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秘密は花園に眠る

作者: 広河陽

 移空艇から降り立った瞬間、ナオトの視覚と嗅覚は今まで体験したことのない刺激の洪水におぼれた。視界いっぱいに広がる色とりどりに咲き乱れた花々、それらから解き放たれるみずみずしい香りが否応なしにナオトの鼻孔に流れ込んでくる。

「来て良かっただろ?」

 得意げな顔で問いかけてくるジンにナオトは無言でうなずくしかなかった。ジンは同僚で、ナオトと同じく王立アカデミーの教官だ。

 正直なことを言えばナオトは今回の視察は気が進まなかった。しかし、こうして実際に一面の花の前に立つと束の間とはいえ確かに気分が明るくなる。花は人の心を慰めるという。ジンがナオトを連れてきたのはナオトの沈んだ心を慰めるためだ。

「6ヶ月しか存在を許されない時限花園、か」

 あまりの非日常的な光景が目の前で繰り広げられているために一瞬忘れていた、この花園の哀しい運命をナオトは思い出す。

 この花園はあと45分で6ヶ月を迎え、跡形もなく消滅する。このいわくこそナオトが最後まで視察に積極的になれなかった原因だ。だが、この世界この時代に花園といえば広大なものは時限花園しかありえないのだからしようがない。人が住める土地は希少で、愛でるためだけに花を植える余裕はない。

 時限花園は汚染された大地を浄化するために植えられた草花で、毒素を取り込んだ植物は高熱で焼かれて処理される。灰は集められて厳重に保管され、生態系の循環の輪から外される。種を残せないどころか二度と大地にも帰れない――植物たちの遠くない未来を思い、ナオトは顔をうつむかせ再び憂鬱の沼に沈むのだった。

 そんなナオトの気持ちの移り変わりを感じ取ったのだろう、ジンはナオトの前に立ち、わざとらしく顔をのぞきこむ。自分の思いを抱えて立っているだけで精一杯なナオトは、ジンの動作には反応しなかった。

 ジンはため息をつくとお手上げというように頭を掻く。

「最近のおまえは明らかに変だぞ。ミハル王女のニュースに少しも反応しないし」

 『変』になった原因を知っているくせに嘘ぶってジンは言う。

 引き合いに出したミハル王女とは、ナオトがファンだと公言しているこの王国の若く美しい王女のことだ。隣国に1年間留学していた王女が帰ってきて、ここのところメディアは蜂の巣をつついたような大騒ぎになっている。この国の大半の男は見目麗しい彼女の映像を少しでも長い時間見ようと躍起になっていた。

 普段のナオトなら同じ行動をとっただろう。が、今のナオトはミハル王女に興味を示すことはなかった。

「王女より彼女のことで頭がいっぱいか」

 ジンのつぶやきにナオトはやはり答えない。

 ユリカという名を持つ彼女は、一年前にナオトの研究室に秘書として配属されてきた。ナオトは彼女にひとめで恋をした。教官とその秘書という関係でもある二人に、最初は眉をひそめる者が多かった。半年後、二人がキスをかわす仲になる頃には大半の者が祝福していた。

 破局は突然に訪れる。いつもどおり笑顔で別れたその日の翌日からユリカの無断欠勤が続き、辞職願いが公的配送サービスで送られてきた。フラれたとしか言いようがなかった。それから2ヶ月たった今でも、ナオトは自分の心の整理にとりかかることすらできないでいる。

 ジンはナオトに終わってしまった恋愛以外のことにも少しでも気を向けてもらいたいと思い、彼を時限花園につれてきたのだった。この時限花園を選んだのは花によるヒーリング効果のみを狙っただけではない。この時間、この場所はただの時限花園ではないことをジンは知っていた。そろそろだ。ナオトの心を奪うだろうイベントがここで起こるのは。

 ぼうっと花園を眺めていたナオトの目の焦点が、突然に一点に絞られた。

 ナオトとジンが着いたのとはちょうど反対側の花園の端に着陸した移空艇があった。ナオトは、白い優美な曲線の機体に取り付けられた紋章をみつめる。この国の者なら……特に王立アカデミーの教官であればその紋章を見間違えることはない。それは彼らの雇い主である王族の所有物にしか付けられないものなのだから。

