第182話:一騎当千 中編
海面を跳ねる水飛沫。そして耳に届く着水音。マリンマ王国海軍第一騎士団所属の兵達は、そこでやっと気づく。眼前にある首のない者が、パオリーノ百長であると。
普段から部下に業物だと自慢している武器『鉄甲亀の斧槍』が、頭部を失ったパオリーノの右手から離れると甲板の上に大きな音とともに落ちて転がる。それと同時にパオリーノの身体はスローモーションのようにゆっくりと倒れると、そのまま起き上がることはなかった。血が出ていないことを不思議に思った兵の一人が首の切断面を覗き込むと、傷口は凍っていた。
パオリーノは、トライゼンが今回の遠征で率いる兵の中でも特に武勇に秀でた者であった。そのパオリーノが為す術もなく殺されたことに、マリンマ王国の兵達に動揺が拡がった。まだパオリーノが目の前の少年に殺されたことが信じられないマリンマの兵達は、身体が石にでもなったかのように固まっていた。
「臭えから喋んなって言っただろうが」
ユウの右腕は水平に伸ばされていた。マリンマ王国の兵達は、ユウが剣を抜いていないことに気づく。パオリーノの首の切断面は、鋭利な刃物で切断したとしか思えない切り口であった。手刀もしくは拳撃によってパオリーノの頭部を吹き飛ばしたのか、あり得ない信じられないという思いと同時に、相手が化け物であるということが逆に兵達を冷静にさせた。幾度も越えてきた死線から学んでいるのだ。このような事態の際に、心を乱す者から死ぬということを。
トライゼンは兵達が落ち着きを取り戻すと、指示を飛ばす。
「相手は見ての通り化け物だ! 遠慮することはない。マリンマ王国海軍第一騎士団の力を存分に見せてやれっ!!」
「「「応っ!!」」」
トライゼンの声に兵達が獣の咆哮のような声で応えると、四方八方よりユウへと襲いかかる。
「「「シッ!!」」」
槍を持つ兵達が同時に槍技『螺旋』を放つ。高速の回転を纏った槍がユウを襲う。受け止めることはまず叶わないと兵達の口角が上がる。躱すには空へ跳びはねるしかないが、そちらへ躱させることこそ兵達の狙いであった。
「躱さないだとっ!?」
「潔く死を選ぶか!」
ユウは躱さずその場に留まった。無数の槍がユウを貫いた――かのように兵達には見えた。だが――
「バ……バカなっ!? 黒曜鉄と鈍銀を練り合わせて作った黒銀槍をへし折っただと!?」
黒曜鉄の強靭、鈍銀の持つ粘りを融合させた黒銀槍は、半ばからへし折られていた。兵達には見えなかったのだが、ユウの武技『廻し受け』によるものであった。
「化け物めっ! なにをしぷげぇっ!?」
「おのれ! ゆるがぺっ……ら?」
ユウに襲いかかった兵達の顔に、次々と拳大の穴が穿たれる。兵達はなにが起こっているのか理解できなかった。共に死線を潜り抜けてきた友が、次々と顔に穴を開けて倒れていくのだ。身体を使った攻撃なのか、スキルによるものなのか、魔法によるものなのか、なにもわからないのだ。
「兵達への付与魔法を切らすな。あの化け物には弱体化の付与魔法を常にかけ続けろ。わかっているだろうが攻撃魔法の使用は禁止だ」
「心得ております」
魔導師を束ねる隊長がトライゼンの指示に応える。
「トライゼン将軍、予想以上の化け物ですな」
「そうだな。エルダーリッチを従えていたことから、只者ではないとわかってはいたものの、あの容姿だ。兵に油断するなと言っても素直に聞くまい」
トライゼンと副官はすでに二十人以上がユウに倒されているにもかかわらず、余裕の態度を崩さなかった。今までもこのような戦いは何度となく経験しているのだ。
「ですな。しかしいくら強いとは言っても所詮は個の力」
「その通りだ。力尽きるのも時間の問題であろう」
一方島の海岸にある見張り台では。
「おい、王様は無事なんだろうな?」
アガフォンがナルモの肩を揺するというより、激しく揺さぶる。
