第三話 日清戦争と明治帝のオカルト
第三話です。
1882年に壬午軍乱、1884年には甲申政変という二度のクーデターが朝鮮内で発生した。
理由は国内改革をめぐり、親日派と親清派の抗争が激化したためである。
これに対して日清両国が介入、両国共に国内が不安定のため、1885年に天津条約を結び、朝鮮から軍を撤退させるのと、今後出兵する際には相互に通告することが約束された。
しかしそれはすぐに破られることとなる。
1894年、またも朝鮮で農民による大規模蜂起、甲午農民戦争がおこり、朝鮮の要請によって清国が朝鮮に出兵。これに対して日本も朝鮮に出兵し、両国が朝鮮に駐屯した。その時、朝鮮半島北部の鉱山権益を守るために配備されていた日本軍部隊に対し、清軍部隊が発砲。日本軍将兵一名が戦死してしまう。これを機に流れるように両国は宣戦布告を行った。日清戦争が勃発である。
1894年8月から朝鮮半島の北上進撃を開始した日本陸軍は、清国陸軍を撃破し、9月中に朝鮮半島を制圧した後、鴨緑江を北上。翌年の1895年3月までに遼東半島を完全に占領した。同年9月には両国海軍が黄海で激突。後の黄海海戦と呼ばれる艦隊決戦が行われた。この戦いにおいて、清国艦隊は定遠級戦艦を戦場に展開した。
定遠級戦艦はドイツで建造された戦艦であり、7000トンを超える排水量と30センチ砲を搭載する清国の誇りとも言える艦であった。そしてその艦は同型の鎮遠と共にこの海戦最大の艦船として戦うはずだった。
日本側も戦艦を出してきたのである。戦艦富士と同型艦の八島である。
排水量は12000トンを超え、主砲は30センチ砲を搭載していた。(富士型は40口径、定遠型は25口径と富士型の方が強力だった。)
なぜどのようにこのような艦を手に入れたかというと事実、政府がこっそり溜めていたアラスカや朝鮮半島北部からの金であった。ちなみに建造は秘密裏に明治天皇が育て上げた、呉海軍工廠と横須賀海軍工廠で行われた。建造は、ほぼほぼ諸外国にバレていたが、清国はハッタリだと言い張っていた。また、戦争に間に合わなかったが、さらに二隻が建造中であった。戦争に参加した新造艦の約七割は日本の国産艦である。
この二隻の戦艦を中心として、多数の新造艦を配備した日本艦隊に速度や火力に圧倒された清国艦隊は大敗、結果的に日本軍が黄海と渤海の制海権を掌握した。制海権の掌握こそ、この戦争の鍵であった。近代化された日本軍が中国本土へ自由に上陸出来るようになった事で、清国の首都北京と天津一帯は丸裸同然となり、ここで清国側は戦意を失った。(北京前面まで陸の方では戦線が進んでいた)
1895年(明治28年)4月17日に調印された日清講和条約の中で、日本は李氏朝鮮の独立を清国に認めさせ、事実上の衛星国とした。また台湾、澎湖諸島、海南島を割譲、また遼東半島を租借した。他にも賠償金として2億両(現在の貨幣価値に直すとおよそ3億円)が支払われた他、日本に対する最恵国待遇も承認させることとなる。
このような条約を清国が呑んだ理由としては、明治天皇や政府関係者が、欧米列強による中国分割をしようと誘ったからである。これにより諸外国が日本側につき、清国側に誰もつかなかったからであった。
ちなみになぜ遼東半島を割譲ではなく租借にしたのには明治天皇が関係していると言われているが、詳細は不明である。
かくして日清戦争は終結したのだが、台湾の現地住民との戦闘が起きた。なんとか台湾を平定したが、現地住民との間には亀裂が入り、今後政府はこの亀裂を修復するのに長い年月をかけることとなる。
また、戦争に勝利した日本はアジアの近代国家と認められて国際的地位が向上し、取り分けイギリスとの協調関係を築けるようになった。北からのロシアの脅威に対抗するためである、、、
また、日本は多くの移民を受け入れるようになるのは日清戦争が終わった後からである。その理由を作ったのが、
「ユダヤ人と日本人は元々同じ民族らしいから、ユダヤ人は保護してやらねばいけないよな!」
と言った明治天皇である。
明治天皇がなぜこのようなことを言ったのかは今でも謎だが、世界の半分以上のユダヤ人が大日本帝国連邦の領土内に住んでいるのは紛れもない事実である。
元々ユダヤ人は歴史を見ても常に迫害を受けており、この日本の行動に対し、世界各地に住むユダヤ人は日本を目指すようになる。また、各国も迫害していたユダヤ人が国から出ていくことに賛成であり、積極的に日本に送り込んだ。だが、初期の頃は金銭的な理由により、日本に行けないという人も多くおり、日本政府は各地のユダヤ人に対して、渡航費を用意するなど、金銭面でもサポートした。当時の日本では何かと反論が多かったが、明治天皇の、
「ユダヤ人は先祖を同じとする人種である。よって彼らは日本人である!」
というよくわからない理論のもと、国民を黙らせた。(元ハワイ王国の住民は移民が多いため、特に反発はせず、むしろ賛成していた)
とにかく、これにより日本の人口は大きく増加。結果的にも多くの優秀な人材が入ったり、ユダヤ人迫害を減らしたと、後世では明治天皇は褒め称えられている。
そうした世界情勢の中、1898年にアメリカからとんでもない要請が来る。
「ハワイをアメリカに渡せ」
第三話でした。何やら明治天皇がオカルト(日ユ同祖論)に、はまってしまったようです、、
次回、「戦争一歩手前」です。
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