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妖精の郷③

 吹き抜ける風がサクラの長い髪を優しく揺らす。俺たちは言葉を交わすのも忘れ、ただ黙って、眼下に広がる絶景を眺め続けた。どこまでも続く森の海、その先にかすかに見えるルンベルクの街並み、そしてそれら全てを包み込むような、どこまでも広がる青い空。まるで世界を手に入れたかのような、不思議な高揚感が胸を満たしていた。


「なあ、サクラ」

「ん?」

「これだけ巨大な樹木なんだ。普通に考えたら、ルンベルクの町からだって、余裕で見えるはずだよな」


 俺の言葉にサクラもこくりと頷く。

 この大樹の高さは、おそらく数百メートル、いや、キロメートル単位かもしれない。これほどの巨体が、今まで誰にも知られずに存在していたこと自体が、奇跡としか言いようがなかった。


「うん……。でも、見えなかった。森に入るまで、こんなに大きな木があるなんて、全然気づかなかったもん」

「それも、全部あの結界の力なんだろうな……」


 ピクシーが言っていた、この郷全体を覆う強力な結界。それは、ただ侵入者を拒むだけでなく、この大樹そのものの存在すらも、外の世界から完全に隠蔽していたのだ。その事実に俺たちは改めて妖精の魔法の途方もない力を思い知らされた。


「すごいね。妖精さんの力って。まるで世界がもう一つここにあるみたい」

「ああ。俺たちが普段見ている世界が、全てじゃないってことか……」


 そんな会話を最後に、俺たちの間には再び心地よい沈黙が訪れた。

 お互いに何を考えているわけでもない。ただ、隣にいる気配を感じながら、同じ景色を共有する。その時間が不思議と満ち足りていて、俺は心の底から安らいでいるのを感じた。


 しばらくして不意にサクラが口を開いた。その声は、いつもの元気な響きとは少し違う、穏やかで少しだけ真剣な色を帯びていた。


「……ガイ君」

「どうした?」

「あのね……本当に、ありがとう」


 唐突な感謝の言葉に、俺は少し戸惑った。


「ありがとう? 何がだ?」

「ううん。全部だよ。全部、ガイ君にありがとうって言いたいの」


 サクラは俺の方に向き直ると、その真っ直ぐな瞳で、じっと俺を見つめた。その真剣な眼差しに、俺は少し気圧される。


「もし……もし、ガイ君と出会えなかったら、私、もうこのゲームにはいなかったと思うから」

「……!」


 その言葉はレンジとの一件を思い出させた。

 下手糞、役立たず、ゲームの質を落とす存在。心無い言葉の刃にサクラがどれだけ深く傷ついていたか。俺は、その痛みを本当の意味で理解してはいなかったのかもしれない。


「あの時ね、レンジさんに色々言われて……本当に、このゲームを辞めちゃおうって思ったの。私みたいなのがいたら、みんなに迷惑かけちゃうんだって……。お姉ちゃんみたいになりたいなんて、夢を見る資格もないんだって……」


 サクラの声が、微かに震える。あの時の悔しさや悲しさを、必死に堪えているようだった。


「でも……そんな時に、ガイ君が守ってくれた。私のことを『役立たずなんかじゃない』って言ってくれた。下手でもいい、頑張れば強くなれるって、信じてくれた……。それがどれだけ嬉しかったか、ガイ君には分からないかもしれないけど……」


 分からないはずがない。

 俺だってデバッファーという不人気な道を選び、その面白さを誰にも理解されずに、一人で戦ってきたのだから。サクラが感じていた孤独や不安は、痛いほどよく分かった。


「ガイ君が私のことを信じてくれたから、私、もう一度頑張ろうって思えたの。ガイ君が、私の戦い方を『すごい』って言ってくれたから、私、自分のスタイルに自信が持てたの。そしてガイ君が隣で戦ってくれたから……私、ここまで来れたんだよ」


 サクラはゆっくりと言葉を紡ぐ。一言一言に、万感の想いが込められているのが伝わってきた。


「この景色もそう。もしガイ君がいなかったら、私はきっと、こんなに綺麗な景色があることさえ知らずに、この世界からいなくなってた。テレサちゃんとも出会えなかったし、ピクシーちゃんにも会えなかった。全部、ガイ君が私を繋ぎとめてくれたから、今、私はここにいられるの」


 そこまで言うと、サクラはふわりと、花が咲くような、今まで見た中で一番美しい笑顔を見せた。


「だから……ありがとう、ガイ君。私を見つけてくれて、私の隣にいてくれて、本当にありがとう」


 その笑顔と、あまりにもストレートな感謝の言葉。

 それは、まるで告白のようにも聞こえて、俺の心臓は、ドクン、と大きく音を立てた。


「……な、なんだよ、急に改まって……」


 俺は照れくささを隠すように、わざとぶっきらぼうに視線を逸らす。顔が熱い。きっと、耳まで赤くなっているに違いない。サクラに気づかれていないといいが。


「えへへ。なんだか、この景色を見てたら、どうしても伝えたくなっちゃったんだ」


 サクラは悪戯っぽく笑う。その無邪気な笑顔が、俺の心臓をさらにうるさくさせる。

 俺はデバッファーとして、常に冷静でいることを信条としてきた。敵の動きを分析し、最適なスキルを選択する。感情に流されては、最善の一手は打てない。

 だが今、俺の心は、サクラという存在によって大きく揺さぶられていた。


 これは一体どんなデバフだ?

 思考を鈍らせ、心拍数を上げ、顔を熱くさせる。こんな状態異常、今まで経験したことがない。


「ガイ君? どうしたの? 顔、赤いよ?」


 サクラが不思議そうに、俺の顔を覗き込んでくる。その距離の近さに、俺は思わず後ずさりしそうになった。


「な、なんでもない! 風が、ちょっと冷たいだけだ!」

「えー? こんなに暖かいのに?」


 くそっ、ごまかしきれていない。

 俺はこの状況から逃れるように、慌てて立ち上がった。


「お、おい! そろそろテレサと合流する時間だ! 行くぞ!」

「あ、待ってよガイ君!」


 早鐘を打つ心臓を必死に抑えつけながら、逃げるように階段を駆け下り始めた。

 背後から聞こえるサクラの楽しそうな笑い声が、やけに耳に残った。

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