第401話:模擬戦に向けて
「それで模擬戦って、いつに決まったのかな?」
ハムスターのように小さな口を精一杯に動かしながら食事をしているレナの横で、ニーナがレナとフーゴの模擬戦がいつなのかとユウに尋ねる。
「まだ決まっていない――――と、言いたいところだけど、日程は決まってる」
食事を終えたアガフォンたちも気になるのだろう。食器を片付けながらも、獣耳がピクピクと動いている。
「十日後だ」
意外と先なことにニーナたちは不思議そうにする。
「エッダさんが言ってただろ? 近隣の貴族や富裕層に書状を送るってな。通信系の魔導具から魔鳥を使って連絡をとったところ、思っていたより反響があったようだ」
「それって、つまり?」
「当初の見込みより多くの客が来るそうだ。ギルドじゃ大慌てで修練場に席を用意している」
レナとフーゴの模擬戦を見るためだけに権力者たちが遠路遥々カマーまで訪れることに、なぜか模擬戦をするわけでもないアガフォンたちが緊張した面持ちになる。
「あと言っとくけど、模擬戦はレナだけじゃないぞ」
「どういうこと?」
「わざわざカマーまで足を運んで一戦だけってのも寂しいだろ。それに一瞬で終わる可能性もあるしな」
ユウに一瞥されると、レナはなにか言いたかったのだろうが、口の中に食べ物が入っているために、代わりにアホ毛が周囲を威嚇するようにビンッ、と跳ねる。
「じゃあ、他の人も模擬戦に参加するんだ」
「それなりの試合が組まれるそうだ。他領から自分を売り込みたい腕自慢――――それにムッスのことを良く思っていない貴族が、自分の配下を送り込んでくるだろうな」
珍しくユウが嫌らしい笑みを浮かべるのを見て、ニーナは目を丸くし、マリファはなぜか嬉しそうに微笑む。
「ムッスさんも大変だね」
「今まで疎まれていたのに、バリューがいなくなった途端に削られたゴッファ領を取り戻すどころか陞爵して侯爵にまでなったからな。擦り寄りたい貴族から今までムッスを攻撃していた貴族まで、ちょろちょろと動き回っているんだろ」
食べながら話を聞いていたレナは、牛乳の入っていたコップを一気に飲み干し、食卓にどんっ、と置く。
「……私の試合がメイン」
「負けたらカマーの冒険者ギルドは恥を晒すことになるな」
「……絶対に勝つ」
「食事が終わったなら、ついて来い」
不思議そうな顔でユウを見つめながら、レナは首を傾げるのだった。
※
「……あなたは運が良い」
都市カマーから遠く離れた地――――ネームレス王国の荒れ地で、ローブをはためかせながらレナが杖を構える。
「……私という強者に胸を貸してもらえるのだから」
ビシッ、と。ユウに向かって杖を突きつける。
「お前、頭は大丈夫か?」
どこか不安そうにユウはレナに問いかける。
「……お前ではない。超天才魔術師レナ・フォーマ」
「胸を貸すって――――」
ユウは「自分より強いつもりなのか?」と、問いかけたつもりだったのだが、なにを勘違いしたのかレナは自分の薄い胸を悲しそうな顔で撫でると。
「なんで睨むんだよ」
「……許さないっ」
「それが今から鍛えてもらう相手に言う言葉かよ」
レナは根拠のない自信でフーゴに勝つと言っていたのだが、その言葉をユウは素直に信じるわけにはいかなかった。実はエッダからも、それとなく当日までに対策なり鍛えるようにとユウは言われていたのだ。
「……私だけ?」
ニーナとマリファはいいのかと言いたいのだろう。
いくらフーゴとの模擬戦があるとはいえ、自分だけが鍛えてもらうのはどこか抜け駆けしているようで気が引けるのだろう。
「マリファはクソ真面目だからな。俺が言ったら死ぬまでやるだろ。今も自分なりに考えて藻掻いてる」
「……ニーナは?」
「あいつは――――から、必要ない」
一瞬、レナは自分の聞き間違いかと思う。そうでなければ、ニーナが――――。
