第1話 改札前で消えた女
吉祥寺駅の中央改札は、いつも人の流れが途切れない。
朝も昼も夜も、誰かが来て、誰かが去る。
約束を果たす人と、果たさない人が、同じ床を踏む。
高峰修二は改札の外、コインロッカーの横に立っていた。
壁にもたれ、スマートフォンを見ているふりをしながら、通行人の靴だけを眺めている。
急ぐ足、迷う足、立ち止まる足。
人は足元に、心を残す。
「……あの」
声をかけられたのは、午後三時を少し回った頃だった。
振り返ると、三十代半ばの女性が立っている。
派手ではないが、きちんとした身なり。
肩にかけたバッグの持ち手を、必要以上に強く握っていた。
「探偵の方、ですよね?」
修二は否定もし肯定もしなかった。
代わりに、女性の目を見る。
「何を探しています?」
女性は一瞬、言葉に詰まったあと、小さく息を吐いた。
「来なくなった人を……探してほしいんです」
失踪。浮気。蒸発。
そういう言葉を想像するのは、探偵の悪い癖だ。
「その人は、どこへ?」
「……ここです。吉祥寺駅」
修二は改札を見た。
人は変わらず、流れている。
「毎週水曜日、午後三時。
この改札前で、必ず会っていました」
女性はそう言って、足元の床を指した。
まるで、そこに印が残っているかのように。
「でも、先週から来ない。連絡も取れない。
約束を破るような人じゃないんです」
修二は女性の顔を改めて見た。
悲しみより、不安が勝っている目だった。
「名前は?」
「……遠藤 恒一です」
修二はその名前を、心のメモ帳に書き留めた。
⸻
遠藤恒一は、すぐに見つかった。
正確には、“見つからない理由”が。
井の頭公園に面した小さな喫茶店。
マスターは、修二の質問に少し驚いた顔をした。
「ああ、あの人なら……先週、引っ越しましたよ」
「急に?」
「ええ。
『もう、ここには来られないから』って」
マスターはそれ以上、何も知らなかった。
ただ、恒一が最後に残した言葉だけを覚えていた。
⸻
修二は再び、吉祥寺駅の改札前に戻った。
女性は、同じ場所に立っていた。
「見つかりましたか?」
「ええ。来なくなった理由は」
修二は、事実だけを選んで話した。
恒一は失踪していない。
誰かに連れ去られたわけでもない。
「彼は……病気でした。
余命を知って、ここから離れた」
女性の目が、大きく見開かれる。
「じゃあ……どうして、何も言わなかったんですか」
修二は少し考え、答えた。
「たぶん、あなたと会う時間が、
“生きている自分”の最後の居場所だったから」
女性は唇を噛み、視線を落とした。
泣かなかった。
ただ、何かを受け取った顔をしていた。
「……ありがとうございました」
そう言って、彼女は人波の中に消えた。
⸻
修二は、改札を通る人々を見送る。
誰かが消えるのは、特別なことじゃない。
吉祥寺駅では、毎日それが起きている。
それでも――
誰かが、ここで誰かを待った記録は、確かに残る。
修二はブラックコーヒーを一口飲み、
また、駅に背を預けた。
次の“記録”が、始まるまで。




