第4話:アツシの等身大な「検証」と「夜の楽しみ」
五連休の三日目。
北海道での壮絶な「デバッグ」を終え、一度東京の自宅に戻って泥のように眠った淳志は、昼過ぎに目が覚めても全く疲れが残っていないことに改めて呆れていた。
鏡を見れば、相変わらず「人類の完成形」のような自分がいる。
だが、心の方はまだ、あの雪深い森で見た「死」の感触を拭い去れずにいた。
「……あんな力、一生使わずに済むならそれが一番だ」
自分に言い聞かせるように呟き、淳志はインスタントコーヒーを啜った。
だが、同時に冷徹な現実も理解している。あんな体と力を手に入れてしまった以上、もう以前と同じ「しがないサラリーマン」として一生を終えるのは、おそらく不可能だ。
もし会社が倒産したら? 今の生活を追われたら?
その時、自分一人で生きていけるだけの「地力」を確認しておきたかった。
「……よし。ちょっと、小銭を稼げるか試してくるか」
パスポートと、それにスマホをポケットに突っ込んだ。
ATMで日本円で30万ほど降ろしドルに両替する。
イメージするのは、一度だけ旅行で行ったことがあるネバダ州、ラスベガス。
――転移。
一瞬、鼓膜がキィィと鳴り、肌にまとわりつく空気が砂漠の乾燥した熱気に変わった。
路地裏から大通りへ出ると、昼間から煌びやかなネオンが淳志を包み込む。
以前の淳志なら、この時点で気後れしていただろう。だが、今は違う。『言語理解』が、行き交う人々の話し声や看板の意味を、まるで日本語のように脳内へ流し込んでくる。
淳志は一際巨大なカジノホテルへと足を踏み入れた。
狙うのは、個人相手ではなく、カジノ(ハウス)との勝負だ。
「……あんたら、プロなんだから。素人相手に稼いでる分、少しは分けてもらってもバチは当たらないよな」
そんな「小市民らしい」言い訳を心の中で唱え、まずはルーレットのテーブルへ。
『言語理解』を応用すると、不思議なことが起きた。ディーラーが球を投げ入れた瞬間、その軌道や回転速度が「物理言語」として解析され、どこに落ちるかの確率が視覚的に浮き上がって見えたのだ。
(……二十一。いや、隣の二か)
淳志は慎重にチップを置く。
一度に大きくは張らない。一回の勝ちを十万から二十万円程度に抑え、たまに「惜しい!」という顔をしながら負けも混ぜる。
ブラックジャックでも、ディーラーの微細な表情筋の動きや脈動から、彼らの「焦り」や「確信」が字幕のように読み取れた。
数時間、いくつかのテーブルを渡り歩いた。
一箇所で目立たないよう、スマートに、かつ確実に。
手元の軍資金は、いつの間にか百五十万円相当のドル束に膨らんでいた。
換金を終え、淳志はカジノ併設の高級ホテルのスイートルームを、その場でキャッシュで押さえた。
次は「言語」の検証だ。
夜。部屋に呼んだのは、エキゾチックな瞳が印象的な、ヒスパニック系の美しい女性だった。
「Hola, guapo.(こんにちは、イケメンさん)」
彼女が発した、一度も勉強したことのないスペイン語。
それが、淳志の頭の中では「やあ、いい男ね」というニュアンスを含んで完璧に翻訳される。
「Hola. 君の瞳、すごく綺麗だ」
淳志が口を開くと、自分でも驚くほど流暢なスペイン語が滑り出した。
彼女は驚いたように目を見開き、それから嬉しそうに微笑んで淳志の腕に絡みついてきた。
ムフフな時間を過ごしながら、淳志は彼女の囁く愛の言葉をすべて理解し、自在に応える。
火照った体で窓の外、ベガスの夜景を眺めながら、淳志はふと思い立って彼女に囁いた。
「ねえ。日本では『I LOVE YOU』を何て言うか知ってる?」
「……なんて言うの?」
「『月が綺麗ですね』……。そう言うんだよ」
「素敵ね。ロマンチック」
そんなキザな台詞を、スペイン語でイチャイチャしながら交わす贅沢。
明け方、彼女を送り出し、淳志は一人でホテルの広いベッドに大の字になった。
『収納』に放り込んだドルの束、完璧に使いこなせた未知の言語。
もう、何一つ怖くない。
たとえ明日、世界から放り出されても、自分だけはスマートに、贅沢に生きていける。
「……さて。帰るか」
淳志は一瞬で東京の、いつもの狭いアパートへと戻った。
残りの休みは二日。
一千キロ先へ肉を飛ばす「怪物」の自分と、ベガスで美女と語らう「成功者」の自分。
それらを『収納』の奥に隠し、淳志は明日から、またごく普通のリーマンを演じる準備を始めた。




