第397話:泣き虫
冒険者ギルドでレナとフーゴが邂逅する一時間ほど前、ユウは都市カマーのスラム街――――アルコムの拠点にいた。
「わかりましたよ」
警備会社アルコムを任されているエイナルは、ソファーに腰を下ろしながら対面に座るユウに向かって報告する。
日々の激務のせいで、無駄な贅肉をこそぎ落としたかのようにエイナルの身体は絞れている。普段から身なりに気を使うようユウから言われているので、髭の手入れは怠ってはいないし、着ている制服もスラム街の住人が身に纏うには上等すぎるほど清潔で目立った皺もない。
「早かったな」
わずか数日でよそからスラム街を訪れた者の正体を突き止めるとは、通信機器も満足に設置されていない世界では驚くべき速さだろう。
「これがアルコムの実力です――――と、言いたいところなんですが、あの野郎が有名なんですよ」
「そうか」
相槌を打ちながら、ユウはエイナルの言葉に納得する。あれほどの強者が無名なわけがないと。
「あの野郎は――――フーゴ・ヒルシュベルガーは冒険者です。それもAランクの『巌壁』とかいう二つ名で呼ばれるソロ専の冒険者らしいっすわ」
「ソロ専?」
「なんでも独りで冒険をする変わり者のことをそう呼ぶそうです。傲慢だったり、協調性のない奴に多いそうなんですが」
「フーゴは違うのか?」
「へいっ。なんとも冒険者らしからぬ野郎みたいで」
「お行儀がいいのか?」
「ボ――――いでっ、サトウさんの仰るとおり品行方正みたいですね」
額に魔力弾を当てられたエイナルが、赤くなった箇所を撫でながら答える。
「冒険者ギルドからの評判も、平民からの評判も、どれも好評で中には平民の聖人なんて呼ぶ者もいるそうで」
この世界の聖人はジョブによって就くことができるのだが、その強大な力は平民のためではなく、多くは権力者のために振るわれる。このことからもわかるように、フーゴは貴族などよりも平民のために己の力を活かしてきたのだろう。
これまでのフーゴの活動をエイナルの口から聞いたユウの口から出た言葉は。
「とんでもないお人好しの馬鹿だな」
心の底から出たユウの言葉に、エイナルはわずかに驚いた表情を浮かべる。そしてなにか言いたそうに口をモゴモゴと動かすのだが、やがて諦めるように愛想笑いで誤魔化す。
「他にも情報はあるのか?」
「十年以上前に貴族同士の諍いで代理戦争みたいな模擬戦をやってるみたいです。その相手なんですが……」
「どうした?」
言い難そうなエイナルに、ユウは続きを促す。
「相手は、その、レナさんの父君みたいで」
「レナの父親?」
「へいっ。それもちょっとしたトラブルがあったみたいで、それが原因でフーゴは卑怯者なんて呼ぶ者もいたそうです。ただ、その件に関しては両者の貴族が否定しているので、すぐに悪い噂も消えたみたいですが」
詳細な話をエイナルから聞いたユウは、フーゴが都市カマーに訪れたのは偶然ではない可能性が高いと判断する。目的は十中八九でレナだろう、と。
※
「クソっ、遅かったか!」
噂を聞きつけた冒険者の一人が、ロビーを見渡して悔しがる。
「へへっ。あんな面白い見世物を見逃すとはツイてなかったな」
「どうだったんだ?」
「詳しく教えてくれよ!」
「どうしようかな~」
「キモいんだよ。勿体つけずに教えろや」
「なんだてめえっ! その態度はなんだ? ああっ? ここは教えて下さいって頭下げるところだろうが!」
「うっせえ!!」
フーゴとレナの争いを見ていた者や見逃した者たちの間で、冒険者ギルド内はまた騒がしくなる。
都市カマーの冒険者ギルドでは、それは日常的な光景なのでそれは気にする必要はないのだが。
「Aランク並の強さって聞いてたけど、やっぱ本物を相手にすればこんなもんなんだな」
「そうだな。期待外れっていうか、まあこれが当たり前の結果なんだろうな」
「今までが過大評価なだ――――っ」
そこで陰口を叩いていた者たちは口を噤む。
アガフォンたちが睨みつけていたからではない。
急な悪寒に襲われたのだ。
原因はユウである。見もせずに、冒険者たちに圧力をかけ萎縮させたのだ。陰口を叩いてた者たちは、用事を思い出したとか言いながら慌てて冒険者ギルドを去っていく。
「どうする?」
あらぬ方向を見ながら呟いたユウに言葉は誰に向かって問いかけたものであったのかを、誰もが理解していた。
「無理なら俺から断りを入れとくぞ」
黙って俯いていたレナの身体がビクリっ、と震える。
その言葉の意味することを理解していたのだ。
「……その必要はない」
「なら、フーゴと戦うんだな?」
「……私は負けないっ」
勢いよく立ち上がると、レナはユウの顔を見ずに――――否、見れずに冒険者ギルドから逃げるように駆け出す。
「レナっ、待ってよ~!」
そのあとをニーナが慌てて追いかける。
「ユウさん、いいんすか? レナさんのことを放っておいて」
いつもふてぶてしい態度のアガフォンが、恐る恐るといった感じでユウに問いかける。
「なんで?」
「えっ。なんでって、その……さっきの見てましたよね?」
