第414話:阿鼻叫喚
「……ピース」
エッダがレナの勝利宣言をしたあとも、観客が無反応なことに訝しげな表情を浮かべたレナはそういうことかと、勝者としてのアピールをするのだが。
「……?」
静まり返った修練場にレナの声が虚しく響き渡る。
それでも観客からは反応はない。あまりの手応えのなさに、困惑から怒りへとレナの感情が移り始めたとき――――拍手の音が聞こえた。
「……ユウ」
拍手の音に反応してレナが観客席を見上げると、そこには椅子から立ち上がって拍手するユウ――――と、おまけでムッスの姿があった。
「レナの勝ちだよ! おめでとう!!」
千切れんばかりに手を振りながら、ニーナがレナに祝福の言葉を大声で送る。
少々、レナの予想とは違って祝福の声は少なかったのだが、それでもユウやニーナたちの喜ぶ姿を見れたのだからまあいいか、と。レナはうんうんと人知れず頷く。
「そうだ。そうだぜっ! レナさんが勝ったんだ!」
「ふ~ん。負けると思ってたけど、勝ったんだ。人族のくせにやるわね」
「ほんとに勝ったにゃ……あんな強い奴を相手に……最後まで諦めずに…………ほんとに凄いにゃ」
「ほ、本当に凄いや」
「やっぱり最後は根性が物を言うんだよ。レナさん、最高っ!」
「俺たちも見習わないとな」
「そのとおりだ。素晴らしい戦いぶりであった」
続いて、アガフォンたちが口々にレナを称賛し、また自分たちはまだまだだと再認識する。
「凄えええええええっ!!」
「勝ちやがった!? あのフーゴに? 信じられねえっ!!」
「ざまあみろ!! これがレナちゃんの実力じゃいっ!!」
「うおおおおおおおおっ!! レナちゃん、最高! 最強!!」
「レナちゃんが勝ったのは良いことだ。だけどよ」
「ん? どうした?」
「俺ら……レナちゃんに賭けてたよな」
「賭けてたな! 俺なんて知り合いに頼み込んで借金までしちまったよ。わははっ!」
「だから、レナちゃんが勝ったよな?」
「お前はなにを言ってんだ。見てただろ? あの見事な勝利を、レナちゃんの可愛らしさを、誰がどう見てもレナちゃんの勝ちじゃねえか!」
「そうだぞ! なにをわけのわからねえことを言ってやがんだ!」
「まあまあ、彼も当初より圧倒的に劣勢であったレナちゃんが勝って、今は混乱しているのでしょう。安心してください。レナちゃんは間違いなく勝利しましたよ」
レナちゃんファン倶楽部の会員番号一桁の男性が、違う意味で興奮しだした周りを宥める。
「違うっての! だから、俺がいいたのはっ! レナちゃんが勝ったんだから、レナちゃんの勝利に賭けてた俺たちの賭け札は、とんでもない金額になるんじゃねえのかって言ってんだよ!!」
勝利に湧くファン倶楽部の面々が突如、静止画のように固まる。どれほどレナのことを応援していても、内心ではAランクのフーゴにレナが勝つのは難しいと思っていたのだ。それでも個々人で失っても痛くない金額ではなく、出せる限りのお金をレナに賭けていた。その賭け札が、なんの意味もないはずだったはずなのに、一転大金へと化けたのだ。
「どうすんだ?」
「ど、ど、どうするって言われてもなぁ……」
「見てみろ。副会長なんて固まってるじゃねえか」
「そらそうだろ。あの人は商人で、それも店をいくつも構えるくらいの人だからな。賭けてた金額も俺らの比じゃねえぞ」
「いくら賭けてたかわかんねえが、とんでもねえ額になってるのは間違いねえな」
レナの勝利を祝うファン倶楽部の面々は、このあと払い戻しのお金をどうするかで揉めることになるのであった。
そして勝った者がいるということは、逆に負けた者がいるということで。
「ふ、ふざけんなよぉ……。これ、どうすんだ? 今日の勝ち分を全額突っ込んだんだぞっ……」
あまりの損失に、怒りよりもショックでその場で蹲りながら頭を抱える者がいれば。
「生活費まで突っ込んだぞ!! い、一部でもいいから返せよ!! 今月の給料まで、ああっ!! クソ!! クソがっ!! 詐欺だろこんなん!! なにが鉄板だよ!! 大損じゃねえかっ!!」
