第417話:大好き
「じゃあ、行ってくるからよ!! 家のことは任したからなっ!!」
「はいはい」
屋敷のドアを勢いよく開けると、アガフォンたちは迷宮へと向かっていく。
「朝からうるさい。もう少し静かに行けないものかしら」
朝から元気いっぱいのアガフォンたちを、野良犬でも追い払うかのようにヴァナモはあしらう。
「レナさんの模擬戦が良い刺激になったようですね」
朝食の後片付けをしているネポラが呟く。
「うるさくって仕方がないわ」
「私は暗いよりかは明るいほうがいいな」
「メラニーがそうやって甘やかすから、アガフォンが調子に乗るのよ」
「うひひっ。ヴァナモも十分うるさいっての」
「なんですって!」
「お~怖っ」
メラニーがからかうと、ヴァナモはキッ! と眦をつり上げる。それを見たメラニーは大袈裟に怯えた様子を見せながら、台所へと逃げていく。
「メラニーには困ったものね」
お調子者の同僚にネポラは苦笑する。
「まったく! ところで……レナさんは?」
いつも一番食事の遅いレナの姿が見当たらないことにヴァナモが不思議がる。普段の今頃なら、まだ食事中でもおかしくないからだ。
「レナさんなら、もう出かけましたよ」
「どちらへ?」
「なんでもエッダさんに勝負を挑むとか言っていました」
「エッダさんって……あのエッダさん?」
「冒険者受付嬢のエッダさんですね」
「なぜわざわざレナさんが、受付嬢に挑むのですか?」
「あなたも見ていたでしょう。あの方が凄まじい結界を構築し、終始にわたって維持していたのを。
本人は受付嬢という立場から勘違いされがちですが、途方もない使い手ですよ。ご主人様も敵には回したくないと仰っていました」
これがティンが言ったのならヴァナモも一笑に付していたのだが、相手は真面目なネポラである。
「ご主人様が仰っていたのですか?」
「ええ」
万が一のときを考えて、エッダ対策をするべきかとヴァナモが思案していると。
「そう言えば、ニーナさんの姿も見えませんね」
「ニーナさんなら、珍しく真面目な顔をしながら出かけましたよ」
「ヴァナモ、言葉には気をつけなさい」
苦言を呈するネポラの言葉にヴァナモは「うっ」と短い声を漏らす。
「お姉さまはどちらに?」
急に話題を変えたヴァナモに、またもネポラは苦笑する。
「ご主人様の部屋――――の前で立っています」
「部屋の前で……立っている? どうしてですかっ」
「なんでも今後はご主人様の部屋の掃除をしなくていいと、命じられたそうです」
「ええっ」
自分の部屋の掃除くらいは自分でする。なにも不思議なことではないのだが、ヴァナモは目を大きく見開いて驚く。なぜならマリファにとっての喜びと幸福とはユウに仕えることだからだ。それをしなくていいと言われることは、マリファにとっては筆舌に尽くし難いほどの苦痛であった。それを知るヴァナモが驚くのも無理はないだろう。
「そ、それはどうしてですか?」
「さあ。その場に居合わせたティンなどは、お姉さまからなにかご主人様に粗相を仕出かしたのではないかと、詰問されたと疲れた様子で言っていましたが」
マリファからの詰問と聞いて、ヴァナモの顔が強張る。
「それでご主人様の部屋に入れないお姉さまは扉の前で……」
「きっと、ご主人様もお年頃だからさ、私たちに知られたくないこともあるんだよ」
厭らしい笑みを浮かべながら、台所からメラニーが話に加わる。
「メラニーっ!」
「なんだよー。別に変なことは言ってないだろう」
「では、あとでお姉さまにお伝えして判断していただきましょう」
このままではまたヴァナモがヒステリックに怒り出すと判断したネポラが、恐ろしいことを言い出す。
「まあ! それは良い案です」
「ちょっ、待って! それはダメだろう!」
「なにがダメなのですか?」
一転して笑みを浮かべながら問いかけるヴァナモに、メラニーが待ったをかける。
「これでメラニーもわかったでしょう。人をからかうのも度が過ぎると、手痛いしっぺ返しを喰らうのですよ」
「は、はーい」
ネポラに叱られてしゅんっ、とするメラニーの姿に、ヴァナモは胸がスッ、とする。
「それで、ご主人様は――――」
そこまで言って、ヴァナモは先ほどからポコリとアリアネにあやされているナマリとモモを見る。
両頬をぷっくりと膨らませながら、怒っていますと主張する二人の様子に、ヴァナモもネポラも顔を見合わせる。
「お姉さまだけでなく、あの二人を置いていくってことは――――」
「あまり想像はしたくありませんね」
二人はユウがいる場所を想像して、身体を強張らせるのであった。
※
ネームレス王国の城にある地下――――トーチャーの個室兼おもちゃ箱がある場所だ。そこにユウは訪れていた。
「あがっ……た、たひゅけてっ……」
無数の針で天井から吊るされている男が、目の合ったユウに助けを求めるも、それを無視してユウは部屋の中を進んでいく。
