第426話:懸念
「なにしてるっすか? フフにも教えてほしいっす!」
ころころと表情を変えながら騒ぎ立てるフフをよそに、地面から手を離したユウの視界が歪む。思わず膝をつきそうになるのだが、それを気力で堪える。
一日中どころか。三日三晩でも動き続けることが可能なユウが、信じられないことに膝をつきそうになるほど疲労していたのだ。
(こんな短い時間の使用で、ここまで疲れるか……)
『螺賦羅磨』――――このジョブをユウは4thジョブに選んだのだが、その結果に得たのがパッシブスキル『骰子転悪笑』である。
効果は“未来の完全予測”
スキル効果について書かれていることは、これだけである。
書かれている内容だけを見れば、なるほど無敵のスキルだろう。しかし、そんなうまい話が――――それもユウの手元に転がってくるわけがない。そのことを他の誰よりも、ユウ自身が理解していた。
『異界の魔眼』で見たところ、このスキルの力を十全に発揮するには前提条件として全ての粒子を把握する必要があったのだ。魔力の粒子一つを見るだけでも、才ある者が弛まぬ努力を重ねて、なお叶わぬことがあるほど。そして、それを見ることが叶ったとて、把握することができたとは言えない。見えるだけではまだまだ不十分なのだ。そもそも、誰もが己が身のことすらろくに識ろうともしない。
己が身に流れる血の流れ、心の臓の動き、呼吸の際に起こる横隔膜や肋間筋の動き、身体を動かす際の筋肉の膨張や収縮、各種臓器の動き。粒子どころか、己が身で常に起こっているこれらの動きすら満足に理解していない。
いざ識ろうとしても、どれだけ理解できていることか。自分の身体一つとってもこれなのだ。それを周囲の大気や足元に転がっている小石から砂の一粒一粒、さらには対峙する敵まで。
それら全ての粒子を把握しようなどと――――人の身ではとてもではないが及ぶような領域ではない。それはもはや神の領域と言っても過言ではないだろう。
だが、ユウは諦めなかった――――否、諦めるわけにはいかなかった。このジョブに就いた時点で、基礎ステータスの一割ほどが低下したのだ。あまりにも痛い代償である。そんなユウを嘲笑うかのように『骰子転悪笑』の名称は“コッケイ”である。ユウは滑稽!? 俺を馬鹿にしているのか、と。心の中でよくもこんなクソジョブを候補に挙げてくれたな、と。散々に罵倒したものだ。選んだのはユウ自身なのだが。
『骰子転悪笑』を使いこなすために、ユウは固有スキル『異界の魔眼』『並列思考』を同時使用かつ、付与魔法第3位階『思考強化』で思考力を常時向上させている。それでも全く能力が足りていないので、時空魔法で止めている莫大な経験値の流入を解除するか悩んでいるほどである。
またユウはこのスキルを未来予知などではなく、事象の操作と認識している。完全に制御することができれば、そうなれば文字通り無敵であるだろう。いつか全ての粒子を把握することが叶えば、だが。そして、そのいつかが訪れることはないと――――その前に自身の命が持たないこともわかっていた。
「なんで惨鎧斬の攻撃を躱すことができたっすか?」
(周囲に被害は……なしか)
数千にも及ぶ高速回転の円盤を操りながら、驚くべきことにスラム街どころかユウがいた空き地にすら被害は一切出ていなかった。惨鎧斬の恐るべき制御能力に、対峙して目の前で見ていたユウですら信じられないほどである。
「でも『闘技』も『結界』も使ってなかったっす。どうしてっすか? もしかして使わないんじゃなく、なにか事情があって使えなかったっすか?」
(こいつ……いつから見てた)
『骰子転悪笑』を使用中は、ユウに『闘技』や『結界』を使用する余裕はない。惨鎧斬の攻撃を難なく躱しておいて、ろくに反撃をしなかった理由でもある。
「さっきからなんでフフを無視するっすか? なにを考えているのか教えて――――」
「うるさい」
「――――ほし…………っす」
