第407話:かっちーん
模擬戦に出場する選手たちが待機する場所は、大まかに東側と西側の二つの控室に分かれている。東側にある控室は他領や他国からの参加者で、西側の控室がカマー所属の冒険者となっているのだ。
「トロピが勝ったみたいだぞ」
「へえー。よそから意気揚々と来たわりには大したことないのか?」
「これで八勝一敗か?」
「まあ、カマーが勝ち越してるな」
「油断しないほうがいいんじゃねえの」
「出場選手は試合まで控室から出れねえから、相手がどんな面してるのかもわかんねんだよな」
「全くだ。なんでこんな面倒な真似をするんだ?」
「そりゃ富裕層から貴族がわんさか来てるんだぞ。賭けの胴元だって一つや二つじゃなく、二桁は開いてるそうだ。大金が動いてるんだよ、大金が。
主催の冒険者ギルドとしては、怪しい連中が出場者に近寄らないよう護る必要があるってことさ」
わかっているのか、わかっていないのか。出場予定の冒険者たちは「なるほどなぁ」と、呟く。
「あんまり油断しないほうがいいと思うよー」
新たに控室に入ってきたのは試合が終わったばかりのトロピである。
「無事に勝ったそうだな」
「『赤き流星』盟主としては、なんとか面目は保ったってところか」
「で、相手は強かったのか? まあ、その様子じゃ、大した相手じゃなかったんだろ?」
軽口を叩いてはいても、実際に試合をしたトロピの声を聞きたいのだろう。
「三本」
「あ?」
「肋骨が三本も折られたよ。全身の骨に入ったヒビの数は数えるのもバカらしいくらいだし。そうそう、肺も片方が潰されて困っちゃったよー」
ここにいる者たちはトロピの強さを知っているので、容姿で侮るような者は一人としていない。
「ボクのほうがレベルは上なのにさー。ほんっと、体格って正義だよね。骨ならいくらでも接ぐことができるけど、鎧の上からまさか肺が潰されるとは思わなかったよー」
トロピは土の精霊を使役して武具を生成するのだが、もう一つの活用方法として、骨格を入れ替えていた。鋼に精霊の力を宿した精霊鋼と呼ばれる金属を骨格として利用しているのだ。
精霊鋼にトロピが求めたのは丈夫で軽いことである。自身の魔力で生成した精霊鋼は身体が異物として拒絶反応も起きないのだ。
その自慢の精霊鋼は強大な魔物を相手しても折れないよう、十分な強度を考えて生成した――――はずであった。それを巨人族のヤルシュカは膂力で鎧の上からへし折ったのだ。さらに肺が潰されたときなど、トロピですら内心では驚いていた。
「現時点では勝ち越してるけど、君たちが無様を晒して迷惑はかけないでほしいなー」
「おいっ! そりゃ、どういう意味だっ!」
「俺らが負けるとでも言いたいのか!」
何人かの冒険者が、トロピに向かって容赦のない圧力をかけるのだが。
「ボク、わかんなーい」
人を逆撫でするトロピの舐め腐った態度に、冒険者たちは苛立つ。
(この人たちが負けてもボクには関係ないんだけど、負けてエッダさんに怒られると可哀想だからねー。ボクって、なんて良い子なんだろうね)
トロピなりの発破をかけたのだろう。いい具合に出場者たちは熱気を帯びていた。
(さて、メインイベントのレナちゃんの様子は――――)
絡んでくる出場者たちを躱しながら、トロピが目をキョロキョロと動かすと、騒ぎにも加わらずに控室の一番奥で瞑想しているレナの姿があった。
(うーん。感情的になりやすい子だって聞いていたけど、今のところはそんな様子はなさそうだね)
静かに魔力を練っているレナの姿に、トロピは心配しすぎたかなと思うのだが。
「うおっ!? 危ねえな!!」
レナの周囲に紫電が走る。感電しそうになった男が飛び跳ねて怒鳴りつける。しかし、レナは半眼で男を睨みつけると、再び瞑想に入る。
(あらら。ちょーと、入れ込みすぎかなー。相手が並の使い手なら大丈夫そうなんだけど、対戦相手のフーゴはボクより強いかもしれないんだよねー。Cランクのレナちゃんじゃ、厳しいかなー。でもレナちゃんが負けちゃうと、エッダさんがなんて言うかな。も、もしかして、とばっちりでボクまで……)
自分の杞憂であってくれと、間違ってもメインイベントであるレナが負けるようなことだけはないようにと、トロピはドワーフの神へ祈るのであった。
※
「よっしゃああああっ!!」
「クソがぁっ!! また負けちまった!!」
