第223話:代償は金一個
ヤングエースUP様にて『奪う者 奪われる者』の第6話-2が絶賛公開中です。
序盤の山場に差し掛かるところです♪
「かふっ」
静まり返った雑木林に呻き声と肉を抉り骨が砕けたかのような打撃音が響く。
音の発生源から少し離れた場所では、キリンギリン達がフラビアから奪ったアイテムポーチの確認をしていた。
「これが――時知らずのアイテムポーチか。伝説の魔導具をまさか生きているうちにお目にかかれるとは……」
「大きなオークション会場に持ち込めば、一体幾らの値がつくのやら」
「値段なんかつくもんか。五大国の王族ですら持っていないような代物だぞ」
普段から迷宮などで手に入る高価な宝石や魔導具、魔物の素材などで目が肥えている『龍の牙』の冒険者達ですら、時知らずのアイテムポーチを前に興奮を隠せずにいた。
「俺の知り合いに高位の錬金術師がいるんだが、財務大臣に時知らずのアイテムポーチを渡す前に製法の解析や複製が可能かどうかを調べてみないか?」
「それができりゃ苦労はしないだろう」
「それは今まで時知らずの現物を誰も手に入れることができなかったからだ。恐らく……財務大臣も同じことを考えているはずだ! それに『ネームレス』の連中は全員が時知らずのアイテムポーチを持っているんだ。なんなら、あの猫人の女から聞き出すのもいいかもしれない。
なあ。キリンギリン、やってみる価値はあるだろ?」
興奮を抑えきれぬ男がキリンギリンに詰め寄るのだが。
「ダメだ。俺らの目的は時知らずのアイテムポーチを量産することでも、ましてや金儲けをすることでもねえ」
時知らずのアイテムポーチの製法や量産、仮に成功した際に手に入るであろう莫大な富にすら、キリンギリンは少しも興味を示さなかった。
「それはわかってる。だが、今後の『龍の牙』のことを考えれば、金はあるに越したことはないだろ?」
「俺も賛成だ。今回の件で財務大臣が後ろ盾になるが、それでも他のクランを取り込むのに力だけじゃなく金が必要になるはずだ」
「それに手に入るのは金だけじゃねえぜ。
時知らずのアイテムポーチを持っているだけで『龍の牙』の名は、なにもしなくてもレーム大陸中に響き渡るんだぜ? そうなれば他の四つのクランよりうちが頭一つどころの話じゃない。ぶっちぎりでトップだ!」
それでも諦めきれない男達が食い下がるのだが。
「ダメなもんはダメだ。そんなことで『龍の牙』の名が広まって嬉しいか? 俺らの力で『龍の牙』をウードン王国で最大のクランにすることに意味があるんじゃねえのか? それを――どうした?」
時知らずのアイテムポーチをどうするかで揉めている間も、ただ一人その輪に加わらなかった男にキリンギリンが話しかける。
「あの野郎……。あとは俺に任せろって言っておいて、やってることは女を嬲ってるだけじゃねえかっ!!」
男の目には、ボロボロのフラビアを殴り続けるドミニクの姿が映っていた。
「ぅ……ウ゛……チの、ア、イテ……ム……ポーチ゛を、がえぜっ!」
「あれはお前みたいな塵が持つには分不相応な物なんだよ。俺らりゅ――が有効活用してやるから安心して死ねよ」
その可愛らしい顔を倍ほどに腫らし、身体中痣だらけのフラビアが力を振り絞って短剣技『刺閃』を放つ。速度を重視した刺突を放つ技なのだが、利き腕である右腕は折れているため左腕で、さらにはドミニクの拳打によって身体でまともな部分を探すのが難しいほど痛めつけられている状態では、まともに技を発動させることなどできようはずもなく。その一撃は閃の名を冠する技とは思えないほどあまりにも遅く、ドミニクにいとも容易く躱される。
「はっはー!! なんだぁ、その突きは? ゴブリンでも、もう少しマシな突きを放つぞっと!!」
