綴る恋文に愛はありますか
『恋文、仰くんも随分と上手くなりましたね』
「茶化してもなにもでないからな」
照れた声は聞こえてきます、と通話をしている彼女は言い切り、おかしそうに笑っている。
一夜仰は高校生になってから、恋文を書くようになっているとは思いもしなかった。
それも、熱が集まり始める静寂のひと夜、午後九時過ぎに彼女――十文字小鈴とスマホで通話を繋ぎながら、勉強机に真っ白な紙を広げて、照明に照らされながらペンを持っているとは。
(……小鈴、楽しそうなんだよな。まあ、なんというか、俺も小鈴からの手紙は楽しみだし、仕方ないっていうか)
なんで素直になれないんだよ、というツッコミを心の中で一つ入れつつ、仰は頬を掻いた。
『書くのは楽しくなりました?』
「まあ、恋文は恥ずかしいけど、読まれる相手的には楽しいな」
恋文、それは今で言うところのラブレターだ。
書いているのは恋文ではあるが、仰と小鈴がお互いに書くのは普通の恋文とは違っている。
一文字一文字に愛を込めて、その時の想いを込めて、大切に綴って描かれていくのが……お互いの間にある恋文だ。
渡す相手は言わずもがな、通話の相手である小鈴だ。今ではもう、何十、何百と続く、渡し合う日課が続いている。
渡し相手である小鈴と通話をしながら恋文を書くというのは、現代と古典の融合で気恥ずかしいものもあるし、どこか温かい気持ちもあるというものだ。
可愛らしい猫のアイコンが表示されているスマホの画面から目を離せば、勉強机には小鈴から貰った恋文が丁寧に置かれている。
いつでも読めるようにと……眠る前にちょっとにんやりしてしまう、仰にとっての幸せな生き方だ。
「とはいえ、小鈴さんの恋文は変わらないけどね、芯があって……何度も読み返しちゃうほどに」
『え、あ、はい!?』
小鈴が首根っこを掴まれたかのように動揺した声をあげたのもあり、仰は思わず小首をかしげた。
ふと、自分が小鈴の手紙を何度も読み返している、と暴露してしまった事に気づき、仰の頬はだんだんと熱くなっているのだが。
『わ、私も仰くんの手紙は何度も読み返していますし、なんなら大切に箱に入れてしまっていたりもして……ああ、べ、別にアレですよ? 私が勧めたのもありますし、仰くんの声を音声越しでも聞きたいとかー、そんな野暮な考えはないですし、詮索は良くないですからね?』
小鈴は勘違いをしているようで、全ての答えを言ってしまっている彼女は愛らしいものだろう。
普段はゆるふわな口調なのに、ちょっと早口になると凛とした口調になるから、仰は思わず鼻を静かにならした。
(小鈴さん、どんな風に通話しているのかな)
どんな表情で言っているのか、どんな格好で通話を繋いでいるのか、仰としてはそちらが気になるというものだ。
下心とかなく、ただ純粋に、彼女の笑顔が見たいエゴである。
通話の画面にある、カメラのマークを押せばビデオ通話になるが、小鈴とはそんな深い関係ではない。
仰は小鈴の暴露を聞いていないフリをして、話題を変えた。自分勝手なのは承知の上で。
「学校で『小さな妖精』って呼ばれている小鈴さんと、こうして恋文のやり取りをしているなんて、他の人には知られたくないな」
『ふふ、仰くんはただ運がよかっただけです』
「ちょっとくらい優しくしても罰は当たらないぞ?」
『もしかして、自分は特別、とでも言われたかったですか?』
「俺が悪かったですー」
小鈴は普段ならおっとりとしているのに、こういう時に限って拾ってくる。
それは、出会った当初――関わりを持った時から変わっていないのだろう。
小鈴との出会いは、本当に変わりない、一冊の本が本棚に入っただけに過ぎなかった。
小鈴は仰の通う高校の中でも、頭一つ抜けていると言っていい程の美少女である。
黄緑色をしたロングヘアーをしており、左耳前に垂れた髪を古風な青い紐で結んでいるのが特徴的だ。
整った顔つきに、小顔ながらもポツリと愛らしい黒い瞳は、小さな妖精と呼ばれるほどに有名である。
だからこそ仰は、知っているだけで関わることは無いと思っていたのだ。
誰もいない図書室で出会い、たまたま隣で本を読み始め、手紙の書き方のページを覗き込まれ、手紙という名の恋文を書くまでに発展したあの時までは。
そもそもの話、美少女が隣で本を読むだけでも心が張り裂けそうになっていた。とどめを刺すかのように、恋文を書き合いませんか、と言われれば断るのは困難だろう。
現状に至り、恋文を受け渡す日課と、通話が終わった後は必ず小鈴から貰った恋文を読み返す日々の幸せに仰は浸っている。
『もう、仰くんはいつもそうです』
「治す気はない」
『屋烏之愛を知っていますか?』
「そのおく……なんの愛だって?」
『自分の持っている愛を分け隔てなく与えてくる、という意味ですよ』
「もも、もっている愛を!?」
『冗談です。でもー、本当の意味も内緒です』
仰は思わず机を叩きそうになった。
小鈴に痺れを切らしたわけではなく、小鈴が悪戯に少しゆるっとした声を出したのもあり、仰は悶えるのを防ぎたかっただけである。
仰は自分を誤魔化すように、止まっていたペンを静かに走らせた。
小鈴にも環境音として聞こえていたのか、小鈴の方からもガラスペンが紙に柔く当たる音が聞こえてくる。