修練場の外周では突貫で作られた飲食店や賭け屋が立ち並ぶ。試合後の休憩時間に多くの観客が食べ物や配当を求めて押し寄せている。
特に賭け屋の前では予想が当たり、大金を手に入れた者と、外れて大損した者の悲喜こもごもの様子が見られた。
「さあさあっ! 次の試合の賭けは、間もなく締め切りになるよー! 相手はカマーを拠点に活動する孤高の巨人ことエッカルト、こいつはCランクになってまだ日は浅いが、なんたって巨人族だからな。生まれながらの戦闘種族ってやつよ! 対するは――――」
賭け屋の男が事前に仕入れた情報で客を呼び込む。
ここまでカマー勢が優勢なことから、エッカルトに賭ける者が続出するのだが、それを遠巻きに見ていた者たちがいた。
「どう思う?」
「そうねー。エッカルトは実力はあるんだけど、根が優しすぎるのよね」
「私もそう思う」
「それに対戦相手を見たんだけど、なーんか怪しいのよね」
「同じCランクでしょ」
「『解析』はしたの?」
「するわけないでしょうが! バレたらどんだけ面倒なことになるか」
「だよねー」
この集団――――冒険者ギルドの受付嬢たちである。立場を利用して、事前に対戦相手の様子を窺うこともできるのだ。
「皆さん、なにをしてるんですか?」
「あら、コレットじゃない」
「見てわからないの? 賭けよ賭けっ」
そう言いながら、受付嬢たちは賭けで手に入れた銀貨でパンパンになった革袋を見せつける。
「し、仕事中ですよ!」
「もう、固いこと言わないでよね」
「そうそう。仕事の合間に冒険者ギルドで培ったこの洞察力でお小遣いを稼いでるだけじゃない」
「ダメですよ!」
「大丈夫よ。ギルド長だって、主催じゃなければ賭けてたってボヤいてたわよ」
「ええっ!?」
先輩受付嬢の言葉に、コレットは目を丸くして口が開いたままになる。よく見れば、モーフィスが賭け屋で金をかけてる者たちを羨ましそうに見ているではないか。
「ギルド長……」
尊敬していたモーフィスの情けない姿に、コレットは些か落胆する。
「こういう機会に受付嬢は稼がないとね。あ~あ、私にもあなたみたいな太い冒険者がついていればねえ」
「ほんっと、羨ましいわ」
「そ、そんなっ。ユウさんと私は……」
「別に責めてるわけじゃないわよ。『ネームレス』はコレットが専属なんでしょ? 小さなクランとはいえ、丸ごと専属なんて中々ないことよ。むしろ誇りに思うべきことだと、私は思うわ」
「小さいっていっても、ユウちゃんがギルドに預けているお金や売却する素材の額は、大手クランと比べても遜色がないどころか。勝ってるんじゃないかしら」
「…………コレット、勝ち組じゃない」
「勝ち組のコレットさんはなにかしら? 私たちの細やかな楽しみを奪おうっていうの?」
「いえっ……。そ、そんなつもりはありませんけど」
仕事中に賭け事は如何なものかと言いたいのだが、先輩たちの圧力にコレットは負けそうになる。
「言っとくけどね。フィーフィさんやレベッカも反対側の賭け屋で荒稼ぎしてるそうよ」
「フィーフィさんとレベッカさんもですかっ!?」
「そうよー。それに二階の受付嬢たちなんて、私たちの倍以上の金額を賭けてるんじゃないかしら」
Dランク以下の冒険者が担当の受付嬢たちと、Cランク以上の冒険者を担当する受付嬢では収入も大きく違うのだ。
「へへっ。よう! そこのお嬢さんたち」
服こそ小綺麗だが、なんとも怪しい男が話しかけてくる。
この男はコレットたちの話を盗み聞きしていた賭け屋の胴元である。
「なによ?」
「言っとくけど、私たちは冒険者ギルド関係者だからね。下手なことを考えていれば、どうなるかわかっているでしょうね」
女だからと舐めるなよと、受付嬢たちが先制パンチを放つ。
「うへっ。とんでもない。俺はただお嬢ちゃんたちが随分と金を持っているみたいなんで、うちで賭けてくれねえかと思ってよ」
「十分に客が群がっているように見えるけど」
「へっへっへ。まあ、これもあんたら冒険者ギルドのおかげさまってやつさ」
受付嬢たちは「なにこいつ」と、警戒感と不快感が折り混ざった視線を男へ向ける。
「ところがよ。メインイベント――――つまり最後の試合だけ困ってるんだよな」
「そんなのこっちの知ったことじゃないでしょうが」
「おいおいっ。そんな冷てえこと言わないでくれよ。普通なら最終試合ってのは大トリだぜ? もっとも金が動く、俺ら賭け屋にとっても一番稼げる試合だってのによ」
