第382話:息吹
この日、都市カマーの西門は珍しく混雑していた。それも大混雑である。門の前では衛兵と人々がごった返しており、そこら中で怒声や説明を求める声が飛び交っていた。
「そこっ! 勝手に動くな!」
西門担当の衛兵が声を上げて注意するも、雑踏の騒音にかき消されてあまり効果がないようだ。
「なんだって、こんな混雑してるんだい?」
「知らんな。こっちが聞きたいくらいだ」
「いきなり門を閉めて、上からの許可が降りるまで待ってろ、だとさ。意味がわからんよ」
なんの説明もなしに門の前で待つことになった人々が、不満の声を上げる。
「まあ、なにがあったのかは知らんが、直に門は開くだろう」
「なんでそんなことがわかるんだ?」
「この先に重要な都市や町がないからさ」
「ああ、そういうことか。確かにあんたの言うように、そう時間はかからなさそうだな」
「だろ? どうせ大森林から、ちょっと大型の魔物でも街道に現れたとかだろ」
普段から人通りの多い東門とは違い、西門の人通りは少ない。西門から先はこれといった大きな都市も町なく、あるのは小さな村々や都市カマー所属の冒険者が狩りに向かう大森林くらいのものである。
以上のことから、門の前で待たされている人々は楽観視をしていた。そう遠くない内に、この交通規制も解除されるだろうと。
「どうだ?」
都市カマーの西門城壁の上で隊長が部下に問いかける。
隊長は単眼鏡と呼ばれる望遠鏡の一種で確認するのだが、とてもではないが詳細はわからない。
問いかけられた数人の部下は固有スキル『鷹の目』に類するスキルを有しており、普段からこうやって物見を任されているのだ。だが、いつもなら東西南北にバラけている物見担当の全てが西門城壁に集められていた。
「激しく殺り合っています」
額から流れ落ちる汗を気に留めずに、物見の一人が言葉を口にする。
「ふむ。どうだ、我々だけで対処できそうか?」
隊長の言葉に物見たちは言葉を失う。
(あれを俺たちだけでっ?)
物見――――男たちの視線の先では、ニーナとアーゼロッテが戦っている姿がしっかりと映っている。
(じょ、冗談じゃない)
(カマーの全衛兵を集めようが、敵う相手じゃないぞ。せめて食客が――――いや、ヌングさまだけでもいればっ)
(そもそも、あのエルフの女は何者なんだ!?)
(なんでムッス様や食客が不在のときに、あんな化け物がっ。ま、まさか不在を狙ってじゃないよな)
アーゼロッテはムッスの食客たちを刺激しないように、大規模な魔法の使用を自ら禁止していたのだが、そんなことは意味がなかったのだ。
低位階の魔法でも使用者が込める魔力量によって威力は天と地ほども変わってくる。
大規模な魔法を使用しなくても、アーゼロッテほどの術者が魔法を発動すれば、その魔力の余波だけで使い手の力量は窺い知れるというものだ。
そして軽々とアーゼロッテが放ち続ける精霊魔法第3位階『剣風刃』の余波だけで、衛兵たちは戦えば死ぬと理解する――――いや、理解させられた。
「た、隊長っ」
「皆まで言うな」
部下からの進言を、隊長は最後まで言わせず止める。
「わかっている。見えなくとも、先ほどからこの身へ届く余波だけで十二分にな。あれには勝つどころか善戦することすら無理だと」
さてどうしたものかと、隊長は頭を悩ませる。
都市カマーの警備マニュアルには、ある個人に関する対応が記載されていた。
「ユウ・サトウに関する案件なので、静観するべきかと」
一人の衛兵が進言する。
周りの衛兵も同意するように、隊長へ視線を向けた。
マニュアルに記載されている個人とはユウのことである。都市カマーの建築物や人などに被害がでないかぎり、ユウへ関与しないようにとマニュアルには記載されているのだ。
同様の内容がムッスの治めるゴッファ領へ配布されているのだが、それとは別に冒険者としてユウが活動の中心としているカマーの衛兵隊には、ムッス直々に口頭で伝えていた。
「しかし、いま戦っているのはネームレス王ではなく、仲間の少女なのだろう? 確かニーナとかいう名だったか」
