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須田亮 第1章 第6話

「めちゃ大学近いんやね。羨ましい」

「結局、全然行っとらんけどね」


 多分、今世界で最もコロナ渦に感謝しているのは俺だろう。


「私電車で二つの所やけんさ、大学周りがどんな感じかも知らんくて、大学生になった気がせんかったんよね」

「あ、それは分かる。俺も住んでても、この辺全然知らんもん」


 自分の物以外の靴が、初めて玄関に並ぶ。


 二足で窮屈になる玄関が、とても華やかに見える。


「しかも上京しとるけん、て言っても横浜やけどさ、知り合いも全然おらんやん?めっちゃ不安で。近所のコンビニの店員さんとか、たまに頼むウーバーの配達員とかと仲良くなって友達作ろっかなーとか思っとった」


 ストーリーを見た時と同様に、似た悩みを持っていることが嬉しい。と同時に、冗談半分でも彼女なら本当に友達を作ってしまいそうな気がして、嫉妬してる自分が情けない。


「やけん、二外のZOOMで須田君の名前見つけた時、ビビったもん」

「え、気づいとったん?」

「うん。ラインにおったけん、連絡しよかなって思ったけど、インスタ見ても学校名書いとらんし、二外のZOOMって顔出さんやん?人違いやったらどうしよって思って、連絡できんやった」


 俺も気づいてて、人違いじゃないと分かってたけど連絡できなかった。と、口はやっぱり動かない。


「そーなんや。じゃあ、マジで同じグループなれたのラッキーやん」

「そうそう。グループの人たちと連絡取っとる?」

「全然。向こうも俺らが知り合いって分かって、なんとなく一線引かれたし」

 友達、ではなく、知り合いという言葉を使ったことをすぐに後悔した。なんでこんな幸運な出来事が起こっても、素直に喜ぶことができないのだろう。

「やっぱそれあったよね!悪いことしたなー」


 テーブルを挟んで斜めに座った彼女に、小さめのビーズクッションを差し出すと、ありがうと、と躊躇なく腰掛けた。人の好意を素直に受け取れる彼女なら、俺があのグループにいなくても、友達を作れたはずだ。彼女の新しい出会いを奪ってしまっただろうか。


「ま、でも、こんな状況で交友関係広める気もせんし、再会できたのほんとラッキーやし。早く乾杯しよ?」

「あ、うん。一応、冷蔵庫にチューハイとかもあるけん、欲しかったら言って」

「それナイス。とりあえず、これいこ」


 ストロング缶を取り出した彼女の姿が、そのまま広告で使われてもおかしくないなと思う。


「強気やね」

「まあ須田君には負けんかな〜」

「さっきから舐め過ぎです」


 スナック菓子とチョコの袋をパーティー開けして、テーブルに広げる。コンビニで私はお酒を選ぶからと、つまみのチョイスを任されたけど、これで大丈夫だっただろうか。


 今思えば、それも割り勘にするための、気を遣わせないための、彼女のテクニックだったのかもしれない。


「その前にこれ、冷蔵庫入れちゃおっか」


 袋に入っていた数本のロング缶を彼女が抱えて、キッチンへ向かう。手伝うよと言った後で、灰皿を片付けていないことを思い出した。


「あー、吸うんだ」

「匂い、気になる?」

「うーん、気にせんでいいよ。別に吸っても」


 大体、非喫煙者の人はそう言うし、気にならないわけがないことは、自分もそうだった時に知っている。


「いや、あとでいいよ」

「そう?てかごめん。何も考えず、人んちの冷蔵庫開けちゃった」


 彼女のその行動すら、気を遣わせないよう、俺に対して心を開いていることを示すために思える。全ての行動、言動で彼女には敵わないのかもしれない。こんな幸運な機会で、そんなことを考えているようじゃ、それも当然か。


「じゃあ、乾杯しよ」

「なんか見る?サブスク何個か入っとるけど」


 テーブルに戻って、リモコンを手に取る。BGM代わりに、音楽でもかけた方が良いだろうか。それとも退屈させないため、人気の映画でも流すべきだろうか。


 彼女のような相手に気づかせない気の遣い方は、俺にはできない。


「それも良いけど。久しぶりだし、せっかくならずっと話そうよ」


 彼女の前では、音楽も、映画も、下手な気を遣ってるかどうか悩むことすらも、必要ないらしい。


 酒が進んでいって、中学の思い出話がどんどんと溢れ出た。俺も彼女も、久々の宴会にテンションは高めで、一番盛り上がったところで隣からドンと壁を叩かれたけど、それすらも笑い合えた。


