第412話:悪戦苦闘
試合場の端でフーゴが立っているのをレナは視界に捉える。不意打ちでエクスプロージョンを放ったにもかかわらず、あの一瞬で結界を、それもレナが確認しただけでも6枚もの多重結界を展開していたのだ。
(……ダメージはなし)
主目的はフーゴの召喚した骸骨たちの排除だとはいえ、平然としているフーゴの姿にレナは憮然とする。
レナが不機嫌になったのには、もう一つ理由がある。
(……石畳に傷は…………傷はなしっ)
結界で覆われた石畳に傷がなかったのだ。
黒魔法第4位階『エクスプロージョン』を、単発ではなく多重連鎖で発動したのに、だ。
これには驚きと同時にレナの自尊心が大きく傷つけられた。
(……エッダ、私ほどではないにしろ天才と認める)
なぜか上から目線でエッダを称賛するレナであったのだが、一方のフーゴに動きはなかった。
(さすがはアールネ殿の御息女といったところか)
先ほどのエクスプロージョン。あのような近距離で発動すれば、術者であるレナもただでは済まない可能性があった。なのに、レナは見事に結界で爆風を後方、あるいは左右へと受け流していたのだ。フーゴより少ない枚数の結界で、同じ結果を生み出したことを称賛する。
それにレナの様子を窺うと、折れた右手首と電撃傷の治療をすでに終えていた。さらにシャドーバインド対策なのだろう。周囲に白魔法第1位階『ライトボール』をいくつか展開しているではないか。
右手首が骨折しているのは、フーゴがレナの右手首を力任せに握り締めた際に折れていたのだ。一端の回復魔法の使い手でも、このような短時間で、しかも戦闘中に治せと言われて、それも自分自身が負った怪我を治せるかと問われれば、どれだけの者が自信を持って頷けるか。
(見事な回復魔法の技量だ。それにシャドーバインドの手口はわかっていないようだが、わからぬとも対策を即座に講じている。これならば――――)
アクティブスキル『魔力覚醒』を発動すると、これまで以上にフーゴの纏う魔力が色濃くなる。当然、相対するレナも警戒心を強めるのだが。
(これならば、多少は本気を出しても死ぬことはないだろう)
フーゴの周囲にエネルギー球が複数展開する。エネルギー球の正体は黒魔法第4位階『エクスプロージョン』だ。
下手投げするように、優しくフーゴはエクスプロージョンを放つ。対するレナは先ほどの仕返しかと、こちらもすぐさまにエクスプロージョンを、それもフーゴと同じ数だけ放つ。
(青いな)
その対応を観察していたフーゴは心の中で呟いた。
負けん気が強いのはいいことだが、魔法使いたるもの同時に冷静さも持ち合わせなければならない、と。
「ぶつかるぞっ!」
二人のエクスプロージョンが接触する瞬間、観客の一人が叫ぶ。それとほぼ同時に大爆発が起こった。初手のときと同じように拮抗した結果になるだろうと、観客の誰もが思ったのだが。
「……ぐっ!!」
爆風と衝撃波がレナに襲いかかった。
次々にエクスプロージョン同士の衝突が起こり、一発目と同様に押し勝った爆風と衝撃波がレナの結界を崩さんと攻め立てる。
エッダの結界のおかげで被害が及ぶことがないとはいえ、頭の中では理解できているとはいえ、それでも凄まじい爆発に観客は思わず身体を震わした。
「……この、程度でっ!」
結界で身を護っているとはいえ、受け流せなかった爆風と衝撃波でレナは石畳の上を転がっていく。
「まだわからないのか?」
体勢を立て直したレナが顔を上げると、その光景に言葉を失う。そこには視界を埋め尽くさんばかりの魔法が展開されていたのだ。
「詰みってやつだ」
「……面白い」
この状況でまだ諦めていないレナは大したものだが、フーゴはそんなレナの強がりを見て、わずかに顔を横に振る。
そして――――攻撃が始まった。
展開されている魔法は黒魔法第4位階『エクスプロージョン』だけではない。火水土風を基本とする元素魔法に、雷や氷、さらには暗黒魔法までもが混ぜられているのだ。
一つ一つが第4位階以上の魔法である。それらが絨毯爆撃のようにレナに襲いかかる。
「……っ!!」
焦った様子でレナも魔法を展開し、放っていくのだが。
※
「お、おいっ。こりゃいったい、どうなってんだ!? レナちゃんの魔法が撃ち負けてるぞっ」
「そんなバカなっ。レナちゃんは『食客』の連中にだって勝ったことがあんだぞっ!」
「あのフーゴって奴の魔力が、それだけ強いってことなのか?」
観客席にいる『レナちゃんファン倶楽部』の面々が絶句する。これまでレナが魔法で撃ち負ける姿など見たことがなかったからだ。
