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下村菜月 第1章 第7話

 ずっと、心から安心できる居場所を求めてきた。


 おばあちゃんが買ってくれたソファーに血が飛び散って、ママが金切り声をあげながら、流血したパパを睨んでる。四つ上の姉が何かを叫びながら、警察と救急隊に連絡をして、二つ上の姉と私は泣きながら部屋の隅で固まっていた。


 人生で一番古い記憶は、小さい頃習っていたバレエの発表会の帰り道。山中のパーキングエリアでパパに抱えられながら、家族みんなで見たきれいな星空。そのはずなのに、思い返すと真っ先に浮かんでくるのは、あの光景だ。


 パパは頬を少し切っただけで大事にはならなかったけど、家族がバラバラになるには十分すぎた。


 中学に上がる頃に別居して、私達三姉妹はママと一緒にアパートで暮らすことになった。


 パパと暮らすという選択肢は無かった。パパと暮らすのが嫌というのもあったけど、姉二人がママを選んだ以上、私がパパを選んだらもう二度と家族が揃うことはないと思ったから。


 五人で暮らしていた一軒家から、広いとは言えないアパートに移るのは抵抗感があったけど、二人の喧嘩を聞き続ける生活よりはましだった。


 小学校の頃から中学では部活をやろうと決めていて、バスケ部に入った。中学から始めたのは同級生では私だけで、練習はきつかったけど、体を動かしていると嫌なことを忘れられて、入学してしばらくは充実していた。


 ママが新しい彼氏を連れてくるまでは。


 ある日、練習から帰ると知らないおじさんが家に居た。


 ママは今日からこの人も一緒に住むからと言い、知らないおじさんはよろしくと言って手を差し出してきた。その手が気持ち悪くて、触りたくなくて、そのまま玄関を飛び出し、階段まで走ったら知らないおじさんが追いかけてきた。二段飛ばしで階段を駆け下りて、アパートの方を振り返らずに一目散に自転車を漕いだ。


 どういうこと?ママはパパと離婚したの?じゃあ、あのおじさんが私達のパパ?これから、ずっと?胸からおぞましいものが込み上がってくるような気がして、思わずペダルを漕いでいた足が止まった。


 そんなの耐えられるわけがない。ただでさえ、四人で住むには窮屈さを感じていたのに、あんなおじさんと一緒なんて。その日はもう帰りたくなくて、学校のジャージを着たまま、二つ隣の市のおばあちゃんちまで自転車を漕いだ。

おばあちゃんにそのことは話さなかった。なんとなくママと仲が良くないのは知っていたから、言ったところで何も解決しなかったと思う。


 それからは、二つ上の姉とよく家出をした。二人でゲーセンに行ったり、コンビニとか二十四時間営業のスーパーに行ったりしてた。そんなことしてたら、当然、警察がやってくる。


 最初のうちは、すぐ帰りまーすとか言ってればなんとかなったけど、警察が私達の名前を覚えたくらいでママに連絡が行きだした。ママは多少私達に負い目があるのか、小言をぶつぶつと並べるくらいで、厳しく叱ってきたりしなかったし、それも無視してたから何も問題なかったけど、それから三回目か四回目の補導の時、警察が家に連絡を入れると、ママではなくあいつがやってきた。


 警察にヘラつきながら、申し訳ありませんとか言って頭を下げているあいつの顔を、偽物の父性が覆っていて、また私に吐き気を催させた。アパートに帰って四つ上の姉にそのことを話すと、彼氏でも作れば?と言われた。思えば四つ上の姉はここに来てからというもの、あまり部屋で見かけなかったけど、そういうことだったらしい。


 彼氏を作るのは難しくなかった。というか、中学に入ってからかなりモテた。人と話すのは好きだし、年相応にそういうことに興味が出てきたから、当然と言えば当然か。まあ、中学では可愛い方だったし。