「これ聞いていいか迷ってたんだけど」


 彼女が、両手でロング缶を持ちながら、やや伏し目がちにビーズクッションにもたれる。


「なに?」

「須田くんって中学校来てなかったよね?私と同じクラスの時は来てたけど、中一か中二の時」

「そーやね」

「それの理由って聞いても良い?」


 そこに興味を持たれていると思っておらず、咄嗟には返事ができず、ロング缶を持つ手も止まった。


「あ、話したくなかったら別に大丈夫。ほんと気になってるだけで」

「いや、自分でもよくわかってなくてさ」


 振り返れば、きっかけとなるような出来事は浮かばない。それでも、彼女には話したい。


「別にいじめられたとか、クラスで孤立したとかでもないんだよね。ただ、なんとなく行く意味が分からなくなっちゃって」


 彼女は、ロング缶で顎を隠しながら、黙って話を聞いてくれている。


「良い仕事に就くために、良い大学に入って、良い大学に入るために、良い高校に入るってのが、なんか、その過程も結果も面白そうじゃないなって思って」

「それ中一の時から思ってたの?」

「うん、まあ、思ってたので言うと中学入る前からあった。小五くらいから」

「大人やねえ。その頃そんなこと考えてなかったなあ。でもなんで中三の時は来てたの?」

「高校に上がるのが出席日数的にマジでやばそうやったけん。まあ、クラスも楽しかったし」


 こんな身の上話を聞いてくれているのに、下村さんが見たかったからとは、やっぱり言えない。


「今振り返ると、自分が求める未来と、大人が提供してくれる未来が別やったのかも。下村さんは学校行きたくないとかなかったん?」

「私は無かったかな。明日一日だけ行きたくないとかはあったかもやけど、ずっとはなかった。学校が居場所だったし」


 羨ましいと純粋に思う。自分も彼女のような素直さと社交性があれば、学校が居場所だと思える人生だっただろうか。


「そういえばさ、須田くんはなんで上京したん?私はちょろっと言ったけど、聞いとらんかったよね」

「あー、俺は下村さんみたいに、留学したいみたいな、はっきりした理由はないんやけど」


 人生で一番、自分のことを話している。


「単純に関東に住んでみたかったってのと、あー、プラスで俺、作家になりたいんだよね」


 こんなことを、人に言う日が来るとは思っていなかった。


「えっ!そうなんだ。小説とか?」

「いや、それすらはっきりしてなくて、自分が小説を書きたいのか、映画とかドラマの脚本を書きたいのか、放送作家とかなのかすら分かんないんだけど、なんとなく関東に住んでる方が、刺激があって面白いもの書けたりするのかなってのがあって」


 彼女と話していると、自分が普段思考していた地層がどんどん掘り起こされて、自分の歴史を証明するように、口が回る。


「あと何かしらのチャンス?とかも、福岡に居るよりも関東のほうが多いのかなって。こんなの初めて話してるけど、自分が書いたものを誰かが読んで、何かのオファーくれたりとか、それこそ新しくて良い出会いとか」