ドミニクが躱しざま、フラビアの鳩尾へ拳打を叩き込む。
「う゛お゛え゛えぇっ……」
フラビアが口から血反吐とともに胃液を吐き出す。幾度もドミニクの拳打を鳩尾に喰らい、その度に嘔吐していたためにフラビアの胃の中は空っぽであった。
「きったねえな」
自分があえてそのような痛めつけ方をしておいて、ドミニクは蔑む目をフラビアに向ける。
「あんのクズ野郎がっ! ぶっ殺してやる!!」
ドミニクがフラビアを嬲る光景を睨むように見続けていた男が、我慢の限界を超え殺気を漲らせて向かおうとするが、仲間が男の肩を掴んで止める。
「放っておけよ。ドミニクは俺らよりずっと前からカマーで活動していたのに、成果を出せなくて焦ってたからな。そんなときに俺らキリンギリン組が横から手柄を掻っ攫ったんだから苛ついてんだろ」
「もったいねえよな。
あのルーキー根性もあるし、腕もそれなりだったのによ。あれじゃもう使いもんにならねえぜ。ありゃ完全な八つ当たりだな」
「八つ当たりだろうがなんだろうが、これが『龍の牙』に所属する者のすることかよ! なあ、キリンギリンっ!! 俺らはこんなクソみてえな真似をするためにクランに命懸けてんのかっ!!」
「どうせ殺すんだ。いいじゃねえか」
「お前もあのクソ野郎と同類なのか?」
「あ゛あ? 誰がクソ野郎だって!?」
「よせっての。俺らが争ってどうすんだ」
「キリンギリン、俺もドミニクのやり方は気に入らねえな。
あのフラビアって獣人は俺ら相手に臆することなく、最後まで諦めずに戦ったんだぜ。例え敵であっても敬意を表すべきじゃないのか? 嬲るなんて真似をせずに、一思いにとどめを刺すべきだ」
フラビアへの対応で揉めているキリンギリン達をよそに、フラビアの命は徐々に、だが確実に失われようとしていた。
(ウ、ウチ……死ぬのかな……。お、王様、み…………みんな……)
すでにフラビアに反撃する力は残っていなかった。負けん気だけで、辛うじて立っている状態である。
「お前らみたいな弱小クランが、どれだけ俺の手を煩わせたかわかってんのか? おかげでキリンギリン達に手柄を奪われる始末だ」
「……ぉ……まえ……うだ……」
「あん? なんだって」
フラビアの口元に顔を近づけるドミニクへ、フラビアは唾を吐きかける。
「ざ、ざまあみ……ろ。お、前が……無能だからって言った……にゃっ」
「こ、このクソ雌猫がっ!!」
怒り狂うドミニクがフラビアの背中に拳打を叩き込む。
そのあまりの激痛に、なにがあっても倒れるものかと歯を食いしばっていたフラビアですら膝から崩れ落ちるのだが、ドミニクがそれを許さない。フラビアの髪を掴んで無理やり立たせる。
「どうよ? この技は『腎臓打ち』っていうんだがよ。武技の下位技だなんだって呼ばれる格闘技もバカにできねえだろ? 数日はションベンが真っ赤になるだろうが。まっ、今から死ぬお前には関係ないか」
「う゛ぅっ……ぉ……」
呼吸もままならないのか。最早フラビアは悪態をつくことすらできなかった。
「それにしても可愛い顔してたのによ。今じゃ見る影もねえな。その顔見ても、親ですら気づかねえぞ」
フラビアの惨状に溜飲を下げたのか。他者が見れば不快に思う笑みを浮かべるドミニクの頬に一筋の朱線が走る。
「なにしやがる!!」
「いい加減にしろ。お前はどこまで恥を晒せば気が済むんだ」
ドミニクの凶行を止めたのはキリンギリンであった。槍を手にしているとはいえ、キリンギリンからドミニクまでの距離は優に十メートルはあるにもかかわらず、どのようにして穂先をドミニクまで届かせたのか。その早業を周囲で見ていた者達ですら、目に止めることは叶わなかった。
「俺はあんたのパーティーメンバーじゃないんだぜ。リーダーでもない奴から命令される覚えはない!」
