第388話:灰色マントの男
ウードン王国東部のニーク・ブッカ。
ここは人口3万人ほどの都市と呼ぶにはまだまだ経済も人口も足りていない中程度の町である。
「よう、待ってたぜ」
「こっちは先にやらせてもらってるぞ」
酒場の一角で男たちが手招きする。
この酒場は冒険者ギルドから近く、また手頃な値段で酒や料理を提供することから、多くの冒険者が利用していた。
「今日は奢りって聞いたぞ」
「そりゃ、お前の土産話が面白いかどうか次第だな」
「わざわざカマーまで遠出してたんだろ? で、どうだったんだ?」
「へへっ」
もったいつけるように男は顎を撫でる。男たちは「ちっ」と舌打ちを鳴らすと、近くの店員に追加のエールと料理を注文する。
「おおっ。悪いな」
男は思ってもないことを口にし、店員からエールを受け取ると喉へ流し込むように飲む。
「いい加減にもったいぶるなよ」
「そうだそうだ! で、噂の『ネームレス』の盟主には会えたのか?」
これ以上は本気で怒り出すと判断したのか。運ばれてきた料理に手を付けていた男は「ああ、会えたぞ」と口にし、話し始める。
「で、どうだったんだ?」
「どうだったんだよ?」
「慌てるなって。
まあ、一言で言えば化け物だな」
鶏のモモ肉を食い千切り、咀嚼しながら男は答える。
「化け物って言われても、俺らからすればAランクになるような奴はどいつもこいつも化け物だろうがっ」
「ほんとだぜ。俺らが知りたいのはどう化け物だったか、だ」
この場にいる男たちはともにDランク冒険者である。彼らからすれば、Bランク冒険者や、さらに上のAランク冒険者など、みな等しく化け物と言っても過言ではないのだ。
「化け物だ」
「あのなー」
「だからどう――――」
「他の高ランク冒険者を殴り倒してた」
男の言葉に、二人は言葉を失う。
「え? なんだって? 殴り倒して? 誰が誰を?」
「だから『ネームレス』の盟主が、他の冒険者をだって」
「なに? お前がたまたまカマーへ行ったときに『ネームレス』の盟主が他の冒険者、それも高ランクの冒険者と決闘をしてたって言うのか?」
「建前は手合わせってことになっていたが、どいつもこいつも殺気を漲らせて殺す気だったな」
二人は互いに顔を見合わせると、その直後に吹き出す。
「「ぷははっ!!」」
「なにがおかしいんだよ!」
「だってよ、なんで殺す必要があるんだっつーの!」
「そうだぞ。冒険者同士の手合わせだって、殺した際は罰則があるだろうが。殺してなんか得することでもあんのか? 相手も高ランクの冒険者ってことは、倒して得られる名声もしれてるだろうが」
土産話を聞きたかったとはいえ、突拍子もない話に二人は呆れる。
「嘘じゃねえぞ。俺以外の野次馬も何百人っていたんだからよ」
「うーん……それにしたって、なあ?」
「ああ。いくらウードン王国がでけえ国と言っても、そこらの雑草みたいに高ランク冒険者がポンポン生えてるわけじゃねえんだぞ」
「お前の話じゃ何人もの高ランク冒険者が挑んだんだろ?」
「俺も名前を聞いたことあるって程度だが、周りの連中が間違いないって言ってたからな。それに高ランク冒険者の多くはよその国から来た連中だよ。どうしても信じられねえなら、ここの冒険者ギルドの職員に聞いてみろよ。あんだけの騒ぎだ、こっちにだって情報が流れてきてるだろうな」
憤る男を諌めながら、二人はさらに追加のエールを店員へ頼む。
「俺らが悪かったって! なっ! このとおり頭を下げるからよ」
「おお、そうだ。ほら、済まなかったって! だから続きを頼むわ」
大袈裟に頭を下げる二人に、まだ納得がいかないものの男は話を続ける。
「仕方がねえな。
俺が『ネームレス』の盟主を化け物だって言ったのは、相手が同じ高ランクの冒険者なのに、素手で相手してたんだよ」
