第418話:気持ち悪い
「ぎゃあ゛あ゛あ゛ああああぁぁぁーっ!!」
部屋中にバリューの絶叫が響く。
トーチャーにとって、この施設にある無数の部屋は籠のようなものである。子供が捕まえた虫を閉じ込め、眺める――――虫籠だ。ただ、トーチャーは眺めるだけでは飽き足らず、虫をそれは大事に可愛がる。
「トーチャー、もう少し静かに」
必死の形相で助けを求めるバリューを一瞥もせずに、ユウはトーチャーへ指示を出す。軽い感じで人差し指と親指でOKサインを示すと、トーチャーはどこから取り出したのか、畳針のような大きな針にタコ糸のような太い糸を手にすると、容赦なくバリューの口を縫い始める。無論、バリューも抵抗するのだが、ユウの死霊魔法で蘇った今の肉体はそこらの子供以下の膂力しかないのだ。つまり、無駄な抵抗である。そもそも体重100キロを優に超えるバリューの巨体を片手で転がせるトーチャーを前に抵抗など無意味であった。
バリューが飼われている部屋で、ユウは椅子に座って本を読んでいる。その最中にバリューが叫ぶのだ。「反省した!!」「今では悪いことをしたと思っている」「あれは本意ではない。他の貴族の手前、興じるしかなかった」だのと。だが、それら全てが嘘であると、ユウは見抜いていた。ここにいる者たちの大半は、この期に及んでまだ自分は悪くないと思っているのだ。彼らがこれまでの生でしてきた口にするのも悍ましい行為を聞けば、誰もがどの口で物を言うと激昂するだろう。
しかし、悲しいかな。彼らは謝罪や懺悔の言葉を口にするも、そこに罪悪感は皆無である。あるのはなぜ自分たちがこのような酷い目に遭わなければいけないのだ。優秀な自分が立ち回りを失敗してしまった。ここを運良く抜け出すことができれば、次はもっと上手くやってみせる、と。
口を塞がれ、今はトーチャーの幻覚魔法による可愛がりを受けるバリューを見れば、顔をくしゃくしゃに歪めていた。幻覚の内容は数百もの貴族から見下され、なじられるといったものだ。自尊心の高いバリューがされて嫌がる行為の一つである。
(こいつも大した情報は持っていなかったな)
バリューに吐かせた情報はすでにユウが入手していることばかりであった。新たにわかったことといえば、数十年前に『悪魔の牢獄』の結界を破壊して、その混乱に乗じて王城と王宮を占拠しようとしたバリューの企みを潰したのが一介の冒険者――――おそらくエッダのことであろう。その手引きを放浪の救世主と名乗る――――ジョンがしていたことくらいだ。
(エッダさんも謎の人だよな。Sランク冒険者から冒険者ギルドの受付嬢になるのも理解できない)
思考に耽っていたユウは、再び視線を本に――――『異邦人異聞録』という名の本へ向ける。
この書物はユウが時間と金を惜しまずに探して手に入れた物だ。内容はタイトルにもあるとおり、異なる世界から来た者が奇天烈な内容を語る読み物としては面白い、ただそれだけなのだが――――この世界の者にとってはだが。
レーム大陸の共通語――――ジャーダルク語で書き記されているのだが、ページの飾り枠に細工が施されているのだ。ギッシリと書き込まれた飾り枠は――――日本語で書かれていた。著者はまず間違いなくサクラ・シノミヤだろうと、これまで集めた情報からユウは推測している。
前半ではこの世界に来て、サクラがどのように悩み、苦しみ、生き抜いてきたのかが詳細に書かれていた。他の異世界召喚者が徒に各国によって消費されてきたことも、どうにかしてサクラは助けようとしたのだが、その頃のサクラは弱く、他国まで単独で移動することが、そもそもジャーダルクがそれを許可しなかったのだ。また元の世界に戻れないことがわかると、多くの者は絶望からすでに自殺していたことが記されている。
読めば読むほど、人族が如何に脆弱で立場の弱い種族であるのかがサクラの手によって書き記されていた。そんな状況でありながら、各国は手を取り合うどころか人族同士で領土争いをしていたことが、ユウには理解ができず馬鹿の集まりと評するのも無理はないだろう。
(そろそろか……)
ページを読み進めていくと、ジョンなる人物が登場する。サクラは当初、このジョンなる人物を警戒しているのが文章の端々から読み取れる。カンムリダ王国で名の知れた錬金術師で異世界召喚の開発にも関わっており、またカンムリダ人の性質から心を許していなかったのだ。
だが、そのサクラも徐々に心を許すようになっていき、やがてはなくてはならない協力者とまで評していた。
それほどまでにサクラに協力的で、人族の治世を劇的に改善させた人物なのだ。
(ちっ……)
思わずユウは心の中で舌打ちをしてしまう。本の中盤に差し掛かってくると、サクラの言い回しが凝ってきているのだ。それが加齢とともになのかはわからないのだが、まともな義務教育を受けていないユウでは読めない漢字が多用されている。ここでは読めない字を尋ねれば教えてくれる親切な図書館の職員はいないのだ。読めない箇所を前後の文脈から予想するために、どうしてもユウは解読するのに時間がかかってしまう。
もう一つ、困ったことがある。
(支離滅裂なことを書きやがって)
サクラの情緒が不安定なのか。書いている内容が前と後とで正反対なことが増えてきているのだ。日本という平和な国に生まれた十代前半の少女が生きるには、この世界はあまりにも厳しく残酷であった。
