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恐山

作者: 羽根 りん

 あの日のことは今でも鮮明に思い出せる。


 大学3年生の冬のことだ。ふと思い立って、青森の恐山に行くことに決めた。もともとオカルトは好きな方だったが、心霊スポットとか、そういったところに行ったことはなかった。

なんであの時そう思ったのかは分からない。だが、今にして思えば、おそらく私は「呼ばれていた」のだと思う。


 思いついた日の翌朝、宿も取らずに新幹線に飛び乗った。最寄りの東京駅から新青森駅まで、新幹線で大体3時間と少し。青森へ着いてからは、電車やバスを乗り継ぎ、終点の霊場恐山までは2時間半ほどかかった。あっという間のこの状況に、自分でも少し驚いていた。


 なぜだか少しの胸騒ぎがするのに気づかないフリをして、一緒にバスに揺られる乗客を何となしに眺めていた。すると、こちらをじっと見ている老婆に目が止まった。彼女は、目が合っているにも関わらず、目を背けることなく、私の後ろの「何か」をずっと見つめていた。

 私は霊感がない。だからこそ、老婆が何を見ているのかこの時は分かるはずもなかった。

 しばらくしてバスが恐山に着いたことを知らせるアナウンスを流す。「まもなく、霊場恐山。まもなく、霊場恐山。」無機質な声が静かなバスの車内にこだまする。

 平日の昼間だからか、バスの中には私を含めて5人程度しか乗り合わせていなかった。若い乗客は私のみで、他には先ほどの老婆、初老の男性、またその妻?と思われる女性、一人旅の様相の40代半ばごろの女性が乗っていた。

 終点にバスが到着し、みな一様にバスを降り始める。運賃を支払って、次々にドアから出ていく。

最後に残ったのは、先ほどの老婆と私だった。

 少し気味が悪かったので、「お先にどうぞ。」と先に降りるように老婆に促した。それでも、彼女は動かない。私をじっと見つめてくるばかりだ。

 痺れを切らす前に運転手さんが、「お客さま、お早くお降りください。あとはお姉さんだけですよ。」と降車を催促してきた。運転手さんには、このお婆さんが見えていないのだろうか。背が低いから、見えなかっただけなのかも。そう思って、ずっと動かないお婆さんを尻目にバスを降りることにした。

 車内を歩き出したその時、突風がバスの車体をゴウと揺らした。びっくりして一瞬視線を外へやり、もう一度車内に視線を戻したその瞬間。先ほどまで私を見つめていたお婆さんは消えていた。跡形もなく。そんなことがあり得るのかだろうか。

 つい「ひっ」と声をあげてしまっていた。今までそこにいた人間が、こんな一瞬のうちに消えることができるなんてあり得ないーー。

 早くここから立ち去りたい一心で、足早にバスを後にした。バス停は、恐山入場口の目の前にあったため、迷うことなく先に進むことができた。

 昨日の夜思い立って、今もうここに来ているということが信じられない。人はまばらに行き交い、厳かな空気がそこには広がっていた。微かな硫黄の香りが、ツンと鼻の奥に流れ込んでくる。

 足が勝手に進んでいく。すると、三途の川にかかる橋の付近で足が止まった。自分の足なのに、なぜか他人の足のようだ。どうしてか、ずっとここに来たかったのだと思った。急に視界が霞んでいく。

 目の前に白いモヤがかかり、辺りを覆っていった。不思議と恐怖はなく、むしろ安堵していたくらいだ。ああ、戻って来られたんだと心のどこかでそう感じていた。

 

 昔、私はここに来たことがある。現世よりずっと前の、私が私でなかったころ。あの時は、誰かとここで会うことを約束していた。大切な人と会うことを、心の支えにして生きていたのだ。

 しかし、それは叶うことのない夢だった。身分が違いすぎた私たちは、ついぞ会うことは叶わなかった。私は所詮平民の出で、彼女はそれなりの家柄の出。悔しくて悔しくて、会うことのできない人生ならばと私は自ら命を絶ったーー。


 意識がスッと戻ってきて、ハッと我に返った。さっきのお婆さんが、橋の対岸に立っているのが見えた。彼女は微笑んで、「ずっと待っていたのよ。」と話しかけてきた。彼女は、以前の私が待ち望んでいた「あの人」なのだろうか。怖さはなく、ただ、涙が自然と流れ落ちた。

 

 「待たせてごめんね。」と口が動く。私は足を踏み出すことはなかったけれど、ここまで私を突き動かしてきた「何か」が私の中から抜け出るのを感じた。橋の向こうで待っている彼女は、老婆の姿からみるみる美しく若い女性の姿へ変化していった。

 橋を渡りきった「何か」は、彼女の手を取るとそのまま連れ立って見えなくなって行った。


 不意に視界が開けて、白いもやが引けていく。さっきまでの静けさが嘘のように、人が往来していることに気づいた。

 そして、今まで「そこ」にあったはずの私の一部が、すっかり抜け落ちていることにも気づいてしまった。


 私が以前と同じ私なのかは分からない。だが、私の一部は今も、彼女と幸せに笑って過ごしているのではないかと思った。あの桟橋の向こう側で。

 

恐山に行きたすぎて、恐山がテーマの文章を書いてみました。

たくさんの霊魂が集まる山と言われている恐山。少し怖いけれど、それでもやっぱり行ってみたい。

自⚪︎者は輪廻転生の輪から外れるというのが通説のようですが、今回は例外ということで...

表記揺れがある場合はご容赦ください。

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