第391話:面汚し
都市カマー冒険者ギルド。
ウードン王国内でも屈指の冒険者数を誇る冒険者ギルドである。今日もいつもと同じように、一階のロビーでは多くの冒険者で賑わっていた。
「おい。聞いたか?」
「いきなり意味不明なことを抜かしてんじゃねえよ。聞いたかだけじゃ、なんのことやらわからねえわ」
ロビーの一角でクラン『鋼』に所属する冒険者が、同じクランメンバーのブリットへ話しかけるも、主語が抜けた言葉に素っ気ない対応をされる。
「へっへっへ。その様子じゃな~んも知らねえみたいだな」
だが、男は冷たい対応をされても堪えてないようで、むしろ嬉しそうに笑う。
「近頃、冒険者狩りが出てるそうだぜ」
「はあ? 冒険者狩りだと?」
一~二年前に都市カマーで噂になっていた新人狩りと称した冒険者狩りのことをブリットは思い浮かべる。
男の「どうだ、もっと詳しく知りたいだろう?」と言わんばかりのしたり顔にブリットは苛つくのだが、知りたい気持ちは事実としてあるので続きを話すよう横目で促す。
「数日前くらいから、冒険者かどうか尋ねて喧嘩を売ってくる野郎がいるんだとよ」
「冒険者かどうか尋ねるだと? てことは……傭兵には手を出してねえのか」
都市カマーで一旗揚げようと、意気揚々と進出してくる者の多くが考えることは大体が似通っている。それは至って単純なことで、誰彼構わず暴れるだ。それこそ相手が冒険者か傭兵かなど確認する者などほとんどいない。少し頭が働く者であれば、貴族のお抱えかどうかくらいは確認する程度である。
「そうなんだ。灰色マントの男は冒険者を狙い打ちにしてるみたいだぞ」
「灰色マントの男だ?」
「特徴的なボロッボロのくすんだ灰色のマントを羽織ってるらしくてよ。どいつもこいつも、灰色マントの男って呼んでるぜ」
どこかで聞いたことがあるような、ないようなと。ブリットは昔どこかの冒険者ギルドで聞いたことを思い出そうとするのだが、その記憶を掻き消すかのように男は得意げになって話を続ける。
「でよ? どこのクランも灰色マントの男を躍起になって捜してるんだってよ! そのクランの中には『赤き流星』もあるんだから笑っちまうよな!」
「『赤き流星』も動いてんのか。そいつも終わりだな」
いかによそで腕が立とうが、都市カマーでは生半可な腕では通用しない。灰色マントの男が『赤き流星』の下っ端を倒していい気になっているのなら、近い内に痛い目に遭うだろうとブリットはまだ見ぬ灰色マントの男に向かって、心の中で皮肉を込めて「ご愁傷様」と呟く。
※
冒険者ギルドで灰色マントの男こと――――フーゴの話題で持ちきりの数時間前、当の本人はスラム街にいた。
(妙だな)
スラム街と言えば、どこも陰鬱な空気が漂っており、世に対する僻みから大人も子供も総じて陰気を発しているものなのだが。
「うおおおおーっ」
「待て~」
「負けないんだからね!」
ふと、甲高い声につられてフーゴが顔を向ければ、子供たちが走り回っている。
物を盗んで追いかけられているわけではない。普通に楽しそうに追いかけっこをしているのだ。
(これはどういうことだ)
周囲を見渡しても、どこのスラム街でも見かけるボロ屋ばかりである。だが、住人たちの顔には生気が、街には活気が見るからに溢れているのだ。
よその都市にあるスラム街では、ただでさえ貧しい住人たちは裏社会の組織に支配され、わずかな現金収入すら奪われ、薄給でこき使われているのがほとんどである。結果、スラム街の住人は死人のように生気がないか。または他者を出し抜くことや、平気で人の物を、それこそ暴力やときには殺してでも奪うことも珍しくないような、性根の腐った者にわかれるのだ。
