第393話:足りないもの
ユウが都市カマーにある孤児院や警備会社アルコムなどへ、視察という名の寄り道をしていた頃――――
「おりゃあああっ!!」
掛け声とともに、アガフォンが大剣を振り下ろす。だが、対するオーガ・ロードは同じく剣で打ち返し、膂力で負けたアガフォンの身体が泳ぐ。
心の中でアガフォンは「まずっ!」と叫ぶ。自身の頸の辺りに漂う濃密な死臭を嗅ぎ取ったのだ。
「はあああっ!!」
両者の間に割って入ったのは、盾職のモニクである。自身の倍以上もの体躯を誇るオーガ・ロードを相手に恐れず立ち向かう姿は、さすがは盾職と言える胆力であろう。
だが、モニクは来ると思っていた斬撃が来ないことに困惑する。盾越しにオーガ・ロードの様子を窺うと、剣ではなく左腕を振りかぶっていたのだ。
(魔法っ!?)
オーガ・ロードの手のひらに巨大な火球が展開される。
(無詠唱!? 詠唱破棄!? ロード種とはいえ、アンデッドになったオーガが魔法をっ!? 不味いっ。私が耐えられる? 後ろのアガフォンまで巻き添えに?)
刹那の間に様々な思考が、モニクの脳裏を駆け巡る。
火球がそのまま頭上より落ちてくるかと思ったそのとき――――
「ぬごおおおおっ!!」
横から盾を構えたエッカルトが盾技LV1『シールドチャージ』でオーガ・ロードを吹き飛ば――――なかった。信じられないことに完璧に不意をついた攻撃であったにもかかわらず、オーガ・ロードは体勢を崩しはしたものの、その場に踏みとどまっていたのだ。
「いまだどっ!!」
その合図とともに、エッカルトへ火球を投げつけようとしていたオーガ・ロードの首が後ろへ落ちていく。
背後から音もなくオーガ・ロードの頸に鋼糸を巻きつけたラリットが、一気に鋼糸を引っ張ったのだ。それでもアンデッドとは思えない強度を誇るオーガ・ロードの皮膚や筋肉に、ラリットは驚きを禁じ得ない。
「アカネっ!」
「えっらそーに」
首を切り落としてもラリットは油断しない。すぐさまアカネへ追撃の指示を出す。
不満を隠さないアカネが妖精魔法を発動――――穢れた大地から生えてきた何本もの木々が、頭部を失っても動くオーガ・ロードの身体に突き刺さり、そのまま体内で暴れ回る。
「エッカルト、でけえ声を出すんじゃねえよ! 相手がアンデッドとはいえ、不意打ちの意味がなくなるだろうが」
「グシシッ」
オーガ・ロードのアンデッドを見事に倒したラリットたちは、油断なく周囲を警戒している。
なぜなら、ここは『腐界のエンリオ』第六十七層だからだ。遭遇する魔物との戦いは一戦一戦が死闘で、わずかな油断が死に繋がる場所である。
「ちょっと! しっかりしなさいよね」
「ぐうっ」
アカネからの叱責に、アガフォンは不満そうにしながらも言い返さない。
「あっちも終わったみてえだぞ」
ラリットの言葉に視線を向ければ、少し離れた場所で複数のオーガ・ジェネラルと戦っていたオトペたちが戻ってくる姿が見える。オトペをはじめに、誰もが満身創痍である。
オーガ・ロード率いるオーガ・ジェネラルたちのパーティーが手強いと見るや、ラリットの判断でオーガ・ロードとオーガ・ジェネラルたちのパーティーを分断して戦っていたのだ。
「ラリットさん、俺らってまだまだですか?」
地面に座り込んで、ベイブに傷を癒やしてもらっているアガフォンがラリットに尋ねる。
「なんとも贅沢な悩みだな」
そんなアガフォンの言葉をラリットは笑い飛ばす。
「俺は真面目に聞いてるんっすよ」
先ほどのオーガ・ロードとの戦いも、ラリットやエッカルトがいなければ、勝てたとしても何人かは死んでいたとアガフォンは判断したのだ。
相手がオーガ・ロードとはいえ、アンデッドと化し知能も肉体も劣化している相手に対して、アガフォンは剣の腕でも膂力でも相手にならなかったのだ。
「わかってる。だがな? ここをどこだと思ってるんだ。Bランク迷宮『腐界のエンリオ』の、それも六十七層だぞ。普通なら大手のクランが何十人もの人員を動員してやっと来れるような場所を、俺やエッカルト、それにニーナちゃんたちがいるからってたかが十四~十五人で来れるだけで、どれだけ凄えことかわかってるのか?」
