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第222話:泥化粧

 都市カマー冒険者ギルド。

 そこには日々発展していく都市カマーに呼応するかのように、一階の広間には所狭しになるほどの冒険者達で賑わっていた。

 普段であれば、どの席にいる冒険者達もどこそこの迷宮の名ありの魔物を倒しただの、何回層でお宝を見つけただの、自分達の冒険譚や自慢話で盛り上がっているのだが。

 どうやら今日は様相が違うようであった。


「聞いたか? ウッド・ペインに現れた木龍が討伐されたってよ」


「さすがの木龍も、ウードン王国が誇る精鋭三万の騎士に『ウードン五騎士』が二人もいちゃ負けるんだな」


「それがよ。なんでも倒したのは別の奴かもしれないって話なんだよ。それも驚くことにたった一人っ!」


「はああああー? バカバカしい。そんなわけあるか。相手は龍だぞ龍っ! どこのどいつが一人で……そういや、最近ジョゼフを見かけないな」


「だろ? ジョゼフなら龍とタイマン張って勝っててもおかしくもなんともねえからな。なにしろあの野郎は、デリム帝国にいたころに火竜や地竜なんかの竜種から、砂龍だって倒してるんだからな」


 違うグループのテーブルでは。


「だから~! 木龍が大暴れしてウードン騎士団の連中は二万人以上が戦死したってよ」


「嘘つけっ! 『天翔剣』グリフレッドと『絶対なる勝利をもたらす騎士』パラムがいて、そんな死傷者を出させるわけがねえだろがっ! しかも木龍は討伐されたそうじゃねえか」


「そんだけ壮絶な戦いだったってことだろうがっ!」


「俺が聞いた話じゃあ。ウードン騎士団の死傷者はわずかで精々数百人ってところで、王城の中庭にはパラムのエクスカリバーで真っ二つにされた木龍の亡骸が飾られてるそうだ。王族や貴族連中は自分らの手柄でもないのに、木龍の亡骸を鑑賞しながら酒を飲んで誇らしげにしてるってよ」


 また別のテーブルでは。


「知ってるか?」


「なにがだよ」


「王都じゃ木龍討伐の話で大騒ぎらしいぜ」


「ばーか。そんなのカマーだって一緒じゃねえか。あっちもこっちも木龍討伐の話ばっかだろうが」


「違うんだなそれが」


「なにが違うんだよ」


「木龍を討伐したはずのウードン王国の騎士団が帰ってきたんだが、肝心の木龍の亡骸はないってよ」


「そんなバカな話があるか。龍はどいつもこいつもバカでけえから、持って帰ってこれなかっただけだろ」


「バカはお前だ。

 龍の亡骸だぞ? どれだけの価値があると思ってんだ」


「じゃあ、木龍の亡骸はどうなったんだよ?」


「それは……俺も知らねえ」


「バカはおめえじゃねえかっ」


「なんだとコラッ!!」


 このように王都から遠く離れた都市カマーですら、木龍討伐の話題でもちきりであった。

 そんな賑やかな冒険者ギルド内には多くの冒険者が出入りしているのだが、一人の冒険者の姿が目に入ると、先ほどとは違った意味で冒険者ギルド内がざわついた。


「おい、見ろよ。ネームレスのユウだぜ」


「なんだよ。今日は一人なのか。

 レナちゃんに会えると期待しちまったじゃねえか」


「いつも一緒にいるはずのマリファお姉様の姿がないなんて……」


「ニーナちゃんもいないのか」


 好き勝手を言う冒険者達の視線を受けながら、何事もないかのように受付へと向かうユウの前にコレットが歩み寄る。


「ユウさん、おはようございます!」


 誰に対しても分け隔てなく明るく元気に接するコレットであるが、今日は普段以上に元気一杯であった。溢れんばかりの陽の気を纏ったその様はまるでお日様のようである。ユウですら思わず挨拶を返すのを忘れるほどであった。