(よほど強固で大きな組織が牛耳っているのだろう)
先ほどからフーゴはスラム街を歩き回っているのだが、物取りどころか絡んでくる荒くれ者一人すら現れない。これではどちらがスラム街かわからないほど治安がいいのだ。
「あーっ! あの人、チリチリだぁ」
「こら! 知らない人を指差さない!」
小さな男の子がフーゴの頭を指差しながら叫ぶ。傍にいた少女が男の子の頭を叩き叱るも、スラム街で生きる子供には少しも堪えないようで「いってぇ」と言いながら走って逃げていく。
フーゴの髪の色は赤茶で、髪全体が強いくせ毛でくるまっているのだ。
背後から聞こえた子供たちの声に、フーゴはわずかに笑みを浮かべながら振り返る。
「冒険者か傭兵か知らないけど、ここにはお前が興味を持ちそうな物なんてないぞ」
「どうして私が冒険者だと?」
そこには子供たちに囲まれて座る少年――――ユウの姿があった。
こちらに背を向けているために、ユウの顔はフーゴからは見えない。飛行帽でユウの髪も見えず、また鎧を着込んでおらず衣服であったために、とてもではないがフーゴと同業の冒険者には見えなかった。
「音だ」
「音?」
答えがわからないフーゴに、ユウは諭すように語りかける。
「お前の足音がほとんどしなかった。斥候職じゃなけりゃ装備についてるスキルなんだろうが、そのせいで逆に目立ってるんだ」
ユウからの指摘に、フーゴは確かに自分は遮音・迅のブーツと呼ばれる消音効果のついているものを装備していると納得しかけるのだが――――
(待て。ここは整備されていないとはいえ土の上だ。素人でも足音などしれているだろう。いくら私の足音が小さいからといって――――いや! そもそもこの雑踏の中で、私一人の足音を聞き分けることなど……それもスキルで音など限りなく0のはず)
最初はユウのことをスラム街で生きる少年と思っていたフーゴであったのだが、よく見ればユウの衣服はスラム街の住人が着るには、あまりにも上等で綺麗すぎることに気づく。
「君はここでなにをしているのか聞いても?」
なぜ気づくことができなかったのだと、フーゴはユウから感じる異質な存在感に警戒をあらわにする。
「見てわからないのか?」
自然にフーゴの全身に力が入る。
しかし、ユウが次に放った言葉に気が抜ける。
「ガキンチョどものお守りだよ」
同時にユウを囲んでいた子供たちから「えー!」「ひどーい!」「ガキンチョじゃないもん」などという、なんとも可愛らしい抗議が行われる。ユウは「うっせえな」とまともに取り合わないのだが、その姿にフーゴの全身から力が抜ける。
「見てのとおり、ここは観光で来るような場所じゃない。迷ったのなら、そこを真っ直ぐに行け。迷ってないのなら、嫌な思いをする前に帰れ」
「痛い目に遭う」ではなく「嫌な思い」かと、フーゴはますますユウに興味を持つ。
「なに、ここには観光や物珍しさに来たわけじゃない。たまには善行を――――寄付の一つでもしようかと思ってね。君ならどこに行けばいいのか知ってい――――」
「失せろ」
「なぜ?」
「自分が見下してる自覚がないのか? 上から目線でなにが善行だ」
「そんなつもりはない」
「なら無自覚か。なおさら、たちが悪いな」
鼻が垂れている子供の顔をハンカチで拭きながら、ユウは振り向きもせずに言葉を続ける。
「何度も言うが、ここはお前みたいな奴が来るような場所じゃない。ここにいる連中はわざわざ施しを受けなくても生きていける」
「なにか誤解を――――」
フーゴは弁明を、そんなつもりは一切なく、心から貧しい人たちにと言葉を続ける――――ことはできなかった。ユウが振り向きもせずに親指で差していたのだ。「お前さんの客だろ?」と言わんばかりに。その親指が差す方向へ、フーゴが目を向けると。
