第399話:流言④
「今回の模擬戦。多くの貴族や富豪が訪れると予想されている。そりゃAランクになったばかりの新鋭『巌壁』のフーゴ・ヒルシュベルガー、一方はあのネームレスにクラン設立時から在籍しているレナ・フォーマと知れば興味を持つなって言うほうが無理ってもんだろ? しかもあんたとレナには因縁まであるときた。
あんたも知ってのとおり貴族や金持ちってのは平民より賭け事が大好きだ」
フーゴが思案している間も冒険者の男は聞きもしていないことをペラペラと喋る。
「すでにそれを見越して多くの胴元が動き出してるってわけよ。名は明かせないが、俺はそん中の一人に雇われたってわけさ。
そこで気になるのが噂のことよ、最初から勝敗が決まってるなんて白けるからな」
(なんてことだ。これでは計画に――――)
「で、だ。再確認させてもらいたいんだが、今度の模擬戦でわざと負けるつもりじゃな――――げがぁっ」
「黙れ」
静かな声であったのだが、有無を言わせぬ力が込められていた。同時に男の両頬をフーゴは鷲掴みする。とても生粋の後衛職とは思えぬ膂力に、斥候職の男は振りほどくこともできずに顔中から汗を滴らせながら息を呑む。
「どうして俺が負けないといけないんだ。金に薄汚いお前らは黙って見てればいいんだよ」
一時は貴族に仕えていたにもかかわらず、フーゴは失念していた。貴族の傲慢さ、薄汚さを。忠義や高潔さを謳いながらも、その裏では平気で凄惨な真似をする者たちであることを。
近隣の貴族や富豪を呼び集めて開催される模擬戦なのだ。普段のフーゴであれば、多くの金や物が動くことは容易に想像できたはずであった。
公的に認められているギャンブルから富裕層を対象とした非合法なギャンブル――――フーゴとレナを対象とした賭け事が始まっており、すでに多額の金銭が動いているのだ。
胴元の背後には間違いなく貴族がおり、この冒険者は警告の意味を兼ねて確かめに来ていることにフーゴは気づく。
つまり――――不正があれば、わかっているだろうな、と。
連日の似合わぬ演技やムッス侯爵への根回し、さらにはランポゥを始めとする強者との戦いで心身ともに疲労していたために、フーゴはそこに思い当たる余裕がなかったのだ。
さらに――――
(この噂を流したのはおそらく――――どういうつもりなんだっ)
心の中で舌打ちを鳴らしながら、フーゴは拘束していた男を解放する。男は怯えた様子を見せながらも、もし『ネームレス』――――ユウが接触してくるようなことがあれば力になると、連絡先を書いたメモを残して去っていく。
※
「ひんっ」
冒険者ギルドの一室で、情けない悲鳴を上げている少女が一人――――コレットである。
昨日から冒険者ギルドに泊まり込んで書状を書いているのだ。
「情けない声を出さないでよ。こっちまで滅入ってくるでしょうが」
休憩がてら様子を見に来たのはフィーフィである。
「フィーフィさ~んっ」
助けを求める目で訴えるコレットを黙殺して、フィーフィは書状に目を通す。
「あら。そこ誤字よ」
「えっ。嘘っ!?」
「あらら。ここも」
「ひえっ」
絶望したような顔で書き上げたばかりの書状を、コレットは穴が空くのではないかというほど凝視する。
「あと文法も間違ってるわよ」
「で、でもいつもは――――」
「これって貴族宛なんでしょ? なら、いつもの商人向けの文法じゃまずいことになるわよ」
コレットの身体が石になったかのように固まる。
「そもそもなんでコレットが、こんな書状なものを書く羽目になってるのよ。相手は貴族なんだから、本来はギルド長が書くものでしょうが」
呆れながらも書状に一通り目を通したフィーフィが苦言を呈する。
「エッダさんの……せいなんです。私はとばっちりで罰を受けているんですよっ。フィーフィさん、酷いと思いませんか?」
「げっ。エッダが関わってるの!?」
露骨に不快そうな表情をフィーフィは浮かべると、触らぬ神に祟りなしとばかりに部屋から逃げ出そうと――――できなかった。
「なによ、コレット。私、これから休憩なんだけど?」
コレットがフィーフィの腰にしがみついていた。
「だ、だすげてくださいっ!」
「ちょっ!? 鼻水っ! 鼻水が私の服につくでしょうが!」
