妖精の郷②
「うわーっ! すごい! ねえ、あそこの家、キノコの形してるよ!」
「こっち見て! 葉っぱのベッドで寝てる子がいる! 可愛いー!」
妖精の郷、ティル・ナ・ノーグに足を踏み入れた途端、テレサは好奇心の塊となって駆け出した。テレサにとって、この場所はインスピレーションの宝庫なのだろう。見たこともない植物、不思議な構造の家々、そして何より、そこで暮らす妖精たちの生活そのものが創作意欲を激しく刺激しているようだった。
「ねえ、みんな! ちょっとだけ、それぞれ自由に行動しない!? あたし、どうしてもあそこの工房が見てみたいの!」
テレサが指差す先には、水晶でできた壁を持つ、ひときわ美しい工房があった。中では、妖精たちが小さなハンマーを手に、何かを熱心に打ち付けているのが見える。
「ああ、いいぜ。俺もこの大樹の構造がどうなってるのか、じっくり見てみたい」
「うん! 私も……」
サクラも同意しようとしたが、その視線は俺の方をちらちらと窺っていた。一人で行動するのは、まだ少し不安なのかもしれない。
「サクラ、どうした?」
「あ、ううん! あのね……もし、ガイ君がよかったら……私も、一緒に大樹を見て回ってもいいかな……?」
上目遣いでそう尋ねるサクラに、断る理由などあるはずもなかった。
「もちろんさ。一緒に行こう」
「! うん!」
俺の返事にサクラはぱっと顔を輝かせた。
「それじゃ、決まり! あとで泉のところで落ち合おうね!」
テレサはそう言うと、一目散に水晶の工房へと駆けていった。その背中は、宝島を見つけた探検家のようだった。
「さて、俺たちも行ってみるか」
「うん!」
俺とサクラは目の前にそびえ立つ、天を突くような超巨大な大樹へと向かった。近づけば近づくほど、その圧倒的なスケールに言葉を失う。幹の表面は、まるで岩肌のようにゴツゴツとしているが、不思議と生命の温かみが感じられた。
「この大樹そのものが、妖精たちの家になってるんだな」
「すごいね……。どうやって登るんだろう?」
サクラが言うように、妖精たちの家は大樹の様々な高さに点在している。手のひらサイズの妖精たちならひとっ飛びだろうが、俺たち人間には到底届きそうにない。
しかし、俺たちが幹の根元までたどり着くと、そこに螺旋状に続く道が作られているのを発見した。
「これは……階段か?」
それは木の根や幹の一部が自然に隆起して形成されたかのような、緩やかな階段だった。驚くべきことに、その幅や段差は、まるで俺たち人間の歩幅に合わせて作られたかのように、完璧なサイズだった。
「人間用の階段まであるなんて……」
「きっと、昔から人間とも交流があったのかもしれないね」
俺たちはその不思議な階段に足を乗せ、ゆっくりと大樹を登り始めた。
階段の途中には、様々な妖精の家があった。花の蕾をそのまま住居にした家、大きな葉っぱを屋根にした家、幹のうろを綺麗に飾り付けた家。どの家も個性的で、見ているだけで飽きることがない。
時折、家の窓から顔を出した妖精たちが、俺たちに気づいて手を振ってくれる。サクラも嬉しそうに手を振り返していた。
「ガイ君、見て! あそこの妖精さん、木の実でスープを作ってるよ!」
「本当だ。こっちでは、朝露を集めてジュースにしてるぞ」
妖精たちの生活は、自然と密接に結びついていた。彼らは森から恵みを分けてもらい、それを大切に使い、そしてまた森に還していく。その循環の中に、俺たちが忘れてしまった、何か大切なものがあるような気がした。
どれくらい登っただろうか。
俺たちは開けたテラスのような場所に出た。そこは、大樹から大きく張り出した枝の上に作られた展望台のようになっており、ティル・ナ・ノーグの村全体を見渡すことができた。
「うわぁ……!」
サクラが息を呑む。俺も、その絶景に言葉を失った。
眼下には、先ほどまでいた幻想的な妖精の村が、まるで宝石箱をひっくり返したかのように広がっている。銀色に輝く泉、色とりどりの花々、そして光の軌跡を描きながら飛び交う無数の妖精たち。
遠くに目を向ければ、霧に包まれた森の向こうに、俺たちが旅してきた平原や、ルンベルクの町の姿さえも、小さく見ることができた。
吹き抜ける風が、心地よく頬を撫でる。
世界が、こんなにも広くて、美しい場所だったなんて。
「すごい……。ずっとここにいたいな……」
サクラがうっとりしながら呟いた。その横顔は、夕日に照らされて、いつもより少しだけ大人びて見える。
「ああ……そうだな」
俺も素直にそう思った。
この場所には、戦いも、争いもない。ただ穏やかで、優しい時間が流れている。
「ねえ、ガイ君」
「ん?」
「私、この森に来てよかった。ガイ君と、テレサちゃんと一緒に、ここまで来られて、本当によかった」
サクラは満面の笑みで俺を見つめた。その笑顔は、この絶景にも負けないくらい、眩しくて、綺麗だった。
「俺もさ。サクラが諦めずに、ここまでついてきてくれたから、この景色を見ることができたんだ」
「えへへ……」
少し照れくさそうに笑うサクラ。
俺たちは言葉を交わすのも忘れ、ただ黙って、眼下に広がる絶景を眺め続けた。
理想の防具を作るための素材探し。その目的を忘れさせるほどに、この妖精の郷の景色は、俺たちの心を強く、そして深く満たしていくのだった。




