第1話:渋谷109の地下に棲む影
夜の渋谷は、昼間の喧騒を嘲笑うかのように静まり返っていた。ネオンの灯りが微かに揺れ、冷たい風が狭い路地を吹き抜ける。誰もが足早に帰路を急ぎ、街の喧噪はすでに過去の記憶のように遠ざかっていった。
御影蓮司は、手袋越しにスマホを握りしめた。画面に映るのは、白石真琴――失踪した女子高生の写真。笑顔の彼女が、一瞬にしてこの街の闇に飲み込まれた。
「109の地下に、誰かがいる……私を見ている……」
彼女の最後の言葉は、まるで暗い深淵からの警告のように響いた。
蓮司は深く息を吸い込み、冷え切った手でコートの内ポケットから銀色の円盤を取り出した。ナスカ文明から発掘された謎のオーパーツ。その表面には、意味を成さぬ奇怪な模様が刻まれている。
「この遺物さえあれば、見えないものが見える──」
薄暗い階段を降りるたび、彼の胸は締め付けられるように痛んだ。空気は淀み、かすかな腐臭が鼻を刺す。壁に塗り込められた赤い染みは、血のように乾いて、そこに何かが囁いている気がした。
突然、背後から耳鳴りにも似た囁き声が流れた。複数の声が絡み合い、揺らめく影のように耳元で蠢く。
「返せ……返せ……俺の“かたち”を……」
振り向くと、壁に浮かび上がった一枚の能面が、微かな笑みと深い涙を浮かべて蓮司を見つめていた。
「お前も、奪われるのだ……」
その言葉とともに、身体の奥から凍りつくような冷気が襲った。感覚が麻痺し、意識の端がぼやけていく。
だが、蓮司は慌てずにオーパーツを掲げた。金属は青白い光を放ち、地下の闇を切り裂く。
闇の中から、歪んだ人影が現れた。顔は人間の形をしているが、その目は狂気に染まり、口元は歪み、絶え間ない呻き声を漏らしている。
逃げようと足を動かすが、影は床から絡みつき、彼の体を縛り上げた。
「仮面が笑う……仮面が泣く……戻れない……戻れない……」
震える声は、失踪した真琴のものだった。
蓮司は必死に意識を保ち、オーパーツから閃光を放つ。影は悲鳴をあげ、苦悶のうちに消えていった。
気がつくと、薄れゆく意識の中で、少女が蓮司を見つめていた。
「助けて……」
「もう大丈夫だ」
だが、蓮司の心に暗い影が落ちた。この街の闇は、深く、終わりのない悪夢の始まりに過ぎなかった。
帰路、彼の脳裏には、子供の頃に聞いた祖母の話が蘇る。呪われた人形、消えた恋人、夜毎に響く謎の足音──
それらはただの昔話ではない。東京の街は、怪談の舞台であり、狂気の巣窟なのだ。
そして何より恐ろしいのは、蓮司自身の記憶の隙間に潜む、忘れ去られた過去だった。