第413話:決着
(手袋の上から指輪……。あとから嵌めたのは間違いない)
白い手袋――――天魔ゾフィーヌの手袋の上から、レナが左中指に嵌めている指輪を見つめながら、顔にこそ出さぬもののフーゴは内心では焦っていた。
(早急に確かめなくては)
それもそのはずだろう。
なにせレナが指輪を嵌めた際の効果を、己が眼で確認していないのだ。すぐにでも効果を確かめなければ不味いことになると、経験からではなく、直感がフーゴに訴えかけていた。
「やけに強気だな。先ほどまでの醜態を忘れたとは言わせんぞっ!」
不敵な笑みを浮かべながら、フーゴは黒魔法第1位階『ファイアーボール』『サンダー』『ウインドブレード』『ストーンブレット』を、それぞれ一発ずつ放つ。
(まずは元素魔法で確かめるっ)
迫りくる魔法に対して、レナは結界どころか姿勢すら無防備そのものである。
次々にレナの身体に魔法が被弾したと思われた次の瞬間、魔法が消え去る。
(魔法の効果を打ち消した? いや、違う。なにかおかしい)
指輪が魔法に対して強力な結界のような効果をもたらす魔導具と検討をつけていたフーゴは、魔法が弾かれるわけでもなく、まるでレナの身体に吸収されたかのような様子に嫌な予感がする。
「中々に優れた魔導具を持っているじゃないかっ」
続けてフーゴは第2位階の元素を中心とした魔法を放つも、先ほどと同じくレナは防ぐ素振りすら見せない。
(元素魔法を無効化する魔導具か? あり得ないっ)
次に放ったのは暗黒魔法第2位階『死霊縛鎖』対象に死霊を纏わせて動きを封じる魔法である。だが、八体もの死霊が四方八方からレナに襲いかかるも、その半透明の手がレナの身体に触れた瞬間に姿を消す。直後に、レナの身体すら覆い隠すような巨大な砲弾のような魔法が直撃する。
だが――――
(し、信じられないっ……)
死霊縛鎖のあとに続けざまに放った古代魔法第4位階『魔導砲』までもが無効化され、フーゴの背中を冷たい汗が伝う。
異様な光景であり、雰囲気でもあった。
多くの観客が異常に気づき始めており、中には興奮よりも恐怖を覚える者まで少なからずいるではないか。
(無属性の魔導砲も効果なしとは)
これ以上の検証をフーゴは止めた。
なぜなら――――
(魔力が、MPが回復しているっ!?)
見るからにレナの纏う魔力が強くなっていたのだ。
無防備な姿はおそらく擬態だと、フーゴは推測する。余裕を見せることで、こちらからの攻撃を誘発し、消費したMPを回復しているのだろう、と。
(落ち着け。落ち着くんだ。魔法使いたるもの、どんなとき、どのような場所、どれだけ危機的な状況でも冷静でなくてはいけない。ここまでの検証から察するに、あの指輪は属性に関係なく、すべての攻撃魔法をMP変換し、装備者に還元する。少なく見積もっても氷棺が通用しなかったことから、第5位階までは通用しない――――ふ、ふふっ……ふはははっ! バカなっ!!)
自身で推測していながら、その推測をフーゴは“あり得ない”と否定する。
(冷静になれ! これほどの能力だ、デメリットなしで使えるわけがない。なにかあるはずだ。でなければ、あまりにもでたらめな効果ではないかっ!)