「おはようございます。今日はいつにもまして元気ですね」


「そうですか? いつもと変わらないと思うんですが」


 そう言いながらも、コレットは意味深長な目でユウを見つめる。その表情は「私にはわかっているんですからね」と言っているようであった。


「なにか言いたいことでも?」


「なにもありませんよ。でも、ユウさんの方こそ私になにか言うことがあるんじゃありませんか?」


 普段のコレットでは決して言わないような、どこか意地悪な問いかけであった。


「あ――」


 ユウがなにか言いかけたそのとき――


「ユウくーんっ!!」


 アデーレが突っ込んできて、ユウに抱きついた。

 常人であればアデーレのタックルのような抱きつきに吹き飛ばされていただろう。しかし冒険者であるユウは微動だにせず、その場でアデーレを受け止めた。


「なっななっ、アデーレさんっ、なにをしてるんですかっ」


 突如ユウに抱きついたアデーレにコレットが慌てふためくのだが、アデーレはそんなことお構いなしである。


「ユウくんが木龍を討伐したんでしょ?」


「違いますよ」


 倒したのはクロだから間違いではないのだが。


「ううん。私には(・・・)わかっているの! ユウくんがなんとかしたのがっ!!」


 側ではコレットが「あーっ! そ、それは私のセリ……ごにょごにょ」なにか言いたげであったのだが、口をもごもごするだけで黙ってしまった。

 そして、コレットがもたついている間に新たに参戦する者が――


「こらーっ! アデーレ、ユウちゃんから離れなさい!!」


「フィーフィさん、邪魔しないで下さい!

 私はユウくんに故郷の村を救ってもらった恩を返さないといけないんです! 富も名声も持っているユウくんに、一介の受付嬢である私が差し出せるものといえば、か、かか、身体くらいしか……いやん」


 顔を真っ赤にしてアデーレは身体をくねらせる。


「はあっ!? な、に、が、身体くらいよ!! そんなのユウちゃんには迷惑でしかないんだから、離れなさーい!!」


「確かに私も二十になりましたが、それでも二十四歳の……あっ、この間誕生日を迎えて二十五歳になったんで、四捨五入して三十歳……三十路前のフィーフィさんよりは瑞々しい身体のはず!」


「ぎゃああああっ!? なに四捨五入してんのよ! こ、このっ! なにさり気なく私の歳をユウちゃんにバラしてんのよ!!」


 ユウにしがみつくアデーレを引き離そうとフィーフィが力を込めるが、アデーレは「ふぬぬっ……」と踏ん張っており、離れる気配が全くない。二人の醜い争いをコレットは見守ることしかできずにいた。


「い、いい加減にっ、離れな――あっ」


 アデーレを引き離そうとさらに力を込めたフィーフィであったが、その際に足がもつれて図らずもユウに抱きついてしまう。しかも、焦って手をバタつかせたせいで、フィーフィの両手はがっつりとユウの臀部――つまり尻を鷲掴みしていたのだ。

 周りで呆れ果てた様子で見守っていた冒険者達も、フィーフィの奇行に目を凝らす。


「おほっ、ユウちゃんのお尻は想像以上の柔らか――ちがっ!? そう、違うのよ!! ユウちゃん、これは違うの!! 私は決してお尻を触ろうとしたわけじゃなく。そりゃ偶然とはいえ、ユウちゃんのお尻に触れてラッキーとか思ったりしたり――違うの!! とにかく信じてユウちゃんっ!!」


 一気にまくし立てるフィーフィとは裏腹に、ユウはつい最近もこんなことがあったなと思い出していた。


「フィーフィさん、わかってますから落ち着いて下さい。

 それに前にニーナが言っていました。ウードン王国では女性が男性のお尻に触れるのは、挨拶みたいなものだと」


「えっ」


「へ?」


「っ!?」


 コレット、アデーレ、フィーフィが驚きの声を漏らす。三人の中でもフィーフィの脳内では数千から数万にも及ぶ自問自答が繰り返されていた。


 聡いユウちゃんが、そんな明らかな嘘に騙される!?

 ウードン王国にそんな挨拶はない。

 ニーナちゃん、どうしてそんな嘘を?


