第379話:鵺的
『奪う者 奪われる者』コミカライズ第3巻(完)が発売中です!
(殺してあげる)
左耳の傷に白魔法第5位階『グレイトネスヒール』をかけながら、アーゼロッテはニーナを観察する。
(まずはこの女の種を解明しないと)
生粋の後衛職であるアーゼロッテは、常に『天雷結界』で身を護っているのだが、その結界を自分に気づかれずにニーナは突破したのだ。
遥か格下と思っていた相手に痛手を負わされ、怒りで頭を支配されていたアーゼロッテは冷静になる。
怒りを我慢する必要はない。
なぜなら自分が生きるために必要な感情だからである。だが、一方で冷静にならなければいけないことも、アーゼロッテはこれまでの自身の生い立ちから痛いほど理解していた。
怒りは我慢しない。ただし、静かに。
内に秘めた怒りを制御しつつ、アーゼロッテはニーナの隠された力を見極めようとする。
だが――――
(うそっ。見えない!?)
アーゼロッテのパッシブスキル『魔眼』は『解析』と『鑑定』の二つの能力を有する。今回、使用したのは前者『解析』のほうだ。
その『解析』が通らなかったのだ。
これは通常であればあり得ないことであった。なぜならアーゼロッテの魔眼のレベルは9もあるのだ。つまりレベル9の『解析』が弾かれたということである。
(スキル――――なにか強力な固有スキルを持っている? それとも等級の高い隠蔽系の魔導具を……)
普段なら数秒で治る傷が、いつまで経っても元通りにならないことにアーゼロッテは苛つきよりも、得体の知れない不気味さをニーナに感じていた。
「あなた、本当に私に勝てると思ってるのかなー? あはっ、私のレベルが72ってわかってて、言ってるの? もし知らなかったのなら、可哀想ー」
言葉による揺さぶりを仕掛ける。
「所詮は温室育ちね」
ニーナの言葉にアーゼロッテから微笑みが消える。
「挑発が、お上品すぎるよ」
自分を見下すような――――いや、見下した発言と蔑む眼に、アーゼロッテが動く。
「死んじゃえっ!!」
精霊魔法第3位階『剣風刃』が発動。風の刃がニーナへ襲いかかる。
先ほどは耳だけを斬り落としたが、今度は手加減抜きで放ったのだ。頭部から股間にかけて真っ二つになって後悔するがいいと、アーゼロッテは血塗れとなったニーナの姿を脳裏に思い浮かべるのだが。
「遅いよ」
地面を斬り裂きながら迫る不可視の刃を、ニーナはいとも容易く躱したのだ。
(ちょっとムキになりすぎたかな)
せっかく不可視の特性を持つ風魔法を感情的になって放ったために、大地には破壊の痕が刻まれていた。
これでは躱してくれと言わんばかりではないかと、
「どんどんいくよー」
とても殺し合いをしているとは思えない掛け声とともに、アーゼロッテは『剣風刃』を次々と発動する。
(距離は詰めさせないよ)
どのような手を使ったのか。ニーナはあっという間に距離を詰めて、アーゼロッテの『天雷結界』を貫通させて左耳を斬り取ったのだ。謎が判明するまでは、もしくはわからずとも遠距離から削り殺すのが上策と、アーゼロッテは冷静に判断していた。
「あははっ! いつまで避け続けれるのかなー」
数百に及ぶ風の刃をニーナは躱していく。焦る素振りも見せないニーナの姿に、わずかに眉をひそめるアーゼロッテであったが、それでも魔法を発動する手を緩めない。
「私のMPが切れるのを期待してるのなら、無駄だからねっ」
第3位階とはいえ、十も発動すれば並の後衛職なら息切れする。アーゼロッテに至っては同時に数百も展開しているのだ。なのに、アーゼロッテは疲れを見せるどころか、さらに魔法の発動速度を上げていく。
(ここはムッス侯爵の膝下。あまり大規模な魔法を使って、食客とかいう人たちが来たら面倒だからね)
不可視で速く、殺傷力があり、さらに規模も修正できる風の魔法は、アーゼロッテの最も得意とするものである。
「それそれ! そーれっ!」
踊るように魔法を放ち続けるアーゼロッテに対して、ニーナは冷めた眼で『剣風刃』を躱し続ける。
「才能にかまけて馬鹿の一つ覚えみたいに、遠距離から魔法を放ってばかりなんだね」
明らかな挑発である。
後衛職が遠距離から攻撃するのは恥ではない。交戦せずに一方的に相手を制すのは、基本的な定石である。
「あはっ。どーしたの? 焦ってるのかな? そんな挑発には乗らないよーだ」
一際、大きな魔力を込めた『剣風刃』を放つ。同時に小さな――――爪先ほどの『剣風刃』を数千も併せて展開する。
大きな風の刃に気を取られれば、小さな風の刃によって全身を斬り刻まれるのだ。小さな風の刃は視認するのも困難なほど小さい。全てを躱すのはまず不可能と言えるだろう。
どのようにしてニーナが風の刃を見極めているのかアーゼロッテにはわからなかったのだが、これなら躱しようがない。
幅二百メートルはあろうかという『剣風刃』に、数千の小さな『剣風刃』がニーナに殺到する。
仮に跳躍して躱そうものなら狙い撃ちしてやると、アーゼロッテは油断なく杖を構える。
(殺った!)
