第381話:平穏
(不味いな)
激しい頭痛に耐えながら、心中でユウは呟く。
ユウらしくない迂闊な行動だったと言えるだろう。
少なくとも普段のユウならば、顔の判明している死徒が二人居る場に、事前の情報収集もせずに突っ込んでいくことはなかった。それがいくら死徒とニーナが対峙していたとしても。
(まだ一合も剣をまじえていないのにこれか)
先ほどからユウは、仕掛ける起こりに見せかけた数多の牽制とともに、膨大な殺気をアリヨに叩きつけているのだが、その牽制や殺気をアリヨは平然と受け流しているのだ。
逆にアリヨからは一切の牽制・殺気・圧力を仕掛けてこない。この時点で両者の格付けが決まったようなものである。
「うきっ」
思わずセイテンは破顔一笑する。
第三者の視点から見ても、アリヨとユウ――――両者の実力には大きな隔たりが見て取れたのだ。どれほどアリヨがユウを油断ならぬ相手と評しようが、セイテンにはとてもそれほどの相手には見えなかった。
「少年、話を――――」
先に仕掛けたのはユウであった。
足のつま先で地面を掬うように抉り取りながら、アリヨの顔目掛けて蹴りを放つ。
もしアリヨが腕で防御すれば、つま先に載せた土で目潰しをするつもりであった。そして、そのまま剣戟へ繋げる。受けずに躱した際は、そのまま剣で斬りかかる。仮に目潰しが成功しなくても、少しでも動揺を誘えれば儲けもの、と。ユウは無意識の内に、大剣を握る手に力を込めていた。
だが――――
「良いな」
蹴りを放った姿勢のユウの背後より、アリヨの言葉が聞こえてくる。
「あれだけ殺気を垂れ流しておいて、攻撃の瞬間には完全に殺気を制御していた。これなら手練れであろうと攻撃を受けただろう。私の言葉を遮っての不意打ちもいい。蹴り足にあわせて、つま先に土を載せていたのも悪くない」
指導員や教官のように、ユウの攻撃をアリヨは評価する。とても殺す気で攻撃を仕掛けられた者とは思えない態度と言動である。
「あっそ」
頭がかち割れそうな痛みに耐えながら、ユウは後方へ飛び跳ねて大剣を横薙ぎに振るう。初手を難なく対処されたことに驚きもなく。またアリヨの言動に心を乱されることもなかった。
「斬撃も鋭い」
黒竜・燭の黒い刃の先――――わずか1ミリの距離で見切ってアリヨは斬撃を躱す。
その動きを見て、ユウは武技LV3『縮地』で距離を詰め、さらに武技LV2『肘天壊』を放つ。狙いは鳩尾――――ユウの肘打ちが炸裂したと思ったそのとき――――ポフッ、と気の抜けた音が鳴る。
「連携攻撃の繋ぎも無駄がない」
ユウの肘打ちを手のひらで受け止めたアリヨが、子供を褒めるようにユウの頭を撫でようともう片方の手を伸ばす。
「があっ!!」
その手を払い除けながら、ユウは剣技LV6『咲乱剣舞』を発動――――無数の乱れ狂う斬撃がアリヨに襲いかかる。
一撃必殺ではなく、まずは手数で削る。
メリット戦と同様に『魔龍眼』では枝分かれした未来が膨大すぎて、見える未来視は役には立たないと、ユウは『並列思考』を発動させる。同時に思考が増えた分だけ頭痛も倍々に増えていくのだが、相手はアリヨだけでなくアーゼロッテとセイテンもいるのだ。
「しっ!」
凄まじい斬撃であるが、その剣がアリヨの身体を斬り裂くどころか触れることすらできない。
このままでは埒が明かないと、ユウは武技LV1『拳振』――――以前ユウがティンに教えた技である。
これならば、得意げになってミリ単位の距離で躱し続けるアリヨにも振動でダメージを与えられると、剣撃に交えて左拳より『拳振』を放つ。
「なっ」
技の起こりは消していた、はず。ユウの左腕の手首が、アリヨの右手に握り締められていた。
アリヨの指がユウの手首へ埋まっていく。そのまま握り潰すのではないかと思わされるほどの握力であった。
