第188話:つまらない男
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ヤングエースUP様にて『奪う者 奪われる者』の第二話公開中です。是非是非、読んで下さい♪
カーサの丘、初代ウードン王に仕えたカーサは、この丘より王都テンカッシを見渡し、王都をどう発展させていくか考えを巡らせていたと言われる。
このカーサの丘には、桁違いの豪邸が建てられていた。敷地内には図書館、美術館、劇場から一万人を収容できるパーティールーム。使用人の数は千をくだらない。王都を知らぬ者に、ここをウードン王国の王宮と案内されても疑わないほどの大豪邸である。
この大豪邸を所有しているのは、現在ウードン王国貴族でもっとも力を持っていると言われているバリュー・ヴォルィ・ノクス、ウードン王国の財務大臣である。
どれほどの力を持っているかの一例として挙げるならば、カーサの丘から王都に行くまでには森や川がいくつもあるのだが、バリュー財務大臣は国費で王城までの一本道を造らせたのである。そんな馬鹿げた公共事業が、一個人の我侭で、まして国費で通るわけがない。だが、バリュー財務大臣はその予算を通し、この件に関して王城に仕える文官や貴族達の誰も文句が言えないのである。その巫山戯た公共事業は、バリュー財務大臣の息がかかった業者が担当することになる。費用対効果など考えずに造られたその道を、王都に住む者達は『バリューの道』や、強欲な貴族を揶揄する造語である金蝿から『金蝿道』などと呼び、忌み嫌っていた。
「ええいっ、忌々しい。この私があれほど譲歩しておるのに、ヤーコプめ」
平民から『金蝿御殿』と揶揄されている豪邸の一室で、ヤーコプとの会談を終えた財務大臣ことバリュー・ヴォルィ・ノクスが勢いよく椅子に腰かける。椅子は高額で取引される霊木よりもさらに貴重な霊樹の素材をもとに作られ、霊樹の持つ神秘的で淡い緑色の色艶を台無しにするかのように、椅子は宝石類で過剰に彩られていた。
霊樹の椅子は百キロを超えるバリューの体重を受け止めてもびくともせず、程良い反発をバリューに返す。しかし、バリューの足下より呻き声が聞こえる。
「うっ……」
「家具が喋るでない」
オットマンと呼ばれる足乗せ台の家具がある。しかしバリューが自分の足を載せたのはオットマンではなく、四つん這いになったエルフの少女であった。まだ年端もいかないエルフの少女では、肥満体のバリューの足を支えるには些か無理があった。苦しさから呻き声を上げるエルフの少女に、バリューは足の踵で背中をグリグリといたぶる。エルフの少女は目に涙を浮かべるが、ここで声を上げればどうなるかを理解しているのか、歯を食いしばりながら耐えた。苦痛に耐えるエルフの少女の姿にバリューの怒りは治まったのか、エルフの少女への嫌がらせは止まった。
催し物ができそうなほど広い室内を見渡せば、エルフ、ダークエルフ、ドワーフ、小人、獣人、竜人などの亜人と称される奴隷が待機している。亜人の女性達は幼女から熟女と年齢に差こそあるが、どの女性も見目麗しく、同じメイド服に身を包み。首には綺麗な装飾に加工されてはいるものの、奴隷の首輪がつけられていた。バリューの飼っている奴隷の首輪に埋め込まれている魔玉のランクは驚きの4である。通常の奴隷であれば、ランク1の魔玉、レベル二十以下の下位冒険者クラスでランク2、中位以上になってくればランク3などの魔玉になるのだが、ここにいる奴隷達が中位冒険者並に腕が立つわけもあろうはずもなく。バリューが周囲の貴族にただ単に自慢したいからである。
「ヤーコプはこちらの提案に乗ってきませんでしたか」
王城に勤める文官が着る制服に身を包んだ男が、奴隷達へ蔑みの視線を送りながらバリューへ声をかける。
「うむ。あの老いぼれ、我が国とダノ王国との間で揉めているマルキア平原の領土問題で、私から陛下にかけ合ってもいいと言ったにもかかわらず断りおった」