あんなに騒がしかったフフが急に大人しくなる。
「どうした?」
先ほどまで表情豊かに騒いでいたフフが黙り込んだことに、ユウは訝しげに声をかけるのだが、フフは黙ったまま動かない――――いや、右手がゆっくりと伸びていき、そのまま――――
「ユウ」
その声にフフの右手が止まる。
「ニーナか」
「も~う心配したんだよ。惨鎧斬に襲われたって聞いて、急いで来たんだから」
割って入るようにニーナは、ユウとフフの間に身体を挟み込む。そして、なぜかニーナはユウに話しかけながら、背を向けていた。つまり、ユウからはニーナの顔を、表情を確認することはできなかったのだ。
「フフ、ちゃんだったよね?」
「はい……そうっす」
なにか恐ろしいモノでも見たかのように、無表情だったフフの顔は一転して恐怖の色に染まっていた。
「ここで、なにがあったのかを教えてほしいな~」
「も、もちろんっす」
いつもと変わらぬ口調で、ニーナはフフに声をかけた。
そんな異常に気づかず、ユウは別のことを考えていたのだ。
(惨鎧斬、中身は大したことない)
クラウディアの負け惜しみかと思っていたのだが、惨鎧斬と対峙してもユウは恐怖を感じなかったのだ。高レベル者特有の匂いはあった。だが、それだけだ。惨鎧斬からは歪な印象を受ける。高レベルではあるが、生粋の戦闘職ではない。
それに――――
(あまり怒りや憎しみがわいてこない)
当初はどんな手を使ってでも殺してやろうと思っていたユウだったのだが、実際に惨鎧斬と対峙してみて、それほど負の感情を抱いていなかった。
(変な奴だ)
※
「行政業務の関係で全員ではないが、一先ず情報を共有しようじゃないか」
ムッスの館の一室――――自陣営の者たちと会議をするための大部屋には、武官や文官がそれぞれ十数人が集まっていた。
恐るべき早さと言えるだろう。
ユウと惨鎧斬が交戦してから、まだ一時間も経っていないのだ。
この場にはムッスが政界に返り咲いた途端に、馴れ馴れしくすり寄ってきた――――それまで疎遠であった親族が送り込んできた者たちは一人もいない。
どの者もムッスが目をつけ、勧誘し、採用した者たちばかりである。
「失礼いたします」
文官の一人が、大きな机に地図を拡げる。都市カマーや周辺が詳細に記載されたものだ。
「本題の前に、お伝えしたいことが。マリファの使役する二頭の魔獣が制止する衛兵を無視して――――」
「ああ――――問題ないよ。私から許可書を渡している。あとでその旨を通達しておいて」
重大な案件になると思われたのだが、軽い感じで流された文官は驚くも、手元の紙に指示の内容を書き込む。
「東地区の――――スラム街と呼ばれる場所に惨鎧斬が現れました」
その文官の言葉に、どよめきこそ起こらなかったものの、武官、文官問わず、皆が険しい顔となる。
なにしろ、事前に惨鎧斬がゴッファ領内に潜伏しているのを知りながら、都市カマーへの侵入を安々と許してしまったからだ。治安維持を担当する武官が、文官よりも深刻な顔をしているのも無理はないだろう。
「被害状況は?」
「成人男性32名、成人女性26名、子供が19名です。いずれも眼球を抉り取られています」
武官、文官の誰もが思った。
被害のあった場所がスラム街で良かった、と。
なぜならスラム街の住人の多くは税をまともに収めていない。つまり都市カマーの安全や経済にインフラなどの恩恵に預かりながら、寄与をしていないのだ。それどころか、彼らからすればスラム街の住人など治安を悪化させる分よりたちが悪いとすら思っている。
もっとも、そのようなことを口にするどころか顔に出すような愚か者は、この場にはいない。
「眼球だけ?」
「はい。なにかおかしな点でもございましたか?」
「惨鎧斬の被害者数は1300人を超えるが、多くは討伐隊や惨鎧斬の標的だった者の護衛がほとんどだ。標的は身体の一部を抜き取られ、惨鎧斬に攻撃を仕掛けた者は問答無用で殺されている」
