第二十話 パールハーバーから始まる太平洋戦争 (自由のために戦うとか言って、あなたの陣営の国家たちは独裁国家ばかりなのですがそれは?)
投稿がめちゃくちゃ遅れました。 申し訳ない、、、
第二十話です。
パールハーバーにて、、
大日本帝国連邦 布哇州 真珠湾
ここは太平洋のちょうど中心に位置し、アラスカと並んでアメリカとの距離が近かったこともあり、太平洋の一大拠点として、大規模な軍事施設が置かれた。現代ではこの巨大な基地群は今でも残っており、パールハーバー・ホノルル統合基地と呼ばれている。
ちなみに、ホノルル空軍基地は滑走路を民間の国際空港と共同で使用しており、ちなみにだがこの国際空港の名前は2017年より、ハワイ州出身で白人系日本人として初めて衆議員となったダニエル・イノウエの名前に改名されている。
太平洋の一大拠点として軍事や観光で栄えていたハワイ州は、第二次世界大戦前期、太平洋では大規模な戦闘が行なわれなかったこともあり、平和な時間を過ごしていた、、、
あの日までは、、、
1941年12月8日
太平洋の彼方、アメリカ本土から飛来したB17の大群がハワイ州を襲った。
当時ハワイ近海にて、連合艦隊第一航空艦隊および第二航空艦隊の合同演習が行われており、ハワイのレーダーに映った多数の航空機は、その艦隊から飛び立った航空隊だと思われたからだ。
一応、ホノルル空軍基地から、海軍航空隊が案内を兼ねてその多数の航空機に向かったのだが、付近に到着した時には、周りには何も飛んでいなかった。不審に思ったパイロットは、ふと、上を見上げた。
「あ、あっ、アメ公の重爆!?」
アメリカ空軍のB17を視認したパイロットは、危険を顧みず、ホノルルの本部に連絡を送った。
最終的にこの連絡は、アメリカ側に傍受されるも、連絡を送った機体は無事に帰還することに成功している。この機体を操縦していたパイロットは、後にラバウルなどで活動することとなる坂井三郎であった、、、
ホノルル近郊にB17の大群が接近した時。ようやく日本軍の迎撃機が姿を現した。
最初に追撃に上がっていたのは、日本陸軍航空隊のスーパーマリン スピットファイアのライセンス生産品である二式戦闘機「鍾馗」とこれまたホーカー ハリケーンのライセンス生産品である一式戦闘機「隼」とであった。
連絡を真っ先に受けた海軍はと言うと、連合艦隊第一航空艦隊および第二航空艦隊の合同演習に太平洋総司令官の山本五十六大将が参加していたため、迎撃機を出すのに時間がかかってしまっていたのだ。ちなみに困った海軍は、陸軍に一応連絡したのだが、おかげで陸軍が機を送り出すことに成功している。
このような事情により、追撃は陸軍が行ったのだが、B17の重装甲に、ハリケーンの7.7mm機銃は通じなかったため、主にスピリットファイアが迎撃を行った。
スピリットファイアの活躍により十数機のB17を撃墜したものの、妨害にしかならず、ホノルル市街や真珠湾、さらには滑走路にまで被害が出る大きな損害を被った。ちなみに真珠湾に停泊していた戦艦扶桑が爆弾一発が命中したことにより、損傷している。(真珠湾と滑走路には、大きな損害はなかった)
またハリケーンは、B17に対して歯が立たなかったため、機体ごと敵機にぶつけて撃墜するという、少々手荒い方法で敵航空機を撃ち落としている。
こうしてB17の大群による空襲を受けたのだが、さらに悲劇が続いた。
ハワイ近海にまで進出したアメリカ海軍機動部隊から飛び立った、攻撃部隊が、未だ混乱混乱していた真珠湾を襲ったのである。
この攻撃隊は、SBD、TBD、F2Aからなる部隊だったのだが、B17による空襲から既に時間が経過しており、この頃になると、日本軍は警戒を強めていたため、陸軍の二式戦闘機「鍾馗」と一式戦闘機「隼」他、海軍からの零戦なども迎撃に上がっていたため、アメリカ側の機体の多くが攻撃前に撃ち落とされている。
それでもF2Aによる必死の妨害により、攻撃機と爆撃機の一部は攻撃に成功し、停泊中だった扶桑型戦艦の扶桑、山城、日向、長門型戦艦の長門と陸奥が撃沈(大破着底)された。
