第三章 ザンガリオスの道標 序-1
「国境だ、ジェニウス領が見えて来たぞ」
兵の一人が大声を上げた。
「おお、あれに見えるはジェニウスの援軍か? もう安心だ将軍にもお知らせせよ」
先頭を進んでいた歩兵隊隊長のシュリーダーが、大声で命ずる。
部下は喜び勇んで、行軍の半ば付近を進むバッフェロウの元に急ぐ。
「将軍、国境が見えました。遠目からも分かるほどの大軍が待機しております、きっとケヴィン王がお待ちなのだと察せられます」
「殿、お聞きになられましたか。ジェニウスは援軍を持って待っていてくれましたぞ、リネルガ殿がケヴィン陛下を説得してくれたようでございます」
粗末な馬車の中に語り掛ける。
「そうか、これでケネットを医者に診せられる。まだ天はわれらを見捨てはしなかった──」
ペーターセンは熱に浮かされ気を失っている、異母弟の額の汗を拭ってやりながら、口中で神に感謝の詠唱を呟いた。
「ケネットさまのことはご心配でしょうが、わたしと共に先頭に立ってくださいませ。ケヴィン陛下へご挨拶をせねばなりません」
「うむ、相分かった」
美々しい馬飾りを施された鹿毛〝キューリオウス〟が引き出されて来ると、ペーターセンは馬上の人となった。
「ケネット、いま少し待っておれよ」
そう優しく声を掛け、バッフェロウと共に馬を歩ませる。
そこへ陣頭から血相を変えたシュリーダーが駈けて来る。
「一大事でございます」
「なにを見苦しく慌てている、ジェニウスの大軍が待っているのならば聞いておる」
慌てふためいている家臣を、ペーターセンがたしなめる。
シュリーダーは馬を降り、片膝を着き息せき切って話し出す。
「ジェニウス軍はわれらを領内へ入れようとしません、それ所か引き返せと申すありさまです。近寄ろうとした兵数名は、射殺されてしまいました」
「な、なんだと──」
報告を聞いたバッフェロウの顔色が変わる。
「馬鹿な──。義兄上が、ケヴィン陛下がそう申しておられるのか」
悲痛な声で訊く主に、シュリーダーが応える。
「ジェニウス王のお姿らしきものは見えません、われらに引き返せと申されたのは、どうやら王弟のラキシュスさまのようです」
「ラキシュス? なぜ義兄上が居られぬのだ、リネルガはどうしておる。あやつの姿はあるのだろう、リネルガはなんと申しているのだ」
「はっ、同じくリネルガさまのお姿も、先遣隊の者どもも一人も見当たりませぬ」
「殿、これは由々しき事態ですぞ。ジェニウスでなにごとかが起きたとしか思えません、とにかくわれらが直接ラキシュス殿にお伺いいたしましょう」
「・・・それしかあるまい」
バッフェロウに促され、暗鬱な表情でペーターセンは馬を進めた。
国境を挟んで、ザンガリオス鉄血騎士団とジェニウス軍が睨み合っている。
そこへバッフェロウ将軍を伴った、ペーターセンが姿を見せる。
「そこに居るのはラキシュス殿ではないか、わたしだペーターセンだ。義兄上はどうしておられる、なぜわれらを領内へ入れてはくれぬのだ」
「気安くわが名を呼ばわるのはどこの馬鹿者だ、お前らなどにはなんの用もない。すぐに引き返せ、さもないとみな射殺してしまうぞ」
前方に展開している弓兵が、一斉に弦を引き絞る。
「これは一体どういうことだ、われらに闘う意思はない。先にわが家老リネルガを使いとして義兄上の元に送ったはずだ、リネルガはどうしている」
「はははっ、あの物乞いのようにジェニウスに縋って来た、卑しい若造たちのことか。逢いたくば逢わせてやる、積もる話しもあろうからゆっくりと語り合うがいい」
そう言うや、粗末な麻袋が三つ放り投げられた。
「望み通りに返してやったぞ、中を確認してみるがいいバッフェロウ」
ラキシュスの隣の高級将校の格好をした男が、冷ややかな視線をバッフェロウへ向ける。
