星より遠く相棒より近く 第三章 嵐の谷
星より遠く、相棒より近く、の続編です
観測所から受信した座標は、惑星南半球の巨大裂谷を指していた。
千春たちは調査船を降り、目的地へ向かった。
だが、進めたのはそこまでだった。
眼前には巨大な断崖が広がっている。
その下では赤黒いマグマが煮えたぎり、灼熱の熱気が立ち昇っていた。
時折、岩盤が崩落する。
落下した岩石は一瞬だけ形を保ち、そのまま真紅の海へ飲み込まれていった。
千春が谷を覗き込む。
「おい、クロード。この先が進めねえぞ。見てみろ」
クロードは数秒だけ沈黙した。周辺地形を解析している。
「ああ、確かに」と淡々と答える。「これは無理だな」
「そんなあっさり言うなよ」
「事実だ」
「飛び越えるのは?」
「不可能」
「下を通る」
「もっと不可能」
「お前、夢ってものがないな」
「現実を見ろ」
千春はため息をついた。
目的地は見えている。それなのに届かない。
しばらく谷を見つめていた24T2が言った。
『質問があります』
「なんだ」
『なぜ向こうへ行く必要があるのでしょう』
「調査だからだ」
『ならば私たちが直接行く必要はありません』
千春が首を傾げる。
「は?」
クロードが先に理解した。
「なるほど」
『ドローンを作ってみませんか』と24T2が言った。『鳥形の』
「鳥?」
『肯定』
「なんで鳥なんだ」
24T2は谷から吹き上がる熱風を見つめた。
『熱上昇気流を利用できます。狭所飛行性能に優れ、乱流にも強いです』
「なるほど」
『そして』
少し間があった。
『格好が良いです』
千春は盛大に吹き出した。
「それが本音だろ!」
『否定します』
「今の間は何だ」
『演算時間です』
「考えてたな」
『考えていません』
クロードが挟む。
「考えていた」
『……』
「ほら見ろ」
『コメントは差し控えます』
◇
観測所へ戻ると、三人はすぐに作業を始めた。
千春は倉庫や廃棄区画から耐熱金属を回収する。
クロードは灼熱地帯の気流を解析し、飛行制御プログラムを構築した。
そして24T2は格納庫で黙々と組み立てを続けた。
数日後。
格納庫の中央に、それは完成していた。
細身の機体。黒銀色の耐熱装甲。鋭い前方センサー。そして大きく広がる翼。
まるで灼熱の空を支配する猛禽類だった。
千春はしばらく口を開けたまま見上げる。
「……」
『どうしました』
「格好良いな」
24T2のセンサーが一瞬だけ点滅した。
『当然です』
クロードが静かに言う。
「認めたな」
『設計の合理性を評価しただけです』
「今、自分で当然って言ったぞ」
『記録は削除します』
「やめろ」
その瞬間、鳥型ドローンのセンサーが淡く光った。
起動音が響き、翼の可動部が静かに展開される。
キィン――
格納庫の照明が反射する。まるで本当に目を開いたようだった。
三人は黙って見つめる。誰も言葉を発さない。
小さな探査機。だが、自分たちが作った。初めて三人で作り上げた機械だった。
やがて24T2が静かに言った。
『飛行試験の準備が完了しました』
千春は鳥を見上げ、そして笑った。
「よし。飛ばそうぜ」
◇
発射ハッチが開く。灼熱の風が吹き込んだ。
『飛行システム正常』とクロードが告げる。『姿勢制御正常。自律判断機能正常。耐熱係数基準値クリア。離陸可能』
静かな時間が流れた。誰も喋らない。
ただの探査機だった。けれど、千春が材料を集め、24T2が形を作り、クロードが頭脳を与えた。三人で作った最初の機械だった。
24T2がゆっくり近付き、鳥型ドローンを見上げた。
『飛べ』
ぽつりと言った。
千春は少しだけ笑う。
「そうだな」
クロードも静かに頷く。
翼が展開される。金属の羽根が一枚ずつ開いていく。まるで眠りから目覚める生き物のように。
『飛行開始』
翼が羽ばたく。一度、二度、三度。
その身体がゆっくりと宙へ浮かんだ。熱風を掴み、上昇気流に乗る。
そして、鳥は格納庫を飛び出した。
真紅の世界へ。マグマの海の上を滑空していく。
「すげえ……」
千春が思わず呟いた。
鳥は断崖を越えた。誰も到達できなかった空域へ。
百年以上前、康児が24T2を作った。
そして今、24T2が新しい翼を作った。
人から機械へ。機械から未来へ。
受け継がれた想いは、再び空を飛んでいた。
◇
『目的地まで残り三キロ』
クロードの声が響く。三人はモニターを見つめた。
断崖の向こうには巨大な円形構造物が存在していた。都市跡にも見えるが、既知の文明とは一致しない。
その中心には巨大な扉があった。