「え、今何か書いてんの?」


 口が回りすぎた。


「いや、まあ、見せれるようなものじゃないんだけど。小説の投稿サイトに短いやつを」

「読みたい」


 彼女から茶化すようなさっきまでの雰囲気が消えた。まっすぐとこちらを見ている。

「いや、でもほんとに大したものじゃないよ。思いつきと、大学なくて暇だったから書いただけで」

「読みたい」


 本当は読んでほしくてたまらない。彼女が自分の考えたもので、どんな顔をするのか見てみたい。でも。


「じゃあ、これ、リンク送る。俺、外でタバコ吸ってくるから、その間読んでて」


 その時間の緊張感に耐えられる気がしなかった。


「換気扇で良いよ」

「え?」

「私も吸うから」


 彼女がポケットからアイコスを取り出した。


「吸うんだ」


 俺のその言葉はもう彼女の耳には届いておらず、画面を見つめていた。

なんとか、その顔を見ていることに気づかれないようにしながら、タバコに火を付ける。一吸い、二吸いと煙を吐くと、彼女も同じように煙を吐く。


「酒取ってくるよ。吸ってると飲みたくならん?」

「私いいや、できるだけ集中したいし」

「分かった」


 彼女のスマホに送ったのは、三作書いた内の一作目。それに最も時間をかけたし、最も自信があった。


「あれだったら、帰ってからでも」

「ううん。読ませて」


 ストロング缶を口に運ぶペースが早くなる。彼女がスマホをスクロールすればするほど、味が分からなくなっていく。


「ごめん。ちょっと時間かかるけど」


 彼女はそう言って二本目を電子タバコに取り付ける。ストロング缶はもう空になって、灰皿には吸い殻が四本増えた。


「ここ、私、同じこと思ってた」


 差し出されたスマホの画面は、社会とはマイノリティに対して理不尽であることで循環しているという、語り手の激白を綴ったパートだった。


「そこ?」

「うん」


 どうしてそこに共感してくれたのか。俺の想像している彼女の人生からは、かけ離れた思考だと思っていたから分からない。けれど、あのストーリーを投稿したように、彼女も現代を生きる若者なんだ。


「まだ全然途中までだけどさ」


 こんな日が来なければ感じなかったはずの、彼女の胸のどこかにあるネガティブなスポットを感じられたようで、嬉しさと切ない感情が混在する。


「私、須田君の話、すごい好き」


 人生で初めて、好きという言葉を人から受け取った。


「ありがとう。ちょっとトイレ行ってくる」


 トイレの便座に座り、自動的に彼女の言葉が脳で反芻する。


 私、須田くんの話、すごい好き。私、須田くんの話、すごい好き。私、須田くん、すごい好き。


 酔っている。俺も彼女も。酔っているのだ。だからこそ出た言葉であって、だからこそ俺も小説を見せた。それでも、今日が今年で一番良い日なのは間違いない。


 冷静になろうと、しばらく座りっぱなしでいると、もものあたりが痺れ出した。ここ最近、運動をしていないし、タバコを始めてから老化が始まってしまったのかもしれない。


 ふうと息をついて、僅かに冷静さを取り返して部屋へ戻ると、彼女がベッド上で、掛布団に覆いかぶさり、うつ伏せになっていた。


「下村さん?」


 返事はなく、微かに鼻息が聞こえる。


 髪が顔にかかっていて、目は見えないけれど、寝てしまったのだろう。弱そうとか言っといて、下村さんの方が早めに限界が来たらしい。とりあえず、何も掛けないのは良くない。


 彼女を起こさないように、そっと敷き布団を抜き取って上に被せる。


 肩まで掛けたところで、顔が近づく。


 どうしても、顔が見たい。


 彼女の寝顔が。


 自分に、それを見る権利があるかは分からないけれど、今日を逃せばもう二度と見れないかもしれないと思うと、自然と髪に手が伸びた。


 彼女の顔を覆っている黒髪をそっと耳にかける。


 閉じていても美しいと分かる目元と、柔らかそうな唇が顕になって、体の中心が熱くなる。


 喉を鳴らす生唾が、彼女の寝息をかき消した時、彼女が薄く目を開けているような気がした。


「下村さん?」


 彼女は何も言わない。


 こういう時は、どうするのが正解なんだ。


 迷っていると、彼女が手だけを動かして、布団の裾を握った。


 その指が、俺の手と触れる。


 彼女の手は俺が想像していたよりも、細く、小さかった。


 なぜかそうしたくなって、その手を包むように握った。


「してこないんだ」

「え?何を?」

「何も」

「その、したほうがいいの?」

「そういうわけじゃないけど、なんか、恥ずかしい」

「あの、さ、俺、したことないんよね」

「何も?」

「何も」


 近い。


 体も。


 顔も。

 

 唇も。


 でも、答えだけがどうしようもなく遠い。


「だから、どうするのが正解なのか分からなくて」

「正解なんて私も知らないよ」


 鼓動が早くなって、唇が乾く。


「今日を逃したら、もう来ないかもよ」


 彼女が、触れ合っていた指を絡めあわせて、小さな手で優しく握る。


「私ね」

 

 彼女は目を閉じたまま独り言のように言った。


「子供堕ろしたんだ」

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