黄昏の海
海にボトルメールを流す老婆と、その孫娘の話です。
ショートショート作品(1000文字)
今日は加奈の祖父の命日だった。
墓参りの帰り、祖母を連れて加奈たちは家族で海へ向かった。時刻は午後六時、夕暮れ時だった。
「おばあちゃん、ついたよ」
海につくと、加奈は車のトランクから車椅子を運び出し、後部座席のドアを開けた。
「ありがとうねえ、加奈ちゃん。中学生ともなると頼りになるねえ」
毎年祖母は一人でこの海岸にきていたようだが、腰を痛めたこともあり、今年は加奈たちと共に訪れていた。
ざざざん、と波の音が単調に反覆を繰り返し、空は夕焼けの名残りの赤さを残していた。
父に押されて祖母を乗せた車椅子は海岸まで移動した。その時、夕日の薄明かりを受けて岩場のかげで何かが鈍く光った。
「加奈ちゃん」
「なあに」
「あれをとってきてもらえるかしら」
漂流物だろう。岩に囲まれた水たまりに空のビンがぷかぷかと漂っている。
「おばあちゃん、はい」
「ちゃんと届いていたのね、良かったわ」
祖母はそう独り言を言った。そして遠く水平線の向こうを眺めながら、
「こうして、また今年も無事にここにくることができました」
と呟くと、その言葉に呼応するように海は静かに波打った。
祖母はカバンから便せんを取り出し、細長く折ってビンの口から差し入れた。そしてビンの口に唇を当ててぼそりと何かをつぶやくと、持参したコルク栓できつく封をした。
「加奈ちゃん、もう一つ頼まれてくれる? このビンを海に流してきてちょうだい」
加奈は石階段を登って高台まで移動し、海に向かってビンを投げた。音もなくビンは海面に着水し、沖へと流されていった。
帰りの車中、祖母は眠ってしまっていた。
「ねえお母さん」
「なに?」
「おばあちゃん、なんでビンを海に流すの?」
その問いに母はすこし声を詰まらせて、
「常世に向けて流しているんだって」
と返した。
「トコヨ?」
「天国みたいなものよ。おじいちゃんね、私がまだあなたくらいの頃、溺れた子供を助けようとあの海に入って亡くなったの」
「そうなんだ」
「それ以来、おばあちゃん、毎年お墓参りの帰りに手紙を入れたビンを流しているのよ。『海の向こう、あの人のいる常世まで流れ着きますように』って」
ふうん、と加奈は一言だけ返した。
その後しばらくして祖母は天に召された。
葬儀の後、海岸に立ち寄った加奈は、黄昏の海に向かって叫んだ。
「おばあちゃん、今、幸せですか」