「心配するな。お前らが気にする必要はないから、そっとしてればいい」
平然と言ってのけるユウの言葉にアガフォンのみならず、フラビアたちもなぜか不思議と安堵してしまう。
「そうっすか。それなら、このあと迷宮で手に入れた素材を売って飯でも行こうって話してたんっすけど、ユウさんもどうですか?」
「俺はこのあと行くとこあるからダメだぞ。大体、その前にその臭いをなんとかしろよ」
「臭い? もしかして俺って臭いっすか?」
「お前だけじゃない。お前らだ。多分、嗅覚疲労かなんかで鼻がバカになってんだろう」
「うへぇっ」
「とにかく一度、風呂に入ってから行けよな」
自分の身体を嗅いでいたアガフォンだけでなく、フラビアなどの女性陣も焦った様子で自分の身体を嗅ぎ始める。
「オドノ様っ」
「今回は良くやってくれたな」
「うん!」
アガフォンたちの探索に同行したナマリとモモを労うかのように、ユウはナマリたちの頭をポンッ、と軽く叩いた。
「ところでクロは?」
「置いてきたっ!!」
「え? なんで?」
笑顔から一転して怒った表情で、ナマリとモモは置いてきたことを主張する。
「だって、クロってばサボってたんだもん!」
「アガフォンたちのことを放ってたのか?」
「そう! なんかね。キンの強さを知らなかったみたいで焦ってた」
モモが「そうなの!」と言わんばかりに、ナマリと同調して両腕を挙げる。
「なんでキンが強いとクロが焦るんだよ」
「わかんないよ。でも、某の立場がどうこう言ってた」
「それで置いてきたのか?」
「あとね。変な奴が話しかけてきた」
“変な奴”というナマリの言葉にユウが反応する。
「前にトーチャーを閉じ込めてた奴がいたでしょ?」
「腐敗のドンドコラポォか」
以前ユウは『腐界のエンリオ』最下層で『腐敗のドンドコラポォ』と呼ばれる高位天魔を倒したことがあるのだ。その際になぜか同じ天魔でありながら囚われていたトーチャーを解放することによって、今ではトーチャーはユウのもとに居着いている。
「そいつ! そいつの上司? とかいう奴がね。トーチャーを返してほしいって言ってきた」
「その話はアガフォンたちも知ってるのか?」
「ううん。なんかね、念話ってので俺とクロにだけ話しかけてるって言ってた」
(高位の天魔ならナマリたちだけに念話を飛ばすことも容易いだろうな)
ユウが考え事をしている最中もナマリは一生懸命に話を続けていた。
「でね、困るんだって」
「トーチャーを返さないと?」
「うんっ。でもそんなの俺に言われても困るって言ったんだけど、しつこかったから、そんなに言うのならオドノ様を連れてくるからって言ったらね」
威厳のあるフリをしているのだろう。ナマリもモモもそのときのことを思い出しながらつま先立ちしながら両腕を掲げて話す。
「それも困るんだって」
「なんでだよ」
「なんかもっと上の人に知られたら? 怒られるから、トーチャーをそっと返してほしいんだって。それで、クロがふざけるなって怒って、最下層まで行ってくるって勝手に決めたから置いてきた」
「なんだそれ」
ナマリの話だけでは詳細がわからなかったのだが『腐敗のドンドコラポォ』は高位天魔である。ユウ自身も苦労してやっと倒したほどの相手だ。その天魔の上となればどれほどの相手になろうか。しかも、ナマリの話からすればさらに上の者がいる様子が窺える。
「まあいい。とにかくお前とモモは良く頑張った。アガフォンたちも無事に戻ってきたしな。大したもんだ」
「うん!!」
『腐界のエンリオ』にいるであろうクロの視覚と同調しながら、ユウはナマリとモモを褒め称えるのであった。
※
「ニーナさん、なにかあったんですか?」
「えっと……ちょっとね」
メラニーは戻ってきたレナに声を掛けるも、レナは聞こえてない様子で一目散に自室へ引き籠もってしまったのだ。
「少しだけそっとしてあげてくれないかなぁ」
「わかりました」
「ごめんね」
困った様子で謝るニーナに、なにか察したメラニーは気にしないでくださいと気軽に答える。
「……」
自室に戻るなりレナは倒れ込むようにベッドにうつ伏せにダイブする。
様々な感情で、レナの心の中はグチャグチャであった。
「…………」
この日のために鍛え上げてきたはずなのに、結果はどうだ。
無様な姿を衆目の前で晒し、憎きフーゴには一矢を報いるどころか手玉に取られたのだ。
それに――――
「………………っ」
あのときのユウの顔だ。
心配そうにしていた。
レナだからこそ気付けるくらいにわずかな変化であったのだが、間違いないとレナは確信していた。
「……………………ぅっ」
ルーキー狩りに、もう無様な姿を晒さないと決めていたのに、再び醜態を晒すことになろうとは――――それもよりにもよってユウの前で。レナは自分が許せなかった。
「…………………………うぅっ」
我慢の限界に達したのだろう。
ついに堪えていたレナの眼から涙が溢れ出してしまう。
「ううっ、くや……っじぃ…………負げたぐっ……なかっ、うぅっ……たのに゛っ!!」
声を殺しながら泣くレナは、その日は部屋から出てくることはなかった。