アガフォンの頭の上に寝そべっていたアカネが「そうよ。いつまでしょぼくれてんのよ」と発破をかける。
だが、アガフォンの視線の先ではニーナたちが戦っている姿が視界に映る。
「よし。治療が終わったのなら、もう少し離れるぞ」
「ここでも危ないんですか?」
優に二百メートルは離れている場所なのにと、小人族のヤームが尋ねるのだが。
「あの巨人はやばいど」
エッカルトは遠く離れた場所で轟音を立てながら戦う巨人を見ながら呟く。
身長二十メートルを超える巨人のアンデッドは、四腕四脚の異形の身であったのだ。
「おっ」
「にゃっ!?」
「わ、わわっ」
獣人のアガフォンやフラビア、それに遅れてハーフ・オークのベイブが反応する。
彼らは獣人が持つ危機感知能力によって、他種族よりも早く危険を嗅ぎ分けるのだ。
「アカネ、しっかり掴まっとけよ!」
「みんな、逃げるにゃ!!」
アガフォンは立ち上がるなり、一目散で逃げていく。それに他の者たちも続いていく。こういったときのアガフォンの判断で間違っていたことはないと、彼らは知っているのだ。
そして、アガフォンたちがその場を離れて少しすると、大地が異音を出しながら変化していく。もし、もう少し逃げるのが遅れていれば、アガフォンたちは大地に取り込まれていただろう。
「お゛お゛お゛お゛お゛ぉぉぉ……」
大地を震わすような咆哮を上げながら、巨人の腕が地面を薙ぎ払う。大量の土砂や魔物の死骸を巻き上げ、巨大な腕がニーナに迫りくる。
「よっと」
巨人は決して鈍重ではない。
その巨体を軽々と動かすほどの身体能力を有している。
いま戦っている巨人もそれは同じで、アンデッド化してはいるものの高い身体能力で、四腕を高速で振り回しているのだ。
だが、ニーナはそんな巨人の攻撃を躱し、あるいは腕の上に駆け上がると、そのまま巨人の顔を斬りつける離れ業をやってのける。
「ぐお゛お゛おっ!!」
生前の記憶からなのか。痛みはなくとも、斬り裂かれた顔の傷を手で覆いながら巨人が絶叫する。
そして、肉弾戦では捉えられないと判断したのだろう。巨人の“本領”を発揮する。
「見ろ。巨人が本気を出すぞ」
高台まで避難していたラリットが、恐怖の籠もった声でアガフォンたちに見るよう伝える。
戦うだけが己を高める術ではない。ときには見取り稽古のように、高レベルの戦いを見るのも勉強になるのだ。
「俺たちがさっきまでいた場所がっ」
自分たちがさっきまでいた大地が、巨人の魔法によって粘土のように溶け、混ざり合っているのを見て、知らず知らずの内にオトペは身体が震える。
「レナっ、気をつけて!」
凄まじい速度で巨人から距離を取るニーナをよそに、空中から好き勝手に魔法で遠距離攻撃をしていたレナは、ニーナからの忠告に無言で頷く。
「あ゛ごあ゛ああ゛あぎぃああ゛あ゛あっ!!」
半ば腐っている喉や肺からは思うような声は出せないのだろう。巨人は言葉にならぬ言葉をはきながら、魔法を放つ。
発動したのは古代魔法第5位階『大地粘土槍々』、大地を粘土のように捏ね回し、槍を創り出す魔法である。ただし、この巨人が発動した規模は人族の常識からはかけ離れていた。
巨人を中心に半径三百メートルの大地が粘土化し、無数の槍を創り出したのだ。槍と言っても、その大きさは桁違いで、人族からすればちょっとした塔ほどもある巨大な槍である。それが一斉に、ニーナやレナに向けて放たれたのだ。
「うわ~」
気の抜けるような悲鳴を上げながら、ニーナは土槍を躱していく。躱した背後では爆発でもしたかのような轟音を上げながら、大地に巨大な穴が空いているではないか。
一方のレナは何重にも展開した結界で凌ぐのだが。
「……っ」
『大地粘土槍々』は大量の土を槍と化して放つ単純な魔法であるが、質量はそのまま威力に転化する。
回転する結界で槍の軌道をそらすレナであったのだが、その威力は凄まじく。そらしてなお、レナの結界を抉っていく。それも一度に何枚もの結界を持っていくのだ。