あまりにも理不尽な指輪の能力に、フーゴは焦燥感に駆られる。なにしろ、どれほど注意深くレナを観察しても、なんらかのデメリットを受けているようには見えなかったからだ。
(こ……これでは……これではっ――――)
第5位階までの魔法がレナに通用しないということは、これまでのように下位の魔法での撹乱や牽制、小さなダメージを蓄積させて消耗させることができない。
(――――ここからは手心を加えることができない)
一般的に後衛職のCランク冒険者で一度の戦闘で十も魔法を使用できれば、及第点と言われている。レナとフーゴの両者はすでに三桁に及ぶ魔法を使用していることから、Aランクのフーゴは当然として、Cランクのレナの実力が如何に並外れているのかが窺えるだろう。
さらにCランクともなれば、使う魔法の位階も下位の第1~3位階ではなく、第4位階以上の中位魔法になってくる。第6位階ともなれば、その殺傷力や規模から使用する対象は大型の魔獣となってくるのだ。
戦闘後に後遺症が残らないようレナを倒すことができるのかと、フーゴは傷ついた自身の左腕を見ながら自問自答する。
自身の残存MPを計算しながら、できるだけ傷つけずに、だが露骨に手を抜いて負けるわけにはいかないと、フーゴが葛藤している一方でレナは淡々と勝利に向けての準備を進めていた。
(……傷はほぼ治した)
あまりにも能力が強すぎるがために、頼りすぎては依存して自身を弱くしてしまうと、自ら使用を禁じていた魔王セーンの指輪を見つめながら、レナはわずかに取れた休憩とフーゴの魔法を吸収して回復したMPで傷を癒やしていく。
(……負けるよりかはいい)
レナに負けの美学など存在しない。
ここで仮に負けたとしても、観客の多くは良くやった。あのフーゴを相手に善戦したなどと褒め称えてくれるかもしれない。
だが、そんな称賛など、レナにとってはなんの意味も価値もないのだ。
そもそも負けは死と同義の世界なのだ。なにがなんでも勝ってやると、レナは龍芒星の杖・五式の力を解放していく。魔王セーンの指輪を警戒してか。フーゴは能力を見極めるための攻撃を停止し、今は見に徹している。おかげでレナは遠慮なく杖の力を、時間をかけて解放することができた。
すでに龍芒星の杖・五式に埋め込まれている五つの宝玉の内、三つまでもが光り輝いていた。
※
「今のはなんだっ!?」
「なにがだよ」
「なにがって、フーゴの放った魔法が無効化されなかったか?」
「そうか。お前にもそう見えたんなら、俺の目の錯覚ってわけじゃなさそうだな」
「あの途中で嵌めた指輪の能力だよな?」
「まず間違いないだろうな」
観客の過半数は冒険者や傭兵である。
だが、そんな彼らをしても、魔法を無効化するような魔導具を見たのは初めてであったのだ。
「魔法使いのあんたなら、知ってるんじゃねえの?」
男が近くにいた後衛職の女性に話しかけるも――――
「あんなふざけた指輪は初めて見るわね。これまでに悪意ある魔法や、攻撃魔法に対して自動で結界を張るような魔導具なら魔導関係の研究施設でみたことはあるわ。
でも、あの指輪は魔法に対して結界を張っているようには見えない。
私が見た限りでも基本的な元素魔法から暗黒魔法、それに無属性の古代魔法まで無効化してるんだから」
自分で言っておいて、女性も信じられないのだろう。その目は驚愕に見開かれていた。
「対魔法特化の魔導具かよ。こりゃ大番狂わせだな」
「はあ? そんなわけねえだろっ! たかが魔導具一つで勝てるほど『巌壁』のフーゴは甘くねえっての! 大体、俺がフーゴにいくら賭けてると思ってやがるっ!!」
「お前がいくら賭けたかなんて知らねえし、興味ねえよ」
「こ、この野郎っ!」
「うぜえ。突っかかってくるなよ」
一部の観客が言い争うのをよそに、先ほどの女性を含む後衛職に就く者たちは、冷静に戦況を分析する。
「あなたはどう思う?」
隣で大人しく観戦しているフードを被った少女に、女性は話しかける。
「途方もない魔導具なのは間違いないけど、このまま形勢を覆すとは思えない」
「あら、どうして?」
「もし、あの指輪が全ての魔法を吸収できるなら、あの少女は攻めているはず」
同意見だったのか。女性も少女の言葉にわずかに頷く。
「ふぁふぁふぁっ。お嬢ちゃんたちの予想が当たっているかは、フーゴが証明してくれるじゃろう。ここからは見ものじゃぞ」
傍で二人の話を聞いていた老魔法使いが試合場を指差す。
※
覚悟が決まったのだろう。先に動いたのはフーゴであった。
「十分に休めただろう? そろそろ動いたらどうだ!」
黒い光球がフーゴの構えた杖の先から放たれる。光球の正体は黒魔法第6位階『爆轟』――――エクスプロージョンの上位魔法である。
この魔法に対して、今まで無防備だったレナが動き始めた。
(魔法を吸収できるのは、第5位階までと見ていいだろう)
このレナの行動が嘘の可能性を考慮しながら、フーゴは斜めに走り出す。レナの横か背後を突こうとしているのだ。
「……勝負っ」
レナもフーゴと同じく黒い光球――――爆轟を放つ。観客の老魔法使いが「あの若さで爆轟を使いよるかっ」と驚く。
(同じ魔法なら魔力の差で、私が押し勝つっ。あとは一気に距離を詰めて、杖技でけりをつける!)