 ううん、違う! 今、大事なことは――


「そう! そうなのよ。これは挨拶なの!!」


 真面目な顔で言い放つフィーフィであったが、次の瞬間には淫らな顔でユウの尻を揉みしだいていた。


「あ、あのフィーフィさん、さすがにそれは恥ずかしいのですが……」


「そ、そそ、そうですよ!! フィーフィさん、ユウさんのお、ぉ……し……りから手を放して下さい」


「コレット、声が小さくてよく聞こえないわ。なんだったら挨拶なんだから、あなたも混ざればいいじゃない」


「わわ、私がユウさんのお――尻を」


 そこまで言って、コレットは湯気が出るのではと思うほど顔を真っ赤にして、両手の人差し指同士を突き合わせてモジモジする。


「なにをやっているのです」


「いっだぁっ!?」


 頭を小突かれたフィーフィが蹲る。横を見れば、自分と同じようにアデーレも頭を抱えて蹲っていた。


「エッダさん、おはようございます」


「ユウさん、おはようございます。うちの躾がなっていない受付嬢達が、失礼をしたみたいですね」


 一見穏やかな笑みを浮かべるエッダであったが、目が笑っていないことにユウは気づいていた。


「さあ、ギルド長が部屋で待っています」


「わかりました」


 エッダは階段へとユウを促すだけで、自身は動かずにいた。


「エッダさんはついてこないんですか?」


「ええ。そのつもりでしたが、急用ができました」


 ユウの視線の先には、音を立てずに逃げ出そうとするフィーフィとアデーレの姿があったのだが。


「フィーフィ、アデーレ、私から逃げるつもりですか?」


「ひっ」


「エ、エッダさん、勘弁して下さい」


 ユウは最早なにも言うまいと、背後から聞こえてくるフィーフィとアデーレの助けを求める声を聞こえぬふりをし、その場を後にした。


「なんじゃ、今日は一人か」


 ユウがギルド長室に入ると、モーフィスは頭皮にユウから極秘に譲り受けている液体を塗り込んでいる最中であった。


「なんじゃもなにも、お前が一人で来いって言ったんだろうが」


「こらっ。お前とはなんじゃお前とはっ! 儂は年長者じゃぞ! それに一人で来いと言ったのは、その方がお前にとって都合がいいと思ったからじゃ」


「年寄り扱いしたら怒るくせに。それより話ってなんだよ。あっ『大地の息吹』をもっと寄越せって言うのならダメだぞ」


 『大地の息吹』とは、モーフィスが頭皮に塗り込んでいる毛生え薬のことである。たかが毛生え薬に大層な名前をつけたのは、言うまでもなくモーフィスである。


そっち(・・・)の心配はしておらんわい。十分な量を貰っておるからな。じゃが……どうしてダメなんじゃ?」


「商人の連中が欲しがってんだよ」


「なんじゃとーっ!!」


 冒険者ギルド中に響いたのではと思うほど、大きな声でモーフィスは叫んだ。


「ちっ。煩いな」


「ど、どどど、どどいう、どういうことじゃ。ん? んん? あれを売るなんてとんでもない。わかっておるのか?」


「焦らなくても爺さんの分は確保してるよ。ちょっと興味を引くかなって商人に見せたら、思いのほか食いついてきたんだよ」


「当然じゃ! あれは、あれは儂の髪――ごほんっ。まあ、儂の分は確保しておるのなら、まあいいじゃろう」


 いいじゃろうではない。ユウが作っている薬を誰に売ろうがモーフィスにとやかく言われる筋合いはないのである。


「呼び出したのは他でもない。財務大臣の件じゃ」


 モーフィスは髪を弄りながらちらりとユウを盗み見るが、ユウは興味を示す様子すらない。


「ん、んん。実は財務大臣の屋敷へ招かれておる」


「それが?」


「儂だけではない。冒険者ギルド総本部の長であるカールハインツ・アンガーミュラーも招かれておる。

 財務大臣の使いの者は詳細は屋敷で話すと言って、どのような用件かは明かすことはなかったが――十中八九、お前が絡んでおるじゃろ」


「ふーん」


「ぐぬぬっ。それだけか? 言っておくが、都市カマー冒険者ギルドを預かる長として、お前だけを特別扱いすることはできん。