ウードン王国とダノ王国の国境線上にあるマルキア平原は、ウードン王国東部の防衛上、非常に重要な場所である。この領土を巡っては長年両国の主張がぶつかり合っており、解決の糸口さえ見出せずにいた。一方、ダノ王国側もウードン王国を刺激しないようにマルキア平原に軍事施設はおろか、一軒の建物すら建てていなかった。
「老いたとはいえ、さすがは元十二魔屠筆頭ということですね。こちらの提案に少しも乗ってこないとは」
「老いぼれのことなどもうよい。それより、お前の言っていた例のアイテムポーチはいつ私のもとに届くのだ」
バリューは苛立たしげにワインを飲み干す。直ぐ様ドワーフの少女が、空いたグラスへワインを注いでいく。
「ご心配には及びません。その件に関しては『龍の牙』へ依頼しております」
「それよ。その『龍の牙』とやらに依頼してから、もう何ヶ月経っておる? そもそも、時知らずのアイテムポーチは本当に存在するのであろうな? もし『龍の牙』とやらが持ち帰った物が、ただのアイテムポーチだった場合、ありませんでしたでは済まさぬぞ」
「ご安心ください。むしろ『龍の牙』が失敗した方が都合がいいのですよ。なにしろ下賤な冒険者の分際で、プライドだけは一端な者達ばかり。『龍の牙』が失敗したと知れば、必ず『龍の旅団』盟主のレオバニールムが出てくるでしょう。レオバニールムはSランク冒険者、サトウはBランクに昇格したばかりの若造です。ぶつかり合えばどちらが勝つかは明白です。
それに時知らずのアイテムポーチですが、確かな筋からの情報です。間違いなくサトウ及び仲間達は時知らずのアイテムポーチを持っています。サトウ達が持つアイテムポーチを入手し、その製法をバリュー様配下の錬金術士に調べさせれば量産も夢ではありません。なんでしたら罪を着せてサトウを捕らえた後に、バリュー様が助けるのはいかがですか? 助けられたサトウは尻尾を振ってバリュー様の配下に加わるでしょう。そのための罪状作りは私の方で進めています。ああ、随分前に獣人狩りに向かわせてそのまま消息を断った者達がいましたね。その件もサトウの仕業にしておきましょう」
「うーむ……。今までお前が私に嘘を吐いたことはないが。しかし――」
男の言葉にイマイチ納得がいかないのか、バリューが首を傾げていると扉をノックする音が聞こえる。バリューが入室の許可を出すと、入ってきたのは奴隷ではない一般のメイドである。
「ご主人様、ルスティグ様がお越しになられましたが、いかが致しましょうか?」
「ビクトルか。頼んでおいた品の件だろう。よし、応接室に通せ」
「かしこまりました」
バリューの侍らかしている奴隷達には目もくれずに、メイドは退出する。ここでは優しい者ほど辛い目に遭う。感情を荒立たせず、無関心でなければ勤めることができないのだ。
「バリュー様、時知らずのアイテムポーチについて、ビクトル様に確認してみては?」
「なに!? ビクトルも知っているのか!」
「ええ、彼もサトウに近づいている者の一人です。おそらく時知らずのアイテムポーチのことを知っているでしょう」
「ふんっ、相変わらず金の匂いに対する嗅覚は優れておる男だ」
応接室に通されたビクトルはバリューが入ってくるなり、大袈裟に抱きつく。男に抱きつかれるなど、バリューからすれば苦痛でしかないのだが、ビクトルに対してはなぜか許してしまう。これがビクトルの怖いところであった。本人も気づかぬ内に心を開いてしまうのだ。
「バリュー様、聞いておりますぞ! ウードン王国ではすでに王よりも力を持たれているそうで」
「わははっ! めったなことを言うでない。どこで誰が聞いているかわからぬからな?」
「心にもないことを。バリュー様の力を以ってすれば、誰がどのように騒ごうが羽虫を潰すように、容易く握り潰せるでしょうに。で、そちらの御仁は?」
ビクトルは笑みを浮かべながらも、バリューの後ろに控える男を値踏みするように見詰める。
「おお。この者は王城の文官で、私の派閥の中でも色々と重用しているのだ。これからはお前と会う機会も増えてくるだろうから、良くしてやってくれ」