単発の魔法にもかかわらず互いの爆轟が接触すると大爆発が起こると、すぐに試合場の大部分が黒煙で覆われた。あまりの火力に観客は、レナとフーゴの両者が死んだのではと疑うほどだ。
死んだかも。観客がそう思ったそのとき、同時に二箇所で風が巻き起こり、黒煙を散らす。
「……来ないの?」
てっきりフーゴは肉弾戦を仕掛けてくるとばかり思っていたレナは、その場で立ち尽くすフーゴの姿に予想が外れたと問いかける。
「ごっ……互角!?」
両者の爆轟はほぼ互角であったのだ。
その結果にフーゴは驚き、足を止めてしまった。
(どういうことだ!? 『不動魔烈』と組み合わせて放った魔法をっ。単純な数値で私と彼女では魔力が倍は違うはず! なぜ互角なんだっ!?)
唖然とするフーゴであったが、レナの問いかけに我を取り戻すと、咄嗟にレナとの距離を取ろうと黒魔法第7位階『風神』を放ってしまう。
無意識の発動であった。
魔王セーンの指輪のことが頭の片隅にあり、風系の魔法で吹き飛ばそうとしたのだが、放ったのは風は風でも相手を無惨に斬り裂く上位魔法の風神であったのだ。
(不味い! まともに決まれば即死して――――)
無数の風の刃がレナに殺到するも、同じ風の刃が互いにぶつかり合って相殺される。
「……その魔法なら、私も使える」
「おっ、おおっ……おおおおおぉぉっ」
フーゴの腕に鳥肌が一斉に立つ。
この時点でレナとフーゴが同格になったわけではない。魔力の粒子が視えるようになったとはいえ、まだレナには視えるようになっただけで、それがどのような魔法かまではわからないのだ。また身体能力に関しては圧倒的にフーゴが勝っており、冷静になってフーゴが魔法と徒手空拳を織り交ぜて攻撃してくれば、レナの勝機は限りなく低くなるだろう。
だが、フーゴは冷静さを失っていた。
得体の知れないレナの強化に、普段ならまずしないであろう戦法――――力押しで勝とうとしたのだ。
事前通達なし、予備動作なしの輝赫竜の杖の能力を解放する。
杖の先端から竜の咆哮が――――『赫熱光』が放たれた。手加減無しで放たれた極太の赤色の熱線が、試合場を焦がしながらレナに迫る。
レナは赤色の熱線に対して、黒魔法第5位階『アイアンウォール』を展開した。観客の誰もが、それじゃこれは防げないと思ったそのとき――――
赫熱光が散らされる。
展開されたアイアンウォールの形は円錐状であり、その頂点を熱線の中心に当たるようにレナは設置したのだ。高温で円錐状のアイアンウォールもタダでは済まなかったのだが、それでもレナは無傷で赫熱光をやり過ごす。
「……それはさっき見た」
ローブにかかった赫熱光の残り滓を手で払いながらレナが呟くと、フーゴも観客も息を呑む。
「はあああああああーっ!!」
もはや手心やできるだけ傷をつけずに勝つなどと、言っている場合ではなかった。
巨大な氷壁を思わせる氷でできた無数の槍――――黒魔法第6位階『氷槍極壁』を、フーゴは全力で放つ。
「……おもしろいっ!」
冷気を纏わせた氷槍を前に、レナは黒魔法第6位階『獄炎』で迎え撃つ。巨大な地獄の炎が氷槍を飲み込みながら、氷壁を溶かしていく。
「……引き分け」
「な、舐めるなっ!!」
舐めているわけではない。
レナは純粋に魔法戦を楽しんでいるだけなのだ。
Aランク冒険者としての矜持が、一回り以上も年下のレナと互角という状況を許せなかった。
「手加減抜きだ!!」
「……ほぅ」
怒涛の攻撃が始まる。
黒魔法第4位階『氷瀑』――――レナに当てるのではなく、手前で六つの氷の塊が弾ける。砕け散った氷の結晶がレナの眼前を白く染め上げた。目眩ましとして使用したのだ。一瞬、レナの判断が遅れると、それを見て取ったフーゴは黒魔法第6位階『水竜瀑布』『水竜・顎』さらに黒魔法第7位階『氷雪華』水と氷を織り交ぜたフーゴの真骨頂とでも言うべき魔法攻撃を仕掛ける。