「ほほう、それに見えるは右将軍のデカンダではないか。今日は妙に威勢が良いな、ラコルジェス殿は如何しておられる。貴様などと話すことはない、左将軍にお逢いしたい」
「そんな奴はもうこの世にはおらん、すべては変わったのだ。いつまで無敗将軍などと良い気になっているつもりだ、いまや国から追われる惨めな敗軍の将の分際で」
兵が持ってきた三つの麻袋を開くと、中には人間の首が詰まっていた。
「リネルガ──」
その中の一つは紛れもなく、将来を嘱望された若き家老リネルガの首であった。
涼やかであったその顔は憤怒の形相と変わり果て、悔しさのあまり目を見開いたまま、血の涙を流していた。
「これは一体どういう仕儀だ、義兄上の命でしたことか? それともお前の意思か」
お気に入りの家臣の無残な姿を目にし、形相を一変させペーターセンが怒鳴り声を上げる。
「わが兄、ジェニウス王ケヴィンは昨日未明に崩御された。しばらく前から病に臥せっておられたのだ、それが俄かに悪化して逝去なされた。これからのジェニウスは王太子であるわたしが舵取りを致す、その愚かで惨めな男もわが一存で首を刎ねた。他国者の癖にジェニウスの政にとって良からぬ企みをしたのだから、自業自得というものだ」
なんの感情も見せず、そう言い放つラキシュスに続き、デカンダが追い打ちを掛ける。
「左将軍ラコルジェスも一族郎党揃って謀反の罪で斬首した、勝手に軍を動かそうとしおったのだ。生憎わが国では、もうお前らに心を寄せる者は誰もおらん。ケヴィン王と共にみなあの世へ旅立った、一人残らずな。分かったらさっさと立ち去れ、さもなくば容赦はせんぞ」
「姉上はどうしておられるのだ、愛する夫の死にさぞや嘆いておられよう。それに甥である王子のタイラーたちのことも気掛かりだ、一目逢わせては頂けぬかこの通りだ」
ペーターセンは馬を降り、深々と頭を下げる。
「王妃は悲しみのあまり、子どもらと共に自害なされた。殉死だ、ご立派な最期であったよ」
「な、なんと王子や姫たちもすべて亡くなられたと言うのか。そんな馬鹿な──」
「なにも子どもらまで道連れにすることもあるまいに、悲嘆のあまりに一時的に気がおかしくなられたのだろう」
ラキシュスがなんの抑揚もなく冷たく言い放つ。
ただ一人、彼のすぐ側に付き従っている、三十歳手前の品のいい大身貴族らしき人物だけが、唇を噛み下を向いている。
「カリーム公、いまの話しは真か? あなたのお口からお聞きしたい」
ペーターセンは、顔見知りのカリーム・ヴィン=ランセルク公爵へ訴えかける。
「確かに間違いない、お后さまはお子さま方を道連れにご自害なされた──」
それだけ告げると、あとは沈鬱な顔をした彼の口は、二度と開かれることはなかった。
「あの聡明な姉上に限ってそんなことはありえん、ラキシュス貴様がやったな──」
カッとなって、ペーターセンは腰の剣に手を掛けた。
「殿、お止めください。これ以上話しても無駄でございましょう、口惜しけれどもここは素直に退くしかありません」
柄を握り締める主を押し留め、バッフェロウは血が流れるほど唇を噛み締めた。
もしここで剣を引き抜けば、その瞬間ジェニウス兵の矢が飛んでくるのは確実であった。
「ラキシュス、このことは忘れんぞ。必ず報いは受けさせてやる、首を洗って待っておれ」
「人より自分の身を心配をするがいい、すぐに追討軍が迫ってきておるのだろう。いつまでその首が胴とつながっていられるか見ものだな」
ラキシュスは薄笑いを浮かべながら、蔑むように睨み付けている。
「いまは退こう、しかしあまり非道な真似はせぬようにしろ、やがてわが身に返って来るぞ。盛者必衰は世の常と知るがいい、明日はわが身と悟れ」
バッフェロウが魔槍エル・ソロスを前方に突き出し、炎のような瞳で静かに言った。
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