胴元の男は下卑た笑いを浮かべる。
「レナって小娘が弱すぎて、み~んなフーゴの野郎に賭けてやがんだ。このままじゃ賭けは不成立になっちまうんだわ。どうだ? お嬢さんたち、レナとかいう小娘に賭けてみねえか?」
コレットたちの素性を知ったうえで、胴元の男は負けるであろうレナに金を賭けてくれと言っているのだ。
「はあ? あんたねえっ、それって――――」
「どういう意味ですか」
「――――コレット?」
ここまで黙って話を聞いていたコレットが、先輩受付嬢の話を遮って割り込む。
「どういう意味かって? そりゃあ言わなくてもわかるだろ。メインイベントに出るカマーの冒険者が弱すぎて賭けが成立しないから、協力してくれって言ってんだよ」
明らかな挑発であった。
この揉め事をきっかけに、他のカマー所属の冒険者たちもレナに賭けることになれば、レナとフーゴの賭け試合が成立するかもしれないのだ。
賭けの胴元としてはなんとしてでも、最終試合の賭けは成立させねばならない。なぜなら後ろ盾になっている権力者たちからも圧力をかけられているのだ。つまり、この男も必死であった。
「いやいや、わかってるよ? お嬢さんたちの端金じゃたかがしれてることくらい。でもさ~、カマー側の冒険者のせいで賭けが成立しないんだから、カマー側の関係者が協力してくれてもいいんじゃないかって話だろう? そこんとこどうなんだい」
雑な挑発であったのは胴元の男も十分に承知していたのだが、思いのほか受付嬢たちの反応は良かった。特にコレットと呼ばれている気の弱そうな少女は、明らかに機嫌を損ねているではないか。胴元の男は「もう一押しだな」と、心の中で舌舐めずりをする。
「賭けたくない気持ちはよ~く、よくわかる! あんなCランクになったばかりのクッソ弱そうな小娘が、二つ名持ちでAランクのフーゴに勝てるわけがないもんな! 俺だって頼まれたって嫌だよ。聞けば、冒険者ギルドで揉めたときも相手にならずにびーびー泣いて逃げ帰ったそうじゃねえか。なんて情けな――――」
「モーフィスギルド長っ!!」
「はひっ!?」
突然、コレットに大声で名を呼ばれたモーフィスは思わず返事をしてしまう。周囲の野次馬たちは「ギルド長だ?」「あれがカマーのギルド長か」「なんでこんなところにいるんだ?」などと、口々に話す。
「い、いやコレット、これはだな? そう、儂はトイレに行こうと思っていただけで、金を賭けようなどとは――――」
「ギルド長の権限で、私が使える全ての金額をレナさんに賭けてください」
「――――思って……い゛い゛っ!? す、全ての金額を、か?」
「できますよね?」
「コレット、落ち着かんか。儂が思うに――――」
「できないんですか?」
「――――できます……」
「では、よろしくお願いいたします」
コレットのお願いに、あくまでお願いにモーフィスは了承する。決してコレットの放つ謎の圧力に屈してしまったわけではない。
「はああぁぁ……仕方がないわねえ」
「も~う! 服とか指輪とか色々な物を買いたかったのにぃ」
「なくなって困るお金じゃないし、いっか」
次々に受付嬢たちが、これまでこつこつと賭けで当てて手に入れたお金を、それも全額をレナに賭ける。
(こりゃいい。こいつら、バカばっかだわ。冒険者ギルドのギルド長が関わるんだ。あとから金を返せとか言い出すことはねえな)
これに胴元の男は焦った表情になるも、内心ではほくそ笑んでいると。
「退けえいっ!」
「臆病者共がっ!」
「退け退けーっ!!」
異様な集団が野次馬を押し退けて現れる。冒険者や傭兵と思われる戦闘を生業としている者から、裕福な見た目の者から商人らしき者まで様々な者たちである。
「コレットさん、あなたの心意気に感動しました」
見るからに高そうな衣服で着飾っている男性が、コレットの両手を握り締めながら大粒の涙を流す。なぜか額にはハチマキを巻いており、ハチマキにはレナちゃんファン倶楽部と刺繍が施されている。
「皆さん、わかっていますね?」
「皆まで言わないでください」
「このどぐされ賭け屋が、レナちゃんのことを知りもせず好き勝手なこと言いやがって!!」
「おいおい、暴力を振るうんじゃねえぞ。殺るなら模擬戦が終わってからだ。じゃないと、冒険者ギルドに迷惑がかかるからな」