大きなクランでは複数のパーティーで構成される。レベルによって一軍や二軍にわけるクランもあれば、役割によって組分けすることもある。
それは『龍の牙』も同様で、以前から都市カマーに来ていたドミニクやボリスのパーティーは斥候職や徒手空拳を得意とする、どちらかといえば諜報に向いた者達で構成されていた。逆にキリンギリン達は戦闘や争いごとを得意とする者達で構成されていた。
「同じことを言わせるな。それとも俺と殺り合うか?」
「くっ……。あんたとは……殺り合うつもりはねえよ」
徒手空拳を得意とするドミニクですら、キリンギリンとまともに殺り合えば勝機は万に一つもないのだ。
いまだ納得がいかないのか、悔しさを滲ませながらドミニクはフラビアを解放する。それを確認してから、キリンギリンがドミニクにアイテムポーチを投げ渡すのだが、地面に横たわるフラビアがアイテムポーチに腕を伸ばすも、空を切るばかりである。
「お前の足なら四日もあれば着けるだろう」
「そいつはどうすんだよ」
「こちらで処理する。早く行け」
ドミニクが雑木林の奥へ消えると同時に、男達は臭い玉を周囲に投げる。これは『龍の牙』が、事前にユウ達のことを調べており、マリファの従魔であるコロがドミニクを追跡するのを防ぐためであった。
「仲間が嬲るような真似をして済まなかった」
「ぅっ……くぅ……っ」
フラビアは動かぬ身体を無理にでも動かそうとするのだが、先ほどから身体が全く言うことを聞かないのだ。
そしてキリンギリンが謝罪の言葉を述べているが、自分にトドメを刺そうとしているのは明らかであった。
キリンギリンが槍を構え、その穂先をフラビアへ放とうとしたそのとき――
「キリンギリンっ、躱せ!!」
仲間の一人が叫ぶよりも速く、キリンギリンはその場から飛び退いていた。キリンギリンがいた場所には不可視の風の刃が地面に深々と傷跡を残していた。
木々の間から姿を現したのはアガフォン達である。
「ちょ、ちょっと! フラビアよね? 生きてるの!? 返事しなさいよ!!」
アカネが慌ててフラビアのもとへ向かい。フラビアのあまりにも酷い有様に絶句する。遅れて来たアガフォンがフラビアの状態を確認し、ある物がないことに気づくと胸ぐらを掴んで持ち上げる。
「アガフォン、ダメだよ!!」
モニクの制止する声を無視して、アガフォンはフラビアに問いかける。
「おいっ、アイテムポーチはどうした?」
感情を押し殺しながらであるが、アガフォンの声には押さえきれぬ怒りが含まれていた。
「…………ぁ。と……盗られ……た……ぁ。と、盗った……奴は……に……げた……」
アガフォンの全身の毛が逆立つ。目をひん剥き、歯を剥き出しにしてフラビアを睨みつける。
「今すぐにでも、お前をぶっ殺してやりてえところだが、そうはいかねえ! なんでかわかるか? 俺らが仲間だからだ!!」
「ごっ、ごめ……ん……。み゛ん……な、ごめん……」
どれだけドミニクに嬲られようが耐えていたフラビアの腫れ上がった目蓋から、涙が一筋地面へとこぼれ落ちた。
「ベイブ、このバカの回復と付与魔法だ!」
そう言うと、アガフォンはベイブに向かってフラビアを放り投げ、ベイブが慌てて受け止める。
「う、うん。わかった」
「モニクはベイブとアカネのことを頼んだぞ!」
「言われなくても、わかってる」
「オトペとヤーム、相手は俺らより格上だ。油断するなよ!!」
「わかっている」
「あいつらっ、よくもフラビアを!」
相手の身のこなしや隙のなさから、アガフォンはある程度の力量を推し量る。そして、それはキリンギリン達も同じであった。
「おいおい、どういうことだよ。見張りの連中はなにしてたんだ? まさか、こいつらに殺られたんじゃねえだろうな」
