第三章 ザンガリオスの道標 序-2
〝黒き斑路〟と呼ばれる石畳で整備された街道が、聖大陸中の隅々にまでに延びている。
その道幅や材質は統一規格で定められ、幅四ガイル半以上(馬車がすれ違える程度)で石の種類は御影石や安山岩、玄武岩等の花崗岩とされた。
(註・一ガイル=約一メートル)
国家間を結ぶ主要街道はすべてこの企画の道であり、各々街道名が付けられているのが一般的であった。
さきほどまで彼らが進んできた街道も、この〝黒き斑の路〟である。
サイレンとジェニウスの国境線に沿って、街道とは比ぶべきもない、舗装もされていない名もなき細い道が西方へと延びていた。
ほんの百ガイル先にジェニウス領を臨みながら、ザンガリオス鉄血騎士団は追われるように西へと向かって歩き出す。
希望を絶たれ、みな足取りが重い。
そこへ三十騎ほどを連れたカルロが、血塗れの顔で現れた。
「大将、こりゃあ一体なんなんですか。なんでジェニウス領へ入らないんです」
訳の分からない状況に、カルロが憤慨したように尋ねる。
「裏切られたんだよ僕たちは、頼みのケヴィンⅢ世陛下はすでに崩御され、実権を握っているのは王弟のラキシュスだ。リネルガと先遣隊は、首になって帰って来たよ。前からいけ好かない奴だったけど、まさかこんなことまでする奴とは思ってなかった。多分奴の手で王の一家と、それに味方する者も皆殺しにされたんだろう。一寸先は闇だと言うけど、酷い話しだな」
バッフェロウに代わって説明したのは、ザンガリオス宗家に次ぐ格式を持つ、一門総代ケネリウス家の御曹司フロイだった。
「じゃあ、もう頼る先もないんですね俺たちは──」
「そう言うことだね。このままじゃすぐに追討軍に追いつかれ、さんざ追い回された挙句野垂れ死には確実さ」
まるで他人ごとのようにフロイは続ける。
「ようし、こうなりゃ地形のいい場所に陣を布き、華々しくひと合戦しようじゃねえか。狩られる獣みてえに追い回されるなんざまっぴらだ、潔く散ってやろうじゃねえですかい大将」
瞬時に事態を呑み込んだカルロが、戦いを具申する。
「僕もそう思うなバッフェロウ、逃げるのなんてかっこ悪いじゃないか。なによりも剣の天才の僕の性に合わないしね」
フロイもそれに賛同する。
「将軍、もうこの辺でいいでしょう。逃げたい兵や投降したい者は見逃し、戦意のある者たちだけで戦いましょう。われらは無敵と謳われたザンガリオス鉄血騎士団だ、カルロの言うように狩られる獣じゃない」
満身創痍の状態で、やっと馬の背に取り付いているウォーホーも決戦を主張する。
サイレンにその名を誇った常勝軍を牽引していた〝バッフェロウ六勇将〟も、すでにここに居る三人となっていた。
「みなの気持ちは分かった、しかし決断をされるのは殿だ。しばし待ってくれぬか、ご相談してみよう」
バッフェロウが主の乗る馬車の方へ向かって行く。
それを見送りながら、ウォーホーがカルロの血に塗れた顔をしげしげと見詰める。
「おいカルロよなん人やった、顔どころか全身血で濡れているぞ。戻って来られぬ所を見ると、レリウス殿は討ち死になされたらしいな」
猛将オギィロスとも互角に渡り合った、武芸ではバッフェロウに次ぐ六勇将一の豪傑ウォーホーがどこか寂し気に訊く。
「あの旦那と来たらまったく見事な戦いっぷりだった、さすがは六勇将筆頭だけのことはある。騎馬戦では大将より上だと日頃から言っていた通りに凄えもんだ。その指揮能力といい槍捌きといい、サイレン屈指だろうな。しかしなんせ相手の数が多すぎる、斃しても斃しても雲霞のように湧いて出てくるんだ。とうとう力尽きて逝っちまったよ。副官のマシューに懇願されて俺は戦場を離脱した、もういま頃は全滅してるだろう。やがて追っ手はやって来る、早くいい場所を確保して陣を固めなきゃ戦にならねえ。なあに、その気になりゃまだまだ兵の数だって揃ってるんだ、相手を後悔させるくらいの戦いは十分やれるよ」
