第三十話 ヨシフおじさんと逝くソ連崩壊!? (なお、核が行方不明になったそう、、、!?)
第三十話です。
北の国のおじいさんが何やら亡っ、、、
第二次世界大戦後、ソ連は戦勝国であった。はずだった、、、
ウラル以東は皇帝が帰還し、新しくロシア連邦が誕生。西部はウクライナやバルト三国とは別にベラルーシが独立。
北部ではフィンランドにコラ半島やカレリア地方を奪われ、さらには旧連合国への賠償金も払うことになり(主にイギリスや日本、フィンランドなどの交戦国)、戦勝国のはずなのに敗戦国のような扱いを受けることとなった。
それでも国連では常任理事国となり、一応大国としてみられる国体は維持することができた。
しかし周りは敵だらけであり、いつ攻められるかわからない状況だったため、スターリンら当時の上層部は日本などの他の大国に対抗手段を探していた。
そんな時に目を付けたのが、日本など旧連合国が完成させていた原子爆弾であった。
当時の総書記であるヨシフ=スターリンは、
「一発で大軍を打ち砕く爆弾を我が国に貸していただきたい。」
と、連合国に打診したらしいが、連合国、特に日本の昭和天皇は核による絶滅戦争を恐れており、アメリカ艦隊への使用も始めは躊躇されていたぐらいであった。そのためそんな信用ができない国へ危険物を貸し出すわけがなく、
「貸し出すわけないだろう!」
と、ひと蹴りされている。
そのためソ連は核兵器の情報を手に入れるため、スパイを日本やイギリス、フランス、ポルトガルに派遣。
この4カ国は共同で核を運用しているため、ソ連はスパイを送り込んだのだ。
だが、待っても待っても情報が出てこない。運用国は核を運用していても、構造や整備などの情報を知っているのは日本だけであり、各国の開発に参加した技術者たちのほとんどは、日本の種子島にて研究をしていたのである。
一箇所に研究者がまとめられ、さらには島であり、上陸時は厳しい検査を受けるため、情報をほとんど手に入れることができなかったのである。
ネタバレみたいになるが、アメリカやソ連など、いくつかの国で核開発が成功すると、情報漏洩も無いので、ほぼほぼ軟禁状態だった開発者たちは種子島から出ることができたそう。(一応研究は各地、各国で続けられたが、、、)
現在では種子島は核開発だけではなくロケット発射場があり、JAXAなどの宇宙研究用の施設が置かれている。
無論、ロケット発射場は核兵器開発時からあり、弾道ミサイル発射用の施設として整備されていたことは、よく知られている。
流石に現在は日本各地のミサイルサイロに核弾道ミサイルが収められているので弾道ミサイル発射場としては使われていない、、、おそらく。
そうした中、ソ連はスパイを今度はアメリカに送った。
1945年にアメリカが核開発を成功させたためである。
結果は大成功!無事に多くの情報を得ることに成功し、1949年8月29日に、ソ連初の原爆実験が行われ、無事に成功した。日本やアメリカはいつかソ連も核開発に成功するだろうと見込んでいたが、見込みよりも数年早い完成であった。
ソ連が最初の核兵器を開発したというニュースは、ソ連が直々に世界に向けて発信し、写真や映像を全世界に見せつけた。これにより、ただでさえ日本とアメリカが繰り広げていた核開発競争はさらに激化することになった、、、
ちなみにだが、ソ連の核開発は日本とアメリカに恐怖をもって受けいれられ、ソ連のスパイ狩り、通称赤狩りのような事件を引き起こした。面白いことに、近年ソ連崩壊後に得られた情報によると、ソ連のスパイは全員この赤狩りを逃れていたとされているため、あまり意味はなかったとされている。
とは言え、これでようやくソ連は他の大国に対抗する力を身につけ、総書記であったスターリンは実験成功後、
「やっと安心して眠れる、」
と言い残している。実験成功前まではいつ日本などのETOが攻めてくるかわからず、不安で眠れなかったという。
だが事実、世界大戦後に体調や精神的にも悪化していたスターリンは1953年3月2日、脳出血で亡くなってしまう。
その後の 3月9日、スターリンの遺体は赤の広場に運ばれ、フルシチョフ、マレンコフ、モロトフ、ベリヤなどの主要な側近が演説を行い、その後に要人たちによってレーニン廟に運ばれたスターリンの遺体は、レーニンの遺体の横で安置された。 モスクワ時間の正午にスターリンの遺体が安置され、クレムリンのスパスカヤ塔の鐘が時を告げると同時に、クレムリンから21発の弔砲が発射され、ソ連全土でサイレンとクラクションが鳴り響き、黙祷が捧げられたという。黙祷が終わるとすぐに軍楽隊がソ連国歌を演奏し、その後にスターリンを称えてモスクワ軍管区の部隊による行進が行われた。
ちなみにこの際、スターリンの棺に告別するため集まった市民たちが将棋倒しになり、押しつぶされたり踏みつけられたりして圧死する者が相次ぎ、最終的にはフルシチョフはこの事故で109人の群衆が死亡したという数字を出している。
しかし、実際の死亡者数は数千人に上ったと言われているため、正確な人数は分かっていない、、、
そしてスターリンの死後、ソ連では後継者争いにより国内が荒れることとなった。
当初は側近であったマレンコフが二代目総書記に就任したが、その直後に何者かの手によって暗殺される。
これによりソ連国家保安委員会、通称KGBが手を回した犯人を探し回るとともに、更なる後継者をフルシチョフ、モロトフ、ベリヤらが3代目を賭けて争うことになったのだが、これによりソ連国内は荒れることとなった。
最終的に3代目総書記は決まることは無く、指導者無きソ連は自壊することとなる、、、
ちなみに暗殺に日本が関わっていると言われているが、そのような証拠は出ていないため、事実では無いというのが一般論だ、、、
その後、ロシア連邦を主軸とするETO連合軍が無政府状態となった旧ソ連に進駐。ほとんど全土をロシア連邦が支配することとなった。(ただし駐屯軍は多国籍軍だった模様。)
特にソ連の荒廃ぶりは酷く、首都であったモスクワはひどく荒れ果て、そのおかげか臨時首都のエカテリンブルクがその後も首都であり続ける原因を作った。
そうして勝手に自壊したソ連は歴史から姿を消すこととなったのだが、崩壊前にミハイル・カラシニコフが設計したAK47は、その使い勝手から世界各地で模造されるなど、その他多くの兵器などがその面影を多く世界に残している。
そんな面影が強く残されている物の中で、ひときわ異彩を放っていたものがあった。
「あれ? 核兵器の一部無くね?」
一部の核兵器が混乱に乗じて、第三世界に流されていたのである。
後にこの出来事より後の時代をこう言う。
「暗黒の時代」その始まりであった、、、
核がばら撒かれたら大変なことになるんじゃ、、、
次回、インドシナと太陽!?
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