第一章 草原の黄昏 1-3
「おおっそうだ、殿下のお身の回りには、侍従長のエ二グロスがついておられると聞いておるが間違いないか」
「はい、その通りです。いま殿下とお話しできるのはエ二グロスさまただお一人でございます。なにせわれら警護の者どころか、リム家の直臣の方々にもお会いになっておられません。殿下のお言葉はすべてエ二グロスさまを通じてなされております」
自分たちにもどうにもならないのだ、と言わんばかりにヘムリュスが応える。
〝語るに落ちたな〟
その瞬間フェリップとレノンが目配せをした。
「ではエ二グロスをここへ呼んで来て頂こう、わたしがお目に掛かりたいと申しておる旨を直接殿下にお伝えして頂く。それでもお会いにならぬと仰せなのなら諦めもつきます、さあエ二グロスにお取次ぎいただきたい」
思いも掛けないフェリップの申し出に、困惑したように二人は顔を見合わせる。
「いや、しかしいままでそのような例は──、のうペリオルス殿」
「そうですなあ、困りましたな・・・」
「おふた方、なにもいきなり殿下にお会わせせよと無理を申しておるのではないではないか。とにかく侍従長殿にお取次ぎ願いたいと頼んでいるのだ。それのどこに問題がある、これ以上訳もなく旦那さまをお待たせするのは無礼であろう。わが主はサイレン大公の従兄弟であるぞ」
レノンが畳み込む。
「いかが致すヘムリュス殿、侍従長殿に取り次ぐくらいならよいのではないか」
「致し方あるまい、少々お待ちくださいお伺いを立ててきます」
奥へ引っ込むヘムリュスへ、フェリップが声を掛ける。
「おいヘムリュス、フェリップがオズハラド産のライチを持参したと、必ずお伝えするのだぞ。わざわざ大好物を殿下に召し上がって頂くために用意したのだからな」
「心得ました」
振り返ってヘムリュスは軽く頭を下げる。
〝まったくなんと厄介なことを。たかだかライチを献上するために侯爵ともあろうものがわざわざ出向くなど、身分の高いお方たちのすることは一々変わっておる。しかもヒューリオ高原では戦が始まっておるというのに、なんとも時局の読めんのんびりとしたお方だ〟
ヘムリュスは心の中でぐちぐちと小言を唱えながら、二階奥の大公の居室へと向かった。
一方残されたペリオルスは、バツの悪そうな顔で立っている。
「ペリオルス、兄上からはなんぞゆうて来たか? 噂だともう戦が始まったと聞いたが」
「はい、そのようでございますな。しかし未だにここへはなんの御沙汰も来ておりません、一体どうなるものやら気が揉めまする」
戦況が気になるのか、そわそわしながら手をこすり合わせている親衛隊長に、フェリップがなんとも気楽そうに言う。
「なあに心配するには及ぶまいよ、すぐにお味方の勝利で片が付こう。わが配下の犬狼騎士団の精鋭カーゾフとミュールヘムも参陣しておる、やがて主将のヒューガン殿を先頭に、トールン市内へ凱旋なされる姿が見れよう」
「是非そうであって頂きたいものです。しかしご舎弟さま、いつもなら真っ先に陣頭に立ち騎士団をご指揮なされるのに、此度はなぜご参陣なさらなかったのですか」
「おおそのことだ、二旬ほど前から持病の腰痛が酷くてな、一昨日まで歩くのも難儀をしておった。こんな身体で戦場に出てもみなの足手まといとなると思い、今回は遠慮いたしたのだ。そのかわりにわが家の家老で犬狼龍騎槍兵団の騎士長である、アンティーヌ伯カーゾフにすべてを任せてある。実力は主人のわたし以上だ、兄上のお顔に泥を塗るようなことにはならんだろう」
「それでこのような所までいらっしゃって、お身体は大丈夫なのですか」
「うん、昨日から腰の痛みが嘘のように引いた。久し振りに立って歩けるようになったもので、嬉しくて急に大公殿下のお顔が見たくなってしまったのだよ。アーディンさまが大公にお成りになる前は、三日と空けずにお会いしておった家族も同然の仲。それがこの所まったくお顔を見ることも出来ず、心配でしょうがなかったのだ。アーディン兄さまは人一倍お寂しがりだからな、一目なりとお目に掛かりお慰めしたいのだ」
無邪気に大公に会いに来た主の弟の言葉を聞きながら〝やはり雲の上のお方は世間知らずなのだな、英明という評価も身分に忖度した眉唾もののようだ。こんな国の一大事が始まっているというのに、なんとものんびりとしたものだ〟そう独り言ちた。
一連の会話を通じて、ペリオルスの警戒心は一気に氷解していた。
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