今月の生活費まで注ぎ込んで、明日以降をどうやって生きていこうかと悩む者までいる始末だ。
「ふ、不正だ! 絶対におかしいって! フーゴが勝利宣言したときに審判が止めとけば、勝ってたんだ! あんなん誰がどう見たってフーゴの勝ちじゃねえか! みんなもそう思うだろ?」
「そうだそうだ!!」
「詐欺だ! ギルド絡みの詐欺行為じゃねえか!」
「おお、そうだよな! 俺らはこんな結果は認めねえぞ!!」
「まさかフーゴの野郎は、わざと負けたんじゃねえのか?」
「そう思うよな? いや、そうに違いねえっ!!」
一部のフーゴに賭けていた者たちが騒ぎ始め、水面に起こる波紋のように騒ぎは拡がっていく。あわや、暴動かと思われたそのとき――――
「あ、あれ……あれっ……あれ見てみろっ!!」
「はあ? なにを見ろって……なんだあれ!?」
「嘘だろ……あの子、腕が取れてね?」
周囲の騒ぎを、自分への声援と勘違いして手を振っていたレナの左腕が、肘と手首の半ばでポッキリと折れて落ちていた。それにレナの姿は全身が血塗れで、とても不正をして勝った者とは思えないほどに傷ついていたのだ。
その凄惨な姿に気づいた者たちの勢いが衰えていく。フーゴが使用したのが氷系の魔法だったために、傷口からの出血は意外なほど少ない。それでも幼気な少女の傷ついた姿など、誰も見たくはなかった。一人、二人と「ちくしょうっ」「金は失った」「ああ、けど凄かったな」「悔しいが、あの子の勝ちだ」次々にレナの勝利を認めると、拍手を送り始める。それは修練場内にいる観客全体にまで拡がっていき、凄まじい歓声とともにレナを祝福しだした。
「レナちゃん。もう試合は終わったから、ポーションかマナポーションは飲んでいいのよ、ポーションは持ってるわよね?」
「……ある」
ユウに創ってもらった首からかけるタイプのアイテムポーチを、レナは右手でぎこちなくローブの中から取り出す。そして花がらのアイテムポーチに手を突っ込むと、いくつかのマナポーションを取り出し、そのまま一気に飲み干す。
(満身創痍ね)
マナポーションを飲むレナを見ながら、エッダは心の中で呟く。正直に言えば、エッダの目から見てもフーゴとレナの力量を比べると前者が圧倒的で、レナが勝てたのは奇跡としか思えなかった。
それほどレナが受けたダメージは大きかったのだ。それは千切れた左腕だけではなく、足――――それも両足が、このまま治療を施さなければ壊死して切断する羽目になるほどで、右腕の動きもおかしいので、骨の複数箇所にヒビが入っているのは間違いないだろう。顔は血塗れでよく見えないが、右の眼球が飛び出しかけてレナが手で無理やり押し戻しているのをエッダは見ている。
(結界内でエクスプロージョンを使用したときね)
自らの結界をフーゴに凍らされて脱出するためとはいえ、密閉空間でエクスプロージョンを使用するなどまともではない。
(あの指輪は魔法は吸収しても、エクスプロージョンで発生した爆風や衝撃までは防げないようね)
噂だけは知っていた伝説級の指輪をレナが嵌めたときには、エッダですら驚いたものである。
(咄嗟に結界と自分の間にもう一枚の結界を張って防いだみたいだけど、あまりにも結界と身体との距離が近すぎたわね)
冷静にエッダが分析している間にレナは落ちた左腕を拾って、互いの傷口を合わせると回復魔法をかけて繋いでいく。
(まあ、驚いたわ。四肢の欠損を神聖魔法ではなく、折れた先があるとはいえ、白魔法で繋げるなんて)
熟練の白魔法の使い手でも他者の折れた骨を、それがいかに綺麗に折れていても接ぐのは多少の時間はかかる。レナに至っては骨折どころか腕が千切れているのだ。骨だけでなく、神経や血管を再接合し、肉や皮膚を修復する必要がある。それも治すのは他者ではなく、自分自身の腕だ。
困った様子を見せもせずに、淡々と左腕を接いでいくレナの姿を見て、エッダは感心したように手を合わせた。
繋げたばかりで反応が鈍い左手を開いたり閉じたりしながら、レナは反応を確かめる。
「ユウちゃんに教えてもらったの?」
「……見て、盗んだ」
