第四話 太平洋危機一髪
第四話です。
前回のヤバそうなところからスタート!
1898年、キューバのハバナ湾に停泊中2月15日、アメリカ海軍の戦艦メイン号はハバナ湾において爆発を起こし、沈没した。メイン号の乗員の266名が死亡した。
この事故に対し、アメリカは確証がないにもかかわらず、スペインが撃沈したと公表。さらにメディアが開戦を煽ったため、アメリカとスペインは国交断絶し、両国共に宣戦布告。ここにアメリカ=スペイン(米西)戦争が始まった。
まあ現代ではアメリカの拡張政策により、キューバなどのカリブ海諸国およびフィリピンを手に入れるためにアメリカが戦争を起こしたと言われているが、定かではない。
とにかくアメリカとスペインの戦争は、始まる前から既に決着はついていると言われるほどであった。
スペインは16世紀、17世紀はかつて「太陽の沈まない国」とまで言われる巨大な帝国だったが、イギリスやオランダとの戦争に敗れ、フィリピンやカリブ海のいくつかの植民地のみ残っているという状態であった。
そこに戦争を仕掛けられるというのだから、崩壊待ったなしである。
事実、カリブ海のスペイン領は一ヶ月もかからずに陥落した。
一方でフィリピンのある太平洋側はというと、うまくいっていなかった。
これは日本も関係しているのだが、ミッドウェー島は1867年にアメリカ領となったのだが、日本によるアラスカ、アリューシャン列島購入の際に購入されていたのだ。事実売却時のアメリカ政府はこの島の重要性を理解しておらず、ついでとして売却してしまっていたのだ。
ちなみに当時日本では「バード・ラッシュ」と呼ばれるアホウドリなどの鳥類を求めて太平洋に出ていた。その時、ついでのように無人島競争に参加し、ウェーク島や南鳥島を領土として加えていた。
話がずれていたので元に戻すと、太平洋にあるアメリカ領はこの当時存在していなかったのである。
そのため西海岸から直接フィリピンに向かわなければならず、質的に勝っていたアメリカ艦隊は物資不足のため、第一次マニラ沖海戦に大敗するという悲劇を受ける。(参加艦艇を全て失う)
太平洋にあるイギリス領で補給を受けられたなら、状況は変わっていただろうが、当時イギリスは対外拡張するアメリカを警戒していたため、太平洋の守護者として、列強の座席に座っていた日本と1896年、日英同盟が結ばれていた。(ロシアに対しても警戒していたため)
かくしてアメリカ政府は壊滅した太平洋艦隊を再建するため、ホーン峰を通って、西海岸に艦隊を移動させていた。
その間、アメリカ政府はフィリピン侵攻の中継地点として、日本に対してハワイの貸し付けを要求した。なんと99年間である。
これに対して日本政府は、連邦の理由となったハワイを失う気はなく、要求を蹴飛ばした。
これによって、アメリカと日本の関係は大幅に悪化することとなるが、それはまた別の話、、、
また、アメリカ=スペイン(米西)戦争が泥沼になる頃、イギリスと日本は両国に交渉を提案。
スペインはこれを受諾したが、アメリカは断った。
日本とイギリスはロシアに警戒したいこともあり、交渉に応じないならこちら側もスペイン側で参戦するとアメリカを脅すこととなった。これに対してアメリカは流石に列強国2つを相手取ろうとは思わず、交渉テーブルに着いた。
講和会議の場所はなぜかフランスが出てきてパリで行うこととなる。
講和の内容としては、カリブ海のスペイン領はアメリカが割譲。そしてキューバの事実上の保護国化。これだけであった。
賠償金もなし、フィリピンなどの太平洋地域の領土の割譲もなしという講和内容にアメリカは大いに反対したが、日本、イギリス、フランスが戦争も辞さないとアメリカに伝えると、アメリカはこれを呑んだ。というか呑むしかなかった。
こうして約1年続いた戦争は、1898年にパリ条約が結ばれ、終わったのだが、アメリカとスペインでは国内が荒れることとなる。
アメリカ国内では、カリブ海諸国しかスペインから分捕れず、賠償金もなく、南北に再び割れそうになった。(なんとかまた内乱にはならなかったが)
そしてスペイン国内では、一応戦争に負けたので、国王が叩かれまくるという事態に発展したが、退位になるまでではなかった。ただし、フィリピンでは、独立運動が活発化していたので、なんとも言えなかった。(カリブ海方面の駐屯部隊をフィリピンに送ることができたので、なんとかなった、、、)
一方で事態はロシア方面に移る、、、
第四話になりました。
フィリピンがスペイン領のままになりました。
ちなみにアラスカやアリューシャン列島購入の費用は、関係悪化後も支払われていたそう、、、
次回、日露戦争!
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