第373話:密談②
「他の連中は知らぬが、妾はサクラのことを恨んでなどないぞ」
なにを声を荒らげているんだと言わんばかりに、困った者じゃとドリムは眉間に皺を寄せる。
(恨んでいないっ!? そんなわけあるか。こいつは千三百年以上も人柱として、ここに張りつけられているんだぞっ)
普段のユウらしからぬ取り乱しようであった。自我が目覚めたときより親からの愛を受けるどころか、その親から虐待される日々の中で――――誰も助けてくれない大人たちを見て、ユウの心はとっくの昔に壊れていた。
ドリムを――――利害の関与しない無償の愛などという不確かで綺麗事を、ユウは認めるわけには――――存在を許せなかった。
“ユウ”
思わず後先を考えない行動にでようとしたユウの脳裏に老婆が――――ステラの姿が浮かぶ。
わずか一年、血も繋がっていない。他人はそんなものは紛い物だと馬鹿にするかもしれない。だが、それは確かにあったのだ。
「続けろ」
冷静さを取り戻したユウが、話を進めるように促す。
「ふむ」
赤い葡萄のような果物を食べながら、ユウを眺めていたドリムは良かろうと鷹揚に頷く。
「お主はなにやら勘違いしているようじゃが、まずサクラが最初に提案した人柱の期間は十年じゃ」
別に勘違いはしていないと、ユウは心の中で呟く。最初から永遠に人柱と言われて納得する者などいないからである。
十年という期間は龍や天魔に古の巨人からすれば、大した年月ではない。ただ、純血の獣人であるドリムからすれば、半生に等しい時間なのだが。
つまりユウは、サクラが嘘をついたと思っているのだ。
「サクラは嘘などついておらんぞ?」
ユウの表情から、なにを考えているのかを察したドリムが否定する。
「嘘をついたのも、裏切ったのも、サクラではなく人族じゃ」
興奮した様子のドリムの瞳孔が開く。
同時に室内の空気が――――重力が増したようにユウが感じるのは錯覚ではないだろう。
(感情の起伏によって重力魔法が発動しているのか)
良い機会だと、ユウは重力を遮断できるか試そうとするのだが。
(っ!? 驚いたな。魔法耐性も結界も効果なしか)
重力魔法というくらいなので、魔法耐性を有する自分ならば遮断はできなくとも少しくらいは軽減できるかとユウは考えていたのだが、魔法耐性のみならずあらゆる耐性系は重力を前に効果を発揮できなかった。さらにユウが張り巡らした結界ですらドリムの重力は悠々と通過してきたのだ。
「許せ。ちと、興奮したようじゃ」
右腕を左から右へ払うと、ユウが感じていた重力は霧散する。
(なんでいちいちカッコつけたがるんだ)
自身のポーズに満足げなドリムをよそに、ユウは内心ではうざいと思うも黙っている。
(重力魔法がここまで厄介なモノだとは思わなかったな。今のままだと視認も防ぐこともできないか)
冷静にユウは現状を認識していた。
真正面から戦えば、ドリムに負けると。
「裏切ったのはレーム六大国を名乗る国の重鎮たちじゃ。全ての罪をサクラに押しつけての」
ユウの思惑も知らずに、ドリムは話を続ける。
「今は五大国だろ。お前がカンムリダ王国を滅ぼしたのか?」
「妾ではない。妾自身の手で滅ぼしてやりたかったのは否定せんがの。残念なことに妾はこの地に縛られておるゆえ、出向くこともままならんかったわ」
殺意を隠さずドリムは怨嗟を込めてカンムリダの名を口にする。余程、思うところがあろうのだろう。
「カンムリダとかいう恥知らずな国を滅ぼしたのはオズウェルじゃ」
ある程度は予想していたのだろう。
ユウは驚く素振りも見せずに、黙したまま耳を傾ける。
「あの無能者でも、役に立つことはあるようじゃ」
不快そうにドリムは鼻を鳴らして、人族の始まりの勇者の名を口にする。