跳躍することもなく、その場でニーナはまともに『剣風刃』を喰らう。数千発もの『剣風刃』によって巻き上がる土煙によって、一時的にニーナの姿が見えなくなると、アーゼロッテの口角が自然と釣り上がる。
「なにが嬉しいの?」
土煙が晴れると、白い刃のダガー――――白竜光牙を手にしてニーナが立っていた。
(あんな……あんなダガー一つで、私の魔法を全て防いだ? そんなバカなことが――――)
驚くアーゼロッテを無視して、ニーナは身体を捻っていく。ニーナの背中側がアーゼロッテに見えるほど身体を捻じり、圧縮された力を一気に解放する。
放たれたのはスローイングナイフであった。
(投げナイフっ、舐めないでよ!)
凄まじい速さの投擲ではあるが、ニーナとの接近戦を警戒して事前に十分な距離を取っていたアーゼロッテは『天雷結界』に魔力を注ぐ。
『天雷結界』には天・大・中・小の四段階の強さがあり使い分けているのだが、このときアーゼロッテは最大の天で『天雷結界』を使用する。これならたとえ躱せなくとも『天雷結界』に触れた瞬間に、スローイングナイフなど蒸発する。
「えっ」
間抜けな声が、アーゼロッテの口から漏れ出る。
これまで強者との戦いで、幾度も自分の身を護ってくれた絶対防御が――――『天雷結界』に再び穴が空いていたのだ。
「バランスが悪いから、揃えてあげたよ」
ニーナの言葉で気づいたかのように、アーゼロッテは震える右手で自身の右耳に触れる。あるべきはずのモノがなくなっていた。エルフの特徴的な長耳が、ニーナの投擲したスローイングナイフによって、根本から吹き飛ばされていたのだ。
「あ……ああっ。あああああああああああっ!!」
戦術もなにもあったものではない。
パニックになったアーゼロッテは、滅多矢鱈に魔法を放ち続ける。
つい先程までは、ムッスの抱える食客に気づかれぬよう広範囲に及ぶ魔法を控える配慮があったのが嘘かのように。
アーゼロッテが得意とする雷や風だけでなく、あらゆる属性魔法がニーナに降り注ぐ――――いや、もはやアーゼロッテにはニーナの姿が見えていない。
爆風によって撒き散らされる石や土をニーナは視認して躱していく。細かな粒子まで合わせれば、数千、数万ではきかないだろう。
(良い練習台になりそう)
前衛職は肉体を鍛え上げ、そこに『闘技』を纏うことで、さらに身体能力を強化する。上位の者になれば『流動』と呼ばれる気を全身に駆け巡らせ、燃費と効果を上昇させるのだ。さらにごく一部――――ユウやメリットのような超一流の強者は『流脈』と呼ばれる体内でも気を駆け巡らせて、身体の内と外から強化することで、身体能力を倍増させる。
(マリちゃんの考えは悪くないんだけどね)
都市リューベッフォでの、マリファと不死の傭兵団との戦いをニーナは思い出す。
体内に虫を飼うことで身体能力を増強させる。悪い手ではない。傷を負えば、虫は宿主を死なせまいと修復し、求められれば筋肉増強のために力を惜しまないだろう。
だが、それではダメだとニーナはわかっていた。
その程度の強化など、所詮は人の範疇に収まる。
ニーナの求める強さとは、相手が誰であっても、それこそ強大な魔物――――天魔や古の巨人に龍など、神と畏怖されるような存在が相手であろうが圧倒しなければ意味がない。
(もう少し、この身体に慣らしておこうかな)
一見、ニーナの身体にはなにも起こっていない。だが、体内では凄まじい速度で筋繊維を始めとする体内組織と魔力の変換が行われていた。ニーナが魔力を操作することで魔力状の筋繊維の数は増え、太く強靭になる。眼筋を魔力と置き換えることで動体視力まで強化されているのだ。
人が長い鍛錬で強化する速度とは比べ物にはならない速さで、ニーナの肉体は強化されていく。
今ここで生粋の前衛職が斥候職のニーナに力勝負を挑もうなら、相手にならないだろう。大人と子供どころではない。種が違うと言っても過言ではないほど、ニーナの力が増大しているのだ。
「親御さんは泣いてるよ?」
「うるさい!」
「そっか、そっか。とっくに亡くなってるから泣くこともできないか。誰かさんのせいで」
「死ねっ! 死になさいよっ!!」
黒魔法第8位階『閃熱砲哮』が、横薙ぎに大地を煮沸させながらニーナを薙ぎ払う。