 財務大臣バリュー・ヴォルィ・ノクスは、ウードン王国内でもっとも権力を持つと言われておる貴族じゃ。儂も理由もなく召喚を断るわけにはいかん。

 明日にも儂はカマーを立たねばならんが、本当になにも言うことはないんじゃな。なにかあるなら今のうちじゃぞ」


「特別扱いはしないって、財務大臣から召喚されていることを俺に言っている時点でダメだろ」


 老獪なモーフィスがそのことに気づかぬわけがない。知っていてユウに情報を流しているのだ。


「はて、なんのことか儂にはさっぱりわからんな。儂はあくまで独り言で呟いておっただけじゃからな。

 まあ、なにもないならいい。あー、話は変わるが木龍を討伐したのはお前か? それともジョゼフか?」


「俺じゃない。クロだ」


 普通ならゴブリンが龍を倒したと言っても、バカなと一笑に付すのだが、モーフィスは違った。


「まさか龍を倒すゴブリンがおるとはな……。木龍の素材をギルドに売る気は?」


「無理だな。うちの連中が寝食を忘れるほど夢中になって加工してるよ」


「むー、それも当然じゃな。龍の素材であれば誰しもが欲しがるか。まして職人であれば自らの手で加工したいと思うのも無理はない。できればギルドに売り払ってほしかったんじゃがな。

 ところで最近ジョゼフの姿を見ぬのだが」


「置いてきた。勝手についてきて好き放題暴れて迷惑だったからな」


 モーフィスは目を瞑り、過去にジョゼフがこれまで起こした数々の問題を思い返すと。


「それも無理はない。あいつはアホじゃからなっ!」




 『妖樹園の迷宮』十四層。

 十四層になると出現する魔物もランク5が混じり始め、並のDランク冒険者のパーティーでは全滅するのも珍しくはないほど危険な場所である。


「野営の準備できたぞ」


「おう。こっちもごちそうの準備はできてるぞ」


「けっ。クソ硬いパン、まっずいスープに干し肉のどこがごちそうだよ」


「文句を言うんじゃねえ。迷宮内でまともな食事ができるだけでもありがたいと思えよな」


 広大で複雑な迷宮内では、数日から長い時には数週間に亘って探索することも珍しくはない。冒険者ギルドに保管されている資料によれば、六年間も探索を続けた猛者も確認されている。

 持ち込んだ食料や迷宮内で自生している植物から食べられる物のみを選別し、魔物からは肉を手に入れる。

 野営の場所選びも重要である。なにかあった際に逃走できるルートは確保できているのか、魔物の襲撃を未然に防ぐことのできる場所なのか、見通しは? 水場は近くにあるのか? 死の確率を出来得る限り下げるために、冒険者は常に様々なことを考えつつ行動するのだ。

 この場にいる冒険者達もそれは同様である。樹木が生い茂る十四層の中でも見通しがよく、水場が近くにあり、仮に魔物が襲撃してきても逃走する経路が確保された、これだけ野営するのに適した場所は中々見つけることはできないであろう。


「よっしゃ。飯にするべ。あん? どうした」


「見ろよ。他所のパーティーだ」


「ありゃ、ネームレスの新入りだな」


「ネームレスの新入りだあ? だったらルーキーもルーキーじゃねえか! こっちに挨拶もなしに野営の準備をし始めやがって、ケンカ売ってんのか?」


「やめとけよ。ネームレスにケンカ売ってもいいことなんて一つもないぞ。それに最近冒険者になったばかりなのに、もう『妖樹園の迷宮』それも俺達と同じ十四層まで潜ってるなんて優秀な奴らじゃねえか」


「優秀だろうがなんだろうが、礼儀ってやつを――嘘だろ」


「今度はどうした?」


「あいつら一瞬で野営の準備を終わらせやがった」


 男が凝視する先では、アガフォン達が瞬く間にテントの設置を終えていた。


「魔導具か? 盟主のユウは商人とつるんで荒稼ぎしてるって噂だからな」


「ますます気に入らねえ……」


 剣呑な雰囲気を漂わせる男の目には、アガフォン達が金にモノを言わせて『妖樹園の迷宮』を攻略しているように映った。ただでさえ、ルーキーが自分達と同じ迷宮を攻略していることが気に食わなかった男は、なにかきっかけでもあればアガフォン達に絡んでやろうとさえ考えていた。


