第410話:探り合い
(若くして力を持ってしまったがゆえの増長か?)
開始線に向かうフーゴは、これから試合が始まるというのに余計な思考に耽っていた。
(ならば、私が身の程を教えねばならない)
無意識の内に、フーゴは輝赫竜の杖を握る手に力が入る。
「最終試合、始めっ!」
エッダから試合開始の合図が聞こえるも、まだフーゴの思考はレナへと向いていなかった。
(まずは近接戦に持ち込み、適当に痛めつけたあとに解放し、その後は――――なにっ!?)
レナの身体から溢れる魔力を視たフーゴは焦る。すぐさまに視界を埋め尽くす無数のファイアーボールがレナから放たれ、ほぼ同時にフーゴも同数、同威力のファイアーボールを放つ。
次々に火の玉同士が衝突すると、綺麗な火の華となって散っていく。
初手から凄まじい魔法の応酬となる展開に、観客は否が応でも興奮し、大声量の声援を送る。
「初手から激しいじゃないかっ」
少し焦った様子を演出しながら、フーゴは油断なく杖を構える。
(次はなにを仕掛けてくる?)
これまでの試合は前衛職が多かったために、フーゴやレナのような生粋の後衛職との戦闘は派手で観客の受けも良い。
次の手も観客受けの良い攻撃を期待しつつ、顔には出さぬようにフーゴは努める。
しかし、次のレナの手はフーゴの期待に応えるどころか失望させるものであった。
「また同じ攻撃か」
初手と同じファイアーボールを展開するレナに、バカにするようにフーゴはため息をつく。
「……」
あからさまな挑発を黙殺し、レナはファイアーボールを放つ。対するフーゴは先ほどと同様に、ファイアーボールで相殺しようとするのだが。
「っ!?」
自身へ放たれた無数のファイアーボールの一部が突如、黒魔法第4位階『エクスプロージョン』へと変化したのだ。これにはフーゴも驚きを隠せず、目を大きく見開く。
「なにが起こったっ!」
ファイアーボールではエクスプロージョンの爆風を防ぐことはできないと、フーゴは前方に巨大な岩壁と見紛う石の壁――――黒魔法第3位階『ストーンウォール』を展開する。
無数のファイアーボールが石の壁に接触するや否や破裂し、周囲へ火を撒き散らす。次にエクスプロージョンの光球が接触すると同時に大きな爆発が起こる。
次々に各所で爆発が起こり、その爆風にファイアーボールも巻き込まれていく。試合場は火の粉が舞い散り、気温が凄まじい速度で上昇し、観客はフーゴとレナは無事なのかと目を凝らす。
「派手なのはいいけど、もう少し考えて魔法を使えないものかしら」
そんな観客の心配をよそに、誰からも心配されないエッダは粉塵を払いながら審判を続ける。
※
「しっ……信じられんっ」
観客の一人が思わず呟いた。
一部のわかっている者たちは、レナの放った魔法がどれほど規格外なのかを理解していたのだ。
「いくらファイアーボールが第一位階の魔法だからって、なんだよあの数はっ!? ざっと数えただけでも百……いやいや、百どころじゃなかったよな?」
「しかも火の玉って大きさじゃなかったぞ」
「通常の十倍はある大きさでしたわね」
たかが第1位階の魔法。だが、たかが第1位階の魔法であっても、敵を殺すための魔法なのだ。そこらの一般人やランク1の魔物などがまともに喰らえば死ぬ、つまり殺傷力を有している。
そんな魔法を通常の十倍もの大きさで、数百以上も同時展開して放つことがどれほど尋常離れしていることか。
「そんな魔法に対して、すぐさま対応したフーゴも異常だわ」
女性の魔法使いが、フーゴの対応力を称賛する。
「あのレナと同じCランクの後衛職でも、即座にあの数に対応できる者がどれほどいるか。だが、二回目はなにかおかしな素振りを見せていたな」
「私の勘違いでなければ、ファイアーボールが途中からエクスプロージョンに変化していたように見えたわ」
「は、ははっ、まさか。あんたの見間違いだろ」
一度手元を離れた魔法が別の魔法に変わるなどあり得ないと、男の冒険者が否定するのだが。
「いや、俺の眼にもそのように見えた。事実、フーゴもそのせいで対応がわずかに遅れたんだろう」
「あんな巨大なストーンウォールでエクスプロージョンを防ぐとはな。見てみろ、壁に傷一つないじゃないか」
「『巌壁』の二つ名は本物か。後ろに一発のファイアーボールすら通していない」
別の者はレナの魔法技術よりも、第3位階の『ストーンウォール』で第4位階の『エクスプロージョン』を防ぎきったフーゴの対応力と魔力の高さを評価する。