こちらはボールペンで書いているのだが、彼女はガラスペンを使って一文字一文字ぶっつけ本番で書いているらしい。
実際、小鈴から貰う恋文はインクの滲んだ文字が良い味を出しているので、仰も真似してみたいと思ってしまったほどだ。
ひっそりと真似して近づきたい、お年頃の男心がくすぐられているのかもしれない。
(小鈴さんは今、どんな恋文を書いているのかな……)
仰が今書いている恋文は、心からの感謝を文字にして、小鈴への好意を寄せたような文章だ。
文字を書くことや、夢を見ることが苦手だったが、恋文を書くようになって見る世界が変わったのもあり、気づけばペンを持つ手は直感的に小鈴への想いを綴るようになっていた。
小鈴から貰う恋文に綴られた、芯のぶれない文章に、仰の恋心は打たれていたのかもしれない。
夜なのに抜けない熱は、今も小さく鳴いている。
ペンを走らせると、星が光っていく。
一文字一文字、小鈴という人物に向けた、変わっていく自分を伝える愛のある文章の形となって。
部屋には一人なのに、画面越しには小鈴が居るから、寂しくても一人じゃないと知っているからだろう。
ふと鼻で笑った、その時だった。
『わあ、今日の夜空は綺麗ですね』
「外? ――星が落ちてるのか、初めて見た」
『私も初めてです』
小鈴のふわりとした口調は、開けたカーテンの外に映る景色も相まって、空っぽだった自分の心を埋めてくる。
夜空には満天の星と、白い線を描いて流れていく光――流れ星が視界の海を泳いでいた。
仰は生まれて初めて、流れ星を見た。
ニュースを見ないからこそ、小鈴が教えてくれなければ見られなかっただろう。
言葉にならない、夜空を流れる御伽話のような星々に、開いた口は塞がらない。
そんな仰の気持ちを理解しているのか、まるで隣に居るかのように、囁く小悪魔の優しい声が耳を撫でた。
『仰くん、流れ星は落ちきる前に願いを言うと、願いが叶うと言われているのですよ』
「願いか……」
絶対に画面越しで口角を和らげていそうな小鈴の言い方は気になるが、仰はそっと手を合わせていた。
ごくりと飲み込んだ息は、喉を鳴らした。
瞬く瞼は、そっと視界を濡らしている。
一つの流れ星が初めに落ちる瞬間、仰は口を開いた。
「好きになっていた相手である、十文字小鈴さんと付き合えますように」
仰はふと、一人ではなく、今まさに願いを込めた彼女――小鈴と通話をしていたのだと思い出し、頬が熱くなった。
冷めない頬に手を当てた時、仰は耳を疑った。
『恋文で距離を詰めている、仰さんとお付き合いできますように』
「……え?」
『ああ、流れ星、終わっちゃいましたね』
まるで鈴を転がすように言い切る小鈴は、自分が何を言ったのか理解しているのだろうか。否、仰自身も想いを口にしてしまったからこそ、戸惑いを隠せていないのだ。
気づけば隠せない戸惑いを、恋文に刻んでいた。
仰が小鈴を好きであると、付き合いたいと願っている、その今を。
仰と小鈴の間にある恋文は――通話をしながら書くのも含めて、その時に話している相手に感じていること、思っていることを書く、甘い寂しさを埋めるような愛のある文章だ。
恋文という古典の書き物、通話という現代の技術、今だからこそ交えて成り立つ、二人だけの特別な距離。
綴っていたペンを止めると、スマホの方からコンコンと音が聞こえていた。
スマホの画面を見た仰は、驚きも含めて、顔が熱くなりそうだった。
『仰くん仰くん』
「こ、小鈴さん!?」
『えへへ、今日だけの特別ですよ』
仰のスマホの画面から、愛らしい猫のアイコンは無くなっている。
その代わりのご褒美なのか、十文字小鈴、彼女の部屋着姿と顔が映っていたのだ。
スマホ越しに柔く甘い表情を見せてくる小鈴は、知らぬ間に仰の気持ちを更に掌握していることに気づいていないのだろう。
左耳にかかる古風な青い紐で結ばれた黄緑色の髪。
雫が落ちそうな程につぶらな黒い瞳。
落ちる水滴すらも弾く、もっちりとした柔らかな白い肌。
季節が冬なのもあってか、ふわもこの部屋着は小鈴の小柄さも相まって、仰の心臓を握りつぶしてくるようだ。
仰は顔を熱くしているのもあって、誤魔化すように息を吐いた。
ビデオ通話になったのもあり、小鈴がくすくすと笑みを浮かべているのが見える。
『仰くん、先ほどの言葉が嘘偽りのない気持ちであるのなら、同じ仕草をしてください』
「……本当にいいの?」
仰は見える光景に、小鈴に改めて確認を取ってしまった。
小鈴は画面の枠に収まるようにして、右手を出して片思いハートの形を作っていたのだから。
小鈴が頷いたのもあり、小鈴の方から見ても重なるように仰は画角を調整して、右手で片思いハートを作った。
手と手が紡ぎ合えば、二人の間にハートを作っている。
『その感情を今日の恋文に綴って、現実でも言ってくださいね』
「一つだけ聞いてもいいか?」
『いいですよ』
お互いにハートを保ったまま、仰は静かに息を吸った。
「俺は小鈴のことが好きなんだけど……小鈴は、どう思ってる?」
『――出会った時から、大好きですよ』
その直後、ビデオ通話越しなのにこちらに振り向くような雰囲気と共に、小鈴は柔く頬を緩ませ――
『好きじゃなければ、恋文に愛はありませんから』
小さな妖精は隠れて、小鈴の本音は夜をなかせた。