特に、国民に広く親しまれていた戦艦陸奥は、急降下爆撃により、弾薬庫に爆弾が貫通。そのまま弾薬庫内にて爆発したことにより、爆沈。乗員のほとんどが戦死した。その後船体の引き揚げは叶わず、現在では陸奥記念館として、錆びついた船体を見ることができる。
ちなみに、当時の艦船には、魚雷に対する有効な方法があまり無く、あったとしても未成熟な物しかなかったため、魚雷による沈没艦が多かった。(バルジの増設などが、あまり行なわれていなかったため)
この報告を受けたアメリカ海軍機動部隊(太平洋艦隊司令長官も務めていた)の司令官を務めていたキンメルは、艦載機の損害の多さに嘆いたが、意外にも多くの戦果が挙がったことから、満足していた。
とはいえ、戦艦を沈めたのはいいが、肝心の航空母艦が湾内にいなかったことに疑問を抱いていたため、第三次攻撃隊を送り出すのを中断したとされている。ちなみに、キンメルは報告を受け取った時には既に第二次攻撃隊は既に送り出していたのだが、大した戦果を挙げられず、逆にほとんどの機体とパイロットを失う結果となっていた。
とはいえ第一次攻撃隊の戦果に大いに盛り上がっていたアメリカ海軍機動部隊だったが、その盛り上がりはすぐに終わることとなる。
復讐に燃える山本五十六が、第一航空艦隊および第二航空艦隊から送り出した、大量の攻撃機の群れに襲われたのである。
当時ハワイ近海にて第一航空艦隊および第二航空艦隊の合同演習が行われていた時、ホノルルからの凶報に山本は激怒し、血眼になってアメリカ側の機動部隊を探したのである。その結果、戦艦土佐から発艦した偵察機がアメリカ機動部隊を発見。その後、直ちに攻撃隊を送り出していたのである。日本側は、零戦や97式艦攻、99式艦爆、さらには合同演習に参加していた完熟訓練中だったイギリスのインドミタブルからのグラディエーターやソードフィッシュも攻撃に参加していた。
この突然の攻撃に、アメリカ海軍機動部隊は大混乱に陥り、空母2隻(ヨークタウン、ホーネット)、護衛の戦艦2隻(完熟訓練中だったノースカロライナ、ワシントン)、その他重巡洋艦1隻、駆逐艦1隻が撃沈。その他多くの艦艇が被弾した。
残った航空母艦は3隻とも被弾損傷しており、これ以上の損害を出したくないキンメルは艦隊を撤退させることになったのだが、その結果として、第一次、第二次攻撃隊を収容することができず、多くのパイロットと機体を失うこととなる。ちなみに、第一次攻撃隊の内、数機はなんとか艦隊にたどり着き、甲板の修理が終わっていた空母エンタープライズに無事に辿り着くことに成功している。
こうして戦いは終結し、現代では真珠湾攻撃、第一次布哇沖海戦と呼ばれている。
とは言え、アメリカはこの攻撃を成功させるために、宣戦布告をせずに攻撃を行い、また多くの民間人が死傷したため、日本国内では反米運動が激化、国民は「真珠湾攻撃を忘れるな」などとデモを行い、これにより昭和帝および大日本帝国連邦はアメリカ合衆国に宣戦布告をした。ちなみに、昭和帝は宣戦布告を宣言する前、
「やはり起きてしまったか、、、」
と、意味深な言葉を残している。
その後、同盟国であった連合国各国はアメリカに宣戦布告。アメリカは枢軸国に加盟し、これにより連合国に新たに敵国が増えることとなった、、、
ちなみにアメリカが日本が宣戦布告してきた後、当時大統領であったルーズベルト大統領は
「我々アメリカは世界で戦う自由主義国家のために、独裁国家日本から自由主義を守るため、日本に宣戦布告する!」
と、日本に宣戦布告し、枢軸国に加盟したのだが、これに対して日本やイギリスなどの連合国各国は
「自由のために戦うとか言って、あなたの陣営の国家たちは独裁国家ばかりなのですがそれは?」
と、疑問に思ったと言われている。
そんなことはさておき、アメリカが次に狙った場所。
それは、旧領アラスカである、、、
12月18日、陸軍機の名前を変更しました。ご確認下さい。
ついに太平洋戦争が起きてしまいました、、、
一体どうなっていくのでしょうか。
次回、冷凍庫解凍したらなんか鉄の塊がぁ。
いつに間にかブックマークが2000件を突破していました!
読者の皆様、ありがとうございます!
よろしければ評価とブックマークをよろしくお願いします!
投稿が遅すぎたことに対して怒りをお持ちの方は、感想にてデモをよろしくお願いします!




