第二十三話 ヨーロッパ戦線異常あり
第二十三話です。
クリスマス前にコロナに罹ってしまい、投稿がめちゃくちゃ遅れました、、申し訳ない、
今回かなり茶番が多いです。
1942年9月
連合国と休戦した独ソ戦線は安定化していた。それにより連合国軍は攻撃を控えて、ソ連軍が枢軸国軍に総攻撃を仕掛けて惨敗している頃、アメリカは、日本の主力艦隊を血眼になって探していた。
そんな中、ホワイトハウスの執務室では、、、
「いつになったら! あの忌々しい日本の艦隊を見つけられるんだぁ! 」
ルーズベルトが騒いでいたのだが、ちょうどそこに補佐官が顔色を変えて駆け込んできた。
「大統領っ! ヨーロッパが!ヨーロッパがっ!」
ヨーロッパ南部の枢軸国側国家であるイタリアが反旗を翻したのだ。
遡ること1か月前、、、
トルコ首都アンカラ
ここに、当時イタリアの独裁者ムッソリーニ、イギリス首相のチャーチルと日本大統領の近衛が集まっていた。
理由はただ一つ。イタリアを連合国に引き入れることである。もちろん、イタリアを連合国に引き入れることは困難であったのだが、チャーチルと近衛にはある手札があった。
「ムッソリーニ様。パスタやピッザの生地には、なにが必要ですか?」
「え? えぇっと、小麦だが。」
「我が連合国のウクライナという国家では、小麦がよく取れるんですよねぇ。 ではワインには、何が必要でしたっけ?」
「、、、ブドウだが、」
「我が国の同盟国フランスでは、ブドウが名産でしてねぇ、ああ、ワイン造りも盛んなんですよっ」
チャーチルと近衛がムッソリーニを煽ったため、ムッソリーニが、
「何が言いたいんじゃぁ!」
そうブチギレながら言うと、二人はニッコリしながら、
「ですから我々に加担すれば、これらが同盟価格で手に入るんですよ!」
「あ、、、、、、マジ?」
「た、だ、し! ソマリアとエリトリア、それと一部の賠償品と被害に遭った国家に対しての復興の手伝いさえしてくれれば、ですけどね、」
ムッソリーニはいったん悩んだものの、このまま枢軸に参加していたとしても、陣営盟主のドイツに発言権を奪われたままであると結論付け、連合国参加を決めたという逸話が残されている。
そして9月3日、連合国軍がイタリアに上陸。ちょうど同じ頃、ムッソリーニが枢軸国を裏切り連合国に参加した。
その後、上陸した連合国軍は混乱しているイタリア各地に展開していたドイツ軍をイタリア軍と共に武装解除、もしくは殲滅して行き、僅か一週間でヴィシーと旧オーストリアにまで軍を進めた。
当時、ソ連国境にて大部分のドイツ軍がソ連軍や連合国軍によって拘束されており特に、ソ連軍の無停止攻勢によって部隊の引き抜きが遅れたことにより、イタリアからの侵攻を許してしまった。ちなみにだが、独ソ戦に参加していたイタリア軍は、補充と偽ってイタリア本土に撤収していた。
その後、南フランスから侵攻した連合国軍はヴィシー政府を早々に降伏させ、パリ解放を目指して進軍し、旧オーストリア側から侵攻した連合国軍はミュンヘンやプラハまで侵攻した。なお侵攻中、バルカン半島のユーゴスラビアでは、チトー率いる抵抗軍が、独力で全土を解放していたそう。
こうして順調に侵攻した連合国軍は10月にはベルリン目前まで侵攻、パリではパルチザンの蜂起も重なったこともあり、解放に成功。この際、前線を突っ走っていた日本軍が、真っ先にパリに入場しようとしていたところ、後方で入場しようとしていたド・ゴールに止められ、結果的に自由フランス軍が先んじてパリに入場したという逸話が残っている。
そして、南と西からは連合国軍、東からはソ連軍(+連合国軍)に囲まれた為、ジリジリと戦線が押されていき、1943年11月、ついにベルリンが陥落。同市に立て篭っていたヒトラーは、愛人のエヴァ・ブラウン(亡くなる前の日に結婚したので、亡くなった際は妻だった)と共に自殺したとされている。二人の遺体は、現在も見つかっていないため、隠れて他国に亡命したのではと言われているが、真相は未だ分かっていない、、、
その後、2代目総統に指名されていたカール・デーニッツは連合国に対して降伏。ここに、ヨーロッパにおける戦いが幕を閉じた、、、と思われていたのだが、バルカン半島や東部戦線(ポーランド、ウクライナ付近)では、国防軍が未だ抵抗を続けており、東部において指揮をしていたキュヒラーやマンシュタイン、ロンメルらがポーランドの首都ワルシャワに臨時政府を立ち上げ、徹底抗戦を行った。特に、ロンメルとマンシュタインが直々に指揮をした機甲部隊は恐ろしいほどの戦果を上げ、ウクライナ首都のキエフでは、突出してきたソ連軍と連合国軍を逆包囲し、多くの部隊が殲滅されるという損害を受けている。
こうして最後の抵抗を見せた国防軍だったが、やはり物量には耐えきれず、また占領していたルーマニアの油田地帯を爆撃されたことによる燃料不足も相まって、半年もの攻防の末に降伏した。
ちなみにだが現在、この抵抗時に多くの活躍を見せたロンメルとマンシュタインは、今でも各地に名前が残っているため、見に行くことができる。
ちなみにだが、日本の連合艦隊の大部分は、フランス本土への上陸作戦のため、ヨーロッパへ向かっていたのだが、向かっている最中のスエズ運河を航行中にて、イタリア上陸からのドイツ降伏によって無駄足となってしまっていたという逸話が残されている。このフランス本土への大規模上陸作戦案は、現在ではノルマンディー上陸作戦と呼ばれており、一部のヲタクだけが知っている話となっている、、、
そして、ヨーロッパ戦線が終わりを迎えていた頃、舞台は変わって太平洋に視点を変える、、、
(12月31日、ノルマンディー上陸作戦の話を追加しました。)
こちらの事情もあり、今後は数日に一度のペースでの投稿になりそうです。 申し訳ない、、
次回、太平洋での攻防。
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