「初めまして、ビクトル・ルスティグ様。私はフランソワ・アルナルディと申します。バリュー様から紹介がありましたが、王都で文官をしております。見ての通り若輩者ですが、何卒宜しくお願い致します」
フランソワ・アルナルディと名乗る男の一挙手一投足をビクトルは観察する。
「フランソワ様、そのように堅苦しい挨拶など不要。私のことはお気軽にビクトルと呼んで下され。
それにしても見たところ二十代半ば、その若さでバリュー様に取り立ててもらえるとは、さぞ素晴らしい才能の持ち主なのでしょうな」
「ビクトル、フランソワを褒めて持ってきた品を高く買わそうとしても、そうはいかんからな」
「ハッハ、お気づきになられていましたか」
「私を甘く見るでない。それよりビクトル、サトウという名の冒険者を知っておるな?」
バリューの口よりサトウの名が飛び出しても、ビクトルの態度は微塵も変化は見受けられなかった。
「おやおや。さすがはバリュー様、サトウ様のこと知っておられましたか」
「うむ、それでだな。サトウが持っておるアイテムポーチについて、なにか知っておるか?」
「サトウ様がお持ちのアイテムポーチというと……。ははん、バリュー様は時知らずのアイテムポーチを欲しているのですな?」
「やはり持っておるのかっ!!」
ビクトルの口から出た時知らずという言葉に、バリューは思わず立ち上がり声を荒らげてしまう。
「ええ、ええ、知ってますとも。まあ、私以外に知っているのはごく僅かなはずですが、さすがはバリュー様」
「世辞はよい! まさか手に入れたのかっ!?」
「まさかっ! サトウ様ですが、これが中々手強く。一向に心を開いてくれないのです。もし、時知らずのアイテムポーチを手に入れることができれば、はっは。龍の排泄物でしか育たないと言われている龍結晶、食せば寿命が十年延びると言われている仙人霞、巨人族が住む森の中にある泉、巨人の涙などなど。どれも採取した瞬間に劣化が始まる物を最高の状態で持ち帰ることができますな。それらを捨て値で売却してもどれほどの富を生むか。ましてや、その製造法を知ることができれば、錬金術ギルドが独占しているアイテムポーチとポーションの二大利権の一つを奪うことができますな。その恩恵はいくつの国が買えるか、考えるだけで年甲斐もなく興奮してきませぬか?」
バリューの耳には、ビクトルの言葉はほとんど入ってこなかった。時知らずのアイテムポーチが実在する。それだけわかればいい。どのような手段を取ろうとも時知らずのアイテムポーチを手に入れ、製造法を解明する。製造法が解明できない際は、サトウにあらぬ疑いをかけ捕らえて入手手段、製法を吐かせればいい。たとえ相手がBランク冒険者だろうが、自分にはそれができる。これまで自分の思い通りにいかなかったことなどなかった。欲しい物はどんな手を使ってでも手に入れ、欲しい女は財力に物を言わせ、金になびかぬ者には力尽くで奪ってきた。
しかし、ただ一つバリューでも手に入らなかった物がある。それは王位である。もっとも古い歴史を持つ家柄で、貴族の中でも群を抜いて尊き血を持つ自分が、平民の血を引く王に仕えるのが許せなかった。いまや自分に逆らう者など、ほとんどいない。であれば、ウードン王国の全てを手に入れ、自分が王になるのがバリューの夢――いや、野望であった。
「バリュー様?」
「むっ、済まんな。少し考え事をしておった」
「ハハ~ン。ご自身が王になることでも考えておられましたかな?」
まるで自分の本心を盗み見たかのようなビクトルの発言に、態度にこそ出さぬもののバリューは驚く。
「しかし、さすがはバリュー様ですな」
「なんのことだ?」
「フランソワ様ですよ。聖ジャーダルクの者を文官として取り立てるなど、ウードン王国と聖ジャーダルクの関係を考えれば中々できませぬ。このビクトル、バリュー様の懐の広さに感心しておりますぞ!」