「おい、殺気が漏れてるぞ。変な考え起こすんじゃねえぞ」


「そりゃあいつら次第だぜ」


「まてまてって……ドンタックまでどこ行く気だよ」


「へっへ。ほら見ろ。普段は寡黙なドンタックだって、俺と同じでムカついてたんだよ」


 強面の男の名はドンタックという。寡黙で必要なこと以外喋らない男なのだが、その確かな実力から仲間内からも一目置かれていた。


「ア、アガフォン、テントの設置できたよ~」


 ハーフオークのベイブが巨体を揺らしながら、ヤームとモニクが作っている鍋へと熱い視線を送る。


「おっ、わかった。ベイブ、そんなに鍋を凝視すんじゃねえよ。見つめれば飯が早くできるわけでもないだろうが」


「へ? えへへ。だ、だって美味しそうな匂いがするからついね」


「アガフォンっ」


 魔人族のオトペがこちらに向かっているドンタックに気づき、警戒するようアガフォン達に促す。

 迷宮内での敵はなにも魔物だけではない。天然の罠から宝箱や通路に仕掛けられたトラップに過酷な環境など。


 そして――同業者である冒険者である。


 これは決して珍しいことではない。貴重な植物や魔物の素材を巡って、ときには競争相手が手に入れた宝を奪うために襲いかかることさえある。優秀な冒険者であればあるほど、迷宮で同業者が敵に回ることがどれほど危険なことであるかを理解している。

 オトペはドンタックに悟られないよう槍に手をかける。アガフォンの頭の上で呑気に寝そべっていたアカネですら、魔法の詠唱をし始めていた。


「あーっ! ドンタックさんだにゃっ!!」


 緊張感の欠片もないフラビアの声が周囲に響いた。これには警戒していたオトペやアガフォン達まで呆気に取られる。

 一方フラビアに名前を呼ばれたドンタックはというと。


「やあ。フラビアちゃん、今日も変わらず可愛いね」


「えー、そうかにゃ?

 そうだ。ドンタックさんに教えてもらったこの場所、すっごい野営に適してて助かってるにゃ」


 フラビアが尻尾を左右にフリフリさせて身体をドンタックに擦りつける。そのあからさまな媚を売るフラビアの姿に、アガフォンはあのバカ猫がと諦めたように呟き、ヤームはどこか拗ねた表情であった。


「ぬふ、ぬふふ。そっか、フラビアちゃんの役に立てて良かったよ。

 それにしても、もう『妖樹園の迷宮』の探索するまでになってるなんて凄いね。あと、そのテントも一瞬で組み立ててたし、魔導具なのかな?」


 普段、仲間からも恐れられている強面の欠片すらないドンタックの姿に、離れて見守っていた仲間達は信じられないモノでも見たかのように口が開いたままである。


「これ? これはボタンを押して投げると自動で組み立つテントにゃ。他にもこんなのもあるにゃ」


 フラビアはコップに小さなブロック状の固形物を入れて、沸かしていたお湯を注ぐ。


「はい。ドンタックさん、どうぞにゃん」


 鼻の下を伸ばしながらドンタックはコップを受け取る。


「こ、これはっ! 旨い、どうなってるんだ!? お湯を入れただけで、こんな旨いコンソメスープができるなんてっ!」


 先ほどまでだらしない顔をしていたドンタックは、お湯を入れただけで店で頼むようなコンソメスープができたことに驚きを隠せなかった。


「ドンタックさんはマゴ商会って知ってるにゃ? アイテムショップや魔導具店を経営してるんだけど」


「あ、ああ。カマーでも有名な商人だからね。俺でもそのくらいは知ってるよ」


「それなら話は早いにゃ。このコンソメスープも、あっちのボタンを押して放り投げるだけで組み立てられるテントも試作品にゃん。そのうちマゴ商会で販売すると思うから、ドンタックさんのお友達にも宣伝してほしいにゃ~」