「どうやら私の客人のようだ」
スラム街に足を踏み入れたときから、何者かに尾行されていることにフーゴは気づいていた。斥候職でもない自分に気づかれるのだから、そう大した相手でもないだろうとも。
身長は百七十五、六センチ、年齢は自分と同じくらいだろう。金髪に無精髭を生やしたローブ姿の男が、路地からこちらを窺っていた。
「残念だ」
そう呟くと、フーゴは去っていく。
その去りゆく背を、半身になって振り返ったユウは見る。
(強いな)
『異界の魔眼』でフーゴを見たユウは、心の中で呟く。
レベルは51、ジョブは『魔術師』『魔導師』『大魔導師』と生粋の後衛である。しかも、フーゴはそれだけに満足せずに別の部分でも努力が見えた。後衛職であるにもかかわらず、パッシブスキルに『身体能力上昇』や『剥ぎ取り』『索敵』『体術』などがあるのだ。前衛職や斥候職に就かずにこれらのスキルを、それも複数得るには、並大抵の努力では難しいだろう。
(『不動魔烈』『倍々筋』か。どちらも戦闘に特化した固有スキルだ。それでいて慢心している様子もない)
子供たちの相手をしながら、フーゴは何者なのだろうかと少しだけ気になる。
「ご主人様。あの者、気になるようでしたら殺しましょうか?」
姿を消して成り行きを見ていたマリファがユウに声を掛ける。周囲にはティンたちも控えていたのだ。
「殺すって……お前って意外と好戦的だよな」
「えっ」
少し呆れた様子のユウからの言葉に、マリファは言葉を失う。
「マリ姉ちゃんは好戦的~」
「そうなの?」
「こうせんてきってな~に?」
純粋な瞳で自分を見上げてくる子供たちに、マリファは困り果てるのだった。
※
「さて、そろそろこんな場所まで連れ出して、いったい俺になんの用なのか説明してくれないか?」
心の仮面を被ったフーゴは、男に向かって問いかける。
スラム街の空き地には、事前にか偶然なのかわからないが、人っ子一人いない。
「随分と派手に暴れているそうじゃないか」
「あっちから向かってきただけだ。俺は身を守っただけさ」
肩を竦めながらフーゴは男に向かって戯ける。
「よそ者のお前は知らないだろうが、都市カマーはお前程度が好き勝手できるほど甘い場所じゃねえんだよ」
「それはそれは、怖いなぁ」
声に出さずに口角を上げて笑うフーゴの姿に、男は苛つく。
「スラム街に入った頃からあとをつけていたようだが」
「おおっ、気づいていたのか凄い――――とでも言うと思ったか馬鹿がっ。俺は後衛職だ。わざとバレるように尾行してたんだよ」
「それは気を使わせたようで悪かった。で、俺を尾行していた理由は?」
「仕事だ。じゃなけりゃ、誰がてめえのような男をわざわざ尾行するか」
(仕事? 私にやられた冒険者の仕返しじゃないのか。いや、居場所だけ突き止めるように頼まれたのかもしれないか)
だが、そのどちらも違うとフーゴはすぐ考えを改める。なぜなら目の前の男からは、抑えているのだろうが凄まじい魔力を感じるからだ。
「名くらい名乗ったらどうだ?」
「そんなこたぁどうでもいいんだよ。それよりお前はなんの目的があって、ユウに絡んでいたんだ」
「それこそどうでもいいだろう。俺が誰と話していようが勝手だ。それともなにか? ここでは誰かと話す際に、お前の許可を得なければいけないとでも? くっく。それならそうと初めから言っといてくれ、もっとも従うつもりなど微塵もないがな」
フーゴの挑発に、男の全身から魔力が迸る。
「このランポゥ様を前に舐めた態度を取ってくれるじゃねえか」
「ランポゥ――――あの『前衛要らず』のランポゥか?」
「だったら、どうしたっ!!」
思わずフーゴの口角が上がっていく。