「それはないだろ。こいつら、それなりにできるようだが、あくまでそれなりだからな」
「さっき飛ばしてきた風の刃は魔法剣か?」
「そりゃないっしょ。獣人だぞ? 多分あの大剣のスキルだろ」
「呑気にお喋りしてる場合じゃねえぞ。見ろよ。あのハーフオーク、白魔法と付与魔法を同時に使いこなしてやがる」
表情にこそ出さなかったものの、キリンギリン達は内心驚きを隠せずにいた。オークの劣等種として認識されているハーフオークが、魔法を使うだけでも通常ではあり得ないことなのだが、ベイブは白魔法、付与魔法の二系統の魔法を同時に展開しているのだから驚くなと言う方が無理であろう。
「舐めやがって!」
獣の如くアガフォンが歯を剥き出しにして威嚇する。
キリンギリン達の軽口を叩く態度と余裕に、アガフォンは舐めていると判断したのだ。事実、キリンギリン達は隙こそ見せないものの、アガフォン達が雑木林に囲まれたこの場所をどのようにして知ったのかをわかっていないにもかかわらず、全く取り乱してはいなかったのだ。
しかし、キリンギリン達も無駄に軽口を叩いていたわけではない。ベイブの付与魔法によってアガフォン達が強化されている間も、ニーナやレナにマリファ、特にユウがどこかに潜んでいないかを注意深く探っていたのである。
「アガフォン、奪われたアイテムポーチを鼻で追えるか?」
「ダメだ。この辺一帯に強い臭いが撒き散らされてて、鼻がバカになっちまった」
「ならば、この者達を倒して聞き出すしかないな」
オトペはアガフォンの嗅覚がダメとわかると、些かも落胆することもなく槍を構える。戦闘に特化した魔人族らしい姿であった。
「よくもフラビアに酷いことしてくれたわねっ! 特別にあんた達には私の妖精魔法を見せてあげるわっ!! プリプリプラーン、プリリンプリリンポラモー、プンポッポ」
アカネが腰に手を当て、お尻をフリフリさせながら詠唱を始める。
「妖精魔法だ。対象にバッドステータスを与える効果のモノが多いから気をつけろよ」
「わかってらぁ!」
アカネが使用したのは妖精魔法第3位階『幻鱗粉』、輝く鱗粉がキリンギリン達の視界を奪う。
「しゃらくせえっ!」
双剣の男が精霊魔法第1位階『ゲイル』を発動。強風が鱗粉を遥か彼方へと吹き飛ばす。
「吹き飛ばせば鱗粉なんざ怖くもなん――おっ!?」
視界が開けた先には、同じく双剣使いのヤームが突っ込んですでに剣を男の頭部へと振り下ろしていた。
間違いなく相手の虚を突いたヤームの斬撃は、並の相手であれば命を、悪くても重傷を負わせることができる一撃であったのだが。
「おっと。危ねえな」
「こいつっ……!」
双剣使いの男はおどけながらも、ヤームの攻撃を軽くいなしたのだ。その実力は怒りで頭に血が上っていたヤームに、落ち着きを取り戻させるのには十分であった。
「殺すっ!!」
「やるやるっ! はっはー! ルーキーのクセにやるじゃねえか!!」
激しい剣戟を繰り広げるアガフォンであったが、相手に剣の腕では敵わないと見るや、鍔迫り合いに持ち込む。
「判断と決断も悪くない。さすがは獣人だ。膂力じゃ俺の方が負けてるようだな」
「そのまま調子に乗って死ねっ!!」
身体ごと相手に重圧をかけ、アガフォンは大剣の鍔元から切っ先にかけて指を滑らせる。
すると、黒曜鉄の大剣・七星に秘められた七つのスキルの一つが発動する。
「ちっ」
男は舌打ちすると、アガフォンから大きく距離を取る。
「剣に雷を纏わせやがった。
その黒曜鉄の大剣、風と雷の二つのスキルが付与されているな。恐らく迷宮産だろうが、厄介な武器を持ちやがって嫌になるぜ」
舌打ちをしたかったのは、アガフォンの方であった。今まで外したことのない雷を纏わせてからの斬撃を初めて躱されたのだ。それも相手は無傷である。