 腕を後ろで組んで、ドンタックの顔を下から覗き込みながらお願いするフラビアに、ドンタックはメロメロであった。


「任せてよ! こう見えても冒険者の知り合いは多いんだ。じゃあ、早速仲間に宣伝してくるからね」


 ドンタックは終始だらしのない笑みを浮かべたまま、仲間達のもとへと戻っていった。


「お、おい……。ドンタック、こりゃどういうこった?」


「俺達はお前があんなに喋るところなんて初めて見たぞ」


「なんだあの締りのない顔はっ! あいつらに冒険者の礼儀を教えに行ったんじゃねえのかよ!!」


「お前、笑うんだな。そっちの方が俺にはびっくりだよ」


 驚きや怒りを隠せない仲間達に向かって、ドンタックはいつもの表情に戻ると。


「お前ら、フラビアちゃんやフラビアちゃんのお友達に手を出したら俺が許さねえからなっ!!」


「フ、フラビアちゃんっ!?」


「はあああっ!?」


「お、俺、疲れてるのかな。ドンタックがおかしくなったように見えるわ」


「いや、お前はまともだよ。ドンタックがおかしくなったんだ」


 ドンタックが仲間達にフラビアの可愛さや、先ほど見せてもらった商品の説明を力説している一方、アガフォン達は。


「フラビア、ああいうのは良くないと思うよ」


 魔落族のモニクが食事を配りながら、フラビアに小言を言う。


「どうしてにゃ? モニクも可愛いんだからもっと有効活用した方がいいよ」


「俺もどうかと思うな」


「ヤームまでお説教にゃ? こうやってちょっと身体をすりすりすれば、すぐ仲良しになって色々な情報を教えてもらえるんだから、利用した方がいいにゃ」


「ちょ、ちょっとフラビアっ!」


 青白い肌が特徴の堕苦族のヤームの頬が薄っすらと赤く染まる。


「モニクもヤームも無駄だって。そのバカ猫にはなに言っても聞きゃしないんだからな」


「誰がバカ猫にゃっ!」


「バカ猫が嫌なら盛のついた雌猫だろうがっ!」


「や、やめなよ~」


 アガフォンとフラビアが口撃から取っ組み合いのケンカになりそうになるが、オトペとベイブが引き離す。


「もう、やめなさいよ。ご飯くらいゆっくり食べさせなさいよね!」


「いでっ!? アカネ、毛を毟るんじゃねえよ!!」


 アガフォンの頭の上に座っていたアカネが、アガフォンの毛を毟り取ると最初にモニクが、次にヤームやベイブが笑い始め、やがて怒っていたフラビアに最後はオトペまでもが笑い始める。


「くっく。お前達は面白いな」


「オトペ、笑ってんじゃねえよ」


「すまん。しかし、くくっ。あー、怒るな。それでこれからどうする?」


「このままここで一夜を明かしてから撤退する」


「せっかく十四層まで来たのに帰るの?」


「モニクの言う通りよ。私がいるんだからもっと奥まで進めるわ!」


「いいんだよ。今日はもともと『妖樹園の迷宮』がどんな場所か確かめるために潜っただけで、本気で攻略するつもりはなかったんだからな」


 モニクとアカネは不満を現すが、オトペとベイブはアガフォンの決定に納得していた。


「熊のくせにビビってるにゃ」


「ビビってねえよ。それに俺は熊じゃなく羆だって言ってんだろうが、クソ猫がっ!」


「フラビア、アガフォンに絡むんじゃない。

 それなりに収穫はあっただろ? さすがCランクの迷宮にもなると、力押しだけじゃ通用しないこともわかった。罠もフラビアがいなきゃ全滅するようなモノから、嫌らしい攻撃をする魔物も出てきた」


「そ、そうだよ。ア、アガフォンの言う通り一回戻って、じゅ、準備をしっかりしてから探索すればいいと、ぼ、僕は思うよ~」


「わかったにゃ。ヤームとベイブはアガフォンの味方にゃん!」


「違うだろ」


「も、もうフラビア、お、怒らないでよ~」


 女性陣からは若干の反対意見はあったものの、アガフォンは当初の予定通り『妖樹園の迷宮』十四層で一夜を明かすと、そのまま撤退するのであった。


「あれ見てよ。日に日に人が増えてるって実感するよね」


 都市カマーの東門を行き交う人の流れを見ながらモニクが呟く。


「ア、アガフォン、これからどうするの? ぼ、僕はちょっとお腹空いたな~」


「そうだな。朝飯も食わずに撤退したから、このまま飯でも食べながら迷宮での反省会でもするか」


「それなら風見鶏亭がいいな。あそこの走り鳥の香草焼きが大好きなんだよね」


「あら、いいわね。

 ちょっと。ベイブ、お腹が鳴ってるわよ」


「だ、だって~」


 モニクの提案にアカネが答え、ベイブが腹の音で返事する。


「私はパスするにゃ」


「おい、そんな我侭は許さねえぞ! 大体な、お前はアイテムポーチだってそうだ。それがどれだけ貴重かわかってんのか? 皆、盗まれないように大事に懐に仕舞ってるのに、お前は見せびらかすようにぶら下げやがって!!」