そこで「なぜ?」と、ムッスは皆に問いかける。なるほど、と。誰もがムッスの疑問に納得を示す。
「標的でもないのに、なぜスラム街の住人たちは眼球だけを抉り取られたのか、ですね。確かに不可解な点ですが、戯れとも考えられませんか? 所詮は狂人の凶悪犯です。私たちの理解が及ぶような者ではないのでは」
「私はそうは思いません。惨鎧斬が暴れた場所には、かのサトウと――――」
武官の一人が意見を述べていると、ムッスの鋭い視線に気づく。それは底冷えするような冷たい眼であった。
「失礼いたしました。サトウ殿――――いえ、サトウ王陛下もいたと聞きます」
「そうだよね。言葉遣いには気をつけるように。これは君だけではなく、この場にいる者、いない者にも徹底させるように。彼はウードン王国と対等の同盟国の王だ。私が言うならともかく、君たちがその程度の認識では困る」
「わかるよね?」と、再確認するようにムッスが言葉を続けると、全員が黙したまま深く頷いた。
「続けて」
「はっ。惨鎧斬が偶然サトウ王陛下と出会したとは、私にはとてもではありませんが考えられません」
「スラム街の住人に被害が出たのだから、あそこを実質的に支配しているサトウ王陛下が出張ってきたのは必然では」
「それでもです。そもそも、なぜ惨鎧斬がスラム街の住人の眼を抉る必要があるのですか? ムッス様も仰っていたように、惨鎧斬は攻撃をしてきた者を殺すことはあっても、自ら率先して他者を殺すような真似はしない。『兇悪七十七凶』の中でも特に変わった犯罪者です」
ムッスだけでなく、この場にいる大半がそこで“なぜ?”と疑問に思うのだ。
「そこで私が思うに、何者かが惨鎧斬とサトウ王陛下を戦わそうとしたのではないかということです」
「――――続けて」
「はっ。前日にムッス様も知ってのとおり、冒険者ギルドでフフなる少女が惨鎧斬の討伐依頼を出そうとして断られています。この少女は生まれ故郷の村を惨鎧斬に滅ぼされており、仇を討つために惨鎧斬を追い続けていると言っていたそうです」
冒険者ギルドは暗殺者ギルドではない。凶悪な犯罪者の討伐依頼を断ってもなんら不思議ではないのだ。だが、あまりにも都合が良すぎる、と。武官の男は言っているのだ。
「君が気になった点は他にもあるんだよね?」
お見通しか、と。武官はわずかに頷く。
「その少女は私より強いのです」
その言葉に、武官たちからどよめきが起こる。なぜなら、発言した武官のレベルは31だったからだ。三十歳でレベルが31の武官といえば、どこの貴族も配下として喉から手が出るほどほしがる人材である。それを復讐という動機があるとはいえ、そこらの村にいる少女が――――俄には信じ難い内容であった。
「尾行は?」
「つけていましたが、相手は私よりも強い――――それも斥候職と思われます。宿屋で見張っていた者からは、急に気配が消えたとありました」
「その少女なら真偽は不明ですが、スラム街でネームレス王陛下と共闘したとの目撃情報が」
「確かに怪しいね」
地図を見ながら、ムッスが呟く。
その後も情報を共有していくのだが、結局は惨鎧斬についてはなにもわからないという結論に至る。
「わからないのなら、調べるしかない」
「セット共和国が協力するでしょうか?」
いくらムッスがウードン王国の侯爵とはいえ、遥か遠方にある――――それもウードン王国とは政治体制の異なるセット共和国が素直に協力するとは、とてもではないが文官たちには思えなかったのだ。そもそも、今からセット共和国に使者を送り込んだとしても、やり取りだけでどれだけの時間がかかることか。
「なに、わざわざセット共和国へ使者を送らなくとも、詳しい者たちがいるじゃないか」
察しのいい配下たちは、すぐに誰のことを言っているのかを理解する。
「諸侯の皆さんには是非、協力してもらおうじゃないか」
なんら説明もなく、都市カマーに居座っている富裕層や諸侯たちの警護をムッスは無償でしているのだ。武官や文官たちも思うところはあるのだろう。誰もが彼らに手心を加える必要はないという認識であった。