「や、やめれ。見えないだろうがっ」
「だったら独り占めせずにここにいる奴らに教えろや」
アガフォンの言葉に皆が頷いた。
「わかったから離せっての。えっと……あれ? ラスさんが戻ってくるぞ」
「戻ってくるのはラス殿だけか?」
「ああ、一人だけだ」
魔人族の男の問いかけに答えながら、ナルモはラスを見詰める。ラスの身体から立ち上る黒い靄が、まるで今のラスの感情を表しているようであった。蜃気楼のように空間を歪めながら、ラスはアガフォン達のいる見張り台の近くへ降り立つ。
「ラスさん、王様は?」
アガフォンが問いかけるが、ラスは無視して魔導船のある海を見詰める。その態度に苛つきながらも、アガフォンが再度尋ねる。
「まさかあんた、王様置いて一人だけ逃げ帰ってきたんじゃないだろうな?」
アガフォンの再度の問いかけにもラスは答えることはなかった。
「いい加減にしろ――ぐあっ!?」
キレたアガフォンがラスの胸ぐらを掴もうとするが、ラスの纏っている雷の属性を付与された結界によって阻まれる。アガフォンの右肘から先が焦げつき、黒煙を上げる。
「なぜ私が貴様の質問に答えなければいけない?」
「ラスさん、そりゃ言い過ぎじゃないっすか?」
ナルモがあんまりなラスの言いように我慢できず口出しするが、ラスはナルモを一瞥するだけで、すぐに海へと視線を向ける。
「あんたいつもそうだよ。俺達獣人のなにが気に入らないのか知らないが、あんたいっつも今みたいな目で俺らを見やがる」
「貴様に私のなにがわかる。知ったふうな口を利くな。その気になれば貴様が瞬きする間に殺すこともできるのだぞ」
「やってみろやっ!!」
アガフォンが止める仲間を振り払ってラスに殴りかかるが、先ほどと同様に結界によって阻止される。
「いぎぎ……い、つ……までも舐めてんじゃ……ねえぞっ!!」
ラスの結界を無理やりこじ開けようとするアガフォンの両腕から、肉の焼ける臭いが辺りに漂う。
「や、やめろ! ラスさん、もう勘弁してくれ。このままじゃアガフォンの腕が吹っ飛んじまう!!」
「貴様の連れはこう言っているが?」
「だ……誰がっ! ぐぎ……俺は許してくれなんて言ってねえぞ!!」
「ほう……。私がどれほど手加減しているかもわからぬのか?」
アガフォンとラスの争いを余所に、魔人族の男達が羽を拡げて飛び上がる。そのままユウのいる魔導船へ向かおうとするが、ラスの黒魔法第4位階『雷怒』が魔人族の男達の頭上より降り注ぎ、地面に叩き落とす。
「ぐおおおおっ……。ラ、ラス殿、これは……どういうつもりですかな」
「事と次第によってはこちらも黙ってはいませんぞ?」
元々戦闘民族である魔人族は、ネームレス王国に移住しジョブに就いて更なる力を手に入れていた。ラスの魔法を喰らったにもかかわらず、その場ですぐに立ち上がると、武器を手に剣呑な雰囲気を纏っていた。そして魔人族のみならず、獣人、堕苦、魔落族の男達がラスを囲む。
「マスターは来るなと言ったはずだが?」
「この状況で言いつけを護って、オドノ様に万が一があったらどうするのです?」
「マスターの命を護らないと言うのなら、それ相応の対処をするしかないな。大体、貴様ら羽虫が加勢してどうかなるとでも?」
「羽虫かどうか、試してみては?」
魔人族の男が左前半身に槍を構える。後方の右腕を弓の弦を引くかのように、限界まで引き伸ばしそこから放たれたのは、槍技『閃光突き』。その名の通り一瞬強烈な光を放った瞬間に、槍の切っ先がラスの喉元目がけて迫る。
「これが試したかったことか?」
「ぬっ……!!」
槍の穂先がラスの結界に阻まれ火花を散らす。押し切ろうと魔人族の男が力を込めると、
槍の柄が球状に膨らみ圧力に耐え切れずに砕け散ってしまう。
「あのクソ骸骨がっ!」