「レナちゃんの魔力とフーゴとの間には、それだけの差があるのですか?」
商人の男が冒険者たちへ問いかけるのだが。
「わからねえ。どっちも俺らからすれば格上過ぎて、どのくらい差があるのかわからねんだよ」
「負けてるなら、その分だけ多く魔力を込めればいいんじゃないのか?」
「バカなことを。そんな簡単な問題ではない」
後衛職の冒険者が、安易な言葉をはいた仲間を叱った。
上位の魔法使いになればなるほど、一つ一つの魔法を行使する際の消費MPが減る工夫や技術を身につけている。その余分を他に回すなり、さらに消費することで魔法の威力を高めていくのだ。
余裕や余力があるから多くの魔法を使うことができる。逆を言えば、一つ一つの魔法に普段より魔力を込めれば、威力が上昇しても消費MPは比例するように爆発的に増えていくのだ。
「すでに、すでにレナちゃんも魔力を多く込めて魔法を使用している」
男たちが「嘘だろっ」と呟きながら、試合場のレナへ視線を向ける。そこにはフーゴの魔法から逃げ回りながら、傷ついていくレナの姿があった。
「その証拠に、レナちゃんの息が上がっている」
「フーゴって野郎がズルしてんじゃねえのか?」
「そうだ! そうに決まってる! じゃなきゃ、レナちゃんが魔法勝負で負けるわけが――――」
「現実を見ろ。認めたくはないが……認めたくはないが、フーゴの技量が、魔力が、レナちゃんを上回っているんだ。それも遥かにっ」
歯軋りせんばかりに、後衛職の男はその事実を告げる。
この男の見立ては、あながち間違ってはいなかった。現時点での両者の魔力はレナが700後半で、フーゴは1100を超えていたのだ。素の状態でこれだけの差がある上に、フーゴはこのとき二つ目の固有スキル『不動魔烈』を使用していた。
この固有スキルはその場を動かないことを条件に、自身の魔力を高めることができるのだ。
※
悲鳴のような声を上げる『レナちゃんファン倶楽部』の叫びは、レナの耳に届くことはなかった――――否、聞く余裕がなかった。
(……魔力で、私が押し負けているっ)
黒魔法第4位階『雷怒』が、レナの左右から迫ってくる。現状を認識しているも、それを素直に認めることがレナにはできない。
「……はあっ!」
同じ黒魔法第4位階『雷怒』を左右に放ちぶつけるも、フーゴの雷怒はレナの雷怒を飲み込みながら向かってくる。
「……こ、のっ!」
風を付与した結界で雷怒を後方へ逸らすのだが、眼前には無数の魔法が次から次へとレナに襲いかかってきていた。
黒魔法第4位階『氷爆』『ラヴァ』『氷華』、黒魔法第5位階『迅雷』『焦土』『トルネード』、無数の魔法を自身の魔法で打ち砕こうとするのだが、その尽くがレナの魔法を上回り、結界へ殺到する。
(……私の、魔法がっ、負けているわけがない!!)
ラヴァの燃え滾る溶岩を結界で遮りながら、レナはどうすれば勝てるかを考える。その背後からは迅雷が炸裂する。稲光を放ちながら、結界の表面を紫電が駆け巡った。
全方位の結界は便利だが、その分消費するMPは増える。フーゴの魔法に対抗するには、結界に回しているMPを魔法へ注ぎ込む必要があると、レナは判断した。
(やはり……そうなるか)
このような展開になるとわかっていたフーゴは、結界を部分展開で運用し始めたレナを見て心中で呟いた。
部分展開の結界では、一手ミスするだけで脆弱なレナは大怪我を負うだろう。現に今も魔法の余波で傷を負い始めていた。
「……がはぁっ」
エクスプロージョンの爆風で、小さなレナの身体が宙に舞い上がる。その間も無数の魔法が動き回っているのが、レナの視界に入る。
絶体絶命のそのとき――――
(……これ…………は)
――――レナは死の恐怖ではなく、別のモノに気を取られていた。
(……魔法の――――違う。これは魔力の粒子っ?)
魔力でもなく、魔力の波長でもなく、魔力の根源とでもいうべき粒子を視ていた。
「……は、あはっ」
思わずレナの口からは笑い声が漏れ出る。
次の瞬間、複数の魔法が一斉にレナへ直撃した。
“魔力を見ろ”
父アールネの言葉を思い出しながら、レナは意識が遠のいていく――――のを、必死に繋ぎ止める。
「し、審判っ!!」
焦った様子でフーゴは、エッダを呼ぶ。その視線の先では複数の魔法が直撃し、さらに落下時の衝撃で右足首が折れて、あらぬ方向を向いて這いつくばっているレナの姿があった。
「おい! 聞こえてないのかっ!」
再度、フーゴが呼びかけるも、エッダは無反応である。つまり試合は続行と判断したのだ。
(正気かっ!?)
