第一章 草原の黄昏 2-5
大公宮の大扉が開き、ヘムリュスが姿を見せた。
「みなわたしの話しを聞いてくれ」
叫ぶように大声を上げる指揮官に、なにごとだと言った風な顔で、兵たちが動きを止め彼に注目する。
「これより大公殿下はこの建物を出られて、星光宮主殿に入られる。われらの任である大公殿下の護衛はこれにて解除され、その役目は近衛騎士団に引き継がれる。これはわたしの独断で決めたことではあるが、みなにも従ってもらいたい」
落ち着いた声で、語り掛けるように声を出すヘムリュルスの顔は、どこか泣いているようにも見えた。
「一体なにをおっしゃっているのです、勝手にそのような行動をとれば後でわれらが罰せられます。ヘムリュルスさまのお言葉なれど、わたしは従えません」
一人が声を上げたのを切っ掛けに、方々から不満の声が上がる。
「聞いてくれ、この行動の責任の一切はわたしが取る。お前たち兵には類は及ばん、それはここに居らっしゃる大公殿下が約束してくださった。色々と不満のあるものもおろうが、わたしを信じて言うことを聞いて欲しい。この通りだ──」
絞り上げるような声で訴えると、ヘムリュルスはその場に臥して土下座をする。
「頼む、ここで要らぬ争いをして命を失うものを出したくない。すぐそこには二万五千の近衛兵がいまにも暴発寸前となって控えている、たった百の戦力では十小刻も掛からず全滅してしまうだろう。どうかわたしの命に従ってくれ、どうしても気に喰わぬ者がおれば、後程わが命を好きにするがいい。だがいまはなにも言わず任を放棄して欲しい」
そこへ最後列にいた大公アーディンが、ツツと前に出て来る。
「大公である、みなに申し聞かせたいことがある。わが意はすでに決まっておる、余はトールン軍と宮廷を支持することに決めた。拠って上洛軍に味方するものは賊軍とみなす。大公不介入はすでに撤回した、わたしの言葉に従わぬものはサイレンの正義を乱す賊徒となる。さりとて、みなもいままで従って来た主人の意に背くのは辛かろう。しかしサイレンの明日を思うのであれば、ここは大義に従う道を選んで欲しい。このヘムリュルスの苦渋の決断を汲んでやってくれぬか、余からも頼む」
異例なことではあるが、大公が兵に向かって頭を下げる。
大公に頭まで下げられ、それ以上声を上げる者はいなかった。
自分たちの主が、やがて目の前の大公をも殺そうとしていることなど知らぬので、いまでも大公に対する忠誠心は国民としてみな持っているのである。
「分かってくれたか、ではみな整然と並び、殿下を主宮へとお通しするのだ」
ヘムリュルスの言葉に従い、兵たちは居住まいを正し直立の姿勢を取る。
「これでことは成った、急ぎ近衛騎士団を戦場へ向かわせねばならん。ほんの十小刻でさえ惜しい」
アルファ―がフェリップを急かす。
「殿下、無理を申してすいませぬが急ぎ足で歩いて頂きます。戦況は一刻の猶予もままならない状態なのです」
その言葉さえもどかし気に、アルファーを先頭に一行は大公宮と星光宮主殿を結ぶ渡り廊下を足早に歩いて行く。
「ショウレーン、お前はユーリンゲル殿にこのことを知らせ、バッテルン広場のハルンバート流星騎士団の出陣をお願いしてくれ」
「はい、では後でお会い致しましょう」
フェリップに頭を下げると、ショウレーンが走り去る。
「わたしは館に戻り、残りの犬狼騎士団を率い戦場に向かいます。ヒューリオ高原で合流いたしましょう」
そう叫びスカッツも一行から離脱して行く。
「フェリップ、俺も戦場に戻る。このことを一刻でも早く親分に知らせたい。ここで別れればこのように近しく言葉を交わすことも二度とあるまい、二十年ぶりに逢えて嬉しかった」
クエンティの言葉に驚いたように、フェリップが目を見開く。
「なにを言う、これからまた昔のように友として力を合わせ国のために尽くそうではないか。身分の違いなど関係ない、わたしとお前はいまでも親友だ」
「いや、俺は街のならず者で一生を送る方が気が楽だ。もうお前とは二度と逢うこともない、それが互いのためだ。身分がどうこうの問題じゃなく、もう二人の道は同じ方は向いていない。交わればやがては取り返しのつかん齟齬が生まれかねん、そうなればせっかくの友情もどこかへ吹き飛び、互いに憎み合い命さえ取り合いかねん。ここで別れるのが最善の道だ、いま頃ご子息は屋敷で母者にお逢いなされているだろう、中々によい男子ではないか大事に育てるんだな」
「バラード、お前はそれでいいのか。ダイレナはどうするつもりだ、あれはいまでもお前を──」
そこまで言いかけたフェリップの言葉を、クエンティが大仰な身振りで押し留めた。
「彼女には昨夜すでに別れは言ってある、それにお前はなにか勘違いしているようだぞ。彼女が真に愛しているのはお前だフェリップ、俺とのことなど遠い若い日の夢のようなものだ。彼女は今度生まれ変わってもお前の妻になりたいらしいぞ、俺は昨夜はっきりと振られた。こう言うとなんだが、俺の方はまだ未練がある、しかしどうにもならんのだ。これ以上俺に恥をかかせるな、生涯彼女を泣かすようなことをするなよ。あの気の強さが彼女の魅力だ、精々尻に敷かれて一生を暮らせ」
「バラード・・・」
「さらば友よ」
二十年前に戻ったかのような爽やかな笑みを浮かべ、クエンティは背を向けて去って行く。
「さらばだ、わが友──」
フェリップは口の中で別れを告げた。
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