「おい、ジン」

 振り向くナオトの視線の先で、彼の同僚はにやりとする。

「王女だよ。この時間、この時限花園を視察される。それを知っていてナオトを連れてきた」

 この花園のどこかに今、あの美しい王女がたたずんでいる。

 ひとめでいいからその姿を。メディアを通さずに自分の目で見られるチャンスは今、この時を逃したら一生訪れることはない。脳の奥に甘い痺れが走る。ナオトは駆け出さずにはいられなかった。

 どのくらい走っただろうか、花びらを散らし葉がまとわりついてくるのも厭わず花園に分け入っていたナオトが息を飲んで足を止めた。

 そこにはひとりの女が横たわっていた。王女ではない。横たわる女のまぶたは閉じられ、唇からは色が失われ、手は胸の上で組まれ、死んでいるとしか思えなかった。しかし、驚いたのは女が死んでいたからだけではない。

 横たわる女の顔をナオトは知っている。

「……ユリカ」

 あれほど恋焦がれた彼女が目の前にいる。そして、ナオトは気づいてしまった。彼女の心は自分から離れている――彼女の腕に、誕生日に贈ったブレスレットがない。

 ナオトは自分の腕に巻いたユリカから贈られた時計に目をやる。自分の心は今も彼女に寄り添っているというのに、あの頃の彼女はもういない。感傷に浸りかけたナオトを時計の文字盤が現実に引き戻した。

 ここは時限花園だ。このままほおっておけば彼女は焼かれてしまう。彼女の亡骸をしかるべき所まで運ぶこと、それが使命に思えた。……あと10分。心を決めて彼女を抱きかかえようとナオトが手を伸ばした、その時。

「おやめなさい。彼女は自身の望みでそこにいるのですから」

 顔を上げるとそこに近寄りがたい気高いオーラを放つ女性が立っていた。整った唇から放たれた言葉は優しく、だが反論を思いつけないほどまでに相手を圧倒する。これほど美しくかつ高貴な存在は、この国にはミハル王女以外にはありえない。

 王女は横たわるユリカの傍らにひざまずき、額に手を伸ばすと前髪をはらった。

「ご覧なさい」

 あらわにされたユリカの額に4つの小さな金属の突起があった。それは有機アンドロイドの記憶同期端子。つまり目の前のユリカは人間ではないのだ。

「本当の彼女に会わせて下さい。貴女は彼女の居場所をご存知なのでしょう!」

 ナオトは語気を荒げ、王女に向かって一歩を踏み出す。

 すると王女はすっと立ち上がり、腕をナオトに向けて真っ直ぐに伸ばした。一見、その動作はナオトを制しているように見える。だがそうではなかった。ナオトは王女の腕に見慣れたものをみつける。王女の腕にはけっして安物ではないが一国の王女には似つかわしくはないブレスレットが巻かれていた。ナオトがユリカに贈ったものだった。

 王女の目がまっすぐにナオトを見据える。

「先生と一緒にいた1年間、とても楽しかった。でももうお別れです。あの体は役目を終えました。もうすぐここは炎に包まれます。先生も早く戻って。先生が戻らなければ私はここから動きません」

 王女が決意にまとわせる迫力に圧され、ナオトは全速力で花園の外に駆け出していた。


 ナオトは移空艇の窓の外を眺めていた。彼が愛し、王女の心が宿っていたユリカと名づけられた有機アンドロイドは炎の中だ。


「おまえはどこまで知っていた?」

 ナオトの隣にいたジンは考え事をするように目線を宙に漂わせる。

「俺たちの職場は王立の施設だ。王族の一人や二人、紛れ込んで市井の生活を体験するのには格好の環境だ。ミハル王女のような有名人が混じっていられたのは、協力者がいたからだよ。例えばナオトは王女のいとこの顔なんて分からないだろう?」

 ナオトはジンの顔をまじまじと見る。高貴な顔立ちと言われればそう思えなくもなかった。


<終>


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