「フーゴを想定して攻撃するからな」
レナが聞き間違いを確認する間もなく、ユウは話を続ける。
「……望むところ」
不謹慎かもしれないが、この状況をレナは密かに楽しんでいた。
ユウを相手に自分の力を試すことができる。勝てぬまでも、どれだけ自分が近づけたのかを知りたかったのだ。
「……いつ始め――――ぐぅっ」
身体をくの字に曲げながら、レナが呻き声を上げた。
レナの鳩尾にユウの拳が突き刺さっていたのだ。
「とっくに始まってるぞ」
そういうと、レナの腹部に拳を突き刺したまま、ユウは左手でレナの右手首を掴み、そのまま投げ技に移行する。
宙に小柄なレナの身体が舞い上がる。
だが、それも一瞬のこと。次に大地に向かってレナの身体が落下していく。
本来であれば、ここでレナは受け身を取らなければいけないのだが、受け身の取り方を知らないレナはまともに投げ技をくらう。
「こほぅっ」
背中を強打したために、レナは呼吸が上手くできなくなる。空を見上げながら苦しそうに顔を歪めた。
だが本来であれば、ユウが投げ技を使用する際は、頭部から落とすのだ。あえて背中から落とすことで、レナの欠点を教えたとも言えるだろう。
「今のが模擬戦なら終わってたな」
咳き込むレナを見下ろしながらユウは呟く。
「……こほっ」
「なぜ?」という疑問はレナの頭には浮かばなかった。それよりも「フーゴを想定して攻撃するからな」というユウの言葉が頭の中を占めていた。
(……フーゴは)
まだ苦しいだろうに、レナは無理やり身体を起こし、立ち上がろうとする。
(……この程度の攻撃を、フーゴはやってくる)
杖で身体を支えて、それでもレナは立ち上がった。
決して油断していたわけではない。その証拠に全身を覆うように雷の属性を付与した結界を纏っていたのだ。
ただ、ユウの前ではその結界も意味をなさなかっただけである。宙に紫電を走らせながら、レナの張り巡らせていた結界の残骸が崩れ去っていくのが見えた。
「あいつを一般的な後衛と思うな。今くらいの攻撃は軽々と仕掛けてくるぞ」
「……わ、わがった」
「結界も、なんで緩かった?」
「……」
レナはなにも言えなかった。
確かにユウが指摘したように纏っていた結界は全力ではなかったのだが、この程度で大丈夫と思っていたからだ。事実、これまでの相手なら十分に通用した。
「フーゴも同じように結界を貫通してくるぞ」
「……次はない」
いつの間にかレナの息が整っていた。わずかな時間で腹部と背中の傷を癒やしていたのだ。
そして――――
「……はあっ!」
――――次はお返しとばかりにレナが仕掛ける。
掛け声とともに、レナの黒魔法第4位階『エクスプロージョン』が発動する。レナの前方――――広範囲に及ぶ爆発の衝撃波が拡がっていく。これならダメージが与えられなくとも、防ぐために結界を纏うはず。その一瞬、動きを封じたところにさらに高位の魔法を放ち、そこからは数多の選択肢がレナにはあった。
だが――――
「……どうして?」
聞いてはいけないのに、レナは問わずにはいられなかった。
宙に浮かぶユウを見上げながら、レナは問いかける。
「『詠唱破棄』は無敵のスキルじゃないぞ」
親切にユウは答えなくてもいい質問に答える。
(……どういうこと?)
まるで自分が『エクスプロージョン』を放つのを知っていたかのように、宙へ逃れたユウに追撃を仕掛けながらレナは思考を加速させる。
(……フーゴもそうだった)
冒険者ギルドで相打ち覚悟でレナが魔法を放とうとしたときも、フーゴは今のユウと同じように飛び退いていた。レナが使用する魔法を知っていたかのように。
「……あ?」
無数に放った黒魔法第2位階『サンダーランス』の一つを、ユウは手で触れて軌道を変えて躱す。
(……雷の槍に触れて無傷? 違う。触れたように見えただけで、魔力で手を覆って、その手で触れずに軌道を変えた?)