ユウ以外の仲間に関しても把握している隊長は、争っているのが件のユウではなく、仲間のニーナであることを問題視していた。
高位貴族であるムッスの本拠地は都市カマーである。その本拠地の領内で、都市へ被害が及びかねない争いが勃発しているにもかかわらず、指をくわえて黙って見ていていいのだろうかと、隊長は自問自答する。
この間にも黒魔法第8位階『閃熱砲哮』によって大地が吹き飛ぶ様子や、別の高位魔法と思われる光の線が、天に向かって伸びていくのが見えていた。
痺れを切らした隊長が、新たな指示を出そうかと思ったそのとき――――
「隊長っ、新手が現れました!」
「人数は?」
「二名、猿人の男と猫人の女です!」
冒険者ギルドとは違い、人族国家が把握している死徒の名称と姿形は半分ほどである。
この時点で都市カマーの衛兵隊は、敵は手練れの亜人であるとだけ認識しており、まさか相手が死徒――――それも序列二、四、五の上位陣が揃っているとは想像だにしていなかったのだ。
(こいつらも手練れかっ!? どこの手の――――)
新たな乱入者をつぶさに監視していた物見が凍りついたかのように固まる。
(こ、こちらに……気づいているっ)
目が合ったのだ。
(そんな馬鹿なっ。ここからどれほど距離があると思っている。俺らみたいなスキルを持っているのか!? た、たとえそうだとしても、なぜ気づけたんだ)
あり得ないと思いながら、猫人の女と猿人の男――――人族では猴人と猿人の区別がつかないので、セイテンは猿人と誰もが疑わずにいた。二人は物見の衛兵たちと目が合う度に、アリヨは興味なさそうに、セイテンはうざったそうな態度を示す。
そうこうしている内に、物見からユウまでもが参戦したと報告がもたらされる。
「とうとうネームレス王まで現れたかっ。相手はいったい何者――――手練れの亜人……ネームレス王が自ら相手せねばならぬほどの? 相手は死徒かっ!!」
ここでようやく隊長は相手が死徒であることに気づく。
「これは対応を誤れば大変なことになりかねんな」
緊張した面持ちで隊長が呟いた。
そのあとにもたらされた報告に、城壁にいた衛兵たちの顔が蒼白となる。
「あっ……あしらわれています。サトウが猫人の女にっ……剣戟戦で……し、信じられない…………なんなんだあの女っ!?」
ここにいる者たちはユウの強さを知っている。
権力や財力といった強さだけでなく、個として、理不尽な戦闘力を誇ることを。
あの悪名高きバリュー財務大臣並びに、その一派や犯罪組織ローレンスをほぼ単独で根絶やしにしたのを、誰もが知っているのだ。
そのユウがたかが数人の亜人にあしらわれているとの報に、誰もが耳を疑う。
「間違いないのだな」
「はいっ。猫人の女が、ひ、一人で戦っていますっ!!」
別の物見にも確認すると、隊長の判断は速かった。
「これより全戦力を都市カマーの防衛に回す。余計な手出しは無用っ!!」
ユウが前衛だけでなく、後衛としても超一流と知っている隊長は、これから起こることを予測する。
接近戦で埒が明かないのなら、魔法を――――それも大規模な避けようのない高威力の魔法を使用するのは必定。隊長が把握しているユウの性格から周囲の被害など、それこそお構いなしに躊躇なく使用するだろうと判断する。
「一番から三番隊は、このまま――――はうっ!?」
突如、隊長が膝をつく。
急な悪寒に立っていられなくなったのだ。
この異常は自分だけかと顔を上げると、周囲の衛兵たちも同様に震えていた。
「な、なにが起こったのだ!?」
這いつくばるように移動しながら隊長が城壁から下を覗くと、門口を担当している衛兵たちや人々が地面に蹲りながら震えているのが見えた。
「ああっ……神よ」
自然と隊長の男は神への祈りを呟いていた。
人の遺伝子に――――否、魂の奥深くにまで刻み込まれている恐怖が蘇ったのだ。
※
屋敷の周辺は大変なことになっていた。
アーゼロッテの精霊魔法第3位階『剣風刃』や黒魔法第8位階『閃熱砲哮』、さらにユウの黒魔法第7位階『鉄鼠』によって、大地が無惨に斬り裂かれ、煮沸し、抉り返されている。
荒れ果てた大地に、それは現れた。
