第390話:いい気になるなよ
ネームレス王国の王城――――十畳ほどの、とても一国の王が使うとは思えないほど狭い私室で、ユウは机に向かっていた。
「はぁ……」
小さなため息をつくと、ユウは読んでいた本を閉じると机の上に置く。机の上にはここ数日で金に物を言わせてかき集めた、ジョブに関する書物が山のように積まれている。
少なくない金額を支払って手に入れた書物だが、その内容は常識的なジョブに関するものや、すでにユウが知っているものばかりであった。
「で、なんか用か?」
息を呑むような反応が部屋の隅から返ってくる。
「え~。なんでわかったの~?」
驚いた顔でニーナが問いかける。
「今は俺だけだからな」
いつもならナマリやモモが傍についているのだが、現在は二人ともクロやレナたちの鍛錬に付き合っているので不在なのだ。
つまり部屋にユウしかいないので、不審者がどれだけ気配を消そうが気づくことができるとユウは言ったのだ。
「そうなんだぁ」
「うんうん」と納得した顔で、ニーナは後ろ手に腕を組みながらユウの傍に近寄っていく。そのままユウの肩に顔を乗せると。
「ジョブのお勉強?」
机の上に積まれた書物を手に取ると、ニーナは目を通していく。一見、何気なく目を通しているように見えるのだが、注意深く観察すればその凄まじい黙読の速さに気づけただろう。
特にユウが付箋を貼っているページは気になるようで、わずかにだがページをめくる速度が落ちる。
「新しいジョブに就いたのかな? それとも就く予定なのかな?」
「どうだろうな」
背中越しに声をかけられるもユウは素っ気ない反応である。また後ろで黙読するニーナの姿を見ることはできないので、ユウはニーナの異常な速度の黙読に気付かない。
「うーん……就いてたらこんなに沢山のジョブを調べる必要はないし、就く予定なんだね。もう決めたの?」
「まだだ」
その返答にニーナは笑みを浮かべながら、ユウに抱き着く。
「決まったら教えてほしいな~」
「それよりなんでここにいるんだよ」
本来であれば、ニーナもレナたちと一緒に鍛錬をしているはずなのだ。
「キンちゃんとの模擬戦? それならもう十分だよ~」
「十分?」
「飽きちゃった」
「まさかっ」と、ユウは内心で驚く。
キンの強さはニーナ一人で勝てるほど弱くはない――――はずなのだ。
元々、キンはとある国の騎士として高名であった。今より千年以上も前に暴れていたゴブリンキングが率いるゴブリンの軍勢を相手にしても互角以上に渡り合うほどに、将としても有能であったのだ。
だが、平民から騎士へと成り上がったキンに対して、周囲の貴族たちは危機感を覚えていた。
国民からは貴族よりも優れた――――それも絶大な人気のある元平民の騎士――――王より下賜された黄金の甲冑を身に纏う姿から『金の騎士』と称えられるほどに。
だが、その絶頂期も長くは続くことはなかった。くだらぬ貴族たちの謀略により、その生命を若くして落とすことになる。
生前の恨みからか。はたまた生来より他者を凌駕する能力を誇ったゆえにか。気づけばキンは『腐界のエンリオ』でアンデッドとして徘徊していた。
こちらから手を出さねば襲いかかってこないことから、冒険者たちからは無害なボスと恐れられていたキンであったのだが、幸か不幸かユウと対峙することになる。結果は見てのとおり、今ではユウに従属するアンデッドである。意外なことに、本人はこの境遇に満足していた。
(この短期間で、キンを相手できるほどに強くなったのか!?)