その証拠に――――
中盤から後半にかけては、サクラは日本へ帰りたいと何度も書き記している。パパやママに会いたい。飼っている犬や猫はまだ生きているのだろうか。学校の、部活の友達はどうしているだろう。おじいちゃんやおばあちゃんは心配していないだろうか。
また複数のページで飾り枠が“死ね”という文字で埋め尽くされている箇所もある。
(だめだ。心が壊れている女の気持ちなんか読めないな)
何度もこの本を読んでいるユウであったのだが、サクラの心が壊れ始める箇所からは、まともな情報を得ることができなかった。
(こんな小細工をするくらいだ。当時のジャーダルクのことを信用しては――――今も同じか。塵屑みたいな国だからな)
ジャーダルクなんか滅びろ!!
なんでもかんでも私に頼ればいいと思ってる。
オズウェルくんの嘘つき!
ママ、会いたいよ。パパ、ごめんなさい。
帰りたい。帰りたい。帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたいっ!! 私がなにをしたっていうの!! 私を元の世界に帰せっ!! 全部嫌い!! この世界も、この世界の人たちも、魔物も、なにもかもが大嫌い!!
日本語で書かれた感情的な文章が続く。それに伴ってジャーダルク語で書かれた文章も乱れていた。
だが――――
(臭うな)
突如としてジャーダルク語で書かれた文章は最初の頃のように奇天烈で面白い内容に戻る。
それをユウはサクラの心が平静を取り戻したのではないと判断していた。その理由として――――
(何度読んでも、ここからは飾り枠が日本語じゃない。それっぽい紋様なんだよな)
ただ単純にサクラが飽きた。またはなんらかの理由で飾り枠に偽装することをやめたとも捉えられるのだが。
(ここからは別人が書いてるな)
心の中で“気持ち悪い”とユウは呟く。
なんの理由があって、そのような真似をするのかがユウには理解できなかった。悪意を持つ者であれば、ユウは嘘に気づくことができるのだが、この本からは悪意は感じられない。だが、なんとも気持ちの悪いモノが、ユウの心の奥底で蠢くのだ。
(まあ、いい。今はサクラのことより、ジョンとかいう塵のほうが大事だ)
調べただけでも、このジョンなる人物は千三百年――――聖暦が制定されるよりも前から現在まで生きていることがわかっている。同じような者たちを同胞と呼び、歴史の端々で好き勝手していた。そう、暗躍ではなく好き勝手である。世界を平和にしたいや、自分たちの思想に沿って思い通りにしたいなどではない。
これはユウが迷宮で見つかるタブレットや大量の書物やラスに直接確認したので、ほぼ間違いはないだろう。彼らに大義などはない。自分たちの思うがまま好き勝手に遊んでいるのだ。
(屑どもがっ。一人残らず見つけ出してやる)
テーブルの上にはもう一冊の本が――――暗赤色の表紙の本が置いてあった。この本を読む度にユウはやる気が出てくるのだ。この世界の屑どもを一人も逃さない。捕まえて、ここに放り込んでやるというやる気が。
「ふぅ……」
読んでもいないのに、表紙を見ただけで頭に血が上り始めたユウは、一つ深呼吸をして自らを落ち着かせる。
「おい」
愉しそうにバリューで遊ぶトーチャーに声をかける。その呼びかけに反応しようとしたトーチャーであったのだが――――
「クロが『腐界のエンリオ』で、お前の同族から返せって言われたらしいぞ」
――――すぐさまに聞こえないフリをしてバリューへ向き直る。
「聞こえないフリすんじゃねえよ」
「あー忙し、忙し」とでも言うように、トーチャーは忙しなく動き始める。その度にバリューは大きな身体を震わせた。
「お前を囚えてたドンドコラポォは、父方の――――一つの身体だったんだから父親ってのも変か。半身? 半神? まあ、どっちでもいいか。その眷属だったよな。で、その上司みたいな奴がクロに接触してきたそうだ。もし、そうなら俺が話をつけにいくつもりだったんだけど、どうやら俺が行くと不味いようだ。それに好戦的な態度じゃないことから、これってもう一つの眷属のほうだろ」
聞こえてないフリをしていても、しっかりとユウの声は届いているのだろう。トーチャーの耳は怯えるように動いていた。
「どうするつもりなんだ? 俺だっていつまでも、お前を匿ってやれるわけじゃないんだぞ」
忙しく動くトーチャーの身体がピタリと止まったかと思うと、凄まじい速度でユウのほうへ振り返る。
「そんな驚くことか? 俺だっていつまでも生きてないんだから、永遠とか無理だぞ」
口をパクパクしながら、トーチャーはなにやら訴えかけるのだが。
「お前もどうしようもない奴だよな。恵まれた血筋に才能どころか名すら捨てて。真面目にやってれば、今頃ランク10くらいにはなってただろうに」
褒めたつもりだったのだが、トーチャーは自分の血筋や才能の話になると、途端に興味をなくしたようでバリューへ向き直る。
(なんで俺のところには面倒な奴ばかり集まるんだろうな。さて――――)
苦笑しながらユウは次の問題に向き合う。
(『螺賦羅磨』――――はあああああぁぁぁ……このジョブのせいで……クソっ!)