「まったくお前ってやつは、ロッテダムの言った通り戦場には欠かせない男だ。お前を見てると元気が出て来る、なんだかやれそうな気持ちにさせる。不思議なやつだな──」
その時兵が駆け寄り、報告を入れる。
「先遣としてジェニウスへ派遣されていた斥候隊のサンドロが、たったいま戻って参りました」
「なにっ、生き残りがいたのか。すぐにここへ連れてこい」
姿を見せたサンドロという兵は意外と元気で、手傷一つ負ってはいなかった。
「サンドロと申したな、お前は間違いなく先遣隊の生き残りなのだな」
「はい、ヘムン隊長麾下の斥候兵副長です」
「よくぞ生きて戻って来た、一体ジェニウスでなにが起こったのだ」
ウォーホーの問いに、顔を歪めなにかを逡巡するようにサンドロは下を向いた。
「申し訳ございません、われらは与えられた任を失敗してしまいました。援軍を連れてくるどころか、ジェニウスでの政変を食い止めることも叶わず、このような仕儀となってしまったことは万死に値します」
そう言うなり涙を流し始めた。
「余程のことがあったようだな。分かった、あとの話しは殿と将軍の前で致せ。すぐにお合わせする」
ウォーホーが泣き崩れているサンドロを立たせ、ほかの二人と共に主ペーターセンとケネットの乗る馬車の方向へ向かう。
全滅したと思っていた先遣隊の生き残りが帰ってきただけでも驚きだったが、彼が共に連れているのがジェニウス王女のレイラ姫だと解りさらに驚きが増した。
そして彼らを王都から無事にここまで連れてきたのは、ジェニウス商務長官のジェピターだと言うではないか。
それだけでも、複雑な出来事が起こったことが窺い知れた。
侍女カレンに付き従われ目の前に現れたのは、紛れもなく姉フォレーニアの娘レイラであった。
ペーターセンと面会したレイラ姫は、こんな状況にも拘わらず気丈に王女としての尊厳を持って接した。
そんな健気な姿を見てペーターセンは、なにがあってもこの少女を護り抜くことを胸に誓った。
それにはいまある危機をなんとか脱し、ザンガリオス家の命運を尽きさせるわけにはいかなかった。
病の床についているケネットもレイラに会い、幾分気が落ち着いたのかそれから長い眠りに入っていった。
それからサンドロがジェニウスにて起こった顛末の全貌を、知る限り詳しく話し始めた。
「急ぎに急ぎ次の日の午後には、わたしたち一行二十一名は咎められることもなく、なんの障害もないままジェニウス領内へと入って行きました。すんなりと王都アゴニアの王宮へと案内され、宮中の一室にて、温かく甘いキャリム水と砂糖菓子とでしばしの休息を得たのです。みなが追われる身となったわたしどもに同情的で、親切に接してくれました。トールンでの出来事はすでにジェニウス王の耳にも届いていたらしく、夜分にも拘らずすぐにリネルガさまとケヴィン陛下との謁見は叶ったのです。始めはすべて順調に進んで行きました」
一同は固唾を飲んで、先遣隊の斥候副長であるサンドロの話しに耳を傾けている。
「ケヴィンⅢ世陛下に謁見したのは、リネルガさま及び斥候隊のヘムン隊長を始めとする、主だった五名だけでした。副長であるわたしも同行を許された中の一人です。通されたのは謁見の間ではなく、二階の奥まった場所にある小さな部屋で、そこは多分国王陛下の私室だったのでしょう」
サンドロがジェニウスへの入国以降の、驚愕の真実を語り出した。
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