「ダメだよ~。そんな大雑把な攻撃じゃ当たらないってば」
閃熱が確かに捉えたはずなのに、ニーナは何事もなかったかのように現れる。
「殺してやるっ!」
「殺す? 殺されるべきは人族に騙されて国を滅ぼしたあなたじゃないの? 自分だけ図々しく生き延びて、恥ずかしいとは思わないの?」
「黙れ! 黙りなさいよっ!」
魔力の糸によって宙に立つニーナが、見下ろしながらアーゼロッテに言葉という名の毒を流し込む。
「可哀想にね。あなたがよりにもよって、結界を壊すんじゃなく通り抜ける方法なんて教えるから、奴隷狩りに気づけなかったエルフたちは無防備なところに奇襲を受けたんだってね」
「だっ、だま――――」
取り乱したアーゼロッテが古代魔法第10位階『天覇招雷』を天に向けて放つ。白と青の光線が、時空を歪めながら雲を吹き飛ばしていく。
「酷い話と思わない? エルフの裏切り者が、皆に愛されていたお姫様だったなんてね」
「このっ!!」
錯乱したアーゼロッテが放った爆発魔法が炸裂する。大地に巨大なクレータを穿ち、爆風によって起こった土煙が地上だけでなく上空にまで伸びていく。
「はぁはぁっ」
アーゼロッテが肩で息をする。
MP切れを起こしたのではない。ニーナの言葉によって、心を乱された結果である。
「どうして……っ…………死なないのっ」
国が滅び、家族を、臣下を、民を奪われ、自身の心まで穢されたアーゼロッテはその後も様々な場所で傷ついていく。親切な人族と思った人が言葉巧みに自分を売り飛ばしたことや、親身になって話を聞いてくれた女性が食事に毒を盛ろうとしたこともある。助けてあげた子供に裏切られたことも一度や二度ではすまない。
もう奪われないように、誰よりも強くなろうと、自分は強くなったはずなのに、よりによって人族なんかに負けようとしている。
「こんなことが許されていいはずがないっ! 私が、この私が人族なんかに――――」
錯乱中のアーゼロッテを観察していたニーナは、時間的にここまでかなと思う。これ以上はカマーの衛兵がここまでたどり着いてしまう。それにムッスの食客が、この場に現れれば面倒なことになる、と。
実は都市カマーの衛兵は早い段階で、この異変に気づいていたのだが、あまりの規模に上司へどのように対処すればいいかを、お伺いを立てている最中であったのだ。
さらに食客は他領の貴族と会談をするムッスに随行して不在という幸運と言うべきか、それとも不運と言うべきなのか。
(こんなところで殺すつもりはなかったけど、どうせ邪魔な死徒は消す予定なんだからいいかな)
白竜光牙を逆手に握って、ニーナはアーゼロッテにトドメを刺そうとする。
「ユウを馬鹿にしたことを後悔しながら死になさい」
今このときもアーゼロッテは高位の魔法を放ち続けているのだが、ニーナは最低限の動きで躱す。
地を這うような低い構えから、ニーナが大地を蹴る。爆発したかのような土砂が舞い上がり、ニーナの姿が突如消え去る。
これに驚いたアーゼロッテが身を護ろうと『天雷結界』、さらに通常の『結界』まで纏う。落ち着いていれば上空へ逃げるという手もあったのだが、今のアーゼロッテではそんな簡単なことすら思いつかないほど、心が乱れに乱れきっていたのだ。
「きゃっ!!」
死にたくないと思いながら目を瞑ったアーゼロッテであったのだが、なにかがおかしい。いつまで経ってもニーナからの攻撃がこないのだ。恐る恐る目を開けると――――
アーゼロッテとニーナとを結ぶ直線上の間に、一本の棍が突き刺さっていた。
「危ないところだったな」
その声にアーゼロッテが振り返ると、上空に雲が浮いていた。
「さ、猿っ」
「うきっ! てめえ、それが助けてもらった恩人に言う言葉かよ!」
ニーナは乱入者を忌々しそうに睨みつける。
(セイテンだけなら問題ない――――)
アーゼロッテとセイテンの二人を相手にしても、自分なら余裕を持って勝てるだろうと、ニーナは冷静に現状を分析するのだが。
(どうして、こいつがここにいる)
雲には――――筋斗雲にはセイテン以外に、もう一人の人物が乗っていたのだ。
「なにをしている」
二本の刀を腰帯に差した猫人の女性が、アーゼロッテとニーナを見下ろしながら呟いた。