水の竜が濁流のように、レナを飲み込もうと襲いかかった。躱せないと判断したレナは黒魔法第6位階『獄炎』で相殺しようとするのだが、蒸発する水の竜の中から新たな竜の首が生え、大きな顎を開く。水竜瀑布と水竜・顎を途中で組み合わせたのだ。
「……やる」
咄嗟に回転する結界で三つ首水竜の顎をやり過ごしたレナの視界に、綺麗な氷の華が入る。結界に触れた氷の華は一瞬にしてレナの結界表面を凍結し、侵食していく。凄まじい速さで氷の華は多重結界を凍らせていき、このままではレナの身体まで凍り尽くす勢いである。
(……魔力を凍らせている!?)
結界を解こうにも凍りついており、解くことができない。このままでは自分を護るべき結界が檻となって、身動きのできないレナは終わりである。
「詰みだ」
二度目の詰み宣言をフーゴは口にした。その直後に爆発が起こる。フーゴの仕業ではない。その証拠に、レナが氷の檻から脱出した際に備えていたフーゴですら唖然としていたのだ。
「け、結界内でエクスプロージョンを使った……のか?」
そこには血塗れのレナが横たわっていた。
「たかが模擬戦だぞ」と観客の一人が口にした。観客はレナの狂気に触れたかのように無意識に怯え、身体を震わせた。
「……ぅ」
わずかにレナの指が動くのを見て、フーゴは安堵する。辛うじてだが生きている、と。
だが、この状況でもエッダは試合を止めない。
「俺の勝ちだ!! なあ? お前らも、観客もそう思うだろうっ!!」
このままでは生死にかかわると、審判のエッダではなく観客にフーゴは訴えかける。観客の中から一人、二人と「そうだ!」「これ以上は無理だろう」と言った声が上がり始めた。
無理もないだろう。観客は小さな少女の殺人ショーを見たいわけではないのだ。
「……ま、まだ勝負は……き、きまっでなぃっ」
虚ろな眼で立ち上がりフーゴを睨むレナを前に、エッダも判断に困っていた。
(驚いた。レナちゃんったら、まだ諦めてないわ)
観客に向けてアピールするフーゴをよそに、レナはフーゴではなく、自分の足元――――試合場の石畳へ視線を向ける。
試合場の、石畳への結界供給が停止していた。
互いに高レベル魔法の応酬によって、さしものエッダも石畳にまで結界を回す余裕がなくなっていたのだ。
「いいや、お前の負けだ。これ以上は――――」
「……最後」
「――――ただの……最後だ?」
「……これが最後の攻撃になる」
そう告げると、レナはフーゴの返答も待たずに空へ飛ぶ。白魔法第5位階『レヴィテーション』による浮遊であるのだが、術者本人の意識が朦朧としているからか、とても不安定な飛翔であった。
「浮かんだところで、なにができるっ!」
もう、ろくに結界すら維持ができていないレナに、とどめの魔法を放とうとしたフーゴよりも先に、レナの魔法が降り注ぐ。
「アイアンランスっ。今さらこんな魔法に頼って、なんの意味がある!」
無数の鉄の槍が降り注ぐも、フーゴは黒魔法第2位階『ウォーターウォール』を半球体状に展開する。鉄の槍はフーゴの創り出した分厚い水の壁を超えることができずに、次々と水の壁に突っ込んでいくと、そのまま水に搦め捕られて勢いがなくなり、鉄の槍は水の中へと沈んでいく。そして、フーゴの予想どおりに――――
(半分以上の槍が逸れている。ろくに狙いをつけられていない。限界だったのだろう。もう十分だ)
アイアンランスの多くがフーゴから逸れて、試合場の至るところに散らばって突き刺さっている。