また少し離れた場所で交戦を繰り広げていたのは、魔人族のオトペである。
「はあっ!!」
オトペの槍技『三段突き』を辛くも躱したのは、剣と盾を持つスタンダードな剣士スタイルの男である。しかし、その表情に余裕などなく、オトペに押されていたのだが。
「くそっ。こいつだけ別格だぞ」
「問題ない。
三人で対応すれば、十分に倒せる相手だ」
「まあ、そうだな。しっかし、俺達がルーキー相手に三人がかりか」
戦斧、棍を持った男達が参戦すると、逆にオトペが押され始める。
「ベイブ、まだフラビアの治療は終わらないのっ!」
「こ、これだけの重傷を、か、簡単には治せないよ」
モニクもベイブに無理を言っているのはわかっているのだが、目の前でアガフォン達が敵に圧倒されているのだ。すぐにでも援護に向かいたい気持ちが焦らせる。
「モニクっ!」
「わかってるわよ!!」
アカネが叫ぶのと同時に、男が横殴りにダマスカスの大鎚を振るう。轟音とともに、モニクが構える黒曜鉄のタワーシールドに大鎚が叩きつけられる。
その一撃は、盾を持つモニクの腕が千切れたかと思うほどであった。現に頑丈が取り柄の黒曜鉄で作られたタワーシールドは、たった一撃受けただけで大きくたわみ、歪に変形していた。
「ほう。女のクセに俺の一撃を受け止めたか。しかも、盾技『石壁』を無詠唱で使ったな」
「あんたこそ。男のクセに大したことないのね」
「グハハ。言ってくれるじゃねえかっ」
言葉とは裏腹にモニクには余裕がない。
個の力で敵わぬのなら連携で対応する。それがアガフォン達の戦い方なのだが、相手がその連携を許さない。逆に相手の連携によって、アガフォン達は分断され、徐々に体力を削られていた。寧ろ、まだ誰一人死なずに戦い続けているのは驚嘆である。
「はぁ、はぁ。へっへ。ざまあ見ろっ! 俺達『龍の牙』がちょっと本気を出せば、こんなもんだぜ。
はっはぁ。あとは王都まで突っ走って行けば依頼完了だ」
雑木林の間を駆けるドミニクは、都市カマー北門へと向かっていた。人混みに隠れながら門の外へさえ出れば、あとは追手が来ようが逃げ切る自信がドミニクにはあった。
「よし。出口が見え――がああっ!?」
突如、足に激痛が走り。ドミニクが派手に転ぶ。
痛む足へ目を向ければ、黒い荊棘がドミニクの足に幾重にも絡みついていた。
「あ……ああ……ぁ。て、てめえはっ!? ぎゃああああっ!!」
ラスが魔力を込めると、黒き荊棘がドミニクの足へ深々と喰い込んでいく。肉から骨にまで達した荊棘により、ドミニクのズボンは血に染まって真っ赤である。
「言葉には気をつけろ蛆虫がっ。
貴様如きが、許可なくマスターに話しかけていいと思っているのか?」
「ラス、やめろ」
「かしこまりました」
ラスから発されるあまりにも膨大で禍々しい魔力に、恐怖からドミニクは全身の震えを押さえることができなかった。
なぜ、このような化物がBランクとはいえ、人族の少年の言うことを聞くのか。ドミニクには理解できずにいた。
「お、お……俺に……なんの用だっ!」
「とぼけんなよ。『龍の牙』のドミニクだっけ?」
ドミニクの全身から冷たい汗が噴き出した。ユウとはたった一度しか会っていない。名前もクランも名乗ったが、どうしてここにいるのか。どこまで知られているのか。様々な考えがドミニクの脳裏を駆け巡る。
「立たせろ」
「ぐああっ……」
黒き荊棘がドミニクを吊るし上げるように、無理やり立たせた。
「ライナルト・ヘルターの命令か?」
「ライナルト? 誰だそりゃ。へっへ。女の名前ならいっぱい知ってるんだがよ」
「財務大臣に依頼されたのか?」
「知らねえつってんだろうがっ! それよりさっさとこの荊棘を解きや――」