「危ないところだった」
言葉とは裏腹に平静そのもののアリヨが呟く。
「おっと」
武技LV5『昇竜脚』が、アリヨの顎目掛けて放たれる。
天に向けて唸りを上げながら放たれたユウの蹴撃を、身体をのけぞらせることでアリヨは容易く躱す。
「話にならねえな」
そう呟きながら、セイテンは戦慄する。
目の前でユウの繰り出す数々の攻撃は、セイテンとほとんど遜色ないほど威力があるものであった。それを軽々と捌き続けるアリヨの理不尽なまでの強さに恐れているのだ。
(互いに音速を超える速度で殺り合っているのに、まるで正反対だな)
激しい濁流を思わせるユウの動きに対して、アリヨは緩やかな清流である。相反する両者の動きは、同じ速度域で動き続けているにもかかわらず、セイテンが心中で言うように正反対であった。
「良くわかった。刀を抜く必要はないな」
その発言は、自分が相手では刀を抜くまでもないと捉えられても仕方がないだろう。
だが、ユウは特に激昂することはなかった。
(勝手に侮っていろ)
強大な魔物は高い知能を有する者が多い。龍などもその一つである。そういった魔物の多くは矮小な生物を侮る。傲慢な考え方だと思うかも知れないが、それも無理はないことだろう。龍などの天変地異を起こすことすら可能な存在からすれば、ユウなどの人族など矮小な存在どころの話ではない。歯牙にもかけない存在であるのだ。
だが――――だからこそ勝機を見出すことができるとユウは考えている。事実、ユウは自分を侮ったり舐めていたりする魔物たちの隙を突いて勝利しているのだ。
「勘違いしてほしくないのだが、私は少年を舐めて刀を抜かないわけではない。むしろ逆で刀を――――とっ」
アリヨの会話につき合わずに、ユウは攻撃を黙々と繰り出す。
「徒手空拳、剣の腕、ともに素晴らしい。なんとも末恐ろしい少年だ」
息もつかせぬユウの連撃を捌きながら、アリヨが称賛するのだが。
「うききっ、そのガキに将来なんてねえさ」
余計な軽口を叩いたセイテンへ、アリヨが初めて鋭い視線を向ける。
「うっ」
緊張した面持ちで口を閉じるセイテンであったのだが、アリヨとは別の人物から恐ろしい視線を向けられていた。
そう――――ニーナである。
無表情のまま、セイテンを射殺さんばかりの眼で睨みつけていたのだ。
(なんだあの女っ、オレっちを睨みつけやが……は?)
セイテンの手がわずかに震えていた。
このとき、ニーナは直ぐ様にでもセイテンを殺したかったのだが、それはできなかったのだ。
そんな真似をすれば自分の実力が明らかになってしまう。それはニーナという名の少女がしていいことではない。あくまでニーナはユウの庇護下にあらねばならないのだ。間違ってもユウを超える力を見せつけてはならない。
ここで――――ユウの前で死徒を狩るわけにはいかない。
自身の目的のために力を隠さねばならない。
一方でユウを守りたい。
様々な思いや考えに挟まれながら、結局ニーナは我慢するしかなかった。
「もう十分だろう。少しは気が晴――――」
両者の距離が開いたので、アリヨは再度話しかける。
これまでアリヨが防戦一方だったのは、なにも反撃できる隙がなかったからではない。ユウの尋常ならざる状態に、戦いにつき合うことで憂さを晴らさせるためであったのだ。
しかし、ユウはここで今まであえて見せなかった魔法を使用する。
それは狙いをつける必要がなく、広範囲に、また殺傷力が非常に高い魔法――――黒魔法第7位階『鉄鼠』。タングステンを弾丸として放つ、ユウのオリジナル魔法である。
「セイテン、防げ」
数万発のタングステン弾が、一斉にアリヨとその後方にいるセイテンとアーゼロッテに放たれたのだ。
「うきっ! アーゼロッテ、結――――」