「……し、しょっ、勝負」
震える手で息も絶え絶えに、レナは魔法を放つ。放たれたのは黒魔法第5位階『迅雷』――――大量の雷が試合場へ降り注ぐ。
「無駄だ」
この場面で第5位階の魔法を放ってなんの意味があると、フーゴは再度、黒魔法第2位階『ウォーターウォール』を半球体状に展開した――――のだが、雷はフーゴの頭上に降り注ぐことはなかった。防御の構えでいたフーゴは、なんとも言えない表情で呟く。
「…………お前は良くやったよ」
もう誰の目から見てもレナは限界であった。
身体の至るところから血を流し、顔色も悪く、身体はふらついて、視点も虚ろである。とてもではないが、演技などではない。そんなことは誰に言われるまでもなく一目瞭然だ。
だから――――騙される。
「待てっ。なにを――――」
フーゴがなにかに気づく。気づけたのは、何気なくエッダに目を向けた際に、真顔であった。ただ、それだけである。だが、試合が始まってから、常に余裕の笑みを崩さなかったエッダの表情にフーゴは拭えない違和感を覚えたのだ。
「――――ま、まさかっ」
試合場にいるフーゴの視点からは気づけなかっただろうが。浮かんでいるレナからは、それが良く見えた。
試合場に突き刺さるいくつもの鉄の槍に雷が伝っていく。先ほどレナが放った迅雷は逸れたのではない。あえて、フーゴから外したのだ。それもこれも、この魔法陣を完成させるためであった。
鉄の槍が点と点となり、雷が線となる。試合場というキャンバスを使っての魔法陣の構築、それがレナの狙いであった。
「……勝負」
静かな声である。
先ほどの息も絶え絶えに、振り絞るように声を出した同一人物とは、とてもではないがフーゴには思えなかった。
ゆっくりとレナは杖を振り上げると、その杖をフーゴ目掛けて振り下ろした。
直後に目を開けていられないほど強い光が観客を襲う。次に目を開けたときには、それが――――八体の悪魔が雷となって姿を現していた。
「はあああああああああーっ!!」
さすがはAランク冒険者のフーゴである。唖然としていたのは一瞬で、すぐさま魔法を放ったのだ。あと一秒でも遅れていたら、この時点でフーゴは負けて――――否、死んでいただろう。
凄まじい激突音が修練場内に響き渡る。氷で創られた八体の巨大な天使が、雷の悪魔と正面からぶつかり合ったのだ。
※
「ひぃっ!?」
「うわああぁっ!!」
「きゃあっ!!」
観客席から悲鳴が、絶叫が飛び交い。多くの者が、その場で屈み込んだ。
雷と氷の魔法で創られた天魔の姿に、人の魂の奥深くに刻まれた恐怖が呼び起こされたのだ。
「あ、あの魔法はなんだ?」
「私に言われても知らないわよっ!」
冒険者の男が後衛職の女性にそれとなく聞くも、常識外の魔法になにも答えられない。
「あの第9位階魔法を、このような場所で再び見ることになろうとは」
老魔法使いが、そう呟くと。
「第9位階魔法だって!?」
「そんなバカなっ。単独でそんな高位階の魔法が使えるわけねえだろ。爺さん、呆けてんじゃねえのか?」
「ありゃ見た目は派手だが、第6位階あたりの魔法をそれとなく使ってるだけさ」
自分の呟きをバカにする観客を無視して、老魔法使いはそのときのことを思い出す。とは言っても、老魔法使いがその魔法を見たのは一度だけである。
バハラグット王国が誇る大魔導師こと『バラキオムの大魔女』と『炎雷の賢者』が戦場で使用するのを遠目で見たことがあるのだ。
(黒魔法第9位階『八魔雷光陣央塵』に『八天氷流凍化津咆哮』を、こんな狭い場所で使用するなど、命知らずにもほどがあるぞ)
戦術魔法を室内で使用するなど、国の魔法機関が知れば卒倒するだろう。
そして試合場は地獄と化していた。