そうやってフーゴがまごまごしている間に、レナは傷を最低限だけ癒やして立ち上がる。最低限なのは、すでにレナのMPが底をつきそうで、すべてを消費してしまうと、攻撃に回す分が足りなくなるからだ。
しかし、ようやく立ち上がったレナの足元はふらついている。後衛職な上に、身体も強いわけではない。どちらかと言えば、脆弱と言ってもいいくらいに、身体能力はない少女である。だが、それでもレナは立ち上がった。
観客の多くはフーゴの勝利を疑っていない。元から実力に差がありすぎた上に、多額の金銭をフーゴへ賭けているのだ。それでも、満身創痍で立ち上がったレナを見て、自然と手に力が入った。
「お、おい……。立ち上がったぞ」
「見りゃわかる。だが、立ち上がったところで、だ」
「笑ってねえか」
「まさか。この状況で笑えるわけねえだろ」
「でも、確かに笑ってるように見えるな」
観客が言うように、レナは微笑を浮かべていた。
(……これがっ)
杖を構えながら、試合に、フーゴに集中しなければいけない。それでも自然と口角が上がってしまうのだ。
(……これがっ、父の、ユウの、フーゴの見ている世界っ)
フーゴやエッダの纏う魔力が、波長が、粒子が、レナにはよく視えた。その魔力の粒子が次の動きを教えてくれる。
「ちっ」
『詠唱破棄』でフーゴが魔法を発動するよりも速く、レナは結界を展開した。その動きにフーゴは若干だが驚きの表情を浮かべるも、そのまま黒魔法第1位階『サンダー』を放つ。
今のレナならまともに結界を展開することもできず、サンダーを喰らうと思っていたのだろう。さらに魔法耐性の高いレナなら、サンダーが直撃しても命までには届かない。そのまま気絶で決着がつくと、フーゴは判断していた。
(……わかる)
サンダーを結界で防ぎきったレナは、初めて魔法を成功させたときのように喜びで心の中が満たされていく。
「まだそんな力がっ」
予想外にレナの余力が残っていたことに驚きつつも、次は黒魔法第2位階『サンダーランス』を放つ。
だが、それすらも――――
「なにっ! サ、サンダーランスを素手でっ!?」
今度は結界すら展開せずに、魔力を纏わせた左手で受け流したレナに、フーゴは驚きを通り越して恐怖を感じ始める。
「大したものだな」
しかし、その動揺も一瞬のことであった。歴戦の兵であるフーゴはすぐに冷静さを取り戻す。
如何にレナが頑張ろうとも、MPが底をつきつつあるのは明白である。その証拠にレナからは、これといった攻撃を仕掛けてこない。
このまま睨み合いを続けていれば、やがてレナのMPも回復していくだろうが、それをフーゴが見逃すことはない。
「良くがんばった!」
思わずレナを称える言葉が、フーゴの口から出る。
得意の水と氷を組み合わせた魔法をフーゴは放つ。氷で身動きのできない状態にすれば、どれほどエッダが判定をくださなくとも、勝敗は明らかとなる。
これがこれ以上レナを傷つけずに試合を終わらせる最善であると、フーゴは判断したのだ。
(誇るといい)
当初の予定とは違ったが、これだけの戦いを衆人環視の前で繰り広げたのだ。レナと、その父であるアールネの名誉は回復するだろう、と。試合中にもかかわらず、フーゴは満足げな笑みを浮かべてしまう。
そう。まだ試合は終わっていないのに。決着はついていないのに。
「終わりだ」
そう呟いて背を向けると、フーゴは去っていく。
「あら? どこへ行くのかしら」
その背に向かって、エッダが不思議そうに声をかけた。
「ふん。お前がどれだけ依怙贔屓して俺の勝利を認めなくとも、相手が戦えなければ否が応でも認めざる得ない」
再び歩を進めようとしたフーゴの背に、エッダの声がかかる。
「最終戦の決着がよそ見してて負けたなんて、あんまりにもつまらないし、観客も白けるから、あなたの目で確かめたほうがいいわよ」
「なに?」
その言葉はとても負け惜しみには聞こえなかったので、フーゴはゆっくりと振り返った。
「なにが……起こったっ!?」
そこにはフーゴが放った大量の水も氷すらなく、平然と立っているレナの姿があったのだ。
(あり得ない)
慌ててフーゴは杖を構える。もし、エッダから声をかけられていなければ、レナからの不意打ちを高確率で喰らっていただろう。
(水はっ、氷はどこだ!?)
先ほどフーゴが放った魔法は黒魔法第4位階『水虎・喰牙』に黒魔法第5位階『氷棺』である。水虎・喰牙は水でできた虎が対象に襲いかかる――――フーゴは牙を突き立てるのではなく、踏みつけるように操作していた。そこに氷棺で氷漬けにした――――つもりであったのだ。
「くそっ」
改めてレナの様子を窺うと、ボロボロのままである。これといって変わった様子は――――一つだけ違った箇所があった。
「……ど~ん」
レナの左中指に指輪が嵌められていたのだ。