「てめえの面は覚えたからな! 逃げれると思うんじゃねえぞ」
異様な集団を前に荒事に慣れているはずの胴元の男は、顔が青褪めていた。足元を見れば震えており、まともに立つこともできない様子である。
「あ、あの、あん……あんたらは? 俺は……後ろ盾には、わかってんのか? 貴族が、それも大貴族の――――」
「なにをビビってんだ。俺らは賭けに来ただけだろうがっ」
「かっ……賭け?」
「そうですよ」
そういうと、男たちは賭け屋の設置しているテーブルで、各々がアイテムポーチをひっくり返す。
「うおおっ!?」
「マジかっ!!」
「なんじゃこりゃっ!!」
テーブルの上に金貨や銀貨で山ができる。
大量の高額硬貨を前に野次馬たちから驚きの声が上がった。
「すっげええええ! いくらあんだ?」
「あんだけの金をレナってのに賭けるつもりか?」
「ばっかじゃねえの。大損するぞっ」
野次馬たちは口々にレナに賭ける者たちを馬鹿にする言葉が出るのだが、そんな言葉は彼らにはなんの意味もなかった。
「あの――――」
「ひっ!? な、なんだお嬢さんか」
異様な集団に話しかけられたかと思い飛び上がった胴元の男は、声をかけてきたのがコレットだとわかると露骨に安堵する。
「これで賭けは成立しますか?」
「へ?」
「しますよね」
「は、は……ははっ」
「するんですか? それともしないんですか?」
「す、するっ! これなら成立する……いえ、しますっ!」
「そうですか。良かった」
普段のコレットを知る者なら見慣れた太陽の如き明るい笑顔のはずなのだが、胴元の男が抱いた印象は真逆であった。
(な、なんだありゃっ!? こええぇよっ。ありゃ悪魔だ! いや、魔女だっ!!)
手続きを終え、去っていくコレットたち受付嬢と変なハチマキを巻いた集団が去っても、胴元の男は身体の震えが止まることはなかった。
※
東側の控室では出番を待つ者たちが、今か今かと精神を研ぎ澄ませていた。
「俺は勝てば金貨四十枚を報酬として貰えるんだ。おっと、誰から貰えるかは言えないぜ」
腰に二本のショートソードを佩く、軽鎧に身を包む男が軽い口調で坐禅を組むフーゴへ話しかける。
「俺の相手はエッカ……――――なんだったかな。そうだ、エッカルトとかいう、くくっ。これがまたなんとも鈍そうな巨人族なんだ。
ところで、あんたは勝てばいくら貰えるんだい」
男の言葉を無視して、フーゴは坐禅を組んだままである。
「無視することはねえだろ。あんた、もしかして緊張してるのかい? 確か……メインイベントで試合をするんだったよな。なーに、相手は聞けばCランクになったばかりのしょんべん臭えガキらしいじゃないか」
「悪いが放っておいてくれないか」
目を開いたフーゴは正面を見据えたまま、言葉を口にする。
「おいおい、そんなつんけんするこたあないだろ」
フーゴの肩に手を置こうとした男であったのだが。
「触るな」
決して大きな声ではなかった。だが、フーゴの言葉には強い力が込められていたのだ。明らかな拒絶であった。
「揉めたいなら互いの試合が終わったあとにしろよ」
「そうそう。どっちも試合後に五体満足ならな」
「違いねえ」
他の出場者たちがフーゴと男の諍いに口を出す。
なにもルールを護らなくてはいけないのは観客たちだけではない。むしろ観客よりも試合に出る者たちのほうが、より厳しくルールを護らなくてはいけないのだ。もし、護らなければ冒険者ギルドだけでなく、富裕層や貴族などの権力者たちまで敵に回すことになるからだ。
「そもそも、お前はさっきも他の奴に絡んで触れようとしてたよな?」
「言いがかりだろ。俺は重苦しいここの雰囲気を、どうにか軽くしてやろうとしてただけさ」
「どうだか」
男の言葉をまるで信じていないのだろう。皆が懐疑的な目を男へ向けていた。
後ろ盾や雇い主は違えども、誰もが勝利の暁には高額の報酬が約束されているのだ。それゆえに、馴れ馴れしく接してくる者に対して懐疑的になっている。
「そういうことだ。俺になにか用があるのなら、試合が終わったあとにしてくれ。それなら、いくらでも相手してやる」
「ちっ。馬鹿らしい。勝手にありもしないことを勘ぐってな!」
捨て台詞をはきながら、男はフーゴから離れていく。
(どこの手の者か知らないが、余計な真似をしてくれる)
再度、坐禅を組むと、フーゴは内外の魔力を練っていくのであった。