石造りのような簡素な門は、真っ暗で向こう側が見えない。
「出てこいよ」
ユウが呟くも、なんの反応もない。
すると、ユウは巨大な魔玉に魔力を込める。
「むっ」
大地が、世界が震えたかと錯覚するほどの咆哮が門の中より発生する。
アリヨの全身が強力な風圧を叩きつけられたかのように戦慄く。離れて警戒していたセイテンは、吹き飛ばされまいと踏ん張る。その背後では結界で身を護っていたアーゼロッテが、震える身体を押さえつけるように抱き締めていた。
「勿体つけるな」
さらなる魔力を魔玉へ込めようとするユウに反応したのか。門の中――――暗闇より巨大な鰐のような顎が飛び出てくる。
さらに身体を門から出そうとしている様子が窺えるのだが、門が小さいためにそれだけしか身体を出すことができないのだ。
「鼻息が荒い。少しは落ち着けよ」
怒り狂っているのか。
その生物が唸る度に大地が震える。
「お前、ムカつくくらい強いし、俺のことを舐めてるからさ」
背後の門を警戒しながら、ユウはアリヨに話しかける。
「思い知らせてやるよ」
先ほどまで平静そのものであったアリヨが、門から現れた顎を前に構えを取る。
警戒しているのだ。その証拠にユウへ語りかけることもなく、アリヨは無言である。
(よし。位置取りも門の大きさも問題ない)
自身とアリヨたちの位置を微調整しながら、ユウは時間を稼ぐ。
(この方角なら町や村はない)
ユウの背後で顎がゆっくりと開いていく。
それはユウに気づかれぬように動いているように見えた。
その緩慢な動作も門の大きさに引っかかると、ピタリと止まる。
「遠慮なく、龍の息吹を喰らえ」
顎から放たれた龍の息吹が――――煌焔龍の黒い炎がユウを飲み込みながら、アリヨたちへ襲いかかる。
「かあああああーっ!!」
掛け声とともにアリヨは刀を――――童子切安綱を抜いて、大地を消失させながら迫る黒い炎へ斬りかかる。
炎は赤色で約千五百度、黄色で約三千五百度、白色で約六千五百度、青色で約一万度以上と言われている。この龍が放った禍々しい黒い炎は何度なのだろうか。
恐るべきことが起こる。黒い炎が、龍の息吹が真っ二つに割れたのだ。
信じられないことに、アリヨは龍の息吹を刀で斬り裂く。黒い炎の向こう側で、鼻っ柱を斬りつけられた龍の呻き声が微かに聞こえた。
「くそったれがっ!!」
アリヨによって真っ二つに斬り裂かれた炎の一つが、運の悪いことに躱そうと動いていたセイテンとアーゼロッテの側へ向かっていく。
「きえいっ!!」
「きゃああああーっ!?」
セイテンはアーゼロッテの展開する『天雷結界』へ自身の右腕が炭化するのも気に留めずに突っ込みアーゼロッテの腕を掴むと、そのまま上空へ放り投げる。
固有スキル『火之迦具土神』を持つ自分なら、炎に対して絶対の自信がある自分なら、『炎神』の異名を持つ自分なら、たとえ龍の息吹であろうと御することができると。
だが――――
「ぐお゛おおおぉぉ……っ」
龍の炎はセイテンを嘲笑うかのように、操ろうとしたセイテンの半身を飲み込む。
優れた鎧である鎖子黄金甲によって、身体の表面は護れても内部までは護れなかったのだ。
「こほっ……げほっ。ご、ごのっ……クソガ……キが…………っ」
半身を炭化させたセイテンは口内より黒い煙を吐き出す。如意棒で身体を支えねば、立っていられぬほどのダメージを受けていた。
「だから私は手を抜けば、タダでは済まん相手と言っただろう」
身体中から黒煙を立ち昇らせるアリヨは、アーゼロッテを庇ったために負傷したセイテンを見て呟く。
「さて」
地形が変わり果ててしまった周囲を見渡しながら、アリヨはユウを捜す。アリヨが龍の息吹を斬り裂いたあと、門は崩れ去るように姿を消し、それに併せてこちらに身体を捩じ込もうとしていた龍の顎も引っ込んだのをアリヨは確認していた。
「炎に飲み込まれたのは見ていたが、あれで死ぬような――――」
わずかにアリヨの顔に影がさす。
「上か――――っ」
天高くより降下したユウが勢いを殺さずに剣を振り下ろし、地より天へ向けてアリヨが刀を振るう。
閃光の軌跡を煌めかせながら、両者の刃が交差した。




