第20話:細胞すら抜き取る『収納』と、絶対零度の「オハナシシマショウカ」
高級レストランの個室。
運ばれてきた美しい前菜を前にして、テーブルの空気は異常なほど重苦しかった。
「…………」
「…………」
淳志はフォークを持ったまま、滝のような冷や汗を流して虚空を見つめている。
その対面で、香織の愛娘である沙織もまた、一切淳志と目を合わせようとせず、ガタガタと震える手で何度もグラスの水を飲んでいた。
明らかに挙動不審な二人。その異様な空気に、香織が気づかないはずがなかった。
「……ねえ。さっきから、二人ともどうしたっていうの?」
ピタリ、と香織の動きが止まる。
上司としての鋭い観察眼と、母親としての底知れぬ圧が、逃げ場のない密室で二人を包み込んだ。
「初対面のはずよね? なんだか、お互いすごく気まずそうにしているけれど……何か、私に隠していることでもあるのかしら?」
「い、いや! そそそそんな事ハナイデスヨ!」
「そ、そうよお母さん! ほら、初めて会ったから緊張してるだけで……っ」
じろり、と目を細める香織。
その絶対的なプレッシャーに耐えきれず、淳志の胃袋が限界を迎え、「す、すみません実は俺たち――」と白状しかけた、その時だった。
「あっ……!」
不意に、沙織が腹部を強く押さえ、苦悶の表情を浮かべてテーブルに突っ伏した。
「沙織!? どうしたの、沙織!」
「……っ、痛い、お母さん……っ」
パニックに陥り悲鳴を上げる香織。
淳志は自身の冷や汗が一瞬で引いていくのを感じながら、すぐさま香織の肩を抱いて落ち着かせ、スマートフォンで救急車を手配した。
――数時間後。搬送先の総合病院。
医師の口から告げられたのは、あまりにも残酷な現実だった。
末期のすい臓がん。すでに全身に転移が見られ、手遅れの状態だという。
「うそ……うそよ。だって、あの子はまだこんなに若くて……」
病室のベッドで眠る沙織の手を握り、香織は声を殺して泣き崩れた。
やがて目を覚ました沙織は、泣き腫らした母親の顔を見て、力なく微笑んだ。
「……ごめんね、お母さん。隠してて」
「どうして……どうして言ってくれなかったの!」
「私、もう長くないって分かってたから。……最後に、お母さんが今付き合ってるっていう人が、私が死んだ後も、ちゃんとお母さんを支えてくれる優しい人かどうか……見極めたくて、帰国したの」
本当は、死ぬのが怖くて仕方がないはずだ。
それなのに、泣きたい気持ちを必死に堪え、残される母親のことばかりを気遣う優しすぎる娘。
その姿を見た淳志は、強く拳を握りしめ、香織の肩にそっと手を置いた。
「香織さん。……俺の『収納』の能力、もしかしたら、がん細胞を取り除けるかもしれません」
それから数日後。
住み慣れた自宅での看取りを希望し、沙織は退院して香織のマンションへと戻ってきた。
そこで淳志と香織は、沙織に『収納』という規格外の能力の存在を打ち明け、がんを取り除く治療を試させてほしいと懇願した。
「そんな、魔法みたいなこと……」
「沙織、お願い。お母さん、小林くんを信じてるの。あなたを失いたくないのよ」
必死に涙を堪えてすがる香織の姿に、沙織は半信半疑ながらも静かに頷いた。
そこからの淳志と香織の行動は早かった。
二人はインターネットや専門書を血眼になって読み漁り、がん手術の知識や、細胞のスクリーニング技術に関するあらゆる情報を頭に叩き込んだ。
『収納』は、イメージした対象を異空間へ隔離する能力だ。だが、全身に散らばったがん細胞を一度に全て抜き取れば、沙織の身体がショックに耐えきれない可能性がある。
「少しずつだ……毎日少しずつ、正常な細胞を傷つけないように……」
淳志は極限の集中力で沙織の身体に手をかざし、ミリ単位、細胞レベルのスクリーニングを意識しながら、病魔だけを『収納』へと隔離し続けた。
香織もまた、食事や身の回りの世話をこなしながら、淳志が倒れないよう必死にサポートを続けた。
――そして、三ヶ月後。
「……信じられません。がん細胞が、完全に消滅しています」
定期検査に訪れた病院で、医師が震える声で告げた言葉。
その瞬間、香織は堪えきれずに沙織を抱きしめ、大粒の涙を流して号泣した。沙織もまた、母親の背中に腕を回し、生きている喜びを噛み締めるように声を上げて泣いた。
「……よかった。本当によかった」
マンションに帰り、落ち着きを取り戻したリビング。
沙織は、窓辺で優しく微笑んでいる淳志の元へ歩み寄ると、深々と頭を下げた。
「淳志さん……本当に、ありがとうございました。私の命の恩人です」
「気にするな。……俺はただ、またあの夜みたいに、君と綺麗な星が見たかったからね」
三ヶ月に及ぶ極限の緊張から解放され、淳志は完全に気が緩んでいた。
そして、命を救われたばかりの沙織もまた、感極まった状態のまま、無意識のうちにふわりと微笑み返してしまった。
「……そうね。またあの日の様に……」
ポツリとこぼれ落ちた、二人だけの「あの夜」の秘密。
しまった、と思った時には、すでに遅かった。
リビングの温度が、一気に絶対零度まで急降下する。
恐る恐る振り返ると、そこには涙を綺麗に拭き取り、能面のように感情の一切を消し去った香織が立っていた。
「……フタリトモ、オハナシシマショウカ」
カタコトの、地獄の底から響くような声。
感動の涙は一瞬で乾き切り、淳志と沙織の二人は、リビングの冷たいフローリングに並んで正座させられたのだった。