「ごのままじゃ、ぐすっ、大変なごとになっちゃうんですよっ!」
「もう! どうせエッダの無茶ぶりに素直に従ったんでしょうが。ああいうのは放っておけばいいのよ。あんたってば、無駄に真面目なんだから」
「あうっ」
フィーフィはため息をつきながらコレットの額をペシペシと叩くと、放しなさいと促す。
「言っとくけど、この貸しは高いからね」
「ブィーフ゛ィざん゛っ」
「だから鼻水っ!?」
先ほどまで死んだ魚のような目をしていたコレットは、目を輝かせながら神でも見るかのようにフィーフィに抱きつく。
「それで肝心のエッダはどこにいんのよ?」
「ひっぐ……ムッズ侯爵ざまのところです」
「あー……大丈夫かしら」
小さな子供みたいに泣くコレットをあやしながら、フィーフィは心配する。それが冒険者ギルドを思ってか。もしくはエッダのことなのか。それとも――――書状のことで頭が一杯のコレットには気付くことはできなかった。
※
「あんた、正気か?」
まだ傷が癒えぬのだろう。身体中に包帯を巻いたランポゥが信じられないといった面持ちで、事前に連絡も寄越さず貴族――――それも五大国の一つ、ウードン王国の侯爵の爵位を持つ高位貴族であるムッスの邸宅へ押しかけてきたエッダに問いかける。
「あら? なにかおかしな点でもあったかしら」
とぼけた様子で顎に人差し指を当てながら、エッダは首を傾げる。
「ランポゥ、少し落ち着いたほうがいい」
ランポゥを始めとする『食客』に護衛されながら、ムッスは苦笑する。エッダに常識が通用しないのは今に始まったことではないからである。
「はい……」
窘めるムッスの言葉に、ランポゥは渋々ながら引き下がる。だが、納得がいかないのはランポゥだけではなかった。巨人夫妻のヤークムとローレンは殺気を隠そうともせずに、先ほどからエッダへ叩きつけているではないか。ゴンロヤとプリリも表面上は平静を装っているのだが、内心では面白くないのだ。『食客』の実に半数が、ムッスに対して敬意を払うどころか軽んじている素振りさえ見えるエッダのことを快く思っていない。
「エッダ、冒険者ギルドの施設内で模擬戦をするのは構わない。私に冒険者ギルドをどうこうする権利などないからね」
「まあ。さすがはムッス侯爵、話が早くて助かります」
スカートの裾を軽く持ち上げて、エッダはカーテシーの動作と言葉で礼を述べるのだが、その態度があまりに慇懃無礼なためにランポゥとヤークムのこめかみに青筋が浮かび上がる。
「話はまだ終わっていないよ」
さっさと帰ろうとするエッダの背に向かって、ムッスが呼び止める。その際に振り返ったエッダの顔には「面倒くさいわね」と書いていた。その態度がますます一部の『食客』を苛つかせる。
「冒険者ギルド内だけなら私も気にはしない。だが、近隣から貴族や富裕層を多く招くそうじゃないか」
「素晴らしいことです」
両手を合わしながら、エッダは微笑む。その顔を一瞥して、クラウディアは「うぇっ」と気持ち悪そうに目を逸らす。
「カマーへ多くの富裕層が訪れることで、多額の金銭を落としていってくれるでしょう」
「そんな簡単な話じゃない。こちらにも予定というものがあるんだ」
「ムッス侯爵閣下は冒険者ギルドに許可だけくださればいいんですよ? 私どもとしても、それ以上は過分であり望んでいません」
侯爵で十分に敬称であるのに、さらに閣下をつける。傍目からすればエッダがムッスを煽っているようにも見えるだろう。
「そうはいかない。貴族や商人を始めとする有力者が来訪するなら、私も無下にするわけにはいかない」
「ええ……」
露骨に嫌そうな顔をエッダはする。ランポゥやヤークムは今にも飛びかからんばかりの形相でエッダを睨んでいるではないか。この場にムッスがいなければ、実行に移していたに違いない。
「ムッス侯爵閣下も参加したいと?」
「できれば冒険者ギルド側から要請という形にしてもらいたい」
「まあっ。ワガママですね」
「こ、この女っ!」
飛びかかろうとしたランポゥを、後ろからゴンロヤが羽交い締めにする。
「汚い言葉をはくのはやめていただけるかしら。そもそも、よそ者の冒険者に突っかかって簡単にあしらわれた誰かさんのせいで、冒険者ギルド・カマー支部まで軽んじられる始末になったことを理解しているのかしら」