「素手って……相手がよっぽど弱かったんじゃねえのか?」
「相手はAランク冒険者だぞ! 弱いわけないだろうが、それにあの悪名高い『悪食のゼロムット』の――――まあ、こっちは三軍のBランク冒険者だったみたいだが、そいつもちょっかいかけてあっという間に顔を潰されてたぞ」
『悪食のゼロムット』の名前に、二人は真顔になる。在籍する冒険者は犯罪行為に手を染めたことがない者を捜すほうが難しいと言われるほど、悪い意味で有名なクランなのだ。
「相手は得物を?」
「当然、持ってたさ。野次馬の俺でもわかるくらい殺気垂れ流しだったからな」
その後も男は自分が見てきたことや聞いたことを、これでもかと語り始める。二人はエールを飲むのも忘れて、感心するように息をはく。
「凄えな」
「マジで噂通りの――――いや、噂以上の化け物じゃねえか」
「だろ? 実際に見てた俺でも信じられねえくらいだからな」
「でもネームレスって、盟主一人のワンマンクランなんだろ?」
「俺もそう聞いたな。クラン員は大したことねえって」
「俺もそう思ってた」
「違ったのか?」
「修練場で見物したあとに、冒険者ギルドに戻ったら床が血塗れでよ? ちょっと職員を捕まえて聞いてみたら『ネームレス』の新人が『悪食のゼロムット』の連中を一人で伸しちまったんだと。こっちも相手は途中から武器を使ったそうなんだが――――素手で倒したそうだ」
一気に喋って喉が乾いたのだろう。男は追加のエールを一気に飲み干すと「ぷは~っ」と気持ち良さそうに息をはく。
「それによ。他の連中もやべえのがいるみたいだぞ」
「やべえって?」
「カマーの伯爵……今は侯爵だっけ? まあ、そんなことはどうでもいいか。その貴族が抱えてる食客は知ってるか?」
「有名だからな、そら知ってるさ」
「元々は高位冒険者だか傭兵だかの集まりで、クソ強いんだってな」
「それよ」
木のコップをテーブルに叩きつけるように置くと、男は悪そうな笑みを浮かべる。
「『ネームレス』に所属する小娘が、食客を何人かぶちのめしたそうなんだ」
「それは嘘だな」
「さすがに、なあ? お前が直接、見たわけじゃねえんだろ」
「それはそうだけど……カマーの冒険者に聞けば、誰でも知ってるんだって! 十代でCランクになるような化け物なんだぞっ!」
Cランクという言葉に、二人は言葉を詰まらせる。
ニーク・ブッカのような中規模の町で冒険者をしている者たちにとって、Cランクは手が届かないような高みである。この町で生きる多くの冒険者がEランクでその生を終えることも珍しくないのだ。
事実、この場にいる男たちもDランクである。それでも一目置かれるような存在なのが、この町にいる冒険者たちのレベルを表してるとも言えよう。
「大体、その小娘っていくつなんだよ」
「嘘じゃねえって! いくつって、歳か? さあな、十六~十七くらいって聞いたが、見た目は十から十二ってところだな。とんでもねえ杖を持っててよ、名前はなんて言ったっけ? テナ? メナ? なんだったかな――――」
そのとき、男たちのテーブルの前に一人の人物が立っていた。
ボロボロの灰色のマントを纏った男である。その男が自分たちを見下ろしていることに気づくと。
「ああ? なんだお前?」
「俺たちになにか用でもあんのか?」
一人が立ち上がり、灰色のマントを纏った男を威嚇する。立ち上がった男の頭一つ分くらいは低いことから、身長は大目に見ても百七十センチほど、戦いは体格が全てではないとはいえ、身体つきも中肉中背でとてもではないが前衛には見えない。ならば、少なくとも前衛職に就く自分が、たとえ酒が入っている身でも負けることはないと、冒険者らしい計算で威嚇したのだ。
「別にあんたらに喧嘩を売ってるわけじゃない。今の話に出てきた小娘について少し教えてほしいんだ」