「カンムリダ王国の生き残りがレーム大陸中に散ったのはわかっている。残党がザンタリン魔導王国に関わっていたのもな」
「うむ。碌な連中ではないゆえ、見つけた際は遠慮なく殺すがよい」
「俺はジョンを捜している」
「はて? 妾はジョンなる名に心当たりはないんじゃが。力になれなくて――――」
「カンムリダ王国で異世界召喚を創り出し、奸計でお前の大好きなサクラを陥れた奴だ」
先ほどとは比にならぬほど、強力な重力がユウを――――否、室内を襲う。
自重の軽い果物ですら、重力の影響で次々に潰れていく。テーブルや椅子にソファーなども、悲鳴を上げるように軋む音が鳴り止まない。
このままだとユウ自身の重さでソファーが潰れると、ユウは高重力の中で無理やり立ち上がる。
(この重力を受けたまま戦うことを考えると、うんざりするな)
『闘技』で身体の内と外から肉体を強化してなお、耐えるのが困難な凄まじい高重力の負荷がユウへとかかる。
ドリムの周りだけ重力の影響はないようで、座ったまま鋭い眼光をユウに向けていた。
「どこにおる?」
「人の話を聞けよ。俺が捜してるんだ」
ユウの言葉を受けても、険しい顔を崩さないドリムであったのだが、時間を置くと理解したようで手をポンッ、と叩く。
「そうであったか。早う言わぬか、勘違いしてしまったわ」
「カカッ」とドリムが笑うと、先ほどと同じように猛威を振るっていた重力が嘘のように霧散する。
「あの者、ジョンという名じゃったのか。自らのことを『放浪の救世主』やら『求道者』などと、名乗っておるそうじゃからな」
「千三百年以上も前の、それも人族のことなのに生死を疑わないんだな」
「今も生きておることはわかっておる。妾が知る者の中でも一等の屑じゃ。
幾度かこの城にも来よったが、本体で妾に会いに来るのは怖いようでな、どれも人形じゃったわ」
ドリムでも居場所がわからないかと、ユウは少しだけ落胆する。
「お主も会った際には気をつけるがよい。今でも似たような連中を率いて好き勝手しておる」
「強いのか?」
屑中の屑ということを、ユウは知っている。ラスからも、どのような人物かは聞いていたのでわかっていた。だが、強さに関してはよくわかっていなかったのだ。
「間違いなく強い、はずじゃ」
どうもドリムの歯切れが悪い。
「戦ったんじゃないのか?」
「戦ったのは人形共で、彼奴自身とは戦ったことはない。それ相応の強さはあるはずじゃが、問題は――――」
冷めた眼でドリムは言葉を紡ぐ。
「――――逃げるそうじゃ」
「はあ? どういう意味だ」
「どうもこうも、そのままの意味じゃ。相手が強いと逃げる」
「逃げれないようにすればいいだろう」
「くふふっ」
しょうがない奴めと、ドリムは苦笑する。
「彼奴は戦いになど興味はないんじゃ。少しでも手強いと判断すれば、自分より弱い相手であろうと、一目散に逃げる」
「だから――――」
「どんな手を使ってでも逃げる、そうじゃ。
これまでに妾の下僕が、何度か遭遇したんじゃが、周りの女子供を平気で巻き込みながら逃げる。当然、下僕共も気にせず追ったそうなんじゃが……どれほどの人が、木々が、生命が犠牲になったかわかるか? わからんじゃろうなぁ……。最悪なのは、そこまでしても倒すどころか、彼奴の背を掴むことすらできんかったことかの」
これもユウはラスから聞いていた。
自らを『救世主』と名乗る人格破綻者で、心の底から良かれと、人類のためを思って行動していると。その結果、どれだけの悪意や不幸がレーム大陸にバラ撒かれているかを。
「ふむ。お主の力になれない妾を許せ」
果物を手に取ろうとして、自身の重力魔法で押し潰したことを思い出し、ドリムの手が空を切る。
「ところで、お主はどのような呪いを背負っておる?」