巨大なエネルギーの塊が、互いを侵食するように押し合いをしているのだ。その余波だけで、石畳が砕け散っていく。
氷の天使たちが一斉に咆哮を放てば、雷の悪魔たちも負けじと何本もの巨大な雷を束ねて放つ。
「うおおおおおおっ!! 俺の勝ちだ!! 負けを認めろっ!!」
魔力の高負荷によって、フーゴの輝赫竜の杖からは煙が出始める。そして右腕からは皮膚が破れ、肉が裂け、血が吹き出しているではないか。
対するレナも魔法陣を利用して、自身の使えない位階の魔法を放っているのだ。限界など、とうの昔に超えていた。
広い修練場が狭く感じるほど、互いに放った天魔は巨大で、力強かった。だが、それも長くは続かない。個人で使用するにはあまりにも途方もない力なのだ。
氷の天使たちが溶けていき、雷の悪魔たちも力を出し切ったかのように、次々とその姿を消していく。
先に力が尽きたのはフーゴの放った天使であった。八体いた氷の天使が全て水に戻ったのだ。一方で、レナの放った雷の悪魔は一体残っていた。その一体が、全身でフーゴへ抱きつくように襲いかかる。
耳をつんざくような、至近距離で雷が落ちたかのような大轟音が鳴り響く。
「……はぁはぁっ」
片翼をもがれた鳥のように、レナは墜落すれすれの着地を決める。全身を高負荷の魔力が駆け巡った影響で焼け爛れ、さらにはフーゴの放った黒魔法『八天氷流凍化津咆哮』の余波によって、手足などの剥き出しの箇所が凍りついていた。凍傷ではなく、凍りついていたのだ。早く適切な処置を施さなければ、壊死した部分から砕け散りかねない。
「……私の、私の勝ち」
「いいや、俺の勝ちだ」
すぐ目の前にフーゴが立っていた。
(何度も勝利を確信したのに覆された。素晴らしい。さすがはアールネの――――いや、さすがはレナ・フォーマだ)
相性の差であった。
フーゴの操る水は極めて不純物が少ない純水である。不純物中のイオンがほとんどないために、電気をほとんど通さないのだ。当然、八天氷流凍化津咆哮の構成に使われているのも純水――――それもさらに純度を上げた超純水である。
そのため、最後の八魔雷光陣央塵の攻撃も、溶けた氷の超純水で咄嗟に創られた水の壁でやり過ごしたのだ。
とはいえ、それでもフーゴも無傷ではない。なぜなら超純水は高い電気抵抗率を誇るも、完全ではないのだ。そのわずかに通った雷が、途方もないダメージをフーゴに与えていた。
数々の高位魔法の使用に雷によるダメージは、フーゴの心身に深く、大きなダメージをもたらしている。
つまりフーゴ自身も、すでに限界なのだ。
「……はあっ!」
もう精根尽き果てているにもかかわらず、まだ攻撃を仕掛けるか、と。フーゴは驚嘆するのも、その攻撃はなんともお粗末な杖による刺突であった。
だから――――フーゴは杖技LV1『流し突き』によるカウンターで、優しく気絶させて終わらせようとする。
互いの杖と杖が触れ合うと、フーゴは力の流れを操作して流し突きを決めようとした――――だが、その力の流れを、さらにレナが操る。
(これはっ――――)
杖技LV1『流し突き』に対する『流し突き』――――レナが冒険者ギルドでフーゴにやられた技である。
そのことにフーゴが気づいたときには、床に這いつくばっていた。そして、その背にレナはそっと杖を押し当てると、黒魔法第1位階『サンダー』を直接、フーゴの身体に流し込んだ。
修練場内が、あれほど熱狂し、騒いでいた観客が消え去ったかのように静まり返っていた。
「そこまで!」
フーゴが意識を失っているのを確認し、エッダは試合を止める。そして――――
「勝者、レナ・フォーマ!」
そのままレナの勝利を告げるのであった。