これだけの攻防で試合開始から時間は数分しか経っていなかった。そして、この僅かな時間で試合開始前はレナを侮っていた者たちの考えを覆すのに十分な実力を証明してみせたのだ。
「お前らな~んもわかってねえな。あのレナってガキがどれほど――――」
「わかっていないのはお前のほうだ。フーゴはあえて先手を譲ったことにも気づいてねえだろ。あれこそ格上の――――」
自らも冒険者として活動する者たちである。レナとフーゴの攻防に各々の言い分があるのだろう。ああでもない、こうでもないと、言い争うのだが。
「お前もこのわからず屋共になんか言ってやれ!」
そんな中、ずっと黙ったままの男に話が振られると。
「いや、俺はそれよりあの審判のエルフが無傷なことに驚いている」
その一言で皆の視線が試合場で審判をしているエッダへと注がれる。
あのファイアーボールが乱れ飛ぶ場所で、エクスプロージョンの爆風が襲いかかる場所で、エッダは平然と立っていたのだ。なんなら枝毛を見つけて「やだわ」と処理しているではないか。
それがどれほど異常なことかを認識したのだろう。
皆が口を揃えて呟いた。
「「「なにそれ怖い」」」
※
ストーンウォールに弾き返された爆風や火を結界で後方へと受け流しながら、レナは思考する。
(……やっぱりフーゴには、私には見えていないなにかが見えている)
初手でフーゴの対応を見て、さらに次の手で発動後のファイアーボールを風の魔法で圧縮し、エクスプロージョンへと変化させることで、フーゴはどこで、どのように魔法を見極めているのかをレナは探ろうとしたのだ。
(……最初のファイアーボールはすぐに気づいていたのに、次のエクスプロージョンには反応が遅れていた)
“魔力を見ろ”
レナの父アールネの言葉である。
魔法の指導をする度に、この言葉をアールネは口にしていた。
幼少期より魔力を見ることができたレナは、そんなことは言われなくてもできていると思ったものだ。なんなら魔力どころか、他者の身体から漏れ出ている魔力の波長すら、レナは見極めることができていた。
(……床に傷はない)
最初に登場した際に確かめたのでわかっていたことだが、試合場の床には傷どころかヒビ一つすらないのだ。
(……少し困った)
試合場周囲だけでなく、エッダの結界は床にまで及んでいたのは、レナにとっては誤算であった。
「どうした? 黙り込んでっ!!」
前衛職かと見間違うほどの踏み込みであった。フーゴの後衛職とは思えない身体能力に、風魔法を組み合わせることによって可能とした動きである。
一瞬にしてレナの眼前まで距離を詰めてきたフーゴは、杖を横薙ぎに振るう。
(……風の魔法を使って、距離を――――)
結界でフーゴの攻撃を弾いたレナは、今度は自分の番だと杖を構えたそのとき。
「捕まえた」
フーゴの杖を握っていないほうの手がレナの結界を突き破り、レナの右腕を掴んでいた。
「相手の結界に干渉して攻撃を仕掛けるなんざ、後衛職であれば別に珍しくもない手だぞ。くっくっくっ、こりゃ早々に終わりそうだな」
握る手にフーゴが力を込めると、レナの腕にフーゴの指が喰い込んでいく。その膂力は骨まで握り潰しかねないほどのものであった。
「さあ、どうす――――ぐあっ!」
バチッ、という大きな音とともに、フーゴの左腕が弾かれる。後ろへ大きく飛び退いたフーゴは、自分の身になにが起こったのかをすぐに理解する。
「バカか……お前っ。自分がなにをしたかわかっているのか!?」
レナの右腕から黒煙が立ち上っていた。
自身の右腕に雷の魔法を流したのだ。
そのため、その右腕に触れていたフーゴの左腕は雷を喰らい弾かれた。魔法抵抗の高いフーゴでなければ、左腕は大きく損傷していただろう。
直に触れていたのだ。結界を通さず雷を受けたダメージは、決して少なくはない。だが、フーゴよりもダメージを受けたのはレナである。
「お前のほうがダメージが大きいじゃねえかっ」
「……それが?」
非力なレナでは、フーゴに掴まれれば振りほどくことはまずできないだろう。そのまま床に力任せに叩きつけられれば、そのまま気を失って負けてしまう可能性すらあった。
だから、レナはリスクを覚悟の上で対策をしたのだ。自身にダメージがあろうとも、フーゴが掴むことができないように、と。
「……問題なし」
ローブで隠れてはいるが、右腕の損傷はフーゴの比ではないだろう。しかし、回復魔法で治すと、レナは何事もなかったかのようにフーゴと向き合う。
(覚悟は……覚悟は決まっているんだな。なら、私もそれ相応に応えねばならないっ!)