ラスの結界と接触したアガフォンの両肘から先は炭化していた。それでも闘志衰えぬのは、見事と言えただろう。
「ナルモっ、ポーション持ってたらかけてくれ。このザマじゃ自分でかけることもできねえ。ナルモ? おい、聞いてんのか?」
名前を呼んでも反応を示さないナルモにアガフォンが不審がる。ナルモの全身の毛はこれでもかと逆立ち、震えていた。その様子にアガフォンがまさかと慌てふためく。
「お、おいっ! まさか王様が殺られたんじゃないだろうなっ!!」
ラスと争っていた者達が、アガフォンの叫び声に反応して動きを止めた。
「す……凄え……」
「あん? 王様は無事なのかって聞いてんだよ!」
手が使い物にならないアガフォンは、ナルモに頭突きをして状況を教えろと迫る。だがナルモはなにかに魅入られたかのように、海の先に浮かぶ魔導船を凝視していた。
「アガフォン、俺達の王様は凄えぞ? めちゃくちゃ強え……っ!」
「王様は死んでないんだな?」
「死ぬ? 王様が? それどころか数百人は倒してるぞ」
「なっ!? ひ、一人でか?」
ナルモの言葉に皆が驚愕の表情を浮かべるが、ただ一人ラスだけが当然という佇まいであった。
「死ねえええええぇぇぇっ!!」
兵の一人が剣技『剛一閃』を放つ。速さと力を併せ持つ剣閃がユウの頭上より迫るが、左手の掌で剣の鎬を軽く押して軌道をずらし、そのまま流れるように右手で拳撃を叩き込む。マリンマ王国海軍で採用されている鎧は、黒曜鉄と非常に優れた弾力性を持つウリグリムラムという獣の革を交互に重ね合わせその数、実に六層に渡る。物理耐性に優れた防具なのだが、ユウの放った拳撃は難なくその鎧を貫いた。
「げぶっ……。す……隙を見せ……たなっ!!」
腹部を貫かれた兵士は折れた剣を投げ捨てると、両手でユウの右腕を掴む。自らの命を犠牲にユウの動きを捉えたのだ。周りの兵は見えぬ攻撃の正体がただの拳撃であったこと、尚且つ拳撃で自分達の鎧を貫いていたことに衝撃を受けるが、仲間の死を賭しての行動を無駄にはすまいと背後より襲撃する。
「化け……物め、これ……でお前も、おしまいだ……げはぁっ!?」
自分達の勝利を確信し、笑みを浮かべる兵士の身体から無数の氷の棘が生える。ユウは一瞬にして絶命した兵士を後方へ投げ捨てる。
「貴様っ!! がはっ……」
「化け物めっ!! ぼげっ……らぁ……」
投げ捨てられた仲間の亡骸を受け止めた兵達の胸部に、ユウの正拳が叩き込まれる。胸部に拳大の穴を穿たれた兵の傷口は、一人は凍りつき、一人は炭化していた。
「見ろっ! あいつの両腕。右が炎、左が氷を纏っているぞ!」
「魔法……拳っ!? そんなことが……できるのか?」
いずれ体力が尽きると思っていたからこそ、喜んで捨て駒となっていたマリンマの兵達であったが、相手は疲れを見せるどころか動きが更に速くなっていく。死を恐れぬ兵達に恐怖の色が見えた。
「ええいっ、なにをやっておるかっ!! 相手はたった一人だぞ!」
副官が魔導師を束ねる隊長に、弱体化の付与魔法が効いているのかと怒鳴る。
「それが……信じられないことに全てレジストされております」
「す……全てレジストだと? そんなことあり得るのか!?」
魔法耐性の高い魔物でも、数十、数百と魔法を放ち続ければ、やがては魔法が通る。魔導師部隊がユウに放ち続けた弱体化の付与魔法の数は、すでに千を超えていた。
「それでも貴様らはマリンマが誇る魔導師部隊かっ!!」
動揺して魔導師達へ当たり散らす副官の横で、終始余裕を崩さなかったトライゼンの顔に初めて焦りの色が見え始めた。
この時点でマリンマ王国海軍第一騎士団は、すでに三百四十三名が物言わぬ骸と化していた。殺戮はまだ終らない。
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