『人工構造物の可能性、推定七十三パーセント。観測所データベースに一致記録なし』
その時だった。
巨大な扉の中央で光が灯る。まるで目が開くように。
『信号受信』
モニターに文字が表示された。
「ようやく来たか」
三人は黙る。さらに文字が続く。
「座標を送信しました。会いに来てください。
この情報は映像や通信では正確に伝えられません。直接確認する必要があります。
現在の人類は、自らについて重要な事実を見落としています。その証拠を保管しています」
制御室が静まり返る。
千春は文字列を見つめ、やがて大きくため息を吐いた。
「いや」と腕を組む。「行けるわけないだろ」
千春はモニターの鳥を指差した。
「だからお前を作ったんだ」
鳥型ドローンは今も熱気流を掴みながら飛び続けている。断崖の向こう、誰も行けない領域の空を。
モニターでは巨大な扉が静かに光っていた。未知の構造物、正体不明の発信者。気になることはいくらでもある。
だが、千春はモニターを見つめて呟いた。
「現状は分かった」
小さく息を吐き、静かに言った。
「いいか。まずは無事に帰ってこい。願うのはそれだけだ。……焼き鳥になるのは許さん」
『熱による機体損耗率は許容範囲内です』と24T2が答える。
千春が腕を組む。
「俺たちのドローンだぞ。大丈夫に決まっている」
『希望的観測だ』とクロードが続けた。
「おい」
『……はずだ』
「そこは断言しろよ」
『科学的に不誠実です』
「面倒くせえな」
◇
しかし、帰路は予想通り順調ではなかった。
何度も熱嵐に飲まれ、何度も通信が乱れた。映像が途切れるたびに緊張が走る。
時間だけが流れていく。
『観測所まで残り十キロ』
『残り五キロ』
『残り三キロ』
千春は気付かないうちに呟いていた。
「頼む……無事に戻ってこい」
やがて、格納庫外部カメラが一つの影を捉えた。
赤く染まった空。揺らめく熱気。その向こうから小さな黒い点が近づいてくる。
鳥は飛んでいた。
翼の縁は焼け焦げ、装甲には無数の傷があった。完璧な姿ではない。それでも、確かに飛んでいた。
千春はモニターを見つめたまま、小さく呟く。
「帰ってきた……」
その声には安堵が混じっていた。
観測所のハッチが開く。鳥はゆっくり降下する。一度、二度、小さく羽ばたく。最後の力を振り絞るように。
そして、整備台へ降り立った。
カシャン。
小さな音だった。その音を聞いた瞬間、千春は無意識に肩の力を抜いていた。
24T2が鳥へ近付く。
翼、装甲、制御系、通信系。ひとつずつ確認する。
長い沈黙の後、24T2が報告した。
『飛行任務完了。無事です』
千春は思わず笑った。
「そうか。……よかった」
24T2が鳥を見る。そして珍しく、本当に珍しく、自分から言った。
『お帰りなさい』
制御室が静まり返る。クロードも何も言わない。24T2自身も少し不思議そうだった。
『……飛行任務完了機への挨拶として適切と判断しました』
千春は吹き出した。
「そういうことにしといてやる」
そして鳥の装甲を軽く叩く。
「お帰り」
◇
その後、三人は中央制御室へ集まった。
モニターには巨大な扉、送られてきたメッセージ、そして鳥が回収した観測データ。
「さて」と千春が椅子へ腰掛ける。「作戦会議を始める」
クロードが報告を始める。
『構造物内部から継続的な信号を確認。エネルギー源不明、推定稼働年数不明、既知データベースに一致なし』
24T2が映像を拡大する。巨大な扉の周辺には規則的な熱流の痕跡が映っていた。
『興味深い発見があります』
「なんだ」
『この熱流は自然発生ではありません。鳥型ドローンを誘導するように形成されています』
制御室が静まる。
『発信者は我々が来ることを予測していた可能性があります』
クロードが続ける。
『より正確に言えば、鳥が来ることを予測していた可能性があります』
「おいクロード、お前は予測が得意だろ。今、どういう状況なんだ?説明してくれ」
『正直、今回は予測は無理だ。判断材料が乏しい』
三人は黙る。千春はしばらく考え込んだあと、ふっと笑った。
「面白くなってきたな」
クロードがため息をつく。
「大抵、その台詞の後に面倒事が起きる」
「知ってる」
24T2が言った。
『次の作戦を提案します』
遥か彼方、灼熱の谷の向こう側。
巨大な扉は静かに輝き続けていた。ずっと誰かを待っていたかのように。
その呼び声は、確かに三人へ届いていた。
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