第八話 新米天皇と世界大戦
第八話です。
すみません、投稿がやや遅れました、、、
今回は海戦メインかな?
明治天皇崩御後。
明治天皇の後継者として大正天皇が即位した。
明治天皇の唯一成人した皇太子であり、元々身体が弱く、次の天皇ではないと思われていたが、明治帝が、
「お前には後の日本を託すことになるから、頑張ってくれよぉ!」
と言われたことにより、以後精進していったとされている。
具体的には、ユダヤ系の知識人を家庭教師として向かい入れて勉学に励み、当時海軍を退役していた東郷平八郎に、軍事について徹底的に叩き込まれるなど、当時としては珍しい英才教育を受けていたとされている。その甲斐もあり、無事に成人した後は、明治帝の側で政治を直で学んでいたと言われている。
そのため、明治天皇が崩御され、大正天皇が即位されたとき、直ぐに日本の舵を握ったとされており、明治帝の後継者として恥じない活躍を見せることとなる。(なお、病弱なのには変わりは無かった、、、)
一方で話は変わってヨーロッパに移る、、、
状況は最悪であった。
1916年、協商側で参戦していたセルビアとモンテネグロは降伏。両国政府と王室はフランスに亡命することとなる。ただし、ルーマニアが参戦したことにより、新たにバルカン半島に中央同盟は戦線を作られることとなり、結果的には五分五分といったところだった。
ヴェルダンの戦いやソンムの戦いによって、中央同盟と協商の両軍はお互いに一進一退の攻防を繰り広げていた。また、1917年にはフランス軍の戦意消失などにより、西部戦線はイギリス軍一国で支える事態となる。そこに、なんとか日本軍の派遣部隊20万人が到着したことにより、戦力差が大きく動くこととなる。(野砲などの重火器の類はイギリスとフランスから供与され、初期の頃は訓練に勤しんでいたので、実質張り子の虎だった)
また、東部戦線にも日本軍10万が到着。崩壊しかけていた戦線をなんとかカバーした。
また、ドイツ軍はこの日本軍の増援に非常に危惧することとなり、更なる増援を載せた輸送船団ごと沈めるために、温存していた艦隊を派遣。これに呼応して、ちょうどイギリスに派遣されていた日本の連合艦隊と英国艦隊がブリテン島から出航。
ドイツ海軍の作戦は、イギリス海軍との全面的な艦隊決戦は避けて、誘導・分離した敵部隊を殲滅する考えであった。具体的には、偵察部隊の巡洋戦艦5隻で、イギリス艦隊(巡洋戦艦6隻、高速戦艦4隻)をドイツ大洋艦隊の進路へと誘導して撃滅する計画であった。そして、これにより北海でのドイツ海軍偵察部隊の以後の行動の自由を手に入れ、これ以上の敵陸上戦力の拡大を防ぐ狙いであった。
しかし、ドイツの策略は破られることとなる。
ドイツ艦隊の目の前に現れたのは、イギリス艦隊だけではなく、日本艦隊も姿を現していたのだ。
イギリス艦隊 合計151隻
戦艦 28 巡洋戦艦 9 装甲巡洋艦 8 軽巡洋艦 26 駆逐艦 78 機雷敷設艦 1 水上機母艦 1
日本艦隊 合計110隻
戦艦 16 巡洋戦艦 10 装甲巡洋艦 12 軽巡洋艦 9 駆逐艦 63
ドイツ艦隊 合計99隻
戦艦 16 巡洋戦艦 5 前弩級戦艦 6 軽巡洋艦 11 水雷艇 61
という、両軍の合計参加艦艇360隻という、前代未聞の海戦が発生した。現代でいう、ユトランド沖海戦である。
戦闘は、まず先行していた両艦隊の巡洋戦艦同士の砲撃戦から始まった。
イギリス
旗艦・巡洋戦艦 ライオン
巡洋戦艦 プリンセス・ロイヤル、クイーン・メリー、タイガー、ニュージーランド、インディファティガブル
日本
旗艦・巡洋戦艦 伊吹
巡洋戦艦 穂高、天城、赤城、愛宕、高雄、鳥海、摩耶、妙義、吾妻
ドイツ
旗艦・巡洋戦艦 リュッツオウ
巡洋戦艦 デアフリンガー、ザイドリッツ、モルトケ、フォン・デア・タン
と、日英巡洋戦艦部隊は16隻に対し、ドイツは5隻と、圧倒的戦力差であった。
これに対し、独巡洋戦艦部隊は直ちに本隊に撤退行動を取りつつ、日英巡洋戦艦部隊を狙って砲撃戦をおこない、そしてそれを追うように日英巡洋戦艦部隊が砲撃戦を行うという状態となる。
しかし、巡洋戦艦 インディファティガブル、クイーン・メリー、インヴィンシブル、妙義の4隻が討ち取られるという大損害を受ける。これは、英国艦艇の防御力の低さが問題であり、特に甲板装甲に命中した砲弾が、弾薬庫に命中して撃沈されるというケースが起きていた。日本艦艇は、装甲がかなり重装甲であり、砲弾が弾薬庫に直撃することは、あまり無かったが、妙義が運悪く貫通させられて、撃沈させられている。(日本の巡洋戦艦は、重装甲で優速なのだが、代わりに火力を犠牲にしている)
一方でドイツ巡洋戦艦部隊の損害は、リュッツオウだけにとどまっている。ドイツ海軍の艦艇は、ドッガー・バンク海戦以降の防御力向上の改装が行われており、日英巡洋戦艦より、はるかに重装甲であったからである。
日英の高速戦艦部隊(超弩級戦艦クイーン・エリザベス級と同じく河内型戦艦)の乱入や、本隊同士の砲撃戦などもあったのだが、海戦では最終的に、ドイツ艦隊は満身創痍でなんとか撤退に成功する。
損害は、日英艦隊の方が大きく、戦術的にはドイツが勝利した。しかし、日本陸軍の増援を許したことと、北海の制海権を奪われたことで、戦略的には日英が勝利したと、現代では言われている。
また、陸上戦力の増強を許した中央同盟は、戦力バランスが破られ、今後の戦略に大きな影を落としていくこととなる。とはいえ、1916年終了時点で、バルカン半島の戦線はあらかた片付き、ようやく他のところに手が回せるようになったため、戦力バランスはあまり変わらなかったと言われている。(ルーマニア君、、、)
そして、1917年、事態は動き出す、、、
ドイツが無制限潜水艦作戦を実行したのだ。
これにより、無差別的に商船が狙われ、アメリカ参戦を招きかけたと言われている。
「まねきかけた?」と、思われているだろうが、実はアメリカ人を乗せたイギリス船籍のルシタニア号がドイツ潜水艦に雷撃されるという事件が起こる。もう少しのところで雷撃が当たるというところで、日本海軍の駆逐艦「榊」が盾となり、撃沈された。これにより、アメリカ人犠牲者は出なかったが、日本人水兵が海に放り出され、僚艦に救助されたが、数十人が死亡した。このニュースは世界中に拡散し、日本人の勇敢さや、アメリカと日本の関係が好転する一因となる。
そして、その一方で、東部戦線で戦う日本の遠征軍に悲劇が訪れる。
日本本国と連絡が取れなくなっていたのである。理由はもちろんある。
ロシア革命である、、、
海戦であるユトランド沖海戦に勝利しても、陸戦でルーマニア君がボロボロにされたら、君たちの戦線から敵部隊がこっちの戦線に来るのですがそれは、、、
てか、日本艦艇の設定集必要だろうか?
次回、レーニン君から逃げる日本軍?
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