第372話:密談①
一見、豹の顔をしたドリムから感情を読み取ることは、人である自分では難しいかも知れないと思っていたユウであったのだが、その心配は杞憂であった。
なぜなら――――
「ほれ、ほれほれっ。どうじゃ? 知りたいであろう」
――――ドリムの感情表現は豊かで、非常にわかりやすかったのだ。
残念なことにドリム本人は澄ました顔をしているつもりなのだが、明らかに口角が上がるのを押さえきれていない。
笑うといってもユウを嘲るようなものではなく。言いたくて仕方がないのを我慢しているようである。
「興味ない」
「…………嘘を申すでない」
スンッ、と真顔になったドリムが、ユウの言葉を否定するのだが。
「嘘じゃない。そもそも俺を召喚した連中のことは把握してるからな」
疑うような眼差しを向けるドリムから、ユウは目を逸らさない。
「嘘ではないようじゃな。誰から聞いた?」
「自分で調べた」
「どこまで調べたのじゃ?」
「ジャーダルクがイリガミット教の減少する信者を繋ぎ止め、増やすために、俺を魔王に仕立て上げようとしたくらいは知ってるぞ」
むー、と唸りながらドリムは「あの爺めっ。存外、役に立たんのう」と毒づく。
「話が済んだなら、聞きたいことがある」
拗ねた子供のように頬を膨らませているドリムに、ユウが質問をする。
「よかろう。なんでも妾に聞くがよい」
急に機嫌の良くなったドリムが、ふてぶてしい顔をユウへ向ける。
「始まりの勇者たちについてだ」
「ほう……」
愉快そうにドリムの琥珀色の眼が細まっていく。
「存在する者と戦った始まりの勇者たちは、撃退する際に人族の国家が“祝福”と呼んでる“呪い”を喰らったよな」
「知っておったか」
焦った様子も見せずにドリムは「カカッ」と快活に笑いながら、ユウの言葉を肯定する。
「お前が受けた“呪い”は“不老”だ」
千三百年以上も生きていることからある程度、予想はしていたユウであったのだが、実際にドリムのステータスを見て確信したのだ。
「そう!」
席から立ち上がると、わざわざドリムは決めポーズを取る。
「お主の言うとおり。始まりの勇者の中で最も美しい妾にかかった呪いは不老じゃ」
最も美しいなどとは一言も言っていないユウであったが、ここでツッコむと話が進まないと判断し、黙ったままドリムの戯言を聞き流す。
「始まりの勇者――――人族の始まりの勇者にかかった呪いは“不死”だろ?」
ユウが確認したかったことの一つを尋ねる。
おそらくは間違ってはいないだろうが、これから戦うことを考えれば、予想を確定させることは重要であるからだ。
「む?」
しかし、ドリムは決めポーズのまま首を傾げる。
「人族の始まりの勇者とはオズウェルのことか?」
「そうだ」
「其奴は存在する者との戦いで、どこか遠くへ飛ばされた恥晒しであろう」
遠くへ飛ばされたという言葉から、戦いの最中に戦線を離脱したのだろうとユウは判断するのだが。
(どうしてオズウェルに辛辣なんだ)
オズウェルのことを話すドリムの顔は、明らかに不快感を隠していないのだ。
「不死の呪いを受けたのは別の人族じゃ」
自身の耳を撫でながら、ドリムは言葉を紡ぐ。
「其奴はお主もよ~く知っている人物のはずじゃ。
いつも仮面で顔を覆い隠した陰気な奴よ。確か……人族共はこう呼んでおったわ。『知恵ある王』と、な」
そこで、ユウは不死の呪いを受けた人物が誰か理解する。
(そうかっ。不老じゃなく不死、死ななくても年は取るんだ)
千三百年前からドリムと交流がある人族、それも王。
ユウはその人物に身に覚えがあったのだ。
軽く調べただけでも数百年前から活躍しており、類まれなる知恵と絶大な魔力を誇る人物――――なにより、その人物のステータスには不死の呪いがあったのだ。
(あの大賢者、正体は――――)
同時にドリムへ自分の情報を流していたのは、大賢者だろうとも推測する。