「ビクトル様、なにか勘違いしておられませんか? 私は王都生まれの生粋のウードン人ですよ?」
今までバリューとビクトルの会話を黙って聞いていたフランソワが、初めて自らの意志で発言する。
「フランソワの言うとおりだ。この者がジャーダルク出身などと戯けたことを抜かすでない」
「フハハッ! 隠さなくてもよいではないですか。フランソワ様は確かにウードン王国の、それも王都の者特有の発音ですが、頑張りすぎましたな? 意識するあまり無理が出ておりますぞ。それに――」
ビクトルはいつもの胡散臭い笑みを浮かべながら、フランソワを見詰める。商人であるビクトルの笑顔は、どこか攻撃的でさえあった。
「最初の挨拶の際に胸の辺りを押さえてましたな? 聖ジャーダルクの大司祭以上の位に就く者は、教王よりメダルを賜わる。服の中に仕舞っているのに、垂れ下がらぬよう無意識に押さえてしまったのでしょうな。ああ、聖ジャーダルクという言葉にも反応していましたな。聖国ジャーダルクではなくあえて聖ジャーダルクと言ってみたのですが、ハッハ。おやおや? フランソワ殿、冗談です。私の冗談、お気に召しませんでしたかな? これは失敗しましたな」
その後、強張った表情のままビクトルを凝視するフランソワと、明らかに動揺するバリューとの商談を終えたビクトルは、豪邸より王都へと続く道を一人歩いていた。ビクトルほどの大商人が従者もつけずに出歩くことは通常あり得ない。これはビクトルのこだわりでもあった。危険とわかっている場所であろうとも、己の身一つで乗り込んでいく。そうすることで胆力を鍛え、相手に飲まれないようにするというのが、ビクトルの言い分であるが。仕える従者は堪ったものではない。自由国家ハーメルンの最高権力者である八銭を除けば、ビクトルはトップに位置する地位である。それだけの地位にありながら、自由気ままに出歩き商談するのだから、護衛する立場からすれば厄介極まりないと言えるだろう。
「ビクトル様、あのようなことをされては困ります」
民の税によって造られた広い道を歩くはビクトルのみ、にもかかわらずビクトル以外の者の声が聞こえた。ビクトルが辺りを見渡せば、周囲を花びらが舞っていた。
「おや? その声はダリボル。ベンジャミン様の護衛であるあなたがなぜここに?」
「ベンジャミン様より、ビクトル様のことをくれぐれもよろしく頼むと頭を下げられては、私ごときでは断れません。それより、ご自身の立場をご理解下さい。バリューの豪邸へ、一人で行くなど」
「黙りなさい。いつ、どこで商いをしようが、私の自由です。これはベンジャミン様にも許可を頂いていることです」
「…………ですが、私の立場も考えて下さい。ビクトル様になにかあれば、私はベンジャミン様になんと申し開きすればいいのですか?」
「それはあなたが考えることで、私がどうこう言うことではありません。それでもハーメルン八闘士の一人ですか? 情けない」
「ビクトル様、それは言い過ぎでは? それにしてもバリューもサトウを狙っているとは、厄介なことになってきましたね」
悠然と歩いていたビクトルの足が止まる。瞳に宿るのは怒りの炎であった。
「ダリボル、私ですらサトウ様を呼び捨てなどにはできません。いつからあなたはそれほど偉くなったのですか?」
数々の戦闘を潜り抜け、数多の強敵を屠ってきたダリボルですら、ビクトルの発する威圧に抑えつけられそうになる。
「も、申し訳ございません」
「……まあ、いいでしょう」
「それでバリューはいかがでしたか?」
バリューに関してはビクトルが怒ることはなかったので、ダリボルは呼び捨てのままにした。
「バリュー様ですか……。相も変わらずつまらぬ御仁でしたよ。サトウ様の放つ眩むような魅力に比べ、バリュー様がどれほど着飾っても私が興味を持つことはないでしょう。ああ、早くサトウ様に会いたい。会って時間が許す限りサトウ様と語り合いたいものです」
いつもの胡散臭い態度ではない。興奮した様子で語るビクトルの周囲を、物珍しそうに花びらが舞い続けた。