「……私は負けないっ」
このまま結界を回転させて受け流す方法では、やがてジリ貧になると判断したレナは全方位へ展開していた結界の回転を解き、前方へ角度をつけた結界を展開し始める。当然、全方位の結界より、一部だけに絞った結界のほうが強力なのは言うまでもない。
しかし、この巨人が放つ魔法に自動追尾、もしくは巨人の意思によって軌道修正する効果があれば、レナは間違いなく死ぬだろう。
だが、レナは巨人とニーナとの戦いで、それはないと判断する。いや、した。
「……私は最強っ」
自分に言い聞かせるように、レナは結界に魔力を注いでいく。次々に巨大な槍が結界にぶつかると、その軌道を変えながらレナの後方の空へと消え去っていく。
「ぎごおあごっ!?」
レナの視界に、巨人が驚いた顔をしているのが見えた。矮小な者に、自身の魔法を凌がれ続けることに納得が――――いや、プライドが傷ついたのだろう。
だが、それはレナも同様であった。自身の結界の運用を変えたということは、即ち巨人の放った魔法に真正面からでは敵わないと認めることになるからだ。
「……今度はこちらの番」
いまだ槍が襲いかかるなか、レナは結界と同時運用で魔法を展開し始める。
『詠唱破棄』のスキルを持つレナがすぐに魔法を発動できないのは、今から発動する魔法が現在のレナの実力では使用できない位階の魔法だからだ。
レナが手に握る龍芒星の杖・五式に埋め込まれた五つの宝玉の内、風と水の宝玉が光り始める。同時に上空に黒雲が発生し、あっという間に拡がっていく。
緊張と興奮からか。レナの額を汗が流れ落ちる。
現在も巨人からの攻撃を受け続けている状況で、万全の状態ではないときにこの魔法を使うのは初めてだからだ。
しかし、レナは臆さない。
自分ならできる。できて当然と思っているからだ。
「……んんっ」
ミスリルの箒の補助があるとはいえ、空中での浮遊を維持しながら結界を、それも何重もの、そこに高位階の魔法を使うために複数の補助魔法と龍芒星の杖・五式の力を解放する。
この状況を他の後衛職の者が見れば、あまりの高難度に顔を青くしているだろう。
それでも、レナは薄く笑みを浮かべた。
そして、魔法が発動する。
黒雲を突き破って超巨大な鋼の塊が紫電を纏い、巨人に向かって落ちていく。
咄嗟に巨人は大地を変化させて自身を覆う巨大な防壁を創るのだが、それを意に介さず鋼の塊は防壁を貫いていく。
レナが発動した魔法は古代魔法第9位階『雷公・鋼杖墜葬』である。
以前はこの魔法を使用すると、全身に雷紋と呼ばれる痣が残ったものだが、今では両腕に残る程度にまでレナも魔法を使いこなしていた。
「……私の……か……ちっ」
ふらつきながら地上へ降下したレナは、自身がもたらした魔法の破壊痕に満足そうに頷く。
だが――――
「ごお゛お゛おおぉお゛お゛ぉぉぎがーっ!!」
半身を欠損しながら、巨人が大地より這い出てきたのだ。
凄まじい再生力であった。半ば千切れた身体を繋ぎ止めていたわずかな筋繊維が、逆再生のように巨人の身体を元に戻していく。
「……少しまず――――」
レナが言葉を言い終えるよりも速く、巨人の腕が振り下ろされる。
「がぁっ……ばっ!?」
確実にレナを叩き潰したかと思われた巨人の腕がへし折れていた。レナを護るように木々が張り巡らされていたのだ。
「……モモ、ありがとぅ」
レナの帽子から出てきたモモに、レナが礼を言う。
ただし、最後のほうは声に悔しさがにじみ出ていた。
「だおーっ!!」
そして、巨人にトドメを刺したのはナマリであった。
一撃、拳打で一発殴っただけで、あの強靭な巨人の身体は跡形もなく四散したのだ。
「レナ、油断しちゃダメだよ~」
「……してない。私は無敵」
「ええ~」
反省の色がないレナの態度にニーナは驚く。レナの頭の上でモモが「こら」とでも言うように、頭をペシペシと叩いていた。
そんなモモを無視して、レナはナマリを見る。
(……どうすれば今より強くなれる? 私にはなにが足りない?)