キンはレーム大陸に十二領しかないと言われる黄金甲冑を取り込み、さらにユウが迷宮などで手に入れた武具や装飾で強化しているのだ。
ニーナたちが束になってかかっても勝てるような相手ではないはずだと、ユウは訝しがる。
(それともコロとランのおかげか? いや、いくらコロとランがキンと同じランク7とはいえ、年季が違いすぎる)
つい最近ランク7になったコロとランでは、数百年もランク7として戦歴を重ねてきたキンに敵うはずはないのだ。
(それにキンには実験的にランク――――)
「ユウ~、聞いてるの?」
「あ?」
「もう~、やっぱり聞いてなかったんだ」
気づけば、ニーナが耳元でなにやらお冠であった。
「お前、キンに勝てるようになったのか?」
直接、聞いたほうが早いと判断したユウは、ニーナへ問いかけるのだが。
「えへへっ。気になる? 気になっちゃう? どうし――――いだっ!?」
舐めた態度のニーナの鼻に、ユウは魔力弾を強めに放つ。
「いひゃいっ! はにすんの~!」
鼻を押さえながら、ニーナが涙目で抗議する。
「レナとマリファは?」
「あー、レナはキンちゃんみたいなタイプは苦手みたいだね。今日も朝からぶっ倒す! とか言って飛び出していったよ。マリちゃんも得意の虫や毒が効かないから苦戦してるね」
普段から大型の魔物や魔法を使う相手とばかり戦っているレナは、正統派の剣技と戦術を組み立てて攻撃してくるキンのようなタイプは苦手なのだ。
「コロちゃんとランちゃんはねー」と、嬉々として話すニーナの言葉を無視して、ユウは「やっぱりそうだよな」と自分の見立てが間違っていなかったことに納得する。
「ところで、ラスさんは?」
「ラスか……」
ゴーグルを外したユウが目頭を揉む。
「引きこもりだ」
「え?」
「だから、いじけて引きこもってるんだよ」
「あ……あー。そんなにショックだったのかな?」
「知らねえ。なんかショック受けるようなことあったのか?」
「あったというか、見ちゃったというか」
「やらなきゃいけないことが山のようにあるのに、全部っ、俺一人でやってるんだぞ!」
「そ、そうなんだ。偉いねユウは!」
「ちょうどいいや。ニーナにも手伝ってもらうからな」
「ええ~!? 私、今日はなにか用事がある気がするな~」
「じゃあ、大丈夫だな」
そっと逃げようとするニーナの襟をユウは掴む。
ニーナは苦手な書類関係の作業を、一日中するはめになるのであった。
※
「でよ、今日はお前が美味い美味いって言ってた店に行かね?」
「おっ。いいな! あそこはマジで美味いぞ~。しかも給仕の女がまた可愛いのが揃ってるんだよな」
「最高じゃねえか!!」
多くの人が行き交う都市カマーの通りを二人の冒険者が歩いている。
近隣に三つの迷宮を抱えるカマーは、他の都市とは比べ物にならぬほど多くの冒険者が在籍しており、また遠方より腕自慢たちが一旗揚げようと、パーティー単位どころかクランで訪れることも珍しくないのだ。
もっとも、この二人は元からカマーに在籍するDランクの冒険者である。小さな町や村であれば一目置かれるような存在なのだが、都市カマーでは中堅といったところだろう。
「あっ! 俺が昨日、大物のビッグボーを仕留めたから、たかろうってつもりだろ!」
「へへっ」
バレたかと、男は愛想笑いを浮かべる。
「たくっ、だと思ったぜ。珍しくお前から飯に誘ってくるなんてな」
談笑しながら歩く二人の行く手を塞ぐように一人の男が立ちはだかる。
「あ?」
「どうした?」
「あれ見てみろよ」
「おん? なんだあの野郎っ」
一見、ボロボロの灰色マントを纏う男に、二人の眼が細まっていく。冒険者など農家の後を継げない次男や三男などや、食い詰め者が就くような職業である。彼らは他者に舐められるのをことのほか嫌う。舐められては冒険者稼業をやっていけないと本気で思っているのだ。
「よう、兄ちゃん。俺らになんか用か?」
「冒険者か?」
「見りゃわかるだろうが。それとも着飾ったお嬢ちゃんにでも見えるのかい?」
「わははっ!」と笑う二人を値踏みするように、灰色マントの男――――フーゴは観察する。
「Dランクってところか。甘く見積もってもCランクであればいいところだな」
身につける装備や所作などから、おおよそのランクを予想する。
「てめえ、どこの者だ? 見かけねえ顔だが、まさか傭兵クランの者じゃねえだろうな」
自分たちの挑発に乗らず、冷静に観察するフーゴの姿に危機感を覚えたのだろう。二人は笑みを消して、足をわずかに開く。なにがあってもすぐに動けるようにである。
「そう警戒するな。下位ランクの者に用はない。手間を取らせて悪かったな」
フーゴが二人に興味をなくして去ろうと背を向けるのだが、その肩に手がかかる。
「待てやっ」
「ここじゃなんだ。あっち行こうぜ」
挑発したつもりはなかったのだが、二人を下位ランク呼ばわりしたフーゴの発言は彼らのプライドを傷つけた。
「ここならいいだろう」
狭い路地に場所を移したフーゴたちは、決闘でもするかのように一定の距離で対峙する。
「なにに怒っているのかわからんが、気に触ったのなら謝罪しよう」
肩を竦めて謝罪してもいいというフーゴに向かって、二人は唾を地面にはく。
「そういう態度が舐めてるっていうんだよ」
「念のためもう一度確認するが、傭兵クランに所属してるわけじゃないんだよな?」
「ふっ」と鼻で笑うフーゴの姿に、二人のこめかみに青筋が浮かび上がる。
「俺は傭兵クランに所属していない。なんなら冒険者クランにも所属していないさ。ただ一人の冒険者だ」
「安心したか?」と、薄い笑みを浮かべる。
しかし、その言葉や態度は彼らをさらに怒らせることとなる。
「なんだよソロ専かよ」
「強者ぶってんじゃねえぞっ!」
ソロ専とは誰とも組まずに単独で冒険者をしている者の俗称である。群れず仕事を請け負う孤高の存在と言えば聞こえはいいが、周りからは協調性のないクセが強いだけの無能と馬鹿にされることも多いのだ。
「あいつ、たぶん魔法使いだ」
「だろうな。油断するなよ」
この短時間のやり取りで、二人はフーゴが前衛職ではないことを見抜く。これくらいの洞察力がなければ、カマーで冒険者をやってはいけないのだ。
「分析が終わったのなら、さっさと始めたらどうだ? こっちはわざわざ待っているんだ」
こめかみの青筋がさらに浮き上がるも、二人は直情的な行動に出ることはなかった。冒険者として生死を分けるのは常に冷静な者だということを知っているのだ。
「そりゃ悪かったな」
頭を掻きながら謝罪する男に、フーゴが視線を移すと同時にスローイングナイフが投擲される。
何気なく頭を掻こうとした動作はブラフで、そのまま動作は投擲へと繋がっていたのだ。
(後衛のお前じゃ、スローイングナイフを躱すことはできないだろ? 結界で防いだところを狙い打ちにしてやる!)