以前は一室に何百人も押し込んで管理していたのだが、ユウが大好きになる者は減るどころか増えていくので、それに伴ってトーチャーのおもちゃ箱は拡がり続けていた。
「いやぁぁぁ……っ。こんなの嘘よおおおぉぉっ!!」
次の部屋で出くわしたのは人の原型を留めていない――――おそらく女性であった。
「楽しんでるか?」
「あ゛なぁたぁっ……はっ! よぐも! よぐもわたじの美じいぃ肌をっ! ゆ゛、ゆ゛るぜぇなぃ!!」
眼球が飛び出さんばかりに、醜い肌を持つ肉の塊が憎悪のこもった目でユウを睨みつける。
「お前の名はなんだっけ? ああ、思い出した。ゼゼペル侯爵夫人だったか? 幼い子供の生き血で満たした風呂に入るのが好きなんだってな」
亜人と蔑称する種族の幼児たちの生き血に浸かるのが若さの秘訣と、常々に嘯いていたゼゼペル侯爵夫人に対するトーチャーの可愛がりは、生きながらに腐っていると言われる魔獣セページュとの皮膚交換であった。数百メートル先からでも、その臭いは届くと言われるほどの悪臭を放つ魔獣は、黄土色の弛んだ皮膚が特徴である。
鼻がもげるのではないかと言われるほどの腐敗臭が部屋には充満している。かつては透き通るような肌を誇っていたゼゼペル侯爵夫人には、死ぬよりも辛い拷問だろう。しかも、部屋には四方八方に鏡が貼りつけられており、さらに目が閉じぬようにトーチャーはゼゼペル侯爵夫人の瞼に処理を施して、決して閉じぬようにしていた。常に自分の醜い姿を見る羽目となったゼペル侯爵夫人は、こうして日夜絶望して絶叫し続けているのだ。
「がえぜえぇぇぇーっ!! わだちの肌を――――」
背後から聞こえてくる絶叫に、常人であれば一生頭に刻み込まれるような光景に、ユウは何事もなかったかのように次の部屋に向かう。
「びゃ……がへぇ? ご、ごれ……これはネームレス王陛下っ。ひ、久しぶりにまともな人と話すので、言葉が上手く出てきませんでした」
部屋の中央で箱から頭部だけが出ている男が、媚びへつらった笑みを浮かべながらユウに語りかける。
「ご覧のように指一本も動かせない状況でして」
男の言うように箱から出ている頭部だけが自由のようで、あとは身動きすらできないようであった。また箱の大きさは男の頭部と比較しても異様に小さく、この小さな箱に男の身体が本当に入っているのかと思うほどの大きさである。
「――――ま、まさか!」
突然、男の目に光が灯る。希望という名の光だ。
「私は許されるのでしょうかっ!! ええ、ええ仰りたいことはわかりますとも!! それほど私の犯した罪は、大罪であることを!! それはそれは、私も十二分に反省し、いえ!! 今もこうして反省しています!! ああ、神よ……私を赦し給えっ……」
感極まったかのように男はだくだくと涙を流しながら天を仰ぐ。
「そんなわけないだろ」
無慈悲なユウの言葉に、天井を見上げていた男の顔が素に戻っていく。
「なぜ? 私は罰を受けたではないかっ!! このような非人道的な拷問が許されるとおもってか!! 神が赦さぬぞっ!!」
先ほどまでの媚びへつらいはどこへいったのかと思うほど、豹変して男はユウを罵倒する。
「なぜもなにも。お前がここに来て、まだ一年も経ってないだろうが。そもそも、自分がなにをしてきたのかを理解してるのか?」
激昂していた男は、次はニヤリと嗤う。なんとも気色の悪い笑みであった。
「私はただ赤児を愛でていただけではないか」
「お前の中では愛でるのと殺すのは同義なのか?」
「違うっ!! 結果的に死んでしまっただけで、殺すのが目的ではない!!」
この男は、先のゼゼペル侯爵夫人と同じくウードン王国の貴族であったのだが、種族を問わず赤児が好きなのだ――――それも性的に。ユウがこの施設に連れてくるまでに、領主という立場を利用して領民から生まれて間もない赤児を取り上げてきたのだ。
男の偏執的な性癖のせいでユウが少し調べただけでも、これまでに何百という赤児が亡くなっていた。
「この程度が、お前にとってなんの罰になるのかは理解できないが。トーチャーがこうするってことは、これが一番嫌なことなんだろうな」
「は、反省しました!! だから、私を解放してくれっ!!」
「いいや、お前は反省なんかしてない。どんなときでも自分だけが大事なんだからな。今もなんで自分がこんな目に遭わなきゃいけないんだって思ってる。でも、それでいいぞ。俺はお前が永遠に反省なんかしないことをわかってるし、それでいいと思ってる」
どこか諦めにも似た表情でユウは呟く。
「俺はお前らみたいな奴らが大好きなんだ。お前らみたいな奴はどれだけ酷い目に遭わせても、なんとも思わない」
「ま、待って!! 待ってください!! 私を独りにしないでっ!! せめて、この箱から、たっ、頼むからっ!! 私を置いていかないで――――」
ゼゼペル侯爵夫人と同じく絶叫する男を無視して、ユウは目的の部屋に辿り着く。