心の中でユウは毒づく。
なにせ、このジョブに就いたせいで、ユウの基礎ステータスは一割ほど低下していたのだ。通常は新たなジョブについてステータスが向上することはあっても低下することなど、まずあり得ないのだ。
そしてユウに限らず、戦闘職の多くはスキルや魔法などによって、基礎ステータスを強化して瞬間的に数倍から数十倍に数値を伸ばすのが常道である。その基礎となるステータスの数値が一割も低下するということは、大幅な戦闘力の低下に繋がるのだ。
しかも、それだけの代償を支払って得たスキルは現状ではなんの役にも立たないのだ。ユウが口汚く罵るのも無理はないだろう。
(このスキルが、今の俺じゃ使いこなせないのなら、使いこなせるようにしてやるさ。どうせ、今さら身体を労ったところで意味なんかないんだからな)
心の中で強がるユウであった。
※
「フフ……をですか?」
ジャーダルクの聖都ファルティマにあるオリヴィエの私室で、チンツィアが思わず呟いてしまう。
「ああ、フフが適任だと判断した」
椅子に背を預けながら、オリヴィエは言葉を紡ぐ。
「どうも二百十七番に対する疑念が払拭できなくてね」
「それは――――勇者としての直感ですか?」
「どうだろう。ただ、そろそろ彼につける首輪は増やそうと思っていたところだったんでね。ちょうど良い機会だよ」
政務をこなすオリヴィエをチンツィアは見つめる。
「フフで大丈夫でしょうか」
普段のフフの言動や行動を知っているチンツィアは不安な様子を隠そうともしない。
「あれで、やるときはしっかりとやる……はずだよ」
「私は今ひとつ信用できません」
「そこは相方に期待しようじゃないか」
「相方……ですか?」
「そう、相方。でも、上手く引っかかってくれるといいんだけどね」
それまで微笑を浮かべていたオリヴィエが真面目な顔で呟く姿に、チンツィアは一抹の不安を覚えるのであった。
※
「もう少し離れてくれないっすか」
ウードン王国内の森の中を歩くフフは、不機嫌そうに隣を歩く者へ声をかける。
「気にするな。どうせもうすぐすれば、嫌でも離れることになる」
「この段階で一緒にいるところを見られるのが不味いってわからないっすか?」
「こんな森の中で誰と出会う」
フフの隣を歩くのは、全身甲冑を纏う――――おそらく男性である。頭部から身体全体を覆う甲冑のせいで、体型が良くわからない。その上、兜のせいで声がこもってよく聞き取れないのだ。わかるのは兜から生えるように飛び出している長耳である。普通のエルフよりも白い――――いや、青白い長耳であった。
「それにしても、オリヴィエはなにを考えている」
「ドゥラランド様っす。気安く敬称もつけずに名を呼ぶなど――――」
「どうでもいいだろう。どっちも偽名だ」
誰とでも仲良くなれるフフにしては、珍しく感情的である。それもそのはず――――
「俺とお前の関係を知らないわけではなし」
ミシリッ……と、フフの全身の骨が軋み、殺気が漏れ出す。
「よりにもよって、仇を相方にするなんてオリヴィエも酷い奴だ。それとも、そちらのほうが演技にも身が入るってことなのか?」
「臭いんで離れるっす」
「臭いか? ハッハッハ! そらそうだ。もう何十年も風呂どころか水浴びすらしていないからな。いや、百年は超えていたか?」
「どっちでもいいっす!」
言っても聞かないので、ついにフフのほうから距離を取る。
「短い付き合いなんだ。仲良くしようじゃないか」
フフの殺気など、そよ風とでも思っているのか。全身甲冑を纏う男は変わらず気さくに話しかけるのであった。