 ただ、彼氏ができて、より一層家出の頻度が高まると、部内での居場所はなくなった。


 練習中にボールが回ってくることはなくなったし、他の一年と比べても余計に雑用を押し付けられた。私が付き合った先輩のことをキャプテンが好きだったらしい。何にも事情を知らない奴らが、調子に乗ってるとか、家出して遊び回ってるとか、二股をしてるとか、あることないこと吹聴した。噂が広まるスピードは早く、そんな奴らと馴れ合う気も無かったから、部活にはすぐ行かなくなったし、先輩ともそれが原因ですぐ別れた。別れてしまえば、また別の人間の新しい噂が広まりだし、好意を持ってくれてる男子は他にもいたから、学校内外での居場所は失わずに済んだけど、頑張ろうと決意していた部活を辞めるきっかけを作ったあいつに、もう心を開くことはなくなった。


 中学を卒業するまでに、ママは知らないおじさんを合計三人連れてきた。もうその頃には慣れてしまって、私も姉二人も、表には出さない嫌悪感を噛みしめるだけだった。


 高校はアパートから少し離れた、留学もできる英語コースのある所を選んだ。同じ中学の奴が居るところは嫌だった。とにかく知らないどこかに行きたかった。英語を覚えれば、どこにでも行けると思ってた。だけど、高校でも中学と同じ人間模様があるだけだった。


 最大の失敗は、私を嫌っていたキャプテンが同じ高校で、またバスケ部でキャプテンをしてるのを見落としていたこと。高校はバスケ部が強く、学校内でのヒエラルキーも高かった。


 私が援助交際をしてるという噂は一瞬で広まった。


 女バスのキャプテンがそう言えば、男バスのキャプテンが信じて、ヒエラルキーが上の奴が言えば、下の奴らも信じる。事実なんて誰も確認しに来やしないし、本当はどうでもいいみたいだ。アパートに帰って、それを言えるわけがないし、アパートが嫌で家出をすればまた、噂に拍車がかかる。


 すぐヤれるとか、ヤリマンらしいとか、知らないおじさんとホテルに行くのを見たとか。ふざけるな。知らないおじさんなんて私が一番キライな人種だ。中学の時の噂が可愛く思えるくらい、高校で喰らったものは生々しくて、精神が削れた。


 それでも、ただ、耐えた。アパートにも外にも、ここなら絶対に大丈夫なんて思える居場所は無かったから。言い寄ってくる男たちの口説き文句も、知らないおじさんが父親ヅラした時も、ママが時折ごめんという時も、誰を信じて良いのか分からなかった。だから、ただ、耐えた。


 二年生になると、クラス替え共に噂は尻すぼみになっていった。三年の糞キャプテンが卒業したのと、英語の勉強だけは必死になってやっていたから、進学クラスに上がれたのが大きかったのかもしれない。私のイメージが消えたわけではないから、最初は仲良く話す人もいなかったけど、少しづつ、私を援助交際してる女ではなく、下村菜月として話してくれる人が増えだした。


 夏休みに行った二週間のカナダ留学では、もう仲のいいグループもできていて、彼女たちといろんな所を訪れた。


 私のことを誰も知らない地で、初めて自由に歩けている気がした。もう、日本に、あのアパートに帰りたくない気持ちしかなかったけど、行くなら、親の手を借りず、仕事に就き自分の力で行ってみせたいという気持ちが芽生えた。


 大学は留学の選択肢の多さと実現可能性の高さで、神奈川の大学に早々に決めていた。


 ママに伝えると、反対はされず、学費や仕送りの心配はいらないから勉強を頑張りなさいと言われた。そこだけは今でも感謝している。


 それからは猛勉強の日々だった。


 ネイティブレベルとは言わないまでも、希望する学科は日本語を使わない授業も多く、基本的な読み、書き、聞きが一定水準に達していなければ落とされる。塾には行けなかったから、似たような学科を受験する共に留学した友達と残って必死に単語を覚え、文法を学び、発音を指摘しあった。


 最終的には、それぞれが第一志望とする大学に合格することができた。でも、そのころには、希望に満ちた大学生活や留学を妄想できるような世の中ではなくなっていた。


 そして────

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