灰色マントの男はそういうと、テーブルに数枚の銀貨を置く。ここでの食事なら十分な金額である。
「ああ、そうなのか。早とちりしちまって悪かったな」
「話がわかる奴で良かったぜ。お~い! エールだ! こっちに追加のエールを頼むわ!」
「お前ら、少しは遠慮しろよな。で、なんだっけ?」
遠慮なく注文し始める二人をよそに、カマーから帰ってきた男は灰色マントの男へ話しかける。
「小娘の話さ」
「メナの?」
「レナ――――」
「あ?」
「レナ・フォーマって名前じゃなかったか?」
思い出すように男は考え込む。
「あ……ああっ! 確かにあんたが言うように、レナって名前だった気がする。姓は覚えてねえけどな」
肴の豆を口に放り込みながら、男は灰色マントの男の腰を数度叩く。
「あんたも杖が目当てなのか?」
「どういう意味だ?」
「惚けるなって! あのレナって小娘が持ってる杖が欲しいんだろ?」
男は腰を叩いたときに、肉付きや体幹を確かめていたのだ。そこから後衛職で間違いないと判断する。
「龍の杖が目当てなんだろ?」
「龍の……杖?」
「そういうのは良いって!」
「へへへっ」と笑いながら椅子に座る男は、灰色マントの男の顔を下から見上げる。声や態度から若いと思っていたのだが、想像より齢を重ねている。二十代後半はいってる人族の男だろう。
「レナって小娘が見せびらかしてた杖はとんでもねえ代物だって、カマーの商人や冒険者――――それもCランク以上の後衛職の連中が口々に言ってたんだよ。百億マドカを出しても買えねえだろうって、裕福そうな商人は口にしてたぜ」
「あんたも杖狙い、だろ?」と、男は自信を持って尋ねるのだが、灰色マントの男からは期待していた反応が返ってこない。
「それともなにかい――――あんたもそうなのか?」
「話が見えないな。ハッキリと言ってくれ」
「『極星シャウエ』みたいに勧誘したいのかって言いたいのさ」
「レナ・フォーマを勧誘に来ていたのか?」
「おうさ。それもAランク冒険者の盟主直々にな。移籍するだけで十億マドカを現金で支払うって破格の条件だったぞ」
話に耳を傾けていた二人は、その金額に口の中のエールを吹き出す。
「それでもレナって子は応じなかったのが、この話の凄えところなんだけどな」
「そうか――――もう、それほどに――――力を――――このときを――――――――たか」
「おいっ。あんた、なにを――――」
再度、灰色マントの男を見上げた男は、その顔に言葉を詰まらせる。
笑っていたのだ。声を出さずに耳まで裂けんばかりに深い笑みで。
「食事中に失礼した」
そういうと、男はさらに追加の銀貨を置くと、そのまま背を向けるのだが。
「名前くらい教えてくれてもいいだろ」
その背に向かって、男は声を掛ける。
灰色マントの男はなんとも不気味であったのだが、一方的に喋らされてなにも知らずに帰られるのも、なんだか馬鹿にされているようで癪に障ったのだ。なにより、これでも冒険者として十五年以上も生きてきた、それなりに誇りもある。黙って帰すわけにはいかなかった。
「そうか。急いていたとはいえ、名乗りもせずに失礼した」
振り返りもせず灰色マントの男は呟く。
「フーゴ――――フーゴ・ヒルシュベルガーだ。では失礼する」
そのまま去っていく灰色マントの男を――――フーゴを、今度は誰も止めることはなかった。代わりに――――
「フーゴ・ヒルシュベルガー……だと?」
「Aランク冒険者じゃねえか」
「あの……『巌壁』のフーゴがっ。なんの目的があってCランクの小娘のことを知りたがるんだ」
その後、三人はなぜ若き天才と持て囃されたフーゴが、なんの目的でレナのことを知りたがっていたのか。ああでもない、こうでもないと談笑するのであった。