「そう。ついでに他の箇所、特に足は念入りに治すのよ。あなたが歩いているのが――――違うわね。立っているのが不思議なくらいの負傷よ」
「……そう」
エッダの心配する声をよそに、レナは興味がなさそうに素っ気なく応対する。その視線の先にはフーゴの姿があった。
「やめておきなさい」
「……治さないほうがいい?」
「あなたほどじゃないにしても、彼も重傷よ。でも、勝者が敗者にしてあげられることなんて、なにもないわ」
そういうものか、と。レナは激戦の相手であったフーゴを見つめながら頷いた。
父を負かした憎き相手であるはずなのに、因縁の相手であったのに、不思議とレナはフーゴへの憎悪がなくなっていることに気づく。
(……強かった)
何度も負けそうになった。
その度に負けてなるものかと、レナは自分を奮い立たせたのだ。
(……少しは認めてもいい)
これまでの発言を赦したわけではない。
それでもフーゴが素晴らしい魔法の使い手であるのは紛れもない事実である。
レナは一度「ふんっ」と小さく鼻を鳴らす。そしてフーゴを一瞥すると、それ以上は一切の執着も見せずに控室に向かって歩いていくのであった。
※
「か、勝っちまいやがったっ」
「あり得ねえよ。なんで勝てたんだ?」
一般人を対象にしている賭け屋では、レナの勝利に暴徒と化した観客が押し寄せる可能性を考慮して逃げ出そうとしていたのだが。その予想に反して観客はレナへ歓声、それも大歓声を送っていた。
「ま、まあ良かったじゃねえか」
「そうだよな? どっちが勝とうが俺たちの利益には影響しないしな!」
「確かにな!! わははっ!!」
賭け屋の胴元たちが、互いに肩を叩き合って笑っていると。
「ちょっと、いいかしら」
「あん? お嬢ちゃんたち、うちになんか用か?」
「なんかじゃないでしょうが。あんた、まさか忘れてないわよね」
揃いの衣装に身を包んだ冒険者ギルド受付嬢を前に、賭け屋の胴元たちは平静を装うも内心では気まずそうにしていた。それもそうだろう。あれほど煽ってレナに賭けさせて、本来であれば大損をしていたはずの相手が大儲けしたのだ。
「わ、わか、わかってるって! ちゃんと賭け金は払うからよ」
「当たり前でしょうが。なにが払うからよ、ですかっ」
「ほら、しっかりしなさいよ」
「私たちは大勝ちしたんだから、堂々としなさい」
「いい加減に自分の足で歩いてよ、コレットってば~」
そんな受付嬢たちに両脇を抱えられて、引き摺られるように連れられているのがコレットである。
賭け屋の胴元に煽られて、挑発に乗ったコレットが賭けた金額が驚くことなかれ、その額は約8億マドカであった。オッズは12倍で、コレットへの払戻金額は96億マドカを超える。超がつくほどの小市民であるコレットが手にするには、あまりにも莫大な金額であった。
「額が額だからね。冒険者ギルドを通して支払いなさい」
「そりゃいいが、随分と偉そうな物言いだな」
「試合前にあんたらが私たちにどれだけ失礼な態度や言動をしたか。まさか忘れたわけじゃないでしょうね?」
「…………はぃ。覚えています」
「なら、よろしい。あっ、私たちの勝ち金はここで受け取るわ」
「…………うす。わかりました」
捨てたと思っていた金が12倍にもなって返ってきた受付嬢たちはホクホク顔で去っていった。嵐のような受付嬢たちが去って、ほっと一息をつく胴元たちであったのだが。
「くらあ!!」
「ひっ」
「ぼ、暴動かっ!?」
次は怪しい集団が押し寄せてきたのだ。
今度こそ大損した客が暴徒と化して押しかけて来たと、身構える胴元たちであったのだが。
「暴動? なにをわけのわからぬことを、俺たちはレナちゃんに賭けてた客だろうがっ。忘れたとは言わせねえぞ!!」
こんな濃い連中のことを忘れるわけが――――いや、先ほどまではそれどころではなかったので、頭の片隅に追いやっていたのだ。
「わ、わかってる。あんたらは払戻金を受け取りに来たんだろ?」
「金の用意はしてるんだ。払うから暴れないでくれよな」
「まったく。異様な雰囲気に、無駄に驚いちまったわ」
胴元たちが恨みがましい眼を向けてくるのだが、レナちゃんファン倶楽部に所属する面々は知ったことではないと無視していた。