合図を送るように、フーゴは意味ありげな視線をレナへ向けると。「死なないでくれよ」と願いながら、輝赫竜の杖に備わる力を解放する。杖の亀裂から漏れ出る淡い光が強くなり、杖の先端から竜の咆哮を思わせる閃光が――――『赫熱光』が放たれる。
迫りくる赤色の熱線に対して、レナは黒魔法第3位階『ストーンウォール』で対処する。縦横10メートルほど、厚みは優に1メートルはある石の壁である。これだけの石の壁と質量であれば、閃光系など容易く受け止められるとレナが思った矢先。
「……っ!?」
壁の一部が凄まじい速度で赤く変化していく。沸騰した湯が泡立つように盛り上がると、一気に熱線が壁を貫いた。
「ひっ!?」
「うあわああああっ!!」
「マジかっ!」
『赫熱光』の射線上にいた観客たちが悲鳴を上げる。同時に大気と石を焦がした臭いが、修練場内に拡がっていく。
「ほう……。今のを防御したか」
『ストーンウォール』を破られると悟ったレナは、すぐさまに黒魔法第5位階『アイアンウォール』を斜めに展開して『赫熱光』の軌道を変えたのだ。
ただ、それでもアイアンウォールの半ばまでもが融解していたうえに、レナの張り巡らす結界にも穴が空いていたことに驚愕する。
威力もそうだが、フーゴが特に集中した様子もなく『赫熱光』を放ったことに驚いたのだ。
あれほどの威力がある攻撃を気軽に出されるのは、相手からすれば恐怖でしかないだろう。
「ふんっ」
周囲の観客たちの反応をフーゴはさり気なく確認する。多くの者たちが思惑通りの反応をしていることに、フーゴは内心で満足そうに頷く。そして、わかっていたこととはいえ、観客に被害が出なかったことに安堵する。
つまり、レナが必死の思いで軌道を逸らした『赫熱光』は、エッダの結界を貫くことができなかったのだ。
「どこを見ている!」
対戦相手である自分ではなく、床を見ているレナを叱るようにフーゴは怒鳴りつける。しかし、フーゴの呼び掛けにレナは反応を示さない。ただ、融解した床を凝視していたのだ。
(……床が溶けてる)
当然だろう。
あれほどの熱量を誇る熱線が床すれすれに放たれたのだ。高温によって石畳が融解するのはおかしなことではない。
だが、これまでの試合で床が傷つくことはなかったのだ。それはエッダが常に強力な結界を張り巡らせていたためである。
しかし逆を言えば、この強力な結界をエッダは朝から維持し続けているのだ。試合の合間合間に休憩があるとはいえ、通常ならば何十人単位――――否、ここまで強力な結界だと三桁を超える手練れの術者が必要だろう。それをたった一人で維持し続けるのにはどれほどの魔力が必要か。
一万人を超える観客を護るために、冒険者ギルドの名に傷をつけないために、エッダは毛ほどの傷すら観客が負うことを許さない。そのため、先ほどフーゴが放った『赫熱光』を防ぐために、床への結界を弱めて代わりに観客を護る結界へ力を注いだのだ。
(……これならいける)
開始早々に諦めた手札の一つが再び使えるかもしれないと、自然とレナは微笑を浮かべていた。
「なにがおかしい。お前は完膚なきまでに叩きのめしやるって決めてるんだ。よそ見をしていたから負けたなどと、言い訳はさせないっ」
※
「どう思う?」
貴賓席の一角、特別に用意させた席に座るムッスが呟く。しかし、相手からはなんの反応も返ってこない。
「こほんっ。どう思う?」
今度はちらりと、視線まで送ったのにユウは無視したままである。
「あーこほんっ! ユウ、君は――――」
「うるせえな」
「そうだ! うるさいんだぞ!」
ユウだけでなく、ナマリやその頭の上に座るモモにまで、ムッスは叱られる。
「聞こえているなら、なぜ無視するんだ」
「ゆっくり観戦してるのに、横でごちゃごちゃ騒がれたら集中できないだろうが」
「お行儀が悪いんだぞっ」と、ナマリは腕を組んでプンプンする。ムッスの傍に控えるヌングはなぜか恥ずかしそうに、俯きがちである。
「ここまで互いに様子見で本気を出してないんだから、感想を言うほどのもんじゃないだろうが」
「だけど、フーゴは早々に輝赫竜の杖に備わる『赫熱光』を使ってきたじゃないか。あれは『灰燼』の二つ名を持つ竜の力そのものだ。フーゴにとって、切り札とでもいうべきものじゃないか?」
「あんな横着な使い方をしといて、切り札であってたまるか。避けろと言わんばかりの攻撃だったじゃないか」
後方に控えるヌングや護衛のジョズにムッスは視線を向けると、二人はユウの言葉に同意するようにわずかに頷く。
「まあ、見てろって」
事前にムッスが調べさせた情報通りなら、フーゴの実力はレナを大きく上回る。
「ああ見えて、レナも必死だ。無様に負けるようなことはないだろう」
その言葉に、ユウの傍に控えるマリファは無表情のままであるが、無意識に重ねた手に力が入るのであった。