた。
「いや~ユウさんも大変っすね」
そんな子供たちの姿に一瞬だが、気が抜けそうになったユウの頭上より声がかかる。いつからそこにいたのか、孤児院の塀の上にフフの姿があった。
そのことにマリファが驚く。全く気づくことができなかったのだ。そして、それはユウも同様であった。
「これっすか? 陰龍の革から作った外套っす。非常に強力な隠蔽能力が付与されてるのは、ユウさんもご覧のとおりっす」
足をぶらぶらさせながら、フフはつまらなさそうに外套の能力を説明する。
「それよりフフとの契約の件は、考えてくれたっすか?」
ユウやマリファはともかく。いつも賑やかなニーナですら、黙ったままフフを見つめていた。
「それとも惨鎧斬がいなくなるまで、ずっと孤児院に張りつくつもりっすか? はてさて、惨鎧斬がいなくなるのはいつになることやらっす」
どこかユウをバカにするようにフフは言葉を綴る。
「このままじゃ、いつか惨鎧斬の被害が出るっすよ」
そのあまりにも無神経な言葉にバジルたちが反応する。
「なに言ってやがる! とっくに被害なら出てるんだよ!」
「てめえ、よそ者だな。知ったげに語ってんじゃねえぞっ!!」
「降りてこいや!」
怒り心頭のバジルたちを不思議そうにフフは見つめる。
「え? あなたたちのお仲間さんはユウさんが治したっすよね?」
その言葉にバジルたちは絶句する。
孤児院の子供やスラム街の住人の眼球が抉られたことを、フフが知っていたからだ。知っていたうえで、治ったのだから被害者はいないだろうと言ってのけるフフの異常性にバジルたちは恐怖を感じた。
「フフは惨鎧斬を倒したい。ユウさんもこんな騒動はさっさと片付けたいっすよね? なら、フフと協力するべきっす。フフは長年にわたって追いかけてきたっす。色々な情報を知ってるっすよ。たとえば、次にこの都市で惨鎧斬が狙いそうな者が誰かとか」
「お前に協力すれば、惨鎧斬を見つけることができるのか?」
実はユウは惨鎧斬が姿を消してから、ずっと捜索を続けているのだが、一向に惨鎧斬を見つけることができなかったのだ。
そんなユウの心の中を見透かすように、ニッコリとフフは満面の笑みを浮かべる。
「契約成立っすね」
塀から飛び降りたフフはユウに向かって手を差し出すのだが、それを無視してユウは孤児院の扉へ向かっていく。
「待ってほしいっす。も~う。素直じゃない人っすねぇ」
呆れた様子でユウのあとを追うフフを能面な顔をしたニーナが見つめる。そして――――
(急いだほうがよさそうですね)
そんなニーナとフフを視界に収めながら、マリファは心の中で呟くのであった。