無駄な魔力を使わずに最小限の魔力で敵の魔法をいなす。
戦いの最中にもかかわらず、レナは目を輝かせた。
「……ぐっ」
同じようにユウが『サンダーランス』を数百本単位で放つ。レナの身体能力ではユウのように躱すことはできない。全身に展開した結界を回転させて、レナは『サンダーランス』を弾いていく。
だが、どうしても試したくなる。
ユウと同じ手法で『サンダーランス』をいなしてみたいと。
「……っ!?」
魔力を纏った掌で『サンダーランス』に触れたレナは当たり前のように身体中を雷が駆け巡った。
強力な装備にレナ自身の魔法耐性もあるため、大きな痛手となることはなかった。しかし、一瞬だけ身体を硬直させることとなる。すぐに残りの『サンダーランス』がレナに殺到した。
「立てよ」
第2位階の魔法とはいえ、数百発もの『サンダーランス』を受けた者に対してかける言葉ではない。普通なら一発でも喰らえば致命傷なのだ。
「……わか…………てるっ」
先ほどと同じようにレナは杖で身体を支えて立ち上がる。
「一つ、良いことを教えてやろうか」
「……?」
「フーゴ・ヒルシュベルガーは、お前よりレベルが高い」
自分よりレベルが高いと言われたレナは意味がわからないと、ユウを睨みつける。
「そらそうだろ? あっちはお前より十年以上も先輩の冒険者なんだ。レベルが高くてもなにも不思議なことはない」
「……それの、どこが良いこと?」
急速に傷を癒やしながら、レナが問う。
「ステータスに惑わされるな。『解析』スキルってあるだろ? あれはあまり信用しないほうがいいぞ」
「あっ、でもお前って『解析』スキルはなかったな」と、ユウは話を続けるも、それよりもレナの頭の中では別のことが駆け巡っていた。
(……信用するな? ここでユウが意味のないことを言うはずがない。つまり――――『解析』スキルには……)
思案するレナを無視してユウは話を続ける。
「『解析』スキル、昔はなかったんだよ」
「……昔? いつくらい?」
「そうだな……千三百年以上前だ。正確には千三百七年か」
「……聖暦」
いつもレナが間を置いて話すことから、周囲からは頭の回転が遅いと思われがちなのだが、そんなことは決してない。むしろ、常人よりも回転が速いゆえに、レナは考えて話す癖がついているのだ。だから、ユウの言葉からすぐに答えを導き出す。
「良くわかったな。そう、聖暦だ。『解析』スキルはサクラが創ったんだよ」
「……サクラ――――サクラ・シノミヤ」
サクラ・シノミヤについて、レナは親が読み聞かせてくれた絵本の情報しか知らない。いわく、悪い魔女――――『黒の聖女』と。
「たとえばステータスの『力』について、どう思う? 力って一言で言っても身体の様々な箇所があるよな。じゃあ、冒険者カードや『解析』で見える『力』は全体の平均なのか、それともどこか一部分だけが記されているのか、お前はわかるか?」
「……っ」
こんな当たり前のことを疑問に思わなかった自分に、レナは衝撃を受ける。
「……つまり」
「『魔力』もそうだ。MPは魔力量ってことでいいとして、ステータスに記されている『魔力』は出力と抵抗、どっちだと思う?」
「……それはっ」
「普通なら出力なんだろうな。でも、魔力の高い奴は総じて魔法に対する抵抗も高い」
あまりの情報に、レナの頭の中はパンクしそうになる。
これまで当たり前に使われてきた、ステータスに対する価値観が崩壊するに等しい内容であるからだ。
「サクラも時間がなかったんだろうな。それに多忙であったことも想像できる」
ユウの言葉を聞き流さないようにしながら、レナは情報を整理する。
「これまでお前よりレベルの高い魔物を相手に勝ったことあるだろ? それは別に不思議なことでもなんでもない。お前のほうが強かっただけだ」
頭を殴られたかのようにレナは衝撃を受ける。
「まさか……自分が天才だから勝てたとか思ってないよな?」
「……………………ぅん」
自分が超天才だからこそ、格上の魔物が相手でも勝てたと思っていたレナの返事は小さかった。
「フーゴは格上だが、戦う前から負けを認めるな。お前が思っているほど、フーゴとの差はない」
「……私は負けてない」
「そうか」と、レナは自分の身体に力が漲ってくるのを感じ取る。
(……私とフーゴに差はない)
差がないとはユウは一言も言っていないのだが、それでもレナの中で重くのしかかっていた不安が散っていく。
そして――――
(それでもフーゴのほうが格上なのは間違いないんだけどな)
――――半分は嘘でもあった。
ユウから見て、レナとフーゴ双方のステータスや戦闘スタイルに経験――――全てを加味して戦うとなれば。
(9:1――――甘めに見ても8:2でフーゴが勝つな)
このわずかな期間で、どこまで鍛え上げれるか。
ユウはレナの様子を窺う。
「……隙あり」