なぜなら三大魔王として、人族の国家と敵対しているドリムと繋がりがある者など限られているからだ。
その中で、ユウのことを把握している。もしくは調べることができる者など、片手で数えられるくらいだろう。
「良くわからんが、納得はしたようじゃの」
「ああ、十分にな」
「妾としては、お主が自分を召喚した者を知りたくて、妾が出す無理難題を苦労しながらも、あれこれこなしていく姿を見たかったんじゃがの。
お主みたいなのを空気が読めないと言うのじゃろう? 昔はサクラが、なにをわけのわからぬことを申しておるんじゃと思ったんじゃが、お主を見てよ~くわかったわ」
勝手に一人納得しながら、ドリムは大きく頷く。そして決めポーズを解くと、椅子へ座り直す。
「さて、聞きたいことはこれで全てか?」
「いいや、残りの始まりの勇者が受けた呪いについても聞きたい」
「なんじゃ、そんなことか。
ガリガルガは古の巨人族の中でも屈指の巨躯を誇った。じゃが、呪いによって、今ではその巨躯は見る影もない。以来、彼奴は自分の姿を晒すのを嫌って、母なる大地を捨て空の上に築いた城の中に引き籠もっておるわ」
純粋な獣人にもかかわらず、ドリムは器用に人差し指と親指でガリガルガは「こ~んなに小さくなりよったわ」と、小ささを表現する。
「サデムはそれは美しい天魔であった。もちろん妾には劣るがな。彼奴は呪いによって堕天しよった。自慢の美しい白き羽も、真っ黒になって嘆いておったわ」
元々、サデムは六枚の純白の羽を持った美しき天魔であった。
その美しさは男や他種族でも色を覚えるほどであり、また強さも桁違いで優しさも備えた人物であったのだが、呪いにより堕天すると一変する。
それまでの優しさが消え去り、残酷なことを平気で行うようになったと、ドリムは語る。
「ムースは始まりの勇者である前に『凍雲星龍ムース』――――八大龍王にその名を連ねるクソ龍じゃっ。此奴は呪いを受けて属性が氷から焔へと変化したんじゃが、本人はあまり気にしてはおらん。
なにかと説教をしてくるうざい爺じゃから、あまり近づかんほうが身のためじゃぞ!」
余程、昔に小言でも言われたのだろう。
ドリムはプンスカと怒りながらムースの悪口を言う。
「此奴らは、美しい妾より弱いんじゃがの。それなりに強いから気をつけるがよい」
ドリムの語る情報を整理しながら、ユウは心の中で「嘘だな」と呟く。
あの古龍と同格の龍が、ドリムより弱いはずがない、と。
「ところで――――お主、存在する者についても、知識があるようじゃの?」
「あるよ。多分、お前よりもずっと詳しいと思う」
「ほう」
ドリムの纏う空気が一変し、広い室内の空気が溶けた鉛のようにユウに纏わりつく。
「この世界は、自分たちに都合の良い者たちを召喚してきたよな」
存在する者について聞きたいのに、召喚の話に戻りドリムは不快そうに眉間に皺を寄せる。
「獣人は関与しとらん」
「へー」
適当な返事をするユウの眼には、ドリムを蔑む色が見えた――――いや、ドリムを通して、この世界を蔑んでいるのかもしれない。
「今は召喚の話なぞ、してお――――」
「どこの世界でも、同じことを考える奴はいるようだな」
「――――は? どういう意味じゃ」
「そのまんまの意味だ。お前らみたいに都合の良い奴を召喚する連中がいるんだから、その逆もあるとは思わないのか?」
「逆……召喚の――――まさかっ」
ある考えに辿り着いたドリムは目を見開く。
「召喚があるんだ。当然、送還だってあるだろう」
「なんたることじゃ……」
「自分たちに都合の悪い奴を、送還で世界から追放されたのが」
「存在する者というわけか」
ドリムから放たれていた圧力が霧散し、全身から力が抜けたドリムは背もたれに身体を預ける。
「神か悪神か、はたまたそれに類する者か。不幸にも送還された存在する者が妾たちの世界に来たんじゃな」
「かかっ」と笑うドリムであったが、その笑い声に力はない。