(やっと掛かったか。それも大物だ)
殺気を放ち始めたランポゥを前にしても、フーゴは冷静そのものである。
「これは驚いた。ゴッファ侯爵が誇る『食客』と会えるとはな」
「今さら畏まったところで、許されるとは思ってねえだろうな?」
「畏まる? 俺が? 笑わさないでくれ。
かの『食客』は確かに有名だ。その武名は他国にまで轟くほどにな。だが『食客』の中に面汚しがいるだろう?」
「てめえ……なにが言いてえっ」
「くははっ。わざわざ言わないとわからないのか? お前だよ、お前! レナとかいう小娘に無様にも負けた『食客』の面汚しがっ! 偉そうによくもまあゴッファ侯爵のもとにいれるものだな。俺なら恥ずかしくて自害しているぞ!」
怒りを通り越したのか。真っ赤になっていたランポゥの顔から血の気が引いていく。
両手の指先からは十もの魔力の糸が地面に向かって放たれており、今すぐにでもゴーレムを創ることができる状態である。
「もう遅えぞ? 死んでから後悔しやがれ」
「あー、そういう言葉は聞き飽きてるんだ。やれ死んだぞだの、殺されたいらしいなだの、俺らの世界じゃそんなのは脅しにもならない。思ったときには殺せよ、だろ?」
「同感だっ!!」
※
「でさ、灰色マントの男なんだけどよ」
「まだ話は続くのかよ」
灰色マントの男――――フーゴの話を続ける仲間の男に、ブリットはうんざりし始めていた。
どうせ最初は勢いに乗って名を売ることはできるだろうが、少しすれば懲らしめられて終わりだと、よそから都市カマーに進出してきたクランや冒険者たちと同じ末路を辿るだろうさと、思っているのだ。
「言っとくけどな、やられた中にはCランクの奴も混じってるんだぞ」
「ああ、はいはい。Cランクも――――なにっ!? Cランクもやられてんのか?」
ブリット自身はDランク冒険者である。自分より格上のCランク冒険者が狩られているという言葉に、動揺を隠せずにいた。
「そうだぞ。だから、よそのクランも血眼になって捜してるんだろうが」
「どっちにしろ鋼には関係のない話だろうが」
「いや、そうでもないぞ」
横から口を挟んできたのは同じ『鋼』に所属する斥候職のバポルであった。
「お前、今までなにしてたんだよ」
「盟主に呼ばれてたんだ。
それより、その灰色マントの男には鋼の連中もやられてる。よそより先に見つけてぶちのめすぞ!」
「マジか?」
「ウソ言ってどうすんだ。盟主が怒り狂ってんだよ」
「でもよ。そんな都合よく見つかるもんかね」
「同感だ。なによりCランクを倒すような奴だぞ」
「別にバカ正直に一対一でやりあうこたねえだろ。舐めた真似してきたのはあっちなんだから、こっちは数に物を言わせて――――」
「そんなだせえ真似はしたくねえよ」と、ブリットが思っていたそのとき、一人の男が冒険者ギルドに入ってくるのが目に映る。
「おい……あれ」
「あん?」
「あいつ、灰色マントだぞ」
「まさか、この状況で冒険者ギルドに来るほどバカ――――」
気がつけば冒険者ギルド一階のロビーが静まり返っていた。
「マジじゃねえかっ」
「よっしゃ! 灰色マントの男は鋼がもらった!」
「バカっ! よく見ろ!」
飛び出そうとしたバポルの腕をブリットは慌てて掴む。
「ラ、ランポゥ……間違いねえ。ありゃランポゥじゃねえか」
フーゴは血塗れのランポゥを引きずっていたのだ。その姿に、あの『食客』を倒したことに、ロビーの冒険者たちは静まり返ったのだ。
「どうかしたか? ああ……これが気になるのかな? なに、襲いかかってきたから身を守っただけさ。驚くようなことじゃない」
不気味な笑みを浮かべながら、事もなげに言ってのけるフーゴの姿に皆が身体を強張らせた。