「熊にどうこう言われる筋合いはない! それにウチ(・・)は盗まれるようなマヌケじゃないからね!」


 売り言葉に買い言葉で、思わずフラビアもいつもの口調ではなく素が出てしまう。


「このっ!」


 アガフォンがフラビアを捕まえようとするが、フラビアは軽やかに躱してそのまま東門へ駆けていく。


「フラビアには困ったものだな」


 いつものことながら、オトペはフラビアの協調性のなさにため息をつく。


「猫人は自由だから」


「ヤームはすぐフラビアを庇うんだから」


「そんなことない!」


 ヤームが慌ててアカネの言葉を否定するが、アカネは聞いていないようでアガフォンの頭の上で寝そべっていた。


「アガフォン、フラビア抜きで反省会する?」


「そんなわけいくか。俺達は同じクランでパーティーなんだぞ」




「ふんふん~」


「お嬢さん、この髪留めの細工を見てよ! 猫人のお嬢さんにピッタリだと思うよ!」


「う~ん、あんまりゴテゴテしたのは好きじゃないにゃ」


 都市カマーの露店街にフラビアの姿はあった。

 串焼きなどで軽く朝食を済ませたフラビアは、そのまま買い物を楽しんでいたのだ。


「これはなんにゃ?」


「こりゃまたべっぴんなお姉さんだね」


「お世辞はいいにゃ」


「あたた。これは香水ですよ。それも王都の若い女性の間で流行ってるね」


「香水ね。そんなに流行ってるにゃ?」


「まあ人族の間ですけどね。でも、こっちなんかは柑橘系は使ってないんで、獣人の女性にも人気の商品ですよ」


「ふむふむ。いい匂いにゃ」


 鼻を鳴らして香水の匂いに浸っているフラビアの腰に、何者かの手が伸びるのだが。


「ちっ」


 フラビアに手を払われた男が舌打ちを鳴らす。


「私から物を盗めるとでも思っているのかにゃ?」


「うるせえっ!」


 男が裏拳を放つが、フラビアは安々とその手首を掴んで受け止める。フラビアからすればあまりにも遅い男の動きに侮ってしまう。

 男は自分より遥かに実力が劣る格下だと。わざと男がそう見せたことに気づかずに。


「遅いにゃ。そんな――」


「ばーか!」


 男は裏拳の拳を返して掌を開く。すると、握り締めていた汚泥がフラビアの顔にかかる。


「に゛ゃっ。ぺっぺっ! なんにゃこれっ!? く、臭いにゃ!!」


「はははっ! お前みたいな薄汚い獣人には、化粧より泥がお似合いだぜ!!」


 男はそう言うと、人混みの間を縫って逃げていく。


「ま、待つにゃ! 許さないっ!!」


 怒ったフラビアがやられっぱなしで黙っているはずもなく、男を追いかけていく。

 このときフラビアは猫の獣人である自分が男に追いつけないことに気づくべきであった。

 怒りで我を忘れていたため、男がわざと姿が辛うじて見える距離を維持しながら雑木林に逃げ込んだことに、自分が誘い込まれたことに気づくことができなかった。

 そして嗅覚を汚泥で潰されていたため、すでに自分が囲まれていることに気づくことができなかった。


「このっ! 私から逃げれると思ってるにゃ!!」


「逃げる? 俺がか? 馬鹿がっ。逃げれねえのはお前の方なんだよ」


 木々の間から十数人の男達が姿を見せる。すでに男達はフラビアを囲んでおり、逃げ場はなくなっていた。


「簡単な罠に引っかかりやがって、所詮は半端(・・)な獣人だな」


 男のあからさまな挑発に乗っている場合ではなかった。自分の置かれている状況から、どうすれば無事生還できるかをフラビアは考えなければいけないからであった。


「抵抗したければするといい。まあ、無駄だがな」


 『龍の牙』のキリンギリンはそう言うと、周りの仲間へ指示を出す。

 個々の実力でもフラビアを上回る者達が、フラビアへと一斉に襲いかかった。

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