下腹部で、なにかが潰れる音がドミニクにはハッキリと聞こえた。
「か……は……っ!?」
「大袈裟に痛がるなよ。一個潰しただけだろうが」
あまりの激痛にドミニクは叫び声を上げることもできずにいた。
下腹部が、様々な液体によってズボンに染みが拡がっていく。
「よかったな? もし、フラビアが死んでいれば、こんなもんじゃ済まなかった。
ラス、拘束を解いてやれ」
「はっ」
黒き荊棘の拘束を解かれたドミニクは、立っていることもできずに地面へと蹲る。
「休んでる場合か?」
「……っ!? ぐ、くうぅ……ご、ごの野郎っ!」
ドミニクの前には、ラスが召喚した五匹のヘルハウンドが整列していた。腐敗臭を放つヘルハウンドは、いつドミニクに襲いかかっていいのかと、その無慈悲な命令をいまかいまかと待ち望んでいた。
「お……俺は……な、なにもじゃべら……ねえ……ぞっ!!」
「お前みたいな塵が知ってる情報なんて興味ないな。
それよりチャンスをやる」
「チャ……チャンスだとっ?」
「そうだ。
今から、このヘルハウンドをお前にけしかける。王都にある『龍の牙』のアジトにまで逃げ切れればお前の勝ち。途中で喰い殺されればお前の負けだ」
「りゅ、龍の……牙なんて、し、知らねえなっ」
「あっそ。それより早く逃げた方がいいぞ。
こいつらは、お前が全力で逃げないと喰っていいと命令してる。少しでも休んだり、ポーションなんかで、その傷を回復させる素振りを見せれば終わりだ」
「ご、ごのグゾ……野郎がっ!!」
「早く行けよ。
それとも、ここで無駄死にするか?」
「ぐぅぅ……っ!? ぐあっ!! ち゛、ぢぎじょうっ!!」
少し身体を動かすだけでも、信じられないほどの激痛がドミニクを襲う。
それでもドミニクは立ち上がった。ここで死ぬわけにはいかなかった。王都まで時知らずのアイテムポーチを届けるのが自分の使命であったからだ。
ドミニクが走り去るのを見届けてから、ヘルハウンド達は軽やかにそのあとを追いかけていった。
「宜しいのですか?」
「なにが?」
「アイテムポーチを奪い返さずに」
「ああ。ある意味予定通りかもしれない。ほんの少し予定とは違うだけで問題はないな」
納得がいかない様子のラスであったが、ユウがそう言うのであればアイテムポーチについて、それ以上言及することはなかった。
「では、今から蝿共を助けに?」
「蝿って、お前……。
とにかく。助けに行かないとあいつらじゃ、勝てな――いや、やっぱり帰る」
「宜しいので? あの者達では万に一つも勝機は見いだせぬかと」
「自分で蒔いた種だ。ここで死ぬのなら、その程度だってことだ」
ラスがユウを見つめる。
アガフォン達が死のうが生きようが、正直に言えばラスにはどうでもいいことなのだが。しかし、自らの主であるユウは違う。
なにかあると、ラスは周囲に配置してあるアンデッドの従魔と意識を繋げる。
「なるほど……」
「なにが、なるほどだよ」
ラスが空を見上げれば、雷を纏いながら落ちていく少女の姿が見えた。また、雑木林を駆けていく二匹の獣と憎たらしいダークエルフの姿も。
「いえ、なにもございません」
「嘘つけよ。ほんっと最近生意気になってきたよな」
「マスター、おやめ下さい」
ユウがラスの尻に膝蹴りをペシペシと当てる。
「そういうことだから、グラフィーラも追いかけなくていいぞ」
気配を消して木々の後ろに隠れていた奴隷メイドの一人である狼人のグラフィーラと従魔のエカチェリーナは、自分達が気づかれていたことに驚くでもなく、ユウの前に姿を現すと、その場に跪いた。
「服が汚れるから一々跪くな。
もし、マリファになにか言われたら、俺の名前を出せばいい」