子供っぽいと思えば、今度は妖艶な眼差しでユウを見つめながらドリムが問いかける。
「呪い?」
「惚けるでない。異世界人は召喚された際に、その犠牲となった者たちから相応の呪いを受けておるはずじゃ。それとも知らなかったのか?」
「サクラはどんな呪いにかかっていた?」
軽快に喋っていたドリムの口が、ピタリと止まる。
「知らないのか? なら、俺が教えてやる。サクラの呪いは『薄倖』――――関わる者を不幸にする呪いだ。どうだ? 当たらずといえども遠からずと、いったところだろ」
千三百年以上も前の史料を集める中で、ユウはサクラについても情報を秘匿している五大国と同程度には理解している。
「お主、意地悪な奴じゃなっ」
「先にお前が嫌味を言ってきたんだろうが」
「人には教えれん類の呪いか?」
別に隠すほどの呪いではないかと、ユウは口を開く。
「俺の呪いは『女難』だ」
口を開けたままドリムはポカンと、ユウを見つめる。そして――――
「くふっ、くふふっ! わはははーっ!! 妾を笑わせるでない!! なんじゃ女難? ぐふっ、げほ、げほげほっ! いかん、唾がっ、げほっ!!」
唾が変なところに入ったのだろう。ドリムは笑いながら咽る。やがて、無表情で自分を見つめるユウの視線に気づいたドリムは、佇まいを正す。
「お主が悪いのじゃぞっ! 妾を笑わせよって!」
怒ることで誤魔化そうとするのだが、ユウから蔑んだ視線を受けて、ドリムは動揺する。
「許せ」
「お前がアホなのはわかっているから、気にすんな」
「ぬぐっ、妾がアホじゃと!? ぐぬぅ……。まあ良い! いや、本当は良くないんじゃがな! それで『女難』の呪いを背負っておるのは、間違いないんじゃな?」
「ああ、間違いない。ハッキリ言って、この世界に来てから女関係のトラブルが多すぎる」
これまでに自分が出会ってきた女性陣をユウは思い浮かべる。自身が生意気な自覚はあるのだが、それを加味してもトラブルが多すぎるのだ。それはレーム大陸の外に出ても思い知らされた。
「うむ。そこまで言い切るのなら『女難』の呪いを――――待て」
愉快そうに笑っていたドリムの顔が固まる。ギギギッ、と顔を持ち上げると。
「まさか……妾も『女難』のせいと言うつもりじゃなかろうな?」
「『女難』に決まってるだろうがっ」
「なんじゃと! 妾は違うじゃろうが!」
「いいや、間違いなくお前も『女難』関連だ」
腕をブンブンと振り回しながらドリムは抗議するも、ユウはドリムと関わることになった件も『女難』関連であると決めつけ――――いや、確信していた。
久し振りに心の底から笑ったドリムであったのだが――――
(さて、そろそろ大賢者との約定を守らねばならんか)
ソファーから立ち上がったドリムが、ユウを見下ろす。
「済まんが、お主の記憶を読ませてくれんか」
「どうして?」
ドリムの顔を見上げながら、ユウは問いかける。
「ふむ。妾がお主の記憶を読むこと自体には驚きすらせんか。なに、気の弱い臆病者がどうしても確認してくれと申すのでな。なんとも情けない話じゃが、ここで其奴に貸しを作るのも悪くないと判断した」
ゆっくりと、ユウはソファーから立ち上がる。
「なら、なぜ最初から記憶を読まなかった」
「お主の人となりを話してみて、知りたかったのもある」
「他にもあるんだろ。
対象の許可を得ないと記憶を読めない」
「ほう。知っておったか」
ドリムのステータスを確認した際に固有スキル欄に『人追心随憶験』という他者の記憶を読む固有スキルを所持していることをユウは把握している。
「いいぞ。俺の記憶が読めるのなら読めばいい。ただし、後悔するなよ」
「うむ。では――――」
ユウの頭部にドリムは手を置くと、固有スキル『人追心随憶験』を発動する。
同時にドリムは絶叫した。