セイテンが言い終えるよりも速く死の弾丸が襲いかかる。すでにアーゼロッテは自身を護るべく結界を張り巡らしていた。
鉄鼠色の弾丸が絶え間なく放たれ、セイテンは如意棒を回転させて棍技LV2『回棍転』で弾丸を弾く。
これが如意棒でなかったなら、いずれタングステン弾に削られてセイテンの身体は蜂の巣になっていたかもしれない。
「しつけえぞっ!」
絶え間なく続く弾幕にセイテンが苛ついたように叫ぶ。
アーゼロッテは結界が削られようが、その度に新たな結界や破損した箇所を修復しているので、どれほど放ち続けられようが耐えられる。
「猿、しんどそうね」
それゆえに余裕を持って、セイテンに声をかける。
「うっせ! お前は黙って自分を護っとけや!」
「あとから助けてって言っても、知らないよーだ」
「ああっ!? なんか言ったか? 煩くてなんも聞こえねえわっ!!」
『鉄鼠』の射線上に入った生物は、アーゼロッテやセイテンのように防御しなければ、待つのは確実な死である。
だが、そんな死の領域を悠々と歩く存在がいた。
「近接戦闘だけでなく、魔法の腕も立つか」
感心した様子でアリヨは死の弾幕のど真ん中で歩を進める。恐るべきことにタングステン弾が当たったと思った瞬間、アリヨの身体をすり抜けていくのだ。
「まともに喰らえば、私とて大変な目に遭うのだろう」
ユウは内心で「嘘をつけ」と毒づきながら『鉄鼠』を維持し続ける。同時にもう一つの魔法の準備をしていた。
「そのまま話を聞いてほしい」
対話は難しいと判断したのか。アリヨは一方的に話し続ける。
「私たちはこちらのアーゼロッテを連れ戻しにきただけだ」
親指で後方を差すアリヨの先には、いまだ両耳が欠損したままのアーゼロッテの姿がある。
「なに恥ずかしい話なのだが、こちらのアーゼロッテとメリットがつまらぬ諍いを起こしたのだ」
アリヨは高速で放たれたタングステン弾の一つを指で掴み取りながら、困った者たちだと肩を竦める。
「その腹いせにメリットと仲の良い少年に手を出そうとしたが、幸か不幸か不在だったそうだ」
ユウは黙ったままである。
アリヨの話に耳を傾けているのではない。
敵が動かずにいてくれるのは、ユウにとって好都合であったからだ。
「そこの少女には悪いことをしたと思っている。だから、このとおり落とし前はつけさせた」
それは両耳を欠損したアーゼロッテの姿は、アリヨたちの手によって処罰したとも受け取れる発言である。
また影徒であるニーナとの関係を隠すため、さらにこの状況を上手く纏めるために、アリヨは平然と嘘をついたのだ。
だが、悪意がなければ嘘を見抜けないユウに、アリヨの嘘を見抜くことはできなかった。
そもそも――――最初から殺すつもりなので、アリヨの言葉が嘘かどうかなど、ユウはどうでもよかったのだ。
ただ、ニーナを傷つけた連中を許すつもりはない。
「わかってもらえたようだ」
けたたましく鳴り響いていたタングステン弾の弾幕が止まる。
「うぎっ!?」
いち早くそれに気づいたのはセイテンであった。
いや、それは気づけたと言えるのだろうか。発作的に全身の毛が逆立ったのだ。
「少年、それは?」
突如ユウの背後に奇妙な門が現れていた。
縦6~7メートル、横に4~5メートルほどの門だ。
だが、アリヨが気になったのは、門よりもユウの手にしている球体であった。
直径21センチほどの球体の正体は魔玉である。赤黒く濁った色をした魔玉からは、見る者に凶兆を感じさせずにはいられない。
完全な魔玉は低ランクでも高ランクの品でも、それほど大きさが変わることはなく、精々がビー玉サイズと言えば、ユウの手にする魔玉がいかに桁外れの大きさかわかるだろう。
「知る必要があるのか?」
左手のひらにある魔玉は、ユウが魔力を注ぐ度に怪しく脈動する。
「今から死ぬのに」
ユウは淡々と告げるのであった。