「殺されてえのか?」
「二度目よ」
口調が変わったわけではない。
ただ、エッダが一言口にしただけである。それだけで、部屋の温度が急激に下がったかのような錯覚をする。
クラウディアとララはすでにエッダから距離を取っており、プリリとローレンはムッスを護るように前へ移動していた。
「いい?」
エッダがゆっくりとランポゥへ近づいていく。
(か、身体が動かねえっ)
「エッダ、やめるんだ」
「こんな場所で暴れませんわ」
緊張した面持ちで制止するムッスの前を素通りして、エッダはランポゥの前まで移動する。ランポゥと一緒に身体が固定されているゴンロヤは、必死に抗おうと身体を振るも微動だにしない。
「先達には敬意を払いなさい。えいっ」
可愛らしい掛け声とともに、ランポゥの額にエッダのデコピンが放たれる。しかし――――
「ぎゃあ゛ぁっ!?」
――――とんでもない衝撃音が部屋に響き渡る。
そして、あまりの激痛にランポゥが叫び声を上げた。
何十年も冒険者として活動し、痛みになど慣れているはずのランポゥが耐えられないほどの痛みだったのだ。
「わぁ……痛そう」
「自業自得だわ」
ララがポツリと呟き、クラウディアは「馬鹿はやっぱり馬鹿のままだわ」と呆れ果てる。
「お、おいっ。ランポゥ、死んでねえよな?」
背後からゴンロヤが声を掛けるともランポゥの反応がない。
「大袈裟ねえ。ちょっと額の骨に穴が空いたかヒビが入ったくらいでしょうに」
デコピンを放った右手をプラプラさせながら、エッダは「本当に弱いのね」と同情するように呟く。
「ムッス侯爵閣下、冒険者ギルドから模擬戦の観覧要請を送らせていただくということで、よろしいですわね?」
「あ、ああ」
引きつった笑顔でムッスは頷く。
嵐のように来訪し、そのまま去っていったエッダを『食客』たちは黙って見送る。賢いクラウディアやララはエッダに敵対するような真似はせず、歴戦の猛者であるヤークムとローレン夫妻も、表立っては戦う構えを見せていても、実際には勝てぬ戦いをするつもりはなく。あくまでムッスの護衛という立場を貫いたのだ。
結局、相手の力量を見抜けなかったランポゥ一人が割りを食う羽目となった。
「ちょっといいかしら? 模擬戦は私も見に行くからね」
「君もかい?」
「あんたが護衛だなんだで連れ回したせいで、ジョゼフに頼まれていたのにユウを護れなかったんだからね。
私が知らないとでも思ってるの? つい最近、ユウと死徒が戦ったんでしょうがっ! もしこれでユウが死んでたら、私がジョゼフになんて言われるかわかっているのかしら!」
プンプン怒るクラウディアに続いて「そうそう」とララも同意する。
「それは悪かったね」
肩を竦めながら謝罪するムッスであったが、微塵も悪いとは思っていなかった。
なぜなら――――
(わざと連れ回したんだよ。そうしなければ――――)
もし、ムッスがクラウディアとララ、それにテオドーラを護衛という名目で連れ回さなければ、アリヨとの戦いに参戦していたララとテオドーラは死亡、クラウディアも生死がわからぬほどの重症を負う未来が、ムッスには視えていたのだ。
「おどりゃ! その口の利きかたはなんじゃっ!!」
「あー、うっさいうっさい。あんた、ただでさえ無駄にでかいんだから、もっと隅っこで縮こまってなさいよね!」
「こんの小娘が!」
「父ちゃんに向かって、なんてこと言うんや!!」
「はん! 一人じゃ私に勝てないからって嫁に助けてもらうの? 情けない男ね! ララからも――――ララ?」
クラウディアとヤークムの口喧嘩がよほど煩かったのだろう。ララはすでに部屋から逃亡していた。
罵倒し合うクラウディアたちを見ながらムッスは考え込む。
(それにしても――――第二死徒、第四死徒、さらには第五死徒までその場にはいたというのに、ユウは生き残ったのか……)
配下からの報告書から、ユウを襲撃した者たちの素性はある程度の予想はついている。事前に食客たちをカマーから散らしていたのもよかった。限りある手駒を減らすことなく、ムッスは危機を切り抜けることができたのだから。
(いよいよ手がつけられない存在になってきたな)
誰のことを思ってか。
ムッスは思考の海へ沈んでいくのであった。