「その前に我々へ言うことがありませんか?」
「言うこと?」
「どぐされ賭け屋が、とぼけるかっ!!」
「ひぇっ」
「あなた方はレナちゃんのことをよく知りもせずに、数々の暴言を放っていました。そのことについて、我々は謝罪の言葉を要求しているのですよ」
「くだら――――ひぃっ。わ、悪かった! 謝る。いえ、謝りますから!!」
殺意すら感じさせるただならぬ雰囲気を目の前の異様な集団から感じ取った胴元たちは、慌てて非を認めて謝る。
「我々に謝罪してなんの意味があるのですか。あなた方が謝罪するべきは――――」
「「「レナちゃんだろうがっ!!」」」
「はわっ、はわわっ……だ、誰か助けて――――」
その後、胴元たちはいかにレナが素晴らしい存在であるのかを数時間に渡って、レナちゃんファン倶楽部の面々に叩き込まれる。そのあとにはさらに“レナちゃんは素晴らしい”“レナちゃんは尊い”“レナちゃんは可愛い”などの意味のわからぬ言葉を延々と言わされる羽目になるのであった。
可哀想な賭け屋の胴元たちであったのだが、貴人を対象にした賭け屋でもちょっとした騒動が起きていた。
「ここは貴人の皆様をお相手する場所ですよ」
貴族や富裕層を対象にした賭け屋の前に、一人の冒険者ギルドの受付嬢が立っていた。
「わかってるわよ」
「でしたら、そうそうに立ち去るのがいいでしょう。あなたのような庶――――」
「言葉に気をつけなさい」
「――――民は…………今なんとおっしゃいました?」
「言葉には気をつけなさいって言ったのよ、私は客なんだから」
「あなたが、お客様? そんなバ――――」
「そんなバカな」という言葉が出かかって、慌てて受付の男は口を閉じる。もし本当にこの受付嬢が客であった場合は、自分がタダでは済まないからだ。
だが、ここは冒険者ギルドの一受付嬢如きが利用できる場所ではない。だから、男は怪訝な表情を浮かべたのだが、そのことに気づいたのだろう。
「レナちゃんとフーゴ、ほら最終戦の賭けよ。最初はフーゴが優勢すぎて賭けが成立しなかったでしょ? そのときにレナちゃんへ1億マドカを賭けた酔狂な客がいたの、それが私よ」
そこまで言われて受付の男は思い出す。
確かにいたのだ。当初はレナとフーゴの賭けが成立せずに、男の主である貴族たちがどうするべきかと焦っていたときに、女性が一人で1億マドカを即金で賭けたのを。そのとき男は別の貴人対応に追われていたために、その女性がどのような容姿であったのかを見ていない。そもそも貴人を対象にしているこの賭け屋では、多くは賭けも払戻金の受け取りも使いの者が来るので、この受付嬢のように本人が店へ直接訪れることはないのだ。
「失礼ですが、あなたが1億マドカもの大金を賭けた御本人なのでしょうか?」
「本当に失礼ね。言っておくけどね、私のパパは冒険者ギルド本部の長なんだか! あんまり舐めた真似をすると、あなたもあなたの後ろ盾になっている貴族も大変なことになるわよ」
そう一気に捲し立てると、受付嬢はふんぞり返るのであった。
「ご無礼をお許しください」
男はこのカマー冒険者ギルドに、冒険者ギルド本部のギルド長が目に入れても痛くないほどに溺愛している一人娘が働いていることを思い出すと、慌てて謝罪する。
「わかればいいのよ」
「ふひひ」と笑いながら、フィーフィは満足そうに頷く。
この日、一般人でもっとも稼いだのは誰か? そう問われれば多くの者はコレットと言うだろう。実際に賭け屋での騒動を目撃されており、多額の賭け金を支払ったのは間違いないからだ。
だが、真の勝者は貴人対象の賭け屋で1億マドカもの大金を、躊躇せずレナに賭けていたフィーフィであった。
「やっぱり私の人を見る目って冴えてるわ」
莫大な金額を手に入れても、フィーフィは普段と変わらぬ様子であった。
「レベッカもバカよね。私の言うことを信じてレナちゃんに賭けてれば、今頃は大儲けできていたのに」
驚愕する男を前に、フィーフィは――――
「ね、あなたもそう思わない?」
――――微笑を浮かべるのであった。