「水は飲ませたか?」
先に部屋で待っていたトーチャーが「やっておいたよ」と言わんばかりに胸を手で叩く。
「久しぶりだな」
とても五大国の一つに数えられるほどの国で、財務大臣という要職を務めていたとは思えないほど貧素な部屋の中央で拘束されている男――――バリュー・ヴォルィ・ノクスは、ユウの顔を見るなり赤児のように泣き出す。戦場などの過酷な環境で、多大なるストレスの影響で兵士が赤児のようになることが極稀にある。
「くだらない演技をするな」
そうユウが耳元で告げても、バリューは泣き叫び続ける。
「今からお前に良い魔法をかけてやる。これはステ――――? ジャーダルクの異端審問官が拷――――あ? 自白用に開発した魔法だ」
泣きじゃくるバリューの下腹部あたりにユウは手を当てると魔法を発動させる。その際にバリューはわずかに身体を身動ぎさせたのを、ユウもトーチャーも見逃さなかった。
魔法の効果は、それから一時間もしない内に現れる。
「…………っ!! がっ……な、にっ……っ!!」
あまりの激痛にバリューはうめき声すら漏らせない。
この魔法――――神聖魔法第1位階『創生魔晶』という。魔力で結晶を創り出す魔法で、本来は欠損した骨の継ぎ接ぎなどに使われるのだが、ユウはこの魔法でバリューの尿管に魔力の結石を創ったのだ。わずか数ミリの結石でも尿管に留まれることにより、腎臓からの尿の流れを妨げる。それによって起こる激痛たるや、大の大人でも激痛で声を漏らせないほどである。
事前に水をたらふく飲まされていたバリューの腎臓には、さぞや沢山の水が溜め込まれていただろう。
それからも身動ぎすることすらできない激痛の中で、縋るような目を向けてくるバリューを二人は眺める。
「正気に戻ったか?」
数時間も尿管結石の激痛によって苦しむバリュを観察していたユウが、拘束されているバリューの耳元で囁く。
「っ……も、…………たっ…………ぉ、ぉねが、しま……これを……っがぁ!!」
『創生魔晶』によって創られた結晶を取り除かれると、バリューは恐怖に染まった顔でユウを見上げる。
「も、もう……許して、許してくだされっ……これ以上は…………ひっく…………どうか、お願いします」
涙、それに涎と鼻水を垂れ流しながら、バリューはユウに懇願する。
「お前に聞きたいことがある」
「なん、なんでも話しますっ!!」
千切れんばかりにバリューは首を縦に振る。
「お前のガキは――――」
「バグジーです!! あの不肖の倅ならば、なんなりと――――ぎゃあああああっ!?」
バリューの右目にミートフックのような大きな手鉤が突き刺さる。トーチャーの仕業だ。無理やり顔を上げさせられたバリューがトーチャーを見ると、口元に人差し指を当てていた。それは「話は最後まで聞かなきゃダメでしょ」と叱るような身振りであった。
「あれだけの権力と財力を誇り、好きなだけ女を抱ける立場だったのに、なんでお前のガキは高級娼婦との間に生まれたバグジーだけなんだ?」
その理由を知っていながら、ユウは意地悪な問いかけをする。
「そ、それは――――私には子を作る種が――――」
「種ならあっただろ? 現にバグジーが生まれてきただろう」
「…………子が、バグジーができたのは…………」
言い難そうに――――思い出したくないような素振りを見せるバリューに向かって、ユウが代わりに言葉を口にする。
「導く者」
「っ!!」
「それとも傍観者か? あるいは求道者、探求者だとか名乗っていたはずだ。 お前にはなんて名乗っていた? 答えろ」
「……っ、放浪…………放浪の救世主と名乗って、い、た……いました。あるとき、子ができずに悩んでいる私の前に現れ、このままでは歴史あるウードン王国の未来が、薄汚い平民の血によって――――私は赦せなかった。彼は――――彼は私の気持ちを良く――――言葉は甘い蜜のように――――彼の指示に従って娼婦を抱くと、子供が――――だが、それ以外の女性との間には――――私が求めていた尊き血を持つ女性との間には――――私は彼を、あやつをっ!!」
「その様子だと知ってたんだろう? 違うか、気づいたんだろ。お前に子供ができなかったのは救世主とか宣う男の仕業で、娼婦との間にしかガキができないお前を眺めるためだって」
ユウの言葉を聞きながら、バリューは歯を食いしばる。凄まじい圧力がかかっているのか、歯茎からは血が流れ始め、歯が欠け始めていた。
「捜さなかったのか?」
「さ、捜したにきま――――捜しました。ですが、見つかりませんでした。親身になって私に近づき、私の悩みを聞き、助けてくれたと思っていたのに……なのに、なのに、あの男はっ! 全部、最初から、私を嘲笑い、赦せない!! 赦さんぞっ!!」
血を吐きながら、バリューは呪詛のような罵倒をし続けた。それをユウはずっと見続けるのであった。