ナマリが見せた強さは、レナが少し努力したくらいで追いつけるようなものではなかった。
それに――――巨人と戦っているときにレナは見たのだ。もっと離れた場所でアンデッドの竜や、それを操る高位の天魔を相手に単独で圧倒しているクロの姿を。
今回の合同探索でユウが念のためにつけたのが、ナマリにモモ――――そしてクロであったのだ。
屈辱であった。
本来であればラリットやエッカルトよりも若く実力もある自分がアガフォンを指導するはずであったのに、現実はどうだ? ユウはレナでは不安だと言わんばかりにラリットたちに声を掛け、さらにナマリたちまで押し付けてきたのだ。
興奮した様子で駆け寄ってくるアガフォンたちの姿にも、普段であれば満足感を得られたのだろうが、今はそんな気持ちには到底なれない。
(……私は強い)
同年代でここまで魔法を使いこなす者など、まずはいない。それはレナだけではなく、他者も認めることだろう。
だが、レナは現状に満足していなかった。
自分はまだまだ強くなれるし、いずれは歴史に名を残すような魔法使いになれる。否、なるのだと。
(……ふふっ)
調子に乗っていた。
同年代など相手ではない。
天才――――超天才であるにもかかわらず、なお貪欲に腕を磨く自分の姿に。
(……ナマリには言い聞かせておかないと)
アガフォンたちの前で、レナの見せ場を奪ったことを、叱っておかねばとレナはウンウンと頷く。
「ラリットさん、今日で帰るんだよね?」
「そうだな。この階層に来るまでに、アイテムポーチがパンパンになるくらい素材から貴重な植物まで集めたからな」
「んだな。十分に探索はできだど」
アガフォンたちの探索に同行し、冒険者としてのノウハウを教え込むだけのつもりであったラリットたちであったのだが、一緒に同行したニーナたちが強すぎたのだ。結果、予想より深い階層まで潜ることになり、当然そこで手に入る魔物の素材や魔玉は高価値の物ばかりだった。
等分で割ったとしても、ラリットとエッカルトが手にする報酬は、思わず顔がニヤける金額になろうことは容易に想像できた。
「アガフォンたちも良い勉強になっただろ」
「ちえっ。俺なんて途中から良いところ一つもなかったぜ」
「そう言うな。お前らみたいな若いときから、こんな高難度の迷宮の、それも深い階層で戦う経験なんてなかなか積めないんだぞ」
「オデらも報酬に期待がでぎる。アガフォンだちも成長ができだ。それで良いど思うど」
人懐っこい笑みを浮かべる先輩冒険者のエッカルトの言葉に、やっとアガフォンたちも笑みを浮かべた。
「よっしゃ! じゃあ、このままギルドに行って精算して、そのあとは美味い飯でも食いに行こうや」
「俺が一番がんばったんだぞ!」
「そうだね~。ナマリちゃんが一番がんばったから、いっちば~ん食べていいんだよ」
「おお、おお。食え、俺が許すぞ!」
「オデも腹が減っだど」
「ぼ、僕もー」
「お前はいっつもだろうが!」
ベイブの言葉にアガフォンが肩を叩くと、皆が笑う。
「今回は収入も期待できるからな」
「おっ、ラリットさんの奢りっすか?」
「にゃっ!? ホントにゃ?」
「お前らだって金が、それも結構な大金が入るだろうが!」
「ええ~。でも、盟主が今回の稼ぎはラリットさんに渡すようにって言ってたにゃ」
「はあ~!? ユウがそんなこと言ってたのか? 俺とエッカルトは頭割りのつもりだったんだが……」
「んだな。オデからもユウには言っどくから、遠慮せず貰うといいど。だども、それはそれとしで、ラリッドには奢ってもらうどいいど」
「なにっ!?」
驚くラリットをよそに、アガフォンたちは飛び上がって喜ぶ。横でエッカルトがこそっと「オデも出すど」と耳打ちしていた。
「……なんでもいいから、早く帰りたい」
「そうだね~」
レナが呟くと、ニーナも同意するのだった。