レナは黒魔法第6位階『フレイムテンペスト』を至近距離で発動させる。炎の大嵐が広範囲にわたって暴れ狂う。
「……やっぱり」
完璧に不意を突いたはずなのに、そこにユウの姿はなく。レナはユウを求めて周囲を捜す。
最初と同じように空高くにユウの姿はあった。
「少しはやる気が出てきたみたいだな」
「……遠慮なく、かかってきて」
「俺のセリフだろうが」
性懲りもなく――――否、こういう性格だからこそ、レナは成長をし続けてこれたのだろうと。ユウは冷静に分析しながら、攻撃を仕掛ける。
「……っ」
一瞬にしてレナの視界からユウの姿が消える。
フーゴを想定しているユウは剣での攻撃を仕掛けてこない。それでもレナの身体能力では対応しきれない速さで動き、肉弾戦と魔法を織り交ぜた攻撃を仕掛けてくるのだ。
「……はああああああっ!!」
黒魔法第7位階『雷神』――――空より巨大な雷が、ユウ目掛けて降り注ぐ。これにはさすがに素手で受け流すことはできないと、ユウは結界を使って軌道を逸らす――――だが、そのすぐ後ろに一回り小さな『雷神』が隠れていた。
「へえ」
感心したような声を漏らし、ユウは二発目の『雷神』を苦も無く一発目と同じように受け流した。
「……くうぅぅぃっ!!」
第7位階という高位の魔法も、ユウにダメージを与えることはできないとわかっていたのか。レナは『雷神』の連発を目眩しに、本命の魔法を放つ。
「あのバカっ。今度の模擬戦が室内だって、わかってんのか」
雲を突き破って墜ちてくる古代魔法第9位階『雷公・鋼杖墜葬』を見ながら、ユウは呟く。
速度は十分に躱せる――――だが、ユウの周囲を幾つもの球体が囲んでいた。黒魔法第6位階『獄雷』を、球状に変化させたものである。
無数の高エネルギー体である『獄雷』が不規則な軌道を描きながらユウへ迫る。そして――――本命の『雷公・鋼杖墜葬』が『獄雷』ごとユウを飲み込んだ。轟音とともに大地へ巨大な穴を穿ち、黒煙と粉塵を空高くまで舞い上げる。それをさらに上空から見下ろしながら、レナは自分のもたらした破壊痕ではなく、ユウを捜す。
これほどの魔法を放っておきながら、信じているのだ――――ユウが生きていると。
「……私の勝ち…………?」
無数の高位魔法で取り囲み、そこにさらにより高位の魔法を叩き込んだのだ。もしかしたら、初めてユウに勝てたかもとレナが思ったそのとき――――
「そんなわけないだろ」
「……え?」
頭上からレナの頭部へ拳を振るわれて、レナが落下していく。落下する身体を白魔法第7位階『フライング』で無理やり急停止すると、レナは見上げながら目測で魔法を放つ。
「意味もなく魔法を放つな」
「……がふっ」
レナの横っ腹にユウの拳が深々と突き刺さる。
血と唾液を宙に撒き散らしながらも、レナは黒魔法第2位階『ファイアーウォール』を六面――――全方位に展開し、目眩しとして使う。
(……強い)
目眩ましの『ファイアーウォール』を突き破って姿を現したユウが蹴りを放つ。それを回転する『結界』で受け流そうとするも、結界を削ぎ落としながら蹴りがレナの顔を打ち抜く。
(……本当に、強い)
自惚れていた。
勝手に自分は魔法を極めつつあると、今は勝てない強者たちも、いずれレベルが上っていけば、スキルやMPに魔力が増えれば、自然と勝てるようになると。なんの根拠もなく、漠然と思い描いていた。
ユウの放った黒魔法第3位階『轟炎』が――――通常の数十倍はあろうかという巨大な炎の玉が、結界ごとレナを吹き飛ばす。
(…………ぁぁっ)
地面の上を跳ねるように転がりながら、レナは風と水の魔法で火の鎮火と新鮮な空気を肺へ取り込む。
(………………なんて)
体勢を立て直す間もなく、ユウが放った追撃の黒魔法第3位階『ストーンランス』が襲いかかる。並の者であれば、数本も同時展開できれば上出来な魔法を、ユウのは千を超える数であった。
(…………………………しぃ)
本格的にユウが攻勢を開始すると、レナは反撃するどころか防戦するのも難しくなる。元来、防御より攻撃を重視するタイプであったレナは、全てにおいて自分を上回るユウを前に、なにもできなくなる。
「今日はこの辺でやめとくか?」
どれほど時間が経過したのだろうか。
気がつけば、日が沈みかけていた。
全身ボロボロで血なのか土なのかわからない汚れが、レナの顔や全身を覆っていた。
格闘による打撲や骨折、火や氷を始めとする様々な属性魔法によって、レナの全身は治療が追いつかないほど痛めつけられていたのだ。
だが――――
「……やめる?」
――――レナは立っていた。そして、なぜか笑みを浮かべていたのだ。
「お前、笑ってるのか?」
「……どうして、こんな楽しいことを、やめないといけないの?」
地形が変形し、クレーターとなった大地にしっかりと二本の足で立ちながら、レナは微笑んだ。