ユウの言葉は絶対である。それは、たとえマリファの命令であっても逆らうわけにはいかない。グラフィーラは無言で頷くしかなかった。
「ぜぇ……ぜぇぜぇ、クソがっ。モニク、生きてるかっ?」
「はぁはぁっ。い……生きてるわよ」
アガフォンの呼びかけに、全身傷だらけのモニクが答える。周囲を見渡せば、オトペやヤーム、傷から辛うじて動けるまで回復したフラビアまで、満身創痍である。しかし、後衛職のベイブとアカネだけは、ほとんど傷がなかった。これはモニクを始め、皆が護り抜いていたからだ。
「こいつら、まだ動けるのかよ」
「もったいねえな。これだけやれるルーキーを殺すなんてよ」
「全くだ。うちに欲しいくらいだぜ」
危うく口を滑らせそうになった男を、キリンギリンが睨みつける。
慌てて別の男が、口を滑らしかけた男を叱責する。
「おいっ、余計なことを言ってんじゃねえぞ!」
このアガフォン達との戦いの中でも、キリンギリンだけは一切戦闘に参加していなかった。これはキリンギリンが持つある種の危機察知能力が働いていたのかもしれない。常に周囲に意識を向け、警戒していたのだ。しかし、それも杞憂であったかと、キリンギリンが動こうとしたそのとき――
天から雷が落ちて――否。降ってきた。
「な、なんだっ!?」
「雷だ。雷が落ちてきた!」
「バカな。この空で――」
空を見上げれば晴天である。
「……とうっ!」
土煙が晴れたそこにいたのは、レナであった。
「レナさんっ!!」
レナの姿に、先ほどまで死すら覚悟していたアガフォン達に光明が見える。
「こりゃ拙いぞ。『ネームレス』の幹部だ」
「……幹部? 照れる」
レナがこの場に現れたのは全くの偶然であった。偶々、空を飛行していたレナが、アガフォン達の姿を見つけ、驚かそうと雷を纏い降り立ったのだ。
しかし、アガフォン達の痛々しい姿に、レナの恥ずかしがっていた表情がみるみる強張っていく。
「……笑えない」
レナの全身を、怒りに呼応するかのように魔力が駆け巡る。
「あの女は見かけとは裏腹に高位の魔法を使う。
キリンギリン、こりゃ撤退も考えた方がいいかもしれないぜ」
「たった一人増えたくらいで、ビビってんじゃねえよ」
「ビビってるわけじゃねえ。依頼は達成したんだ。無駄な犠牲を出す必要はないだろ?」
仲間の提案にキリンギリンも賛成であった。
財務大臣の依頼であった時知らずのアイテムポーチは手に入った。
あとはアガフォン達を殺し、証拠や自分達がいた痕跡を消せば『龍の牙』の関与を疑う者など誰もいないはずであった。
しかし、そこにレナが現れたのだ。
レナが高位の魔法を使いこなすことも『赤き流星』に所属するBランク冒険者と一対一で勝負して勝っていることも、キリンギリン達は当然情報収集して知っている。
仮に戦っても負けることはないだろうが、自分達に犠牲が出るやも知れぬ。最悪なのは生きたまま誰かが捕らわれることである。自分の仲間に拷問で口を割るような者など、ただの一人としていないと自負するキリンギリンであるが、魔法や薬を使われれば話は別である。
「逃げるって意見には賛成だが、そうは簡単にさせてくれないみたいだぜ」
「なっ!? なんだこの霧は、いつの間に……」
キリンギリン達ですら気づかぬ内に、雑木林を濃い霧のようなモノが覆っていた。
「これだけのことをしでかしておいて逃げられるとでも?」
濃い霧に見えたのは、マリファの従魔であるランの固有スキル『雲海』によって創られた魔力でできた雲である。そして、雲の中からマリファとコロが姿を現す。
「誰も逃しませんし、逃げられませんよ」
そう言いのけると、マリファは両手でスカートの端を掴み、カーテシーでキリンギリン達に挨拶する。本来、挨拶とは友好的であるはずなのに、マリファのその姿は敵意に満ち溢れていた。