「惨鎧斬がカマーに現れたことは、彼らもいずれ知ることになるだろう。なら、先に知らせて恩を売るもよし」
「諸侯の一部の配下が、すでに動いていると報告が」
「勝手な真似をされると困るなぁ」
苦笑しつつも、ムッスの眼は笑っていなかった。
「彼らに関しては君たちに一任するよ」
本来であれば、ムッス自身が動きたかった。それが一番手っ取り早く、成果を出すことができるからだ。だが、ヌングを始めとする家臣たちがそれを許さない。
「結果を出した者には武官なら騎士に任命する」
この言葉に武官たちの口から歓喜の声が漏れ出る。
「文官に関しても、騎士と同程度の特権を授けることを約束しよう」
続くムッスの言葉に、文官たちからも同様の声が漏れ出る。
「さあ、早い者勝ちだ」
尻を叩くようにムッスが発破をかけると、武官も文官もすぐに部屋から飛び出していくのであった。
※
「待って~」
「待て待て待て~っ!」
「にげないでよ」
孤児院の庭でコロとランが子供たちに追いかけ回されていた。子供たちは先ほどまで泣き喚いていたとは思えないはしゃぎっぷりだ。
その子供たちとは別のグループには、ナマリとモモが混じっている。まだまだ小さく他の子たちのように追いかけっこに参加できない子たちは、ナマリやモモと地べたに座ってボールなどで遊び、楽しそうにきゃっきゃと声を上げていた。
その様子を一瞥すると、マリファはネポラとヴァナモへ視線を向ける。
「お姉さま。よろしければ、あとは私とネポラが残ります」
なにやら思案顔で黙り込むマリファに、ヴァナモが動揺する。
「お姉さま?」
代わりにネポラが声をかけると。
「それは……やめておきましょう」
「私たちでは無理でしょうか?」
「相手は惨鎧斬と呼ばれる兇状持ちです。食客を二人同時に相手取り、翻弄するほどの実力者ですよ」
その証拠にユウはマリファだけでなく、孤児院にナマリとモモを残している。マリファ一人では無理だと判断したのだ。
「私はこの場を離れることができません。代わりにあなたたちに動いてもらう必要があります」
「「お任せを」」
惨鎧斬の情報をマリファはネポラたちに伝えると、このことを屋敷にいるティンたちとも共有するよう指示を出す。
「レナには特に言い聞かせるのですよ」
「素直に言うことを聞いてくれるでしょうか?」
惨鎧斬がカマーに現れたと知れば、レナの性格から屋敷を飛び出して惨鎧斬を探し回る姿が、ヴァナモの脳裏にはハッキリと浮かび上がる。
「ご主人様も屋敷に戻られない可能性があります。屋敷を護れるのはレナだけだと伝えれば、納得はするでしょう」
ネポラは素直に「はい」と返事をするのだが、ヴァナモは不安そうに小さな声で返事をする。
「情報共有が終わり次第、あなたたちは冒険者ギルドに向かいなさい」
「冒険者ギルド……ですか?」
「フフという少女について調べてほしいのです」
「なにか不審な点が?」
「どのように冒険者ギルドに現れ、どのようなやり取りがあったのかを詳細に調べなさい」
「お任せくださいっ」
「ヴァナモ、落ち着きなさい」
これは諜報活動だと認識したヴァナモは力の篭った返事をするのだが、同僚のネポラは力み過ぎだと諭す。
「待ちなさい」
すぐに行動を開始しようとするネポラたちの背に向かって、マリファが声をかける。
「このことは誰にも知られないように動くように」
ムッス侯爵の配下も動いているのは間違いないので、余計な勘繰りや邪魔をされるような真似は慎むようマリファは二人に言い聞かせる。
「情報は逐一共有するようします」
「もちろんニーナさんやレナさんにもお伝えしますので、ご安心を」
「いえ――――」
ネポラの言葉にマリファが待ったをかける。
「くれぐれも、ニーナさんには知られないよう気をつけなさい」
その言葉に、ネポラとヴァナモは驚いた顔を浮かべた。