「不幸でも偶然でもないと思うぞ」
少なからず心にダメージを負ったドリムへ、ユウはさらなる追撃を行う。
「わざわざ妾たちの世界に送還したとでも?」
目を細めたドリムがユウを睨むように見つめる。ここでつまらぬことを言えば、タダでは済まないだろう。
「この世界――――特にレーム大陸と呼ばれる場所では、今でも新しい迷宮が発見される」
ドリムは口を挟まずに、ユウの言葉に耳を傾ける。
「迷宮は異世界とも呼ばれる場所だ。新種の魔物が――――これまでの常識では考えられないような生物が生息していることも珍しくない」
ユウはかけているゴーグルの位置を調整する。
「この世界は異世界召喚をしすぎなんだよ」
断罪するようにユウは言葉を紡ぐ。
「そのせいで他の世界と繋がりやすくなってるんだ。存在する者が送還されたときに、真っ先に選ばれるくらいにな」
異音がする。
ユウの位置からは見えないのだが、拳を握り締めるドリムが音の発生源だ。
「繰り返しになるが、獣人は関与しておらん」
「へー」
「悪いのは愚かな人族であろう!」
「俺に言われてもな」
「じゃから妾は人族が嫌いなんじゃ!」
本音なのだろう。
存在する者によってもたらされた被害や、今のレーム大陸における獣人の扱いを考えれば、ドリムが人族を嫌うのも無理はないだろう。
「人族が嫌いなのに、なんでサクラの計画した結界に協力したんだ?」
一番ユウが疑問に思っていたことを、ドリムへ質問する。どれだけユウが書物や迷宮で見つかるタブレットと呼ばれる石板などを調べても、レーム大陸を覆う結界になぜ始まりの勇者が協力したのか。その答えを得ることはできなかったのだ。
「なぜ? じゃと」
感情的になっていたドリムが不思議そうな顔でユウを見つめる。
「サクラが好きであったからに決まっておろう。
ガリガルガも、サデムも、ムースも――――そして妾も。サクラが好きじゃからこそ、結界の人柱になることに協力したのじゃ」
信じられないドリムの言葉に、ユウは頭の中が真っ白になる。
(好き……だから? そんな理由で自分たちを犠牲にっ)
悪意ある者の嘘なら見抜くことができるユウだが、悪意のないドリムの言葉が嘘であるかの判断ができずにいた。
だから――――
「本当のことを言えよ」
――――思わず、ユウはドリムが嘘をついていると決めつけた。
「本当のこととはなんじゃ? まさか妾が嘘をついていると申すか?」
「結界の詳細はわかっていないけど、人柱となったお前らが好きに動けないのはわかっている」
「うむ。お主の言うとおりじゃ」
「なら――――」
「妾たちはそのことを理解したうえで、サクラに協力したのじゃ」
「そんなっ……そんなはずはないっ!」
思わずユウは言葉を荒らげる。
理解したく――――否、認めたくなかったのだ。そんな綺麗な理由で、自らを犠牲にする者がいることを。
「サクラは泣いておったよ。ごめんなさいと何度も泣きながら謝っておったわ。脆弱な人族を護るには、こうするしかない、とな」
「そんな連中は放っておけば、見捨てればよかっただろうっ」
肉体ではなく精神的なモノで、ユウの呼吸は乱れ始めていた。対面に座るドリムに気づかれぬよう、懸命に呼吸を整えようとするのだが、身体のうちからなにかがユウの心を掻き乱していた。
「お主の言うとおりじゃ。じゃが、サクラがのう」
そのときのことを思い出しているのか。意気消沈した様子でドリムは語る。
「断っておくが、妾たちは人族のために犠牲になったのではない。ぜ~んぶサクラのためよ。よく笑い、よく泣く、ほんにかわゆい娘じゃった」
「お前たちを騙したんだぞっ」
「騙しておらんわ。最初から最後まで、サクラは包み隠さず説明したうえで、協力してほしいと申したのじゃ」
嘘偽りのない笑みを浮かべながら、サクラのことを語るドリムの姿に、今度はユウの身体から力が抜けるのであった。




