第2話 南口、終電前の嘘
吉祥寺駅南口は、夜になると顔を変える。
昼間の整った輪郭は崩れ、ネオンと酒の匂いが隙間を埋める。
高峰修二は、改札を出てすぐの自動販売機の前に立っていた。
缶コーヒーは買わない。
ここは人を待つ場所であって、休む場所じゃない。
「……探偵さんだろ?」
声をかけてきたのは、酔った男だった。
四十代後半。
ネクタイは緩み、靴は片方だけ妙に擦れている。
「違うと言ったら?」
「だったら謝る。でも、多分当たってる」
男は笑った。
その笑いは、酔いよりも焦りに近かった。
「頼みがある。
……妻を、尾行してほしい」
修二は男を一瞥した。
「理由は?」
「最近、帰りが遅い。
スマホも見せない。
……浮気だと思う」
ありふれた話だった。
だが、修二は男の視線が改札ではなく、南口の奥を見ていることに気づいた。
「いつから?」
「三週間前」
「今日は?」
男は少し間を置いた。
「……終電前に、会う約束らしい」
修二は、南口の人波に目を向けた。
約束を待つ人間の匂いが、確かに漂っていた。
⸻
尾行は簡単だった。
妻は迷いなく歩き、入ったのは南口の古い雑居ビル。
三階。スナックの看板。
中から聞こえてきたのは、笑い声だった。
男の声ではない。
若すぎもしない。
修二は階段の踊り場で立ち止まり、十分だけ待った。
やがて、ドアが開く。
出てきたのは、妻と――
意外な人物だった。
「……あなた」
修二の背後で、依頼人の男が立ち尽くしていた。
「……兄貴?」
スナックから出てきた男は、依頼人の実兄だった。
沈黙が落ちる。
酒の匂いだけが、気まずく流れた。
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「浮気じゃない」
修二は静かに言った。
「家族の問題です」
兄は、頭を下げた。
「借金があってな。
弟には言えなかった」
妻は、目を伏せたまま言った。
「私が止め役でした。
これ以上、家族を壊したくなくて」
依頼人の男は、拳を握りしめていた。
怒りでも悲しみでもない。
――安堵だった。
「……俺は」
男は小さく笑った。
「嘘をついてるのは、俺の方だったな」
⸻
終電のアナウンスが流れる。
南口から人が消え始める。
「報酬はいらない」
修二は言った。
「その代わり、覚えておいてください」
「何を?」
「人は、守るためにも嘘をつく」
男は深く頭を下げ、妻と並んで改札へ向かった。
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修二は一人、南口に残った。
嘘は暴くものじゃない。
形を見極めるものだ。
改札の明かりが、少しだけ眩しく見えた。
次の嘘も、きっとここに流れ着く。