もう一人は投擲と同時に走り出し、フーゴとの距離を詰めていた。後衛職の多くは防御に結界を使用する。それもレナのような全方位の球体型結界ではなく、部分的な限定された結界でだ。
フーゴの意識が結界の展開に向けたところを拳で打ちのめす。それが二人の出した戦術であった。
「なにっ!?」
フーゴに肉薄するまで距離を詰めていた男が急停止する。
なぜなら――――
「て、てめえ……素手でっ」
フーゴは投擲されたスローイングナイフを結界で弾くのではなく、素手で掴んでいたのだ。
「この野郎っ! なにがおかしい!」
気味の悪い薄笑いを浮かべるフーゴへ、男は飛びかかるとそのまま腰を掴む。
(よっしゃ!! このまま顔から地面に投げつけてやらあっ!!)
組み合えば、前衛職の自分が負ける要素は限りなく低くなると、男は勝ちを確信する。
実際にここまで肉薄した状態では、使用できる魔法は限定されるからだ。
「どうした? 投げないのか?」
フーゴの問いかけに、男の額から汗が滴り落ちる。
(どうなってやがる!?)
男は力尽くでぶん投げようとしたのだが。いや、今も力は込めているのだ。だが、フーゴの腰が、身体が浮かない。
「後衛職だから結界で防御すると思ったのか?」
「ふんごおおおっ!!」
男は顔を真っ赤にして力を込めるもフーゴの身体はびくともしない。
「相手は後衛職だ。多少は力任せでも容易く投げられると思ったか?」
フーゴの手が男の手首にかかると、力任せに外される。
「こ、こんな馬鹿なことがっ」
「どうだ? 後衛職もなかなかやるものだろう」
力尽くで掴みを外された男の頭の中では「なぜ後衛職にここまでの膂力が?」よりも――――
(なぜ加勢に来ないっ!?)
相棒が加勢に来ないことに疑問を思っていた。
顔だけをなんとか後ろへ振り向くと、そこには――――
「なにっ!?」
石で全身を覆われている相棒の姿があった。
なんとか加勢しようと――――いや、抜け出そうと藻掻いているのだが、荒い鼻息が聞こえるばかりで脱出は無理そうである。
(馬鹿なっ。いつ魔法を!?)
「安心しろ。殺してはいない」
そこで男の視界は逆さまになる。
なにが起こったのかはすぐにわかった。自分がフーゴにしようとしたことを、逆にされたのだ。頭から地面に向かって叩きつけられた男は、咄嗟に頭部を庇うもふらつく。
「これでわかっただろう?」
皆まで言わなくもフーゴの言いたいことを二人は十二分に理解する。どちらが格上かを嫌でもわからされたのだ。
「あんた……なにが目的なんだ」
石から解放された男は、相棒の介抱をしながら尋ねる。
「なに、都市カマーではレナ・フォーマとかいう小娘が幅を利かせているそうじゃないか」
レナの名前に二人はフーゴを改めて見る。
「あんたじゃ無理さ」
「そうだ。レナはムッス侯爵の『食客』を倒すほどの強さなんだぞ」
「どんな目的で――――いや、どうせどこぞでレナの噂を聞いて名を揚げようと来たんだろうが」
二人は揃って「諦め――――」と口にして、そこで言葉が止まる。眼に耳まで裂けんばかりに深い笑みを浮かべたフーゴの姿が映ったのだ。
「名を揚げる? なにか勘違いしているようだな。俺とアールネ・フォーマとは少々因縁があってね。アールネの娘は身の程知らずにも、自分を最強の魔導師と名乗っているそうじゃないか」
去っていくフーゴを、二人は追いかけることができなかった。恐怖したのだ。異様な空気を纏うフーゴの圧力に。
ただ、去っていくフーゴが「思い知らせてやらねば」と呟いた言葉は聞き取ることができた。




