第二十九話 イスラエルって国ができたらしいけど何故ですか?
第二十九話です。
エルサレムと言ったらどんな話かわかるかな?
パレスチナ。
それは、長い間イスラーム国家の支配下であった地域であったが、この地に居住するイスラム教徒とユダヤ教徒・キリスト教徒の三者は共存関係を維持してきた。
しかし19世紀末、ヨーロッパではパレスチナへの帰還運動が起き、ヨーロッパ諸国や新大陸で離散生活していたユダヤ人によるパレスチナ入植が始まった。当時のパレスチナを支配していたのはオスマン帝国だったのだが、こうした入植は規制されなかったため、パレスチナ入植のユダヤ人の数は徐々に増え始めた。
だが日露戦争後頃になると、大日本帝国連邦がユダヤ人移民を大規模に受け入れるようになり、こちらの方が渡航費の負担やその後の生活を支援するなど用意をするなど、サポートが充実していたため、ユダヤ人のパレスチナ入植者数は減少することになった。
それでもオスマン帝国が第一次世界大戦に敗れると、帝国が支配していたパレスチナは結局イギリスの委任統治領として植民地化され、イギリスの委任統治領となった後も、ユダヤ人の移民は増加し続けた。
ユダヤ教の神聖な地であるエルサレムは、パレスチナにしか無いからである。
第二次世界大戦期にはナチス・ドイツの反ユダヤ政策により、帰還運動はより盛んになった。
戦と戦後に発生したユダヤ人難民のうち、およそ半数が「約束の地」パレスチナを目指したため、ユダヤ人の入植は急増しアラブ人との摩擦はますます強くなった。ちなみに残り半分のうち、ほとんどが日本に向かった。
1947年2月7日、ユダヤ人入植者らと現地のアラブ人らによる武力衝突が頻発していたため、事態収拾を困難と見たイギリスはパレスチナの委任統治を終了させる意向を表明したのである。
イギリスはパレスチナをユダヤ人とアラブ人に分割し、独立させようとした。
配分は、ユダヤ人国家はの49%、アラブ人国家は50%を占めることとなっていた。残りの1%は、エルサレムとベツレヘムを中心とする中央部であり、国連管理地区として中立地区となる予定であった。
このパレスチナ分割案は国連会議でも話題になったのだが、ユダヤ人側とアラブ人側両方がこの国連決議を不合理なものとして反発。さらにはほとんどのアラブ人国家が受け入れ反対を表明した。
また日本が分割案そのものに反対し、パレスチナ全土を国連の管理地区にすることを提案した。日本、特に亡くなった明治大帝はパレスチナのユダヤ人問題を終わらせようとしていたのである。
最終的にこの決議案は纏まることは無く、それまでもくすぶり続けていた両民族の対立をさらに決定的なものとし、これ以降ユダヤ人とアラブ人双方の間で、武力衝突が頻発することとなった。イギリスの委任統治領政府はもはや無力なものとなり果てその後パレスチナより撤収。
パレスチナは事実上の内戦状態となっていったのである、、、
1948年5月14日、イギリスがパレスチナ統治終了を宣言した。
そして、その日のうちにユダヤ人たちは、世界初のユダヤ人国家であるイスラエル建国を宣言した。ちなみに日本にユダヤ人移民は多いものの、ユダヤ人たちが建国したのでは無いので、正確にはユダヤ人国家では無い。(ユダヤ人の数は多いから、半分ぐらいはユダヤ人国家と言っても過言では無いが、、、)
しかし翌日には、分割、さらにはユダヤ人国家成立に反対する周辺アラブ諸国がパレスチナへ侵攻。
これにより中東戦争が勃発した。
周辺アラブ諸のエジプト、サウジアラビア、イラク、トランスヨルダン、シリア、レバノンなどがパレスチナへ進軍。パレスチナ人側(現地アラブ人側)に立ってイスラエルと戦闘を始めた。
アラブ側の兵力はおよそ15万以上であり、対するイスラエル側の兵力は2万弱であった。
数で優勢なアラブ連合軍はイスラエルを包囲する形で進軍したものの、各国間の不信感から連携がうまくいかず兵士の士気も低かった。緒戦はその物的優位によりアラブ連合軍が善戦する。
だが、二度の休戦期間の間にイスラエル軍は部隊を強化することに成功した。さらには日本からユダヤ人たちが義勇軍として参加、アラブ諸国の足並みの乱れもあり、戦況は次第にイスラエル優位になっていった。
ちなみに日本からのユダヤ人義勇軍の中には、秘密裏に正規軍が混ざっていたが、公然の秘密とされていた。(なおアラブ諸国からは批判されまくっていたが、日本はしらばっくれていたそう、、、)
最終的に戦争はイスラエル優位のまま進み、1949年6月に双方が国連の停戦勧告を受け入れた。イスラエルでは、この戦争を独立戦争と呼んでいる。
この戦争によって、イスラエルは独立を確保。領土も国連による分割決議以上の範囲が確保された。
しかし、聖都であるエルサレムは全土(新市街地および旧市街地)を義勇軍に紛れ込んでいた日本軍によって占領された。エルサレムを占領した日本はエルサレムを国連管理下に置くことを国連に要請。結果受諾されたため、現在も国連管理下に置かれている。
また、アラブ人側は何一つとして領土を手に入れることができず、ただただ死傷者を出しまくっただけに終わった。
この戦争の結果は双方に不満を残すものであり、イスラエル側は念願の独立国家の建国に成功し、国連分割決議よりもはるかに広い領土を確保したのだが、肝心のユダヤ教の聖地である嘆きの壁を含むエルサレムを領土に組み込むことができず、アラブ側もイスラエルの建国を許し、領土を手に入れることができなかったため、イスラエルに対する敵意を募らせた。
とは言えエルサレムを国連管理下に置いた日本はアラブ人国家たちとイスラエルにひどく憎まれることとなったが、これによって”エルサレムを巡る戦闘“は無くなったこととなったため、世界からは賞賛されることとなった。
その後もエジプトのスエズ運河国有化や再びアラブ国家によるイスラエル侵攻など、第一次から第四次までの中東戦争が勃発した、現在も対立は続いているものの、近年では戦闘はあまり起きていないため、事態は沈静化していると言える。
なお余談だが、昭和天皇はイスラエル建国と中東戦争について、
「こんな予定じゃなかったんでけどなぁ。黄泉の祖父になんて言えば、、」
と言い残している。
そんな中、とある北の国の出来事が世界を駆け巡った。
スターリンが死去したのである、、、
なんか地味にイスラエルだけで長くなってしまったので、次の話は次回に持ち越します。
次回、スターリンの死と核散
なんか第3回 一二三書房WEB小説大賞